「じゃあ、結婚を約束してた“たあくん”って」
「うん、そう。瑛太君のことだよ。彼は全然全く、私のことなんて覚えてないけどね」
ちょっと拗ねたように言って、いぶきは忍の隣に腰をおろす。
「ねえ、お母さん。どうして突然、このDVDを見ようと思ったの?」
「おととい浅倉さんとKAMEYAでご飯を食べてね。その時瑛太君を見たんだよ。実際に顔を見て、あれ?って思って」
「もう、お母さんは無駄に頭の回転が良すぎて嫌」
一度プイっとそっぽを向いたあと、いぶきは忍に向き直り「で、浅倉さんとデートしたの?」と話題をそらしてきた。
「ゆっくり話を聞いたし、お母さんも話したよ。浅倉さんの奥さんと子供さんのことも聞いた」
「そうか……」
彼の過去を間違いなく知ってるだろうと思っていたが、実際いぶきは知っていたようだ。浅倉、もしくは彼の姉夫婦あたりから聞いたのかもしれない。
「私も、いぶきのことを話したよ」
「え、うそ」
「本当。バカにしてるって怒られるかなと覚悟してたけど、ちゃんとまじめに聞いてくれた」
あの夜缶コーヒーを買って、駐車場の隅に止めた彼の車でゆっくり話をした。走りながらや、どこかの店で話すのは難しいと思ったのだ。
広い駐車場は六割方埋まっていたが、店から一番離れたところは幸いスカスカだった。
荒唐無稽な話なのに、どこか知っていたかのような雰囲気で浅倉は頷いていた。いぶきは話していないだろう。だが、何か思うところはあったのかもしれない。
彼がちゃんと真剣に聞いてくれることで、いつの間にか忍の目からは涙がこぼれていた。この人は信頼していい人なんだと、胸が苦しくなった。
だからつい、いぶきの「夢」の話もしてしまったのだ。
いぶきは“セレの子”と呼ばれる存在らしいこと。
魂の力が強すぎて、一つの体にその魂を入れておくと、子どもなら死んでしまうか化け物になってしまうこと。
だから人として生き延びるために魂を分割して、大人になるまで遠い世界に離しておくらしいこと。
無事大人になったら、もともとの世界でひとつの体に戻ること。
本当ならセレの子が消えたとき、育てた世界からはすべての記憶も記録も消えてしまうこと。でも忍の記憶だけは消さないよう約束してもらったこと。
セレの子の育ての親にはギフトがあること。
「そこまで話したの?」
目を真ん丸にしているいぶきに忍は頷いた。
「うん、話した」
育ての親の体内時計の進行は、セレの子が旅立つまで少しだけゆっくりになる。そのため忍は実年齢は四十歳だが、体内年齢は三十歳程度なのだ。それはもう一人、セレの子と同性の子どもを授かることが出来るため。自分の子を、確実に一人産める。それがギフト。
だが忍にとっては、離婚する前から受け取ることはないだろうと諦めていたものだ。
なのにいぶきの「夢」は、いつか生まれる妹に名前を付けることだという。それは、彼女が唯一残せる形あるもの、忍に残せる、いぶきがそこにいた証だから。
もし結婚をしたら子どもを産みたいと言った忍に、一瞬浅倉は青ざめ、続いて真っ赤になった。出産で妻子を失った彼の中で様々な葛藤があったと思う。
「それは、俺と結婚したら、俺の娘を産んでくれるって考えていいんですよね?」
「はい」
もしもう一度結婚するなら浅倉がいい。もう一人娘を授かれるなら、彼の子がいい。今まで考えたこともなかったのに、あふれ出したそれは、自分の正直な気持ちだった。
だが忍は、涙目になって勢いで求婚しようとした浅倉を止めた。
「今は感情的になっていると思います。お互い、少し考えましょう」
と。
「そっか。でも大丈夫だと思うな。浅倉さんはお母さんの魂の伴侶だもん。初めて会った時にピンときたんだよ。だから間違いないよ。よかった」
ほっとしたように大きく笑ったいぶきに、忍も微笑んだ。
「私も、瑛太君を見たときに同じことを感じたんだよ、いぶき」
いぶきは息を飲み、目を伏せる。
「うん。お母さんがそう言ってくれるなら、嬉しいな……」
「ずっと断り文句にしてたあれは、本心だったの?」
忍の言葉に、いぶきは「へへ……」と笑った。
いぶきは、幼稚園で初めて会った時から瑛太が大好きだった。
いつまでも一緒にいられると疑ってなかった。
親の離婚で二度と会えなくなると分かった時、身を引き裂かれそうな思いだったと言われ、忍は申し訳なさに胸が苦しくなった。
「ごめんね、いぶき」
「ううん、大丈夫。だってあのままあそこにいてもロクなことなかったよ。あの人、あれから三回は浮気してるし、今は自分の髪が薄いことに気付いてない痛いおじさんになってるし」
容赦ない娘の言葉に少し笑ってしまう。
「そんなに薄いの?」
「うん。おばあちゃんに写真見せてもらったんだけどね、大昔のトレンディ―俳優の髪型をまねてるおじいちゃんって感じだったわ。年相応にすれば若く見えるだろうにね」
先輩は今でも元夫の奥さんだ。
生まれた息子は高校生だが、絶賛反抗期だと聞いている。
「私ね、中学の入学式でびっくりしたの」
いるはずのない人なのに、間違えるはずがなかった。
だが再会を喜んだのはいぶきだけだった。亀井瑛太はいぶきに気づくことはなかったし、美奈子の言うようにことごとくすれ違い続けた。
「瑛太君の隣には、いつもだれかしら彼女がいたしね」
歴代彼女何人になるんだろうね? 幼稚園の頃は、いぶちゃん、お嫁さんになってねって言ってたのにさ。
