いつか、かぐや姫のお母さんだった話をしましょうか

 浅倉の話をゆっくり咀嚼し、飲み込み、忍はゆっくり頷いた。

「話してくださって、ありがとうございます」

 無意識に伸ばした手を、大きな手で包まれる。
 浅倉の目は心なしか赤くなっていた。

「佐倉さん。いえ、忍さん。俺はあなたが好きです。本当に本当に大好きなんです。いつかいぶきちゃんが嫁に行くとき、父親は俺ですって言いたいです。バージンロードも一緒に歩きたい。そしてあなたとは、死が二人を分かつまで、ずっとずっと一緒にいたいです」

「浅倉さん……。でも私は」

「返事は急がなくていいです。大丈夫、俺、気が長いんですよ。他の奴にあなたを渡す気は全くないですけどね。ただこれだけは覚えていてください。俺はあなたが好きで、あなたを幸せにしたいんだって。いっぱい笑わせたいんです。忍さんの笑顔が大好きなんです」

 いろんな感情が洪水のように押し寄せ、忍は頭がくらくらした。
 だが一筋の光のように、脳裏にバージンロードを歩くいぶきが浮かぶ。その隣を浅倉が歩いている。
 ああ、それが現実になるなら、どんなに素敵だろう。
 この人の腕の中は、きっと守られているようにぬくぬくと気持ちがいいだろうと思う。余計なものを全部取っ払ってしまえば、純粋に彼を好きだと気づく。それは痛みよりも温かさを伴うとても幸せな感情だった。

 でも無理だ。今は無理なのだ。
 いぶきが旅立てばすべてが変わる。彼の思い出も消えてしまう。
 その時まだ、彼は私を好きだと思うのだろうか?
 いぶきを忘れてしまった彼を、私は受け入れることが出来るのだろうか?

   * * *

 ゆっくり食事をしながら、あとは他愛もない雑談をした。会計は浅倉が支払ったので、次は忍がごちそうすると約束をすると、彼は次の約束が出来たと照れたように笑った。
 その笑顔に伸ばしたくなった手を、忍はぎゅっと握りしめる。
 外に出ると雨はいつの間にか止んでいた。

 当たり前のように車で送ろうとする浅倉に対し、忍はこのまま歩いて帰ろうかと考えていた。ゆっくり考えるのにちょうどいいと思ったのだ。その時後ろから「お客様」と声をかけられた。
 振り向くと瑛太がハンカチを持って立っている。

「これ、お席にあったんですけど、お客様の忘れ物では」

「あ、そうです。ありがとうございます」

 カバンにしまったときに落としていたらしいハンカチを受け取る。忍がにっこり笑うと、瑛太はほっとしたように微笑んで一礼した。その笑顔が可愛らしく、一瞬忍の心の琴線に何かが引っかかると、瑛太のほうが

「あの、もしかしていぶきさんのお母さんですか?」

 と聞いてきたので驚いた。従業員の誰かが気付いて教えたのだろうか?

「そうです。よく分かりましたね? 娘がいつもお世話になってます」

「やっぱり! そっくりだなって思ったんですよ。いえ、世話だなんてとんでもないです」

 瑛太の姿が微笑ましいと思っていると、彼は意を決したように姿勢を正した。

「あの、俺、いえ僕は亀井瑛太といいます。いぶきさんのことが好きです」

「えっ? ああ、はい、ありがとうございます?」

 ――なぜ私にそれを告白する?

 驚いて目を瞬かせる忍に瑛太は真剣な顔をした。

「正直いぶきさんには、今のところ全っ然相手にされてないんですけど。でも、俺本当に彼女のことが好きで。こんな気持ちになったの生まれて初めてで。それであの、忍さんって誰のことだかご存じないですか?」

「は?」

 勢いに飲まれ思わず素の声が漏れた忍は、慌てて口を手で押さえた。

 ――忍が誰かって……。ああ、そういうことか。

 以前理想のタイプを彼に聞かれた美奈子が、いぶきの回答をそのまま送信したことを思い出す。いまだに誤解が解けてないことがおかしくなった。
 誰も教えてくれなくて、気になってと言う彼の目は、娘を真剣に想ってくれていることが分かる。
 だが、こんな想いまで消えてしまうのかと、やるせなくなった。あと4か月半ですべて消えてしまう、何もなかったことになってしまう。

 でも少なくとも、――いぶきと忍の中には思い出として残る。

 そう気づいた忍は「いぶきに直接聞いてごらんなさい」と答えた。

「応援してるわ。頑張ってね」