いつか、かぐや姫のお母さんだった話をしましょうか

 浅倉の誘いに応じ、忍が選んだ店はKAMEYAだ。

「本当にここでいいんですか?」

「はい。いぶきが働いてるから、あまり来たことがないんですよ」

 コインランドリー併設のこの店は個人店だが、雰囲気は小洒落たファミレスだ。駐車場は広く、料理の値段も手ごろでドリンクバーもあるし、いくつか個室もある。
 市街地を外れれば雰囲気のいい店も多いが、KAMEYAなら自宅まで歩ける距離でもあった。

 ――あと、もしかしたら噂の彼も見られるかもしれないし。

 そんな下心もあったのだが、タイミングが良かったらしく個室の席がとれ、担当してくれたのが手伝いに入っていた亀井瑛太だった。もちろん彼には忍が誰だかは分からないはずだし、言うつもりもないのだが。

 実物の瑛太を見た忍は、美奈子の言った事が腑に落ちた。
 言葉で説明できるものではないのだが、欠けたピースがピタリとはまった感じというのであろうか。理屈ではなく、ただただ直感的に、この子はいぶきの隣にいる人だと思った。それは鳥肌が立つような感覚で、思わず腕をさする。
 もしもこの感覚を娘本人も感じたのなら、これほど残酷なことがあるだろうかと足下が崩れるような気持ちになった。いっそすれ違ったままだったらよかったのにと思うほど、目の前が暗くなる。
 それでもいぶきがここでバイトをするようになったのは偶然とはいえ縁だし、美奈子がいなくても結果は同じだったのかもしれない。

「佐倉さん、どうかしましたか?」

 青褪める忍に、浅倉が不安そうに声をかける。

「いえ、なんでもないです。今の子、ずいぶんかっこいいなぁと思って」

 せっかく移動の車の中で気持ちがほぐれたところだ。適切な距離感のあるとき、浅倉のそばはいつも居心地がいい。

「ああ、今の彼、ここの息子さんらしいですね。モデルもしてるって噂ですよ」

 穏やかに微笑みかけてくる浅倉に、忍は慎重に壁を作って笑顔を見せた。

「そうなんですね」


 オーダーを済ませそれぞれ飲み物を取ってくると、しばし沈黙が落ちる。
 さて、ゆっくり話せといぶきは言うが、何を話せばいいのだろう。さっきまでは、いぶきが今行ってるキャンプについて、夏休み中に行われなかった理由など話していた。市の主催だからシーズンを外したのだろうとか、大雨で大変だったかもなど、普通の雑談だ。

 ふと忍は、浅倉と知り合った日を思い出した。
 忍のほうは、いぶきと恒例の二人キャンプだったが、浅倉のほうは彼の姉家族と一緒に来ていたように思う。浅倉は結婚したことはないのだろうか?

「あの」

「あ、はい! なんでしょうか」

 忍の問いかけに、びしっと姿勢を正す浅倉が面白くて、つい笑みがこぼれた。

「いえ、浅倉さんは結婚って」

 したことがあるのですか?
 そう聞こうとした言葉に、

「佐倉さんさえOKしてくれるなら、今すぐにでもしたいです!」

 身を乗り出すように意気込んで返事をされ、思わずキョトンとした。

「えっと、結婚のご経験はあるのかなって、お聞きしたかったんですけど……」

「あ……」

 目の前で大の男が耳まで真っ赤になるさまを見て、忍の頬も熱くなった。

 今の浅倉は、離婚したときの元夫と同じ年だ。
 あの頃の忍は、三十八歳というのは遥かに大人で、とても遠い未来の話だと思っていた。なのに今の忍はその年を超えてしまい、目の前にいる三十八歳の男性が小さくなる姿に妙に愛しさがこみあげてくる。
 自身も変わったのだと感じた瞬間、少しだけ涙が込み上げてきた。
 いぶきとの制限のある時間だけを意識してきたのに、自分の中も変化していたのだ。時は止まらない。それが悲しくて愛しくて、とても切なかった。

 ほぼ同時に注文の品が運ばれてきて、しばらくそれを食べるのに集中していると、浅倉が意を決したように顔を上げ、ぽつぽつと自身のことを語りだした。

「俺は――、二十五の時に結婚しようとしたことがあります。いわゆる出来婚ってやつです」