いつか、かぐや姫のお母さんだった話をしましょうか

 浅倉の提案で、忍たちは十二月半ばに小さな結婚式を兼ねたパーティーを開くことにした。
 かつて浅倉の彼女が望んだことだ。忍がそれを気にするのではと浅倉は気に病んでいたようだが、忍はキッパリ首を振った。
 申し訳ない気持ちがなかったわけではないが、結婚式を開くことも、それを急ぎたかった理由も知っているからだ。

 急だったこともあり、お互いの家族と友人を招いただけの小さな結婚式だ。彼の家族や友人からは、四年も待ったからもう待てないのだろうと笑われたという。
 会場は意外なことにKAMEYAに決定した。普段そんなイベントは行わないのだが、店主のほうからノリノリで提案してくれたのだという。
 いぶきをはじめ、イベントに強い人が多かったためか、あれよあれよという間に準備が整った。
 企画は浅倉で、彼の学生時代の友人が積極的に動いたことも大きい。それは一般的とは違う、少し特殊な結婚式だっただろう。

 パーティーを開くことをいぶきに話した日。浅倉はいぶきに「入場の時、一緒に歩いてくれないか」と頼んだ。

「いぶきちゃんのバージンロードを一緒に歩くのが夢だったんだ。立場は逆になっちゃうけど、君の父親になるものとして、一緒に歩いてくれないかな」

 その願いに、娘は快く応じた。
 忍のほうは瑛太に頼むことになった。
 その式の中で、もうひとつ、あることをしてほしいと。



 そもそもの事の起こりは、十一月に入った日のことだ。いぶきが早朝に悲鳴を上げて、忍の寝室に駆け込んできた。
 驚く忍にギュッと抱き着きしばらく震えていたいぶきは、そのまま気を失ってしまった。しばらくして意識を取り戻し「なんでもない」と謝ってきたが、いぶきが熱を出していたので忍は仕事を休み、KAMEYAにも娘が休む旨の連絡をさせる。
 昼にはすっかり熱が下がったのだが、いぶきは何か考え込んだまま、その日は忍に何も話してくれなかった。
 やっと話してくれたのは一週間近くも経ってからだ。

「もう一人の私と一緒になったの」

 いぶきの話では、夢の中の違う世界の自分と一体になっていたのだという。今までも夢で見ることはあったが、その日は完全に違う、夢の中の自分として生活していて、朝目が覚めた瞬間恐怖でパニックになったのだそうだ。
 だがこの一週間同じ体験をし、もう一人の自分もこちらの記憶を共有していることが分かった。
 だんだん一つの体に馴染もうとしている準備段階に入ったのだ。

 「どんな世界?」と尋ねた忍に、ドレスの世界だったといぶきは苦笑した。

「トイレは水洗みたいな感じだったよ。シャワーもあったし、お風呂もあってよかった」

 本気で心配していたことはクリアだったようで、忍も我知らずホッと息をつく。

「ただやっぱり現実とは思えないのは……魔法がある世界だったことだわ。ありえない。何あれ。ほんとありえないんだけど」

 よっぽど衝撃を受けるものがあったらしい。

「あとやっぱりおばあちゃん、超能力者じゃないかしら? 私の名前って、おばあちゃんたちが付けてくれたのよね?」

「そうだけど、何かあったの?」

「うん。向こうの私の名前、イブだった。イブ・ロード・マッケンジー。髪は栗色で目はグリーンだったけど、顔は変わってないの」

「まあ」

 おかげで、名前にも姿にもさして違和感がないと、いぶきは苦笑いを漏らす。「私と似てるからお母さんが選ばれたのかな」と言われ、そうかもしれないと忍も頷いた。イブの母親は、彼女を産むときに亡くなっているそうだ。あの何かは、亡くなったその母親だったのかもしれないと思い、忍は胸が痛んだ。
 忍の訴えに気づかわしげだった姿は、女性のようだったようにも思ったのだ。

 だが一つ、いぶきが変わった点があった。

「向こうの私と話す――とは少し違うか。うん、これから生きる自分を見て考えたときに、後悔したくないって強く強く思ったの。だから今更だけど……瑛太君に本当のことを話す」

 もうすぐ、自分に関する何もかもが消えてしまうことを話す、と。

「そのうえで、もし……もしも彼が浅倉さんみたいに受け止めてくれたら、……告白する。初めて会った時からずっとずっと大好きだったって、ちゃんと言う」

 イブという女の子は恋をしたことがないのだという。してはいけない立場だったらしい。
 彼女には結婚することが決まった、顔も知らない相手がいるのだそうだ。

「すごく怖い。嫌だし、逃げたい。でも逃げられないことなら、せっかく自由に恋できる今だけでも、精一杯恋をしたいと思ったの。大好きって気持ちを隠したくないの。バカだよね、私。友達でいようと思ったのに、もう忘れられたくなかったのに。それでも今は、忘れてくれていいから、好きだって知ってほしいなんて。ほんと、バカ」

 泣きじゃくりながら、それでも彼をだましたくないから、真実を告げるのだと言う。
 イブと記憶を共有するようになったので、彼女も瑛太に恋をしたのだ。イブの願いも叶えたいと、いぶきは真剣だった。

 異なる世界で違う人間として生きる。それを先に知ることが出来るのは、幸運なのだろうか、不幸なのだろうか。

 逃がしたかった。
 可能なら、忍はいぶきを遠くに逃がしたいと強く思った。
 どうしてこの子は帰らなくてはいけないのだろう。二つの体があるなら、そのまま二つに分かれて生きてはいけないのだろうか。
 いぶきは私の娘なのに。私の大事な娘なのに!

 でも忍にもいぶきにも為す術がなかったから、結局忍は、涙を流す娘の頭を撫でることしかできなかった。何もできない自分の無力さが悲しくて悔しかった。


 その後の金曜の夜、いつものように成人式実行委員会の会議の後、いぶきは瑛太に話をしたという。帰りは深夜というより明け方に近いくらいだったが、

「大好きって、言えたよ」

 いぶきはそう言って笑った。たくさんの話をしたと。十六年分を埋めるように、もっとたくさん話そうと約束したと言った。

 だが離れて暮らす二人が会えるのは、金曜の午後から日曜までだ。
 大学を休むと言う瑛太を、いぶきは許さなかった。

 いぶきが言うには、お互いの気持ちが通じたとはいえ、無責任なことをしたらその瞬間、強制的に向こうに引きずり込まれる可能性が高いらしい。お別れの挨拶もできないままにだ。
 触れることさえままならない。だがそれでもいいと、限られた時間の中でお互いを慈しむ二人は、はたから見れば世界一幸せな恋人に見えたことだろう。