いつか、かぐや姫のお母さんだった話をしましょうか

 最初は忍をだし(・・)にして、本当はいぶき自身が浅倉に思いを寄せてるのではと考えていた。年の差は十八もあるが、浅倉は若く見える。でも親子ほどの差になると考えると、さすがにそれは……などと悶々と考えていたところ、いぶき本人から

「絶対ない、ありえない」

 と言われてしまった。しかもこれでもかというほどの冷たい、絶対零度の視線付きだ。あれではいぶきではなく吹雪である。
 まあ、父親がいないので、なんとなく父性でも感じていると言ったところだろうとは実母談。

 忍自身は「いぶきが大人になるまで結婚なんてとんでもない。恋人? いりません」と公言し続けていた。

 会社でも見合いを勧められたことは一度や二度ではないが、全部断っている。物好きな男性から言い寄られたこともないわけではない(というか、以前はどこから湧いてくるんだという状態だったが、アラフォーになるころにはピタリと収まってホッとしていた)。
 今の忍はシングルマザーでも、いぶきが旅立てばただのバツイチ女なのだ。しかも妄想で子育てしたつもりになっている痛い人である。まかり間違ってそんな女を嫁にするとか、相手が気の毒すぎるだろう。

 成人式まで、あと五ヵ月ちょっと。
 いぶきの夢は日に日にはっきりしているようで、旅立ちの日も成人の日の午後だと分かった。あの何かはしっかり約束を守ってくれるようだ。
 その後のことは考えない。考える気にもなれない――。

 そんな忍に、浅倉は突然今まで見せたこともないような目を見せた。
 いつもなら忍の軽口に笑って終わるところを、数秒黙っている。何かまずいことを言っただろうかと忍が首をかしげていると、

「それはもちろん。俺がほしいのは、お母さんのほうですからね?」

 とつぜん笑顔でそう告げられた。

「はっ?」

 忍はギョッとして、あわてて周りを見回す。幸い今は誰もいなかったことに、ほっと胸をなでおろした。

「変なこと言わないでください」

 驚きすぎて心臓がバクバクする。
 突然何が起こったのかわからなかった。今まで忍に対し、そんな素振りなど一度も見せたことがないではないか。

 ――冗談? そうか、冗談か! エイプリルフールじゃなかったけど、何か新しい流行りもの?

「変なことでも冗談でもないですよ」

 思考がぐるぐるしている忍に、浅倉は少し微笑んだ。その声が少し硬い。

「待ってたんですよ」

 射抜くような視線に、思わず身がすくむ。

「待ってた、ですか?」

「はい。いぶきちゃん、大人になりましたからね。だからそろそろ、本気を出そうと思って」

「えっ?」

 いつもなら笑うとなくなるその目が今は怖いくらいの真剣さを帯び、忍は慌てて周囲を見回す。助けを求めようにも、フロアに人影は見えない。

「あっ! もしかして、お酒飲んでます?」

 まだ昼間だが、酔って変なことを言い始めたのだろうか。あまり一緒にお酒を飲んだことはないが、これはとても素面とは思えない。だったら浅倉が恥ずかしくならずに済むよう、聞かなかったことにしてすべて忘れてしまおう。
 癒し系男子の真剣な顔は、雰囲気がまるで別人で怖すぎる!

 きっと素に戻ったら、彼は恥ずかしさでのたうち回るに違いない。
 そうだ、きっとそうだ。聞かなかったことにしよう。

 さりげなく忍が立ち上がろうとすると、浅倉から手を掴まれた。

「残念ですが、俺は素面ですよ」

 じっと見つめられ、忍の脳裏にさっきの言葉が甦る。

 ――この人、いぶきが二十歳になるのを待ってたって?

 その言葉がしっかり認識出来た瞬間、忍は怒りで血が沸騰するかと思った。

「離してください!」

 こぶしを握り、浅倉の腕から自分の腕を引きぬく。
 目の前が真っ赤になっていた。怒りで体中が熱い。

 何を言ってるのだこの男は!
 いぶきが大人になったら、あの子は消えてしまうのに!

「よくも……そんなことが……」

 忍の食いしばった口から、唸り声のような声が漏れる。
 彼はいぶきが消えることなんて知らない。わかってる。わかってるけど許せない、許せない、許せない!
 あの子は消えるのに! そのことを待ってたなんて言葉は、絶対に受け入れられない!

 思わずあふれてきた涙をグイっとぬぐい、「失礼します」と低い声で告げ踵を返す。
 浅倉が何か言った気がするがまるで聞こえなかった。