君がいなくなるその日まで-my heart-


 大きな発作が起きてから、今日でちょうど十日目。

 自分では記憶が曖昧でほとんど覚えてないけれど、一時的に心拍が止まって危なかったらしい。

 一命を取り留めてどうにか戻ってくることができた僕は、当初の絶対安静期間を終えて、今では少しずつ歩けるまでに回復していた。

(しん)くん、ずいぶん顔色が良くなってきたね」

 いつものように血圧を測りに来た中村(なかむら)さんは、僕の病室を担当してくれている看護師だ。

 生まれつき心臓に疾患がある僕は、子供の頃からこの病院のお世話になっている。

 中学二年生の途中までは学校に通っていたけれど、病気が進行してからは通学が難しくなり、十七歳になった今は入院生活を送っている。

「顔色だけじゃなくて体調もいいですよ」

 体は痩せていくし、薬は増える一方だけど、心だけは誰にも負けないくらい元気だ。

「慎くんって本当に手先が器用だよね。それって小児病棟のクリスマス会の時にあげる折り紙?」

 中村さんが指さしたのは、ベッドサイドテーブルの上で作っていたサンタとトナカイの折り紙だった。

 入院生活はとにかく時間の進みがゆっくりで、有意義に過ごせる方法はなにかと模索した結果、折り紙にたどり着いた。

 最初はうまく折れなかったけれど、今では作り方を見なくても一通りのものは折れるようになった。

「子供たちの胸につけてあげる折り紙のバッジはもうできてて、これは(まい)との――」

「舞ちゃん?」

「あ、いや、なんでもないです」

 ――岩瀬(いわせ)舞。僕の好きな人。

 同い年の舞もまたこの病院に入院していて、僕と同じ左胸に爆弾を抱えている。

 自由に外出することもできず息が詰まりそうになる時もあるけれど、舞がいてくれるから僕は頑張れるし、頑張ろうと思える。

 好きな人とクリスマスを過ごすなんて一生できないと思っていたのに、舞のおかげでそれが現実になりそうで嬉しい。

「こっちの折り紙も可愛いわね」

 中村さんの視線がふいに、サンタとトナカイとは別に作っていたハートの折り紙に向いた。

 僕は生まれた時から自分の心臓と向き合ってきたから、本当の心臓がどんな形なのか知っている。

 だから、どうしてハート型が心臓のシンボルになったのか気になって調べたことがあった。

 そこには古代の植物がモチーフになったとか、中世の写本で胸部を示すために簡略化された形だとか、色々な説はあるらしいけれど、どれもロマンチックな理由ではなかった。

 人の心臓は血液を受け取る右心房と、送り出す左心房がペアになって動いているから、もしも僕がロマンチックな理由をつけていいのなら――。

 心臓は元々左右別に存在していて、大切な誰かに片方あげられるようになっているのではないか。

 左右ぴたりと寄り添っている形がハートに見える、なんていう理由だったらいいのに。

 そうしたら、僕の心臓を舞にあげられる。

 僕の心臓が元気だったら、いくらでも舞にあげたい。

「中村さん、舞は心臓移植できますか?」

 僕たちの心臓はもう健康にはならない。治る方法があるとするなら、新しい心臓を移植することだけだ。

「私たちは患者さんの病気を治したくてここにいる。舞ちゃんだけじゃなく慎くんにも元気になってもらわないと」

 中村さんに明るく話を交わされてしまった。中村さんは医者ではなく看護師だから移植の詳細を簡単に話せないのだろう。

 だけど、僕には時間がない。

 たくさんやりたいことがあるし、たくさん行きたい場所もあるけれど、もしも今自分の心臓が止まってしまったら、心残りになるのは舞のことだけだ。

「中村さんも薄々気づいてるかもしれないけど、舞は移植に前向きじゃないから、ドナーが見つかっても受け入れないと思うんです。だから、もしも舞が移植を拒否したら……なにがなんでも受けるように説得してくれませんか?」

 臓器提供は本人の意思が最も尊重される。それは提供をするほうも同じだ。

 提供されるほうも、するほうも、強制や誘導はあってはならないし、それは僕もわかっている。

 だけど、僕は舞が生きることを諦められない。

 誰かの命を貰うことになっても、舞だけには生きてほしい。

「私がしなくても風間(かざま)先生が説得してくれるわよ」

「はは、たしかにそうですね」

 風間先生は、僕らのことをずっと診察してくれている主治医だ。

 病院という隔離された空間で生活している僕たちだけど、周りには信頼できる人たちがいるし、これからも舞のことを支えてくれる。

 たとえ、僕がこの世界からいなくなったとしても。

 中村さんが病室を出て行ったあと、僕はハートの折り紙に手を伸ばした。折り目をそっと開くと、そこには舞へ宛てたメッセージが書かれてある。

 舞へ

 今まで本当にありがとう

 舞といるといつも嬉しかったし、楽しかった

 舞には誰よりも幸せになってほしい

 舞のことを世界で一番幸せにしてくれる人と出会って、たくさん生きてください

 宇佐見(うさみ)

 僕は自分の心臓の状態をよくわかっている。大きな発作を経て奇跡的に命を繋げたけれど、僕の身体はもう心臓移植には耐えられない。おそらく近々、風間先生から説明があるだろう。

 長く生きられないからこそ、後悔しないために折り紙の裏に舞宛ての言葉を残した。

 でも……幸せにしてくれる人に出会ってほしいとは思わない。

 叶うなら、僕が舞のことを幸せにしたかった。

「あー……ダメだ、書き直さないと」

 せっかく書いた文字が、涙で滲んでいく。

 僕は今まで色々な人たちに助けてもらって生きてきた。

 だから、絶対に誰かを困らせることはしたくないし、なるべく自分の気持ちも出さないようにしてきたけれど、舞に残す言葉の中に嘘は入れたくない。

 そこだけは、ちゃんと自分の気持ちを伝えるべきだ。

 僕は新しい折り紙を広げ、その裏側に改めて手紙を書き直した。

 ――そして、クリスマス当日。

 予想以上に診察が長引いてしまい、クリスマス会は急遽消灯後に開くことになった。

 病院内の電気が消された夜の九時。舞はおばけに怯えながら、僕の部屋に来てくれた。

 その胸には卓上型のクリスマスツリーを抱えていて、僕は用意しておいたサンタとトナカイの折り紙をオーナメントに見立ててツリーに飾った。

「慎は本当に器用だよね。お店開けると思う」

「なんの店? 折り紙屋さん?」

「あ、いいかも。聞いたことないし、普通に売れそう! 一個いくらぐらいがいいかな。五百円じゃ安い?」

「クリスマスなのに、ムードがないな」

「大事でしょ、お金は」

 僕は舞にもっと近づきたくて見回りが来ると焦らせて、ベッドに誘い込んだ。

 舞の体温は、いつもほんの少しだけ冷たい。色んなところに気を張っていて、いつだって舞は強くいようとするけれど、僕だけは知っている。

 本当の舞はすごく怖がりで、人の死に敏感で、繊細で優しくて、誰よりもか弱い普通の女の子。

「今日の部屋着もおそろいだね」

「おそろいじゃなくて、色が同じだけでしょ?」

「なんでいつも同じになるんだろう?」

「慎と同じものを選ぶ自分で生まれてきたのかも」

「え?」

「ほら、子供は親を選んで生まれてくるって、よく言ったりするじゃん。親だけじゃなくて、例えば好きな色も着たい洋服も出会いたい人も最初から自分で決めて生まれてたらいいなって」

 クリスマスツリーの七色の灯りが、舞の頬を淡く染めている。

「だからね、前に慎が言った心臓移植は運じゃなくて神様が選ぶって話は反対派。そんな大事なことを見ず知らずの神様に選んでほしくないし」

「ぷっ、はは! そういうところ本当に舞らしい」

 舞が言ったように、最初から色々なことを自分で選んで生まれてきたのなら、僕はきっと生まれる前から舞を好きになるって決めていたのだと思う。

「じゃあ、僕たち病気も自分で選んだのかな?」

「さすがにそれは人生ハードモードすぎない?」

「でも、僕は病気の自分のことは嫌いじゃない。だって、心臓も舞とおそろいでしょ。生まれた時からおそろいなんて他にある?」

「ないね」

「心臓病も舞とおそろいでよかった」


 ねえ、舞。

 いつか枕の下に隠したハートの折り紙を読んでほしい。

 そこに、僕の気持ちが書いてある。

 泣かせてしまうかもしれないけれど、伝えずにはいられなかった言葉を全部書いたから。

 最初で最後のわがままを言っていいのなら――。

 今より少し大人になった姿で、返事を届けにきてほしい。


「僕は舞にいっぱい願いを叶えてもらった。今日も僕にとってのプレゼントは舞だ」

「……慎」

「だから次は舞の願いを叶えさせて」

「え?」

「約束の海に行こう」

 誰も知らない、ふたりだけのクリスマス。

 ベッドの中で繋がっていた手を、舞は強く握り返してくれた。