いつか、かぐや姫のお母さんだった話をしましょうか



 彼女と別れた後はいぶきが通っていた幼稚園を久々に見たり、昔住んでいたあたりを散歩した。元夫たちは隣町に越しているし、平日の昼間だ。まず遭遇することはないだろう。会ったとしても問題はないのだし、今はいぶきの行きたいところ、見たいものが優先だ。
 幼稚園の小さな遊具に目を丸くしたり、小さなころ好きだったお店や公園を見ながら、他愛もないおしゃべりをした。

 夜ホテルで忍が浅倉と電話で話していると、いぶきは瑛太とチャットアプリで明日の打ち合わせをしていたようだ。忍が久々に会うのは高校時代の友達だ。この土地に嫁いだものの今夫の転勤で海外に行っている彼女が、偶然帰国するという都合でたまたまだったが、結果オーライである。
 朝食の後別れ、別行動をとる。



 いぶきが自宅に帰ったのは深夜近くだ。9時まで委員会で、その後みんなでファミレスでご飯を食べてくるのでいつも通りのことである。

 今日は楽しかったか娘に聞こうと思ったのだが、なぜかいぶきはソワソワとして落ち着きがない。

「瑛太君と何かあった?」

 ずばり聞いてみると、いぶきはダイニングの椅子にへにゃっと座り込んでしまう。

「バレたかも」

 バレた?

「何を?」

 何のことかわからず先を促すと、いぶきはしばらく考えをまとめるように沈黙した後、「おばあちゃんからね」と話し始めた。

 朝忍と別れたいぶきは、ウィンドウショッピングを楽しみながら大学に向かい、昼に正門の前で瑛太と落ち合ったという。
 広いキャンパスで大学生になったような気持ちを楽しみ、瑛太と学食でお昼を食べた。食堂がいくつもあって驚いたらしい。そして食後ベンチで少し休んでいたところ、祖母から電話がかかってきたそうだ。

「おばあちゃん、超能力者じゃないかしら。たあくんは一緒? って聞いてきたのよ」

「あら、それはびっくりね」

 おそらく昨日写真を見たことで、過去と今がごちゃごちゃになったのだろうと推察したが、いぶきはさぞや驚いたに違いない。

「で、つい、うんって答えちゃって。そしたら彼に変わってって言うから、瑛太君には祖母から電話なんだけど、適当に合わせてほしいってお願いしたの。どうせ忘れてるから平気だと思って」

 瑛太は快くそれを引き受け、しばらく話を合わせておしゃべりしてくれたらしい。
 だが徐々に表情が変わり、いぶきに電話を替わるころには何か考え込むような顔になっていたという。

「あー、思い出したの、かな?」

 テーブルに突っ伏してしまったいぶきは、うめくような声で「わからない」と言った。

「その後は普通だったし。委員会に行く前に2人で軽食食べに行ったし、帰りも送ってくれたけど、特に何も言われてはいないの。でももしかしたらって思うと……」

「いや?」

 いぶきはフルフルと首を振る。

「わからない。でも今は恥ずかしい、かな。思い出してないといいな。気のせいだって思ってほしい」

「そうなんだ?」

「うん。今日の会議で、成人式でメッセージ動画を流すことになったの。みんなで手分けして中学の先生のメッセージを撮影して、それを私と瑛太君で編集することになって。作業自体はバラバラにやると思うから別にいいんだけど、でも、今思い出されてもやりにくいというか……」

 いぶきは複雑そうにひとみを揺らす。今の居心地のいい関係が崩れるのが怖いのかもしれない。

「ま、思い出したとしても、私が知らない振りすればいいかな。うん、そうしよう」

 振り切ったような笑顔で、いぶきはそう宣言した。

  * * *

 翌日忍は浅倉と会うと、昨日の出来事を話した。

「へえ、そんなことが」

 浅倉が忍の秘密を受け入れてくれたことで、忍の心の負担が驚くほど激減した。彼が忘れてしまっても、間違いなく心の支えになってくれた浅倉への感謝の気持ちは消えないだろう。

「ええ。でもいぶきは隠してますけど、夜中にこっそり泣いてるんです」

 娘はバレてないと思ってるだろう。だが押し殺した泣き声を何度か耳にしている忍は、胸がはちきれそうだった。本当なら二人は両想いで、とても幸せなはずなのに。

 せめて幸せな気持ちで旅立たせたい。
 そんな思いを汲んでくれたのか、この後の浅倉の計画に忍は大きく感謝することになったのだ。