夏休みの間もあたしたちは毎日会っていた。
あえて学校に行って、あの旧校舎の屋上に行くこともあった。
それから、梅雨の間に一度行った自転車のふたり乗りをもう一度行った。
今度は梅雨の鬱屈とした曇り空のもとではなく、青空のもとで坂を下ったのだった。
そのときもあたしはスマホで撮影した。やはり梅雨のときよりも晴れやかな撮影になった。
そしてなんといっても、晴れている日でも、彼のお父さんのお客さんがやってこない日は、ほとんど毎日のように蒼くんの家にお邪魔した。
少しでも彼の理想像のお姉さんでいてあげたい。それはあたしが勝手に思っていることだったけど、あたしは彼に与えられてばかりなのは嫌だった。あたしだって彼にお返しがしたいのだ。
そして。
蒼くんの理想のお姉さん像に近づくための、最後の一歩が、角島に行くことだった。
準備の時間や途中の待ち時間を計算に入れると、日帰りするには十時間はかかると見積もっていたほうがいいだろうという結論になった。
さすがに十時間かかる行程を、「今日行こうよ」と気軽に決められるものではない。
あたしたちは天気予報を見て、ほぼ確実に晴れると見込まれた八月二十日に角島に日帰り旅行をすることに決めた。
八月二十日は快晴。中国地方の五県はどこも降水確率零パーセントだった。
あたしたちはバス停で待ち合わせる。
バスで西広島駅に向かい、そこから広島駅に降り立つ。
そして新幹線で新下関駅へと向かう。
新幹線のふたり掛けの席に着席する。蒼くんは気を遣ってあたしを窓際席に座らせてくれる。
新下関駅からは幡生(はたぶ)駅まで行き、そこから山陰本線で特牛(こっとい)駅を目指す。
幡生駅で特牛駅までの往復乗車券を買う。この地区は電子マネーの対象外だからだ。特牛駅は無人駅らしい。だから帰りの切符もここで買っておく必要がある。
山陰本線は途中、日本海のそばを走行する場所が何か所かある。
夏の真っ青な空の下、日本海の激しい波が岸壁に打ち寄せているのが見える。
あたしたちの普段いる広島に面した瀬戸内海とは波の高さが違う。
特牛駅からはバスに乗車する。蒼くんが言うには、角島行のバスが出ているという。
特牛駅は無人駅なので、乗車切符は記念にと、持って帰ることにする。
バスに乗り、角島大橋前に到着した。
「うわ……」
そこにはテレビコマーシャルで見たことのある景色が広がっていた。
橋脚に乗せられた橋がずっと奥の島までつながっているのだ。
真っ青な空に向かって橋が伸びているように見える。空との境界も曖昧な水平線が奥に広がっていた。
あたしは無言でスマホを取り出し、その光景を写真に撮る。
「蒼くん、こっちに向かってピースして」
「えっ」
「早く」
「お、おう」
そして、あたしはスマホのカメラを自撮りモードにすると、スマホを斜め上に掲げて、蒼くんとあたしを画面内に写し、シャッターを押した。
蒼くん。あなたのお姉さんが来たかった場所に、ついにやってきたよ。あなたはいまどんな気持ちですか。
あたしは蒼くんの横顔を見る。蒼くんは吹き付ける風に目を細めていた。
前方の景色も真上も真っ青だった。これは映えるわけだ。コマーシャルに使われるのも納得がいく。
ここでもあたしは蒼くんと一緒に写真に写った。
角島大橋の本州側の付け根にある「海士ヶ瀬公園」のベンチに座る。そこで、広島駅で買っておいた、広島名物の「あなご弁当」をふたりで食べる。
弁当を食べながら、角島を眺める。最高の景色だったが、風は常に横殴りに吹き付けてくる。
タレのたっぷりついたあなご弁当のご飯をすくいながら、あたしは目を細めてこの景色を目に焼き付けた。
間違いなく。あたしは二度と見れない光景。
こんな美しい景色を、死ぬ直前に見ることができたことを、あたしは素直に嬉しく思った。
あたしは蒼くんの横顔を見る。
蒼くんも幸せですか。あたしはあなたの理想のお姉さんに近づけましたか。
蒼くんが不意にあたしを見て、口をぽかんと開ける。
「紬。どうしたんだよ」
「なにが」
「なにが……って」
涙が、ぽたっと、弁当箱の蓋に落ちた。
あれ……。
あたし、泣いてるの。
「紬……」
蒼くんは箸をつかんでいないほうの手で、あたしの左手を握ってくれる。
そのまま蒼くんは何も言わない。
あたしは涙をぬぐった。
いつの間にか、号泣になってしまっていた。
「あ……蒼くん……」
その後、あたしは涙を流しながら弁当を食べ終えた。蒼くんも食べ終えると、抱きしめてくれた。
角島は常に観光客でいっぱいだ。周りのひとからも、車に乗っているひとたちからも、あたしたちはじっと見られていた。それでも、蒼くんは長いこと抱きしめ続けてくれた。
結局、あたしはいつも彼に甘えてばかり。
あたしは本当に彼に与えることができているのだろうか。
彼を幸せにできているのだろうか。
彼の理想のお姉さん像に近づくことが、少しはできただろうか。
あたしは帰りの電車の中で眠ってしまっていたらしい。幡生駅に着くと、蒼くんが起こしてくれた。
帰りの新幹線の中では逆に蒼くんのほうが眠っていた。あたしはその寝顔を見る。
そうだ。
彼の寝顔も撮っておこう。
これも記念だ。
そして。
準備でも、ある。
あたしがいよいよ病室から抜けられないくらいの容体になったときに、ベッドの上で彼のことを見返すためなのだ。
そう。
あたしがここ最近やたらと彼のことを撮影していたのは、あたしが病室暮らしになったときのため。病室の中でも自分の彼氏を見つめることができるようにするためなのだ。
彼といると幸せではあった。
でも、あたしは自分の運命のことを理解している。
そのときは必ずやってくる。
だから。
彼のことを、病室の中で見るために、あたしはたくさんの彼の姿と思い出をスマホの中に入れておくのだ。
九月になっても猛暑は続いていた。連日の気温は三十四度くらいを前後していた。雨の日でも変わらなかった。
学校が始まると、晴れた日はあたしと蒼くんはまた旧校舎の屋上で抱き合った。
そして、休日は蒼くんの予備校があるので、市内で落ちあい、蒼くんのお父さんが家にいない休日の場合は、夜、蒼くんの家に行って、カレーを作った。
あえて学校に行って、あの旧校舎の屋上に行くこともあった。
それから、梅雨の間に一度行った自転車のふたり乗りをもう一度行った。
今度は梅雨の鬱屈とした曇り空のもとではなく、青空のもとで坂を下ったのだった。
そのときもあたしはスマホで撮影した。やはり梅雨のときよりも晴れやかな撮影になった。
そしてなんといっても、晴れている日でも、彼のお父さんのお客さんがやってこない日は、ほとんど毎日のように蒼くんの家にお邪魔した。
少しでも彼の理想像のお姉さんでいてあげたい。それはあたしが勝手に思っていることだったけど、あたしは彼に与えられてばかりなのは嫌だった。あたしだって彼にお返しがしたいのだ。
そして。
蒼くんの理想のお姉さん像に近づくための、最後の一歩が、角島に行くことだった。
準備の時間や途中の待ち時間を計算に入れると、日帰りするには十時間はかかると見積もっていたほうがいいだろうという結論になった。
さすがに十時間かかる行程を、「今日行こうよ」と気軽に決められるものではない。
あたしたちは天気予報を見て、ほぼ確実に晴れると見込まれた八月二十日に角島に日帰り旅行をすることに決めた。
八月二十日は快晴。中国地方の五県はどこも降水確率零パーセントだった。
あたしたちはバス停で待ち合わせる。
バスで西広島駅に向かい、そこから広島駅に降り立つ。
そして新幹線で新下関駅へと向かう。
新幹線のふたり掛けの席に着席する。蒼くんは気を遣ってあたしを窓際席に座らせてくれる。
新下関駅からは幡生(はたぶ)駅まで行き、そこから山陰本線で特牛(こっとい)駅を目指す。
幡生駅で特牛駅までの往復乗車券を買う。この地区は電子マネーの対象外だからだ。特牛駅は無人駅らしい。だから帰りの切符もここで買っておく必要がある。
山陰本線は途中、日本海のそばを走行する場所が何か所かある。
夏の真っ青な空の下、日本海の激しい波が岸壁に打ち寄せているのが見える。
あたしたちの普段いる広島に面した瀬戸内海とは波の高さが違う。
特牛駅からはバスに乗車する。蒼くんが言うには、角島行のバスが出ているという。
特牛駅は無人駅なので、乗車切符は記念にと、持って帰ることにする。
バスに乗り、角島大橋前に到着した。
「うわ……」
そこにはテレビコマーシャルで見たことのある景色が広がっていた。
橋脚に乗せられた橋がずっと奥の島までつながっているのだ。
真っ青な空に向かって橋が伸びているように見える。空との境界も曖昧な水平線が奥に広がっていた。
あたしは無言でスマホを取り出し、その光景を写真に撮る。
「蒼くん、こっちに向かってピースして」
「えっ」
「早く」
「お、おう」
そして、あたしはスマホのカメラを自撮りモードにすると、スマホを斜め上に掲げて、蒼くんとあたしを画面内に写し、シャッターを押した。
蒼くん。あなたのお姉さんが来たかった場所に、ついにやってきたよ。あなたはいまどんな気持ちですか。
あたしは蒼くんの横顔を見る。蒼くんは吹き付ける風に目を細めていた。
前方の景色も真上も真っ青だった。これは映えるわけだ。コマーシャルに使われるのも納得がいく。
ここでもあたしは蒼くんと一緒に写真に写った。
角島大橋の本州側の付け根にある「海士ヶ瀬公園」のベンチに座る。そこで、広島駅で買っておいた、広島名物の「あなご弁当」をふたりで食べる。
弁当を食べながら、角島を眺める。最高の景色だったが、風は常に横殴りに吹き付けてくる。
タレのたっぷりついたあなご弁当のご飯をすくいながら、あたしは目を細めてこの景色を目に焼き付けた。
間違いなく。あたしは二度と見れない光景。
こんな美しい景色を、死ぬ直前に見ることができたことを、あたしは素直に嬉しく思った。
あたしは蒼くんの横顔を見る。
蒼くんも幸せですか。あたしはあなたの理想のお姉さんに近づけましたか。
蒼くんが不意にあたしを見て、口をぽかんと開ける。
「紬。どうしたんだよ」
「なにが」
「なにが……って」
涙が、ぽたっと、弁当箱の蓋に落ちた。
あれ……。
あたし、泣いてるの。
「紬……」
蒼くんは箸をつかんでいないほうの手で、あたしの左手を握ってくれる。
そのまま蒼くんは何も言わない。
あたしは涙をぬぐった。
いつの間にか、号泣になってしまっていた。
「あ……蒼くん……」
その後、あたしは涙を流しながら弁当を食べ終えた。蒼くんも食べ終えると、抱きしめてくれた。
角島は常に観光客でいっぱいだ。周りのひとからも、車に乗っているひとたちからも、あたしたちはじっと見られていた。それでも、蒼くんは長いこと抱きしめ続けてくれた。
結局、あたしはいつも彼に甘えてばかり。
あたしは本当に彼に与えることができているのだろうか。
彼を幸せにできているのだろうか。
彼の理想のお姉さん像に近づくことが、少しはできただろうか。
あたしは帰りの電車の中で眠ってしまっていたらしい。幡生駅に着くと、蒼くんが起こしてくれた。
帰りの新幹線の中では逆に蒼くんのほうが眠っていた。あたしはその寝顔を見る。
そうだ。
彼の寝顔も撮っておこう。
これも記念だ。
そして。
準備でも、ある。
あたしがいよいよ病室から抜けられないくらいの容体になったときに、ベッドの上で彼のことを見返すためなのだ。
そう。
あたしがここ最近やたらと彼のことを撮影していたのは、あたしが病室暮らしになったときのため。病室の中でも自分の彼氏を見つめることができるようにするためなのだ。
彼といると幸せではあった。
でも、あたしは自分の運命のことを理解している。
そのときは必ずやってくる。
だから。
彼のことを、病室の中で見るために、あたしはたくさんの彼の姿と思い出をスマホの中に入れておくのだ。
九月になっても猛暑は続いていた。連日の気温は三十四度くらいを前後していた。雨の日でも変わらなかった。
学校が始まると、晴れた日はあたしと蒼くんはまた旧校舎の屋上で抱き合った。
そして、休日は蒼くんの予備校があるので、市内で落ちあい、蒼くんのお父さんが家にいない休日の場合は、夜、蒼くんの家に行って、カレーを作った。
