《それって嫉妬では?》
送られてきた文章を目にした俺は、廊下の真ん中で思わず足を止めてしまった。
休み時間に購買に行こうと友人と連れ立った俺は今、すべ氏とDMのやり取りをしている真っ只中だ。
文章の意味を理解するのに時間が掛かって、じっと画面と睨めっこをする。
嫉妬。その意味は他人を羨んだり、妬んだりすること。
それがどうしたというのだろう。だって俺は今、日曜の成海くんの話をしていたはずなのだ。
《えっと、すべ氏……話聞いてました?》
《バッチリ聞いてました。その上でやはり嫉妬かと》
《……と言いますと?》
俺が急に立ち止まったせいで、前の方から友人の急かす声が聞こえてくる。
ごめんと返して小走りをしながらも、依然として俺の視線は画面にくぎ付けのままだ。
少しの間の後、ついに待ち侘びた答えは返ってきた。
《だから、僕が丸一日遠藤氏を独占してたから寂しかったんじゃないんですか。ヤキモチ妬いて拗ねてるんですよ、弟くんは》
──ありえない。
すべ氏からの返信を読んですぐに抱いた感想がそれだった。
「いや、ないでしょさすがに……あの成海くんだよ」
俺の弟がかなり年の離れた幼児とかならまだわかる。
だが相手はあの万年反抗期の成海くんだ。
休みの日だって二人で過ごしたことすらないのに、俺が古賀くんと一緒にいたからってヤキモチを妬くような性格ではない。
あれから数日が経ったが、成海くんの態度はツンとしたままだ。せっかく最近は少しずつ軟化してきたと思ったのに、また目すら合わせてくれなくなってしまった。
どうしたら機嫌を直してくれるのだろう。そもそも、何に対して怒っているのかもわからないままだし……。
「なあ早く選べよ、てかさっきから何見てんの?」
「別になんにも、ごめん」
友人に急かされた俺は、スマホをポケットの中にしまい、急いで目についたパンをふたつ選んだ。
焦ったせいで甘いものばっかりになってしまった、と後悔をしながら教室に戻ろうとしたところで、隣で友人があれ、と声を上げた。
「あそこにいるの、おまえの弟じゃね?」
視線の先を辿ると、自販機のそばに背の高い黒髪の青年が見えた。
正真正銘、俺の義弟だ。こんな所で会えるなんて珍しい。渡り廊下の柵にもたれながら、乳酸菌飲料をごくごくと豪快に飲んでいる姿は、さながらCMタレントのようだ。
成海くん、と声を掛けると、その双眸がこちらに向けられた。
「偶然だね。ジュース買いに来たの?」
「……そうだよ」
いつもならば校内で声を掛ければ、「兄さんっ」と尻尾を振る大型犬のように駆けてくるはずの彼は、今日はいやに落ち着いている。
隣に俺の友人がいる手前か、形ばかり微笑んだ彼は、そのまま何も言わずに俺の横を通り過ぎて去っていった。
「なんかいつもより素っ気ないな。おまえら喧嘩でもしたん?」
「いや……」
まさか仲良しごっこをしてくれている校内ですらこの対応だとは……。
もしかしたら俺が思っているよりも、ずっと怒っているのかもしれない。
*
ことの重大さを改めて痛感した俺は、放課後になると急いでスマチャを開いた。
《【急募】弟の機嫌を直す方法。この前からなんか怒ってるみたいなんだが理由がわからん》
この後は塾があるので、家に帰るのを待っていられない。
そう思って珍しく学校から投稿してみたが、フォロワーも今の時間はタイムラインに少ないようで、なかなか反応が来ない。
夜にまた聞いてみようかな。
諦めて画面を閉じようとしたそのとき、一通のコメントが届いた。
《わかってないところが余計にイラつくんじゃないかなぁ》
──なぴちゃだ。
名前を見た瞬間にドキッとした。
久しぶりに名前を見たような気がする。最近は俺が投稿しても何のリアクションもなかったはずなのに。
そういえばなぴちゃは、現実の俺のことを知っているんだよな……。
この前は駅のホームで見られていたみたいだし、通勤通学ラッシュのときに駅にいたっていうことは、学生か社会人のほぼ二択。
ほとんど家と学校の往復しかしていない俺は、社会人に名前を覚えてもらうような接点はないはずだから──おそらく学生に違いない。
仮に同じ高校の人間だとすれば、弟のことをよく知っているわけだし、相談するにはもってこいの人物なのでは?
《なぴちゃさんから見てどうですか?最近の弟の俺に対する態度、そっけなくないですか》
なぴちゃには以前、成海くんと話すきっかけをもらったという多大なる恩がある。
だから今回も俺は彼女に全幅の信頼を寄せていた。
《知らなぁい。あんたのことずっと見てるわけじゃないし》
しかし返ってきた言葉はどこか突き放すようなものだった。
前のような親身な姿勢を期待していたのに、少し残念な気持ちになる。
《じゃあどうしたら仲直りできると思いますか》
《仲直りってさぁ、多分向こうは喧嘩って思ってないんじゃない?遠藤ちゃんそういうとこだよ》
《ええ……。怒ってる理由さえわかれば改善するんですけど》
言葉は全然オブラートに包んでくれないが、なんだかんだで会話に付き合ってくれるのだから、やっぱりなぴちゃは悪い人ではないのだろう。
温かい気持ちになったところで、少しの間を置いて、スマホが新しいメッセージを受信する。
《ハグでもしちゃえば?笑》
──前言撤回。なぴちゃは俺のことをからかっているだけに違いない。
俺は本気で悩んでいるというのに……!
もういいです、と打ち込んでいたところで、不意に後ろからトントンと肩を叩かれた。
「日南くん」
「っ、古賀くん! どうしたの?」
振り向くと古賀くんが立っていた。
やっほー、と朗らかに片手を挙げる彼は、相変わらず爽やかさを振り撒きながら、白い歯を見せて笑っている。
「いやあ、投稿見て気になっちゃって。日南くん悩んじゃってるし。やっぱり俺のせいじゃないかな」
「朝言ってたヤキモチってやつ? それはないと思うよ。成海くんが俺にそんなことするわけないもん」
「……日南くんって結構鈍感な感じ?」
古賀くんは困ったように笑っているが、俺からすればどうしてそこまで嫉妬に繋げたがるのかがわからない。
鈍いってそういえば、成海くんにも前に言われたような気がするな……と考えていたところ、
「この前の弟くんの言動、あからさまに俺に対するマウントでしょ、あれ。爽やか~な弟くんしか知らなかったからちょっと驚いたけど……」
と、古賀くんが腕を組みながら言った。
「ん? マウント……? どういうこと?」
「やっぱり気付いてないのか。ごめん、説明するからちょっと立ってくれる?」
そう言われて、何が何だかわからないまま俺は素直に立ち上がった。流されるままに教室の後ろの方に二人で移動する。
「えーっと、だからさ、こうやって俺から引き離すみたいにしてたでしょ」
「うん」
古賀くんがあの日の成海くんを真似するように、ぐい、と俺の手首を引いた。
──俺の方が沙也ちゃんのことよく知ってっから。
──沙也ちゃんは、俺にしか興味ないもんね。
その瞬間にあの日の彼の言動が蘇ってきて、僅かに気恥ずかしい気持ちになる。
成海くんのあの、時折入る謎のスイッチは心臓に悪い。
普段は俺のことなんて興味ありませんみたいな顔してるくせに、気まぐれに絡んできたかと思えば距離感がバグっているのだ。
「で、日南くんのことをこう、自分のもとに引き寄せてたじゃん」
古賀くんの手が俺の腰に回る。ぐっと抱き寄せられ、更に彼と密着した。
古賀くんは成海くんよりも背が低い。だからか成海くんよりも顔の距離が近くて、ちょっとだけ気まずい。
だけど彼は至って真剣に説明してくれているのだから、ここで俺が止めるわけにはいかないだろう。
さすがに放課後の教室で、男二人で何をやっているんだという気になってきたのは否めないが。
「あのときの弟くんの顔がね」
「──なにしてんの」
聞き間違いだろうか。成海くんに似た声が、後ろから聞こえたような。
「あ、本人登場。ちょうどよかった」
「……っ、成海くん!」
ほっとしたような様子の古賀くんの声につられて後ろを向けば、成海くん本人が教室の入り口に立っていた。
どうして成海くんが三年の教室にいるのだろう。まさか俺に会いに来てくれたりとか……。
ほんの一瞬期待を抱くが、彼の表情を見た瞬間にそんなものは呆気なく崩れ去った。
張り詰めた氷のような真顔。その目の奥には怒りが滲んでいるのが見える。古賀くんに向いていた視線がゆらりと俺に向けられた瞬間、反射的に肩を上げてしまった。
こ、怖っ……!
本能が危機を察知しているのか、成海くんと目が合わせられない。
「だからさ日南くん、わかったでしょ。あのときの弟くんも、こういう顔してたんだって」
俺がこんなに怯えているというのに、隣の古賀くんはクスクスと笑いながら、ますます俺の腰を力強く抱き寄せた。
「弟くんごめんね、今の日南くんは俺に興味があるみたい」
「……っ、こここ、古賀くん……!?」
「ねー? 沙也くん」
古賀くんの言動の意図が読めずに困惑する俺の横で、話合わせて、と小声で吹き込まれる。
完全に流されるままの俺は、どうにでもなれという気持ちでこくこくと頷いた。
「へえ、そっか」
いつもより低い声が、俯く俺の耳に届く。
故意に視線を逸らす俺のもとに、あろうことか成海くんがゆっくりと近寄ってくるのが気配で感じ取れた。
「そんなに構ってほしかったの? 俺じゃなくても誰でもよかったんだ」
何に怒っているんだとか、何でそんな顔をしているんだとか、何をしに来たんだとか。
色々頭に疑問が浮かぶけど、彼の表情と声色から、絶対にポジティブな理由じゃないことだけはわかる。
「沙也ちゃんって本当、流されやすくて困っちゃうな」
「……っ」
下げた視線の先に、成海くんの上靴の爪先が映る。
俺の前で立ち止まったかと思えば、頭にぽんと大きな手のひらが乗った。
屈みこんだ成海くんが、覗き込むようにして俺に視線を合わせる。
「ダメでしょ。俺以外に尻尾振ったら」
氷のように冷たい瞳が薄く細められた瞬間、反対に俺の心臓は熱を持ち、激しく動き始めた。
可愛いだなんてお世辞でも言えやしない。
瞳の奥に影を落として、まっすぐに俺を射抜くその視線は、見たこともないほど大人びていた。
「行くよ」
成海くんの手が俺の手を掴んで引き寄せ、有無を言わさず出入り口へと進んでいく。
もつれる足で後を追うと、教室を出る直前に彼が振り返った。
「……あ。俺の代わりに兄さんのお世話、ありがとうございました」
古賀くんの方を見て、そう言って形だけの笑みを浮かべる成海くんの考えていることなんて、俺にはちっとも分かるはずがなかった。
送られてきた文章を目にした俺は、廊下の真ん中で思わず足を止めてしまった。
休み時間に購買に行こうと友人と連れ立った俺は今、すべ氏とDMのやり取りをしている真っ只中だ。
文章の意味を理解するのに時間が掛かって、じっと画面と睨めっこをする。
嫉妬。その意味は他人を羨んだり、妬んだりすること。
それがどうしたというのだろう。だって俺は今、日曜の成海くんの話をしていたはずなのだ。
《えっと、すべ氏……話聞いてました?》
《バッチリ聞いてました。その上でやはり嫉妬かと》
《……と言いますと?》
俺が急に立ち止まったせいで、前の方から友人の急かす声が聞こえてくる。
ごめんと返して小走りをしながらも、依然として俺の視線は画面にくぎ付けのままだ。
少しの間の後、ついに待ち侘びた答えは返ってきた。
《だから、僕が丸一日遠藤氏を独占してたから寂しかったんじゃないんですか。ヤキモチ妬いて拗ねてるんですよ、弟くんは》
──ありえない。
すべ氏からの返信を読んですぐに抱いた感想がそれだった。
「いや、ないでしょさすがに……あの成海くんだよ」
俺の弟がかなり年の離れた幼児とかならまだわかる。
だが相手はあの万年反抗期の成海くんだ。
休みの日だって二人で過ごしたことすらないのに、俺が古賀くんと一緒にいたからってヤキモチを妬くような性格ではない。
あれから数日が経ったが、成海くんの態度はツンとしたままだ。せっかく最近は少しずつ軟化してきたと思ったのに、また目すら合わせてくれなくなってしまった。
どうしたら機嫌を直してくれるのだろう。そもそも、何に対して怒っているのかもわからないままだし……。
「なあ早く選べよ、てかさっきから何見てんの?」
「別になんにも、ごめん」
友人に急かされた俺は、スマホをポケットの中にしまい、急いで目についたパンをふたつ選んだ。
焦ったせいで甘いものばっかりになってしまった、と後悔をしながら教室に戻ろうとしたところで、隣で友人があれ、と声を上げた。
「あそこにいるの、おまえの弟じゃね?」
視線の先を辿ると、自販機のそばに背の高い黒髪の青年が見えた。
正真正銘、俺の義弟だ。こんな所で会えるなんて珍しい。渡り廊下の柵にもたれながら、乳酸菌飲料をごくごくと豪快に飲んでいる姿は、さながらCMタレントのようだ。
成海くん、と声を掛けると、その双眸がこちらに向けられた。
「偶然だね。ジュース買いに来たの?」
「……そうだよ」
いつもならば校内で声を掛ければ、「兄さんっ」と尻尾を振る大型犬のように駆けてくるはずの彼は、今日はいやに落ち着いている。
隣に俺の友人がいる手前か、形ばかり微笑んだ彼は、そのまま何も言わずに俺の横を通り過ぎて去っていった。
「なんかいつもより素っ気ないな。おまえら喧嘩でもしたん?」
「いや……」
まさか仲良しごっこをしてくれている校内ですらこの対応だとは……。
もしかしたら俺が思っているよりも、ずっと怒っているのかもしれない。
*
ことの重大さを改めて痛感した俺は、放課後になると急いでスマチャを開いた。
《【急募】弟の機嫌を直す方法。この前からなんか怒ってるみたいなんだが理由がわからん》
この後は塾があるので、家に帰るのを待っていられない。
そう思って珍しく学校から投稿してみたが、フォロワーも今の時間はタイムラインに少ないようで、なかなか反応が来ない。
夜にまた聞いてみようかな。
諦めて画面を閉じようとしたそのとき、一通のコメントが届いた。
《わかってないところが余計にイラつくんじゃないかなぁ》
──なぴちゃだ。
名前を見た瞬間にドキッとした。
久しぶりに名前を見たような気がする。最近は俺が投稿しても何のリアクションもなかったはずなのに。
そういえばなぴちゃは、現実の俺のことを知っているんだよな……。
この前は駅のホームで見られていたみたいだし、通勤通学ラッシュのときに駅にいたっていうことは、学生か社会人のほぼ二択。
ほとんど家と学校の往復しかしていない俺は、社会人に名前を覚えてもらうような接点はないはずだから──おそらく学生に違いない。
仮に同じ高校の人間だとすれば、弟のことをよく知っているわけだし、相談するにはもってこいの人物なのでは?
《なぴちゃさんから見てどうですか?最近の弟の俺に対する態度、そっけなくないですか》
なぴちゃには以前、成海くんと話すきっかけをもらったという多大なる恩がある。
だから今回も俺は彼女に全幅の信頼を寄せていた。
《知らなぁい。あんたのことずっと見てるわけじゃないし》
しかし返ってきた言葉はどこか突き放すようなものだった。
前のような親身な姿勢を期待していたのに、少し残念な気持ちになる。
《じゃあどうしたら仲直りできると思いますか》
《仲直りってさぁ、多分向こうは喧嘩って思ってないんじゃない?遠藤ちゃんそういうとこだよ》
《ええ……。怒ってる理由さえわかれば改善するんですけど》
言葉は全然オブラートに包んでくれないが、なんだかんだで会話に付き合ってくれるのだから、やっぱりなぴちゃは悪い人ではないのだろう。
温かい気持ちになったところで、少しの間を置いて、スマホが新しいメッセージを受信する。
《ハグでもしちゃえば?笑》
──前言撤回。なぴちゃは俺のことをからかっているだけに違いない。
俺は本気で悩んでいるというのに……!
もういいです、と打ち込んでいたところで、不意に後ろからトントンと肩を叩かれた。
「日南くん」
「っ、古賀くん! どうしたの?」
振り向くと古賀くんが立っていた。
やっほー、と朗らかに片手を挙げる彼は、相変わらず爽やかさを振り撒きながら、白い歯を見せて笑っている。
「いやあ、投稿見て気になっちゃって。日南くん悩んじゃってるし。やっぱり俺のせいじゃないかな」
「朝言ってたヤキモチってやつ? それはないと思うよ。成海くんが俺にそんなことするわけないもん」
「……日南くんって結構鈍感な感じ?」
古賀くんは困ったように笑っているが、俺からすればどうしてそこまで嫉妬に繋げたがるのかがわからない。
鈍いってそういえば、成海くんにも前に言われたような気がするな……と考えていたところ、
「この前の弟くんの言動、あからさまに俺に対するマウントでしょ、あれ。爽やか~な弟くんしか知らなかったからちょっと驚いたけど……」
と、古賀くんが腕を組みながら言った。
「ん? マウント……? どういうこと?」
「やっぱり気付いてないのか。ごめん、説明するからちょっと立ってくれる?」
そう言われて、何が何だかわからないまま俺は素直に立ち上がった。流されるままに教室の後ろの方に二人で移動する。
「えーっと、だからさ、こうやって俺から引き離すみたいにしてたでしょ」
「うん」
古賀くんがあの日の成海くんを真似するように、ぐい、と俺の手首を引いた。
──俺の方が沙也ちゃんのことよく知ってっから。
──沙也ちゃんは、俺にしか興味ないもんね。
その瞬間にあの日の彼の言動が蘇ってきて、僅かに気恥ずかしい気持ちになる。
成海くんのあの、時折入る謎のスイッチは心臓に悪い。
普段は俺のことなんて興味ありませんみたいな顔してるくせに、気まぐれに絡んできたかと思えば距離感がバグっているのだ。
「で、日南くんのことをこう、自分のもとに引き寄せてたじゃん」
古賀くんの手が俺の腰に回る。ぐっと抱き寄せられ、更に彼と密着した。
古賀くんは成海くんよりも背が低い。だからか成海くんよりも顔の距離が近くて、ちょっとだけ気まずい。
だけど彼は至って真剣に説明してくれているのだから、ここで俺が止めるわけにはいかないだろう。
さすがに放課後の教室で、男二人で何をやっているんだという気になってきたのは否めないが。
「あのときの弟くんの顔がね」
「──なにしてんの」
聞き間違いだろうか。成海くんに似た声が、後ろから聞こえたような。
「あ、本人登場。ちょうどよかった」
「……っ、成海くん!」
ほっとしたような様子の古賀くんの声につられて後ろを向けば、成海くん本人が教室の入り口に立っていた。
どうして成海くんが三年の教室にいるのだろう。まさか俺に会いに来てくれたりとか……。
ほんの一瞬期待を抱くが、彼の表情を見た瞬間にそんなものは呆気なく崩れ去った。
張り詰めた氷のような真顔。その目の奥には怒りが滲んでいるのが見える。古賀くんに向いていた視線がゆらりと俺に向けられた瞬間、反射的に肩を上げてしまった。
こ、怖っ……!
本能が危機を察知しているのか、成海くんと目が合わせられない。
「だからさ日南くん、わかったでしょ。あのときの弟くんも、こういう顔してたんだって」
俺がこんなに怯えているというのに、隣の古賀くんはクスクスと笑いながら、ますます俺の腰を力強く抱き寄せた。
「弟くんごめんね、今の日南くんは俺に興味があるみたい」
「……っ、こここ、古賀くん……!?」
「ねー? 沙也くん」
古賀くんの言動の意図が読めずに困惑する俺の横で、話合わせて、と小声で吹き込まれる。
完全に流されるままの俺は、どうにでもなれという気持ちでこくこくと頷いた。
「へえ、そっか」
いつもより低い声が、俯く俺の耳に届く。
故意に視線を逸らす俺のもとに、あろうことか成海くんがゆっくりと近寄ってくるのが気配で感じ取れた。
「そんなに構ってほしかったの? 俺じゃなくても誰でもよかったんだ」
何に怒っているんだとか、何でそんな顔をしているんだとか、何をしに来たんだとか。
色々頭に疑問が浮かぶけど、彼の表情と声色から、絶対にポジティブな理由じゃないことだけはわかる。
「沙也ちゃんって本当、流されやすくて困っちゃうな」
「……っ」
下げた視線の先に、成海くんの上靴の爪先が映る。
俺の前で立ち止まったかと思えば、頭にぽんと大きな手のひらが乗った。
屈みこんだ成海くんが、覗き込むようにして俺に視線を合わせる。
「ダメでしょ。俺以外に尻尾振ったら」
氷のように冷たい瞳が薄く細められた瞬間、反対に俺の心臓は熱を持ち、激しく動き始めた。
可愛いだなんてお世辞でも言えやしない。
瞳の奥に影を落として、まっすぐに俺を射抜くその視線は、見たこともないほど大人びていた。
「行くよ」
成海くんの手が俺の手を掴んで引き寄せ、有無を言わさず出入り口へと進んでいく。
もつれる足で後を追うと、教室を出る直前に彼が振り返った。
「……あ。俺の代わりに兄さんのお世話、ありがとうございました」
古賀くんの方を見て、そう言って形だけの笑みを浮かべる成海くんの考えていることなんて、俺にはちっとも分かるはずがなかった。
