朝。
スマホの目覚ましが鳴る前にタイマーを切る。
結局ろくに眠れなかった。
やっぱり、蒼くんと会わないと無理なのか。
蒼くんと会った二日間だけは眠ることができた。やはり鍵を握るのは蒼くん。
間違いなく蒼くんに何かの原因があると思う。
お姉ちゃんは、それを恋だという。
あたしはあと数ヵ月でこの世から消えてしまう。
あたしは夜が来るのが怖い。死神の待ち受ける夜は、あたしにとって恐怖でしかない。どうせなら、いっそのこと、いま殺してもらいたい。
あれから何度自殺をしようと考えただろう。インターネットで楽に死ねる方法もいくらでも調べた。でも、あたしに自死する勇気はなかった。
それでも夜が来るのが怖い。
蒼くん。
またあなたに抱きしめられたら、夜眠ることができるかな。
あたしは蒼くんにメッセージをした。
「蒼くん。今日の放課後、国際英文学科のほうの下駄箱のところに来てくれるかな」
返事はすぐに来た。
「うん。そこで待ってればいいの」
「うん。話したいことがあるの」
「うん、行くよ!」
「じゃあ、後でね」
「紬さん、ありがとう」
お礼を言わなきゃいけないのはあたしのほうだ。
放課後。数年前に作られたばかりでまだ真新しい国際英文学科の下駄箱の前に、蒼くんは立っていた。
「蒼くん。来てくれてありがとう」
「うん。話って?」
「こっちに来て」
あたしは蒼くんを誘導する。
「ひとに見つからないように、校舎の影に隠れてついてきて」
あたしがそう言うと、蒼くんは不審そうに小首を傾げていたが、「うん」と言ってくれた。
あたしたちはこの学校に残されている旧校舎に来ていた。国際英文学科が創立される際に校舎は普通科ごと新しく改装されていた。旧校舎は普通科しかなかったころの、いまの校舎より小ぢんまりとしたものだ。
あたしは土足のまま、旧校舎の中へと足を踏み入れる。
「紬さん?こんなとこ入って大丈夫なの?」
「大丈夫。ちょっと埃っぽいけどね」
あたしは振り返って彼にそう告げる。
そのまますぐのところにあった階段を上に登っていく。
四階を過ぎ、五階を目指す。
「紬さん、そこって」
そう。校舎は四階までだ。五階の外には。
がちゃ。
扉を開けると、びゅっと風が吹いた。
五月の、真っ青な空がそこにあった。まだ少し黄色くなった程度の西日が、顔面を直撃する。あたしは目を細めながら扉を開けて、蒼くんをそこに招いた。
「わあ、すごい風だね」
蒼くんも目を細める。
五月の日差しはきつい。身体に悪そうな紫外線を避けるため、あたしは蒼くんを、日陰になっている給水塔の柱のところまで誘導する。
「蒼くん、こっちに来て」
そう言って、あたしは蒼くんの手に振れる。
その瞬間、蒼くんの手の先の温もりが、あたしの全身を駆け巡ったような錯覚に襲われた。
(えっ……なに?)
蒼くんは何も言っていない。
(今の感覚は、なに?)
給水塔の日陰にたどり着いたあたしは、蒼くんの手を離した。
その瞬間、あたしの手から、蒼くんの温もりは失われてゆく。
蒼くんの正面に立って、彼の足元を見ていた。彼をここまで連れてきてしまったあたしは、今さらながらに迷っていた。やはり、彼を巻き込むべきではないのではないか。
「ここって入っても大丈夫なの?」
蒼くんは旧校舎屋上の周辺をきょろきょろと見回している。
「大丈夫なわけないよ。旧校舎自体、立ち入り禁止だし」
あたしは蒼くんの足元を見ながら答える。
「そっか。なんでこんな場所、知ってるの?」
「言ったよね。あたし、余命半年しかないから。死ぬまでに、やりたかったことは全部やりたいと思ってるの。屋上にも来たかったから、一番手近なここに忍び込んだってわけ」
「へえ。紬さん。大胆だね」
蒼くんは顎をあげて空を見つめている。
「で、紬さん、話って、なに?」
率直に聞かれると余計に答えづらい。
やっぱり彼をここに連れてくるべきではなかった。彼と会ってはいけなかった。あたしはひとりで夜の恐怖に立ち向かわなくてはいけなかったのだ。
「ごめん、やっぱり、なんでもない!」
そう言って、あたしは彼の顔も見ずに、逃げ出そうとする。
蒼くんがあたしの手をつかまえる。
その瞬間、またも、あたしの手先から全身に彼の温もりが駆け抜けてゆく。
「紬さん。どうしたの、そんな急に」
わかってる。彼に迷惑をかけていることはわかっている。
でも、夜は怖い。さっきまでは、夜への恐怖のほうが、彼への罪悪感よりも勝っていたのだ。
でも今は、彼への罪悪感で、あたしの心はいっぱいいっぱいだった。
ごめんなさい、蒼くん。
「蒼くん」
あたしは蒼くんに背を向けたまま、言葉を発してしまう。
だめ。
これ以上、彼に甘えたら、だめ。
彼を巻き込んでは、だめ。
いずれ彼が悲しむことになるから。
絶望することになるから。
「あたし……」
だめ。
「あたしは……」
だめなのは、わかってるのに。
「あたし……」
そこであたしは蒼くんのほうへ振り返る。
彼の顔を直視できない。
「あたし、死ぬのが、怖いの……」
その瞬間だった。
ふわりと、あたしは全身を包まれていた。
彼に。
今は五月。彼は半袖だった。
あたしもちょうど二日前に夏服に衣替えしたばかりだ。
だから、重なった腕と腕からは、体温を分け合うようになる。彼の温もりが、その腕から伝わってくる。あたしの首に巻かれた彼の手の先からも温もりが、彼の手からあたしの首へと移動してくる。
だめよ、蒼くん。
「あたし……」
涙が、勝手に出てくる。
あたしの身体が、蒼くんによって、温められる。
初めて彼と会ったとき、あたしは彼に優しくされたことが嬉しくて、思わず彼に抱きついてしまっていた。二度目会ったときは、体育館裏で抱きしめられた。
そうなんだ。夜にぐっすり眠れたのは、彼に会ったことだけが原因じゃないんだ。抱きしめられることが、あたしの夜に対する恐怖を薄れさせ、熟睡を招く要因になっていたのだ。
間違いない。いまの感触であたしはそれを悟った。
「蒼くん。もっときつく……抱き締めて」
蒼くんへの罪悪感を、あたしの安心感が追い越してゆく。これで夜ぐっすり眠れる。夜に怯えなくて済む。
夜は本当に絶望するほどに怖い。
「蒼くん。もっと、もっと……」
蒼くんの手に力が込められる。
あたしは安心する。なんて心地よいんだろう。
離れなきゃいけないとわかっているのに、あたしの理性は吹き飛んでしまっていた。
でも、あたし、これからどうするの。まさか、毎日彼に抱き締めてもらうつもりなの。
「紬さん。ぼくには紬さんがどんな気持ちなのか想像もつかないよ」
彼の低い声が、あたしの耳朶に響く。
「でも。どれだけ怖い思いをしているかくらいは、ちょっとは、理解できるよ」
「……ありがとう」
あたしは涙でいつの間にか鼻声になってしまっていた。
しばらくそうしてあたしたちは抱き合っていた。いや、あたしが彼に抱かれていたのだ。
「ごめんね、蒼くん。ごめんね」
あたしは手で頬にかかった涙をぬぐう。
「どうして謝るんだい」
蒼くんの声は相変わらずあたしの真横から響いてくる。
「あたし、もうすぐいなくなるんだよ。蒼くんを残して。それなのに……」
「そんな。ぼくなんかより、当事者の君のほうがよっぽどつらいだろう」
あたしはそこで上半身を彼から離し、彼の両腕を持って彼の瞳を見つめた。
「お願い!あたしに優しくしないで!」
「なんでそんなこと言うんだよ」
彼は困った顔をしている。
あたしが困らせているんだ。
「だから……あたしは……もう少しでいなくなるから。蒼くんを置いて、いなくなっちゃうんだよ……」
あたしはこらえきれなくなって、大粒の涙を流す。うつむくと、ぽたぽたと涙が地面を濡らした。彼の顔を見ることができない。
「それでもぼくは、君が好きだ」
あたしはうつむいたまま、首を振った。
「だめ。だめだってば!」
「覚悟ならできてる。ぼくだってばかじゃないんだ。君との関係がこの先どうなるのか、それくらい想像できるよ」
「蒼くん……バカ……」
あたしは蒼くんの胸の中に飛び込む。
ついに彼に甘えてしまった。だって、夜は怖いから。死ぬのは怖いから。死を予感させる夜は怖いから。
「いくらでもそうしてればいいよ」
彼の手が、あたしの頭に乗せられる。
これであたしは今夜、ぐっすり眠ることができるだろう。
あたしは、勇気を出して、蒼くんのことを見上げる。
優しい瞳が、そこにはある。
蒼くんの目は真剣そのものだった。それが余計にあたしの心をチクチクと痛ませる。
あたしに、彼を巻き込むだけの勇気があるだろうか。あたしが死んでしまうその日まで。
ただあたしが一方的に彼に甘えるだけの関係になるのではないだろうか。そう思うと、彼に対して余計に申し訳なくなる。
あたしは彼に対して何がしてあげられるだろうか。あたしは彼を幸せにしてあげられるだろうか。
「蒼くんはあたしに優しくしてくれるのに、あたしは蒼くんに何もしてあげられない」
「そんなことないよ」
「そんなことあるよ!あたしは蒼くんに甘えてばかり!何も蒼くんにしてあげることができない」
「バカだなぁ、紬さん」
「あたし、バカなの」
「バカだよ。大バカだよ」
あたしは何も言うことができない。
「君はぼくと一緒にいてくれるだけで、それだけでぼくにたくさんのことを与えてくれてるじゃないか」
「何を、あたしは蒼くんに与えてるの」
「今こうして、君の温もりを感じられるだけで、ぼくは幸せだよ」
「そんな……!」
あたしはうつむく。また、涙がぱらぱらと地面に散らばる。
「それだけで、蒼くんは満足なの?」
「ああ、もちろん」
これ以上、ただ彼に甘えるだけではだめだ。彼を、あたしの事情に巻き込む以上は、あたしもそれ相応のお返しをしないといけない。あたしは勇気を振り絞った。彼を、幸せにするんだ!
顎をあげ、蒼くんを見つめる。
「蒼くん!」
あたしは口を開けたまま、しばらく静止する。
蒼くんは口許に微笑を浮かべていた。
『その彼氏のことを幸せにしてやるのが紬の務めだろ!』
お姉ちゃんに言われた言葉を思い出す。
神様。あたしに、勇気をください。
覚悟をください。
蒼くん。これから、あたし、あなたにたくさんの悲しい思いをさせてしまうかもしれない。それを、許してください。
「蒼くん。あなたのことが、好きです」
スマホの目覚ましが鳴る前にタイマーを切る。
結局ろくに眠れなかった。
やっぱり、蒼くんと会わないと無理なのか。
蒼くんと会った二日間だけは眠ることができた。やはり鍵を握るのは蒼くん。
間違いなく蒼くんに何かの原因があると思う。
お姉ちゃんは、それを恋だという。
あたしはあと数ヵ月でこの世から消えてしまう。
あたしは夜が来るのが怖い。死神の待ち受ける夜は、あたしにとって恐怖でしかない。どうせなら、いっそのこと、いま殺してもらいたい。
あれから何度自殺をしようと考えただろう。インターネットで楽に死ねる方法もいくらでも調べた。でも、あたしに自死する勇気はなかった。
それでも夜が来るのが怖い。
蒼くん。
またあなたに抱きしめられたら、夜眠ることができるかな。
あたしは蒼くんにメッセージをした。
「蒼くん。今日の放課後、国際英文学科のほうの下駄箱のところに来てくれるかな」
返事はすぐに来た。
「うん。そこで待ってればいいの」
「うん。話したいことがあるの」
「うん、行くよ!」
「じゃあ、後でね」
「紬さん、ありがとう」
お礼を言わなきゃいけないのはあたしのほうだ。
放課後。数年前に作られたばかりでまだ真新しい国際英文学科の下駄箱の前に、蒼くんは立っていた。
「蒼くん。来てくれてありがとう」
「うん。話って?」
「こっちに来て」
あたしは蒼くんを誘導する。
「ひとに見つからないように、校舎の影に隠れてついてきて」
あたしがそう言うと、蒼くんは不審そうに小首を傾げていたが、「うん」と言ってくれた。
あたしたちはこの学校に残されている旧校舎に来ていた。国際英文学科が創立される際に校舎は普通科ごと新しく改装されていた。旧校舎は普通科しかなかったころの、いまの校舎より小ぢんまりとしたものだ。
あたしは土足のまま、旧校舎の中へと足を踏み入れる。
「紬さん?こんなとこ入って大丈夫なの?」
「大丈夫。ちょっと埃っぽいけどね」
あたしは振り返って彼にそう告げる。
そのまますぐのところにあった階段を上に登っていく。
四階を過ぎ、五階を目指す。
「紬さん、そこって」
そう。校舎は四階までだ。五階の外には。
がちゃ。
扉を開けると、びゅっと風が吹いた。
五月の、真っ青な空がそこにあった。まだ少し黄色くなった程度の西日が、顔面を直撃する。あたしは目を細めながら扉を開けて、蒼くんをそこに招いた。
「わあ、すごい風だね」
蒼くんも目を細める。
五月の日差しはきつい。身体に悪そうな紫外線を避けるため、あたしは蒼くんを、日陰になっている給水塔の柱のところまで誘導する。
「蒼くん、こっちに来て」
そう言って、あたしは蒼くんの手に振れる。
その瞬間、蒼くんの手の先の温もりが、あたしの全身を駆け巡ったような錯覚に襲われた。
(えっ……なに?)
蒼くんは何も言っていない。
(今の感覚は、なに?)
給水塔の日陰にたどり着いたあたしは、蒼くんの手を離した。
その瞬間、あたしの手から、蒼くんの温もりは失われてゆく。
蒼くんの正面に立って、彼の足元を見ていた。彼をここまで連れてきてしまったあたしは、今さらながらに迷っていた。やはり、彼を巻き込むべきではないのではないか。
「ここって入っても大丈夫なの?」
蒼くんは旧校舎屋上の周辺をきょろきょろと見回している。
「大丈夫なわけないよ。旧校舎自体、立ち入り禁止だし」
あたしは蒼くんの足元を見ながら答える。
「そっか。なんでこんな場所、知ってるの?」
「言ったよね。あたし、余命半年しかないから。死ぬまでに、やりたかったことは全部やりたいと思ってるの。屋上にも来たかったから、一番手近なここに忍び込んだってわけ」
「へえ。紬さん。大胆だね」
蒼くんは顎をあげて空を見つめている。
「で、紬さん、話って、なに?」
率直に聞かれると余計に答えづらい。
やっぱり彼をここに連れてくるべきではなかった。彼と会ってはいけなかった。あたしはひとりで夜の恐怖に立ち向かわなくてはいけなかったのだ。
「ごめん、やっぱり、なんでもない!」
そう言って、あたしは彼の顔も見ずに、逃げ出そうとする。
蒼くんがあたしの手をつかまえる。
その瞬間、またも、あたしの手先から全身に彼の温もりが駆け抜けてゆく。
「紬さん。どうしたの、そんな急に」
わかってる。彼に迷惑をかけていることはわかっている。
でも、夜は怖い。さっきまでは、夜への恐怖のほうが、彼への罪悪感よりも勝っていたのだ。
でも今は、彼への罪悪感で、あたしの心はいっぱいいっぱいだった。
ごめんなさい、蒼くん。
「蒼くん」
あたしは蒼くんに背を向けたまま、言葉を発してしまう。
だめ。
これ以上、彼に甘えたら、だめ。
彼を巻き込んでは、だめ。
いずれ彼が悲しむことになるから。
絶望することになるから。
「あたし……」
だめ。
「あたしは……」
だめなのは、わかってるのに。
「あたし……」
そこであたしは蒼くんのほうへ振り返る。
彼の顔を直視できない。
「あたし、死ぬのが、怖いの……」
その瞬間だった。
ふわりと、あたしは全身を包まれていた。
彼に。
今は五月。彼は半袖だった。
あたしもちょうど二日前に夏服に衣替えしたばかりだ。
だから、重なった腕と腕からは、体温を分け合うようになる。彼の温もりが、その腕から伝わってくる。あたしの首に巻かれた彼の手の先からも温もりが、彼の手からあたしの首へと移動してくる。
だめよ、蒼くん。
「あたし……」
涙が、勝手に出てくる。
あたしの身体が、蒼くんによって、温められる。
初めて彼と会ったとき、あたしは彼に優しくされたことが嬉しくて、思わず彼に抱きついてしまっていた。二度目会ったときは、体育館裏で抱きしめられた。
そうなんだ。夜にぐっすり眠れたのは、彼に会ったことだけが原因じゃないんだ。抱きしめられることが、あたしの夜に対する恐怖を薄れさせ、熟睡を招く要因になっていたのだ。
間違いない。いまの感触であたしはそれを悟った。
「蒼くん。もっときつく……抱き締めて」
蒼くんへの罪悪感を、あたしの安心感が追い越してゆく。これで夜ぐっすり眠れる。夜に怯えなくて済む。
夜は本当に絶望するほどに怖い。
「蒼くん。もっと、もっと……」
蒼くんの手に力が込められる。
あたしは安心する。なんて心地よいんだろう。
離れなきゃいけないとわかっているのに、あたしの理性は吹き飛んでしまっていた。
でも、あたし、これからどうするの。まさか、毎日彼に抱き締めてもらうつもりなの。
「紬さん。ぼくには紬さんがどんな気持ちなのか想像もつかないよ」
彼の低い声が、あたしの耳朶に響く。
「でも。どれだけ怖い思いをしているかくらいは、ちょっとは、理解できるよ」
「……ありがとう」
あたしは涙でいつの間にか鼻声になってしまっていた。
しばらくそうしてあたしたちは抱き合っていた。いや、あたしが彼に抱かれていたのだ。
「ごめんね、蒼くん。ごめんね」
あたしは手で頬にかかった涙をぬぐう。
「どうして謝るんだい」
蒼くんの声は相変わらずあたしの真横から響いてくる。
「あたし、もうすぐいなくなるんだよ。蒼くんを残して。それなのに……」
「そんな。ぼくなんかより、当事者の君のほうがよっぽどつらいだろう」
あたしはそこで上半身を彼から離し、彼の両腕を持って彼の瞳を見つめた。
「お願い!あたしに優しくしないで!」
「なんでそんなこと言うんだよ」
彼は困った顔をしている。
あたしが困らせているんだ。
「だから……あたしは……もう少しでいなくなるから。蒼くんを置いて、いなくなっちゃうんだよ……」
あたしはこらえきれなくなって、大粒の涙を流す。うつむくと、ぽたぽたと涙が地面を濡らした。彼の顔を見ることができない。
「それでもぼくは、君が好きだ」
あたしはうつむいたまま、首を振った。
「だめ。だめだってば!」
「覚悟ならできてる。ぼくだってばかじゃないんだ。君との関係がこの先どうなるのか、それくらい想像できるよ」
「蒼くん……バカ……」
あたしは蒼くんの胸の中に飛び込む。
ついに彼に甘えてしまった。だって、夜は怖いから。死ぬのは怖いから。死を予感させる夜は怖いから。
「いくらでもそうしてればいいよ」
彼の手が、あたしの頭に乗せられる。
これであたしは今夜、ぐっすり眠ることができるだろう。
あたしは、勇気を出して、蒼くんのことを見上げる。
優しい瞳が、そこにはある。
蒼くんの目は真剣そのものだった。それが余計にあたしの心をチクチクと痛ませる。
あたしに、彼を巻き込むだけの勇気があるだろうか。あたしが死んでしまうその日まで。
ただあたしが一方的に彼に甘えるだけの関係になるのではないだろうか。そう思うと、彼に対して余計に申し訳なくなる。
あたしは彼に対して何がしてあげられるだろうか。あたしは彼を幸せにしてあげられるだろうか。
「蒼くんはあたしに優しくしてくれるのに、あたしは蒼くんに何もしてあげられない」
「そんなことないよ」
「そんなことあるよ!あたしは蒼くんに甘えてばかり!何も蒼くんにしてあげることができない」
「バカだなぁ、紬さん」
「あたし、バカなの」
「バカだよ。大バカだよ」
あたしは何も言うことができない。
「君はぼくと一緒にいてくれるだけで、それだけでぼくにたくさんのことを与えてくれてるじゃないか」
「何を、あたしは蒼くんに与えてるの」
「今こうして、君の温もりを感じられるだけで、ぼくは幸せだよ」
「そんな……!」
あたしはうつむく。また、涙がぱらぱらと地面に散らばる。
「それだけで、蒼くんは満足なの?」
「ああ、もちろん」
これ以上、ただ彼に甘えるだけではだめだ。彼を、あたしの事情に巻き込む以上は、あたしもそれ相応のお返しをしないといけない。あたしは勇気を振り絞った。彼を、幸せにするんだ!
顎をあげ、蒼くんを見つめる。
「蒼くん!」
あたしは口を開けたまま、しばらく静止する。
蒼くんは口許に微笑を浮かべていた。
『その彼氏のことを幸せにしてやるのが紬の務めだろ!』
お姉ちゃんに言われた言葉を思い出す。
神様。あたしに、勇気をください。
覚悟をください。
蒼くん。これから、あたし、あなたにたくさんの悲しい思いをさせてしまうかもしれない。それを、許してください。
「蒼くん。あなたのことが、好きです」
