それから、梅雨の雨の日は蒼くんの家にお邪魔する機会が多くなった。
 そんなときは毎回、彼の家でカレーを作る。
 蒼くんはあたしが蒼くんの家に行くときには事前に乾さんに連絡して、野菜を切っておくように依頼しているらしい。
 おかげであたしがキッチンに到着すると、あとはカレーを煮込むだけとなった。
 あたしがカレーを調理している間、蒼くんは自分の部屋に引っ込んでいた。
 カレーの出来具合を見計らって、蒼くんの妹さんがあたしのところにやってくる。
 あたしは妹さんともすっかり意気投合した。
 兄思いの妹さんだと思う。実のお母さんもスナックを経営しながら蒼くんのことを気にかけてくれている。色んなひとが、蒼くんのことを心配している。
 蒼くんも恵まれているのだな、と実感する。でも、身体に異変を抱えているのはあたしと同じだ。あたしは自分だけが苦しいわけじゃない。あたしは彼に支えてもらってばかりだったけど、あたしも彼の支えになりたい。
 カレーを作ることだって、彼の役に立っているなら、いくらでも作ってあげたい。
 カレーが出来上がったので、妹さんに蒼くんのことを呼んでもらうようお願いする。
 蒼くんはすぐにやってくる。
 しかしカレーを食べるときの蒼くんの様子がいつもとおかしかった。
「いただきます」
 と言ったあと、いつもは「うまい」と言ったり、色んなことを話してくれるのに、今日に限って彼はずっと無言だった。
 あたしはカレーの作り方を間違えたかな、と内心不安だったが、不手際があったとは思えなかった。いつもどおりに作っただけだ。
 カレーを食べ終えると、あたしたちは彼の部屋に入った。
 しかし、今日の蒼くんはベッドの上にあぐらをかくと、何か、落ち着きがなさそうだった。
 毎日会っていると、彼の異変にはすぐに気がつく。
「蒼くん。どうしたの。そんな難しい顔して」
 蒼くんは、かっ、と目を見開いてあたしのことを見てくる。
「ど……どうしたの」
 蒼くんはなぜか固まっている。
 明らかにいつもと様子がおかしい。
 そして蒼くんは、言いにくそうに、口を開いた。
「紬と……裸で抱き合いたい」
「えっ」
 あたしは彼の部屋の床の上に立ったまま、身動きが取れなかった。
「は……裸で」
「いや、変な意味じゃなくて。下着は着けたままで」
 あたしは驚いてしまったが、この身で彼の温もりを全身に感じられるチャンスなのだ。
 それは幸せなことに違いなかった。
「うん……いいよ。でも、カーテンは閉めて」
「わ……わかった」
 そう言うと蒼くんは窓のカーテンを閉めるために立ち上がった。
 あたしが服を脱ぎ始めると、蒼くんも服を脱いだ。
 カーテンの隙間から漏れるわずかな光が、部屋を斜めに照らしている。
 そして、あたしたちはお互いに下着をつけただけの状態になる。蒼くんは上半身は裸だ。あたしはブラジャーを着けている。
 あたしは恥ずかしくて、うつむきながら彼に近づいていく。
 お互いにうつむき合ったまま、身体を近づける。
 すぐそこに、蒼くんがいる。
 あまりに静かだった。外の雨の音が室内にも響き渡っている。
 あたしは蒼くんのことを見つめる。
 あたしは蒼くんの頬に手をつける。
「蒼くん」
 あたしは意を決する。
「あたし、死ぬまでにやりたいこと、他にもあるんだ」
「えっ……なに」
 そしてあたしは、ゆっくりと彼の顔に近づき、目を閉じた。
 彼の唇に、あたしの唇を重ねる。
 彼の唇に触れた刹那、彼があたしのことを抱き締めてくる。
 途端に蒼くんの身体から、彼の体温があたしに移動してくる。あたしはブラジャーをつけているけど、ほとんど裸に近い状態だから、いつもとは違う抱かれ心地だった。初めて彼のお腹の温もりも感じた。
 そしてあたしたちは夢中で唇を押し付けあった。
 あたしは幸せだった。もう。今ここで死んでもいいとさえ思った。
 そしてあたしたちは、一度口を離してベッドの上で抱き合った。
 ベッドの上では彼があたしの足に足を絡ませにきた。
 やはりいつもの抱き締め合いと違って、初めて彼の太ももの温かさを感じる。
 そして、お互いにきつく抱き合ったまま、再びキスをする。
 そうしてあたしたちは結ばれた。
 彼と抱き合ったあと。
 彼は寝てしまった。
 あたしはその間にこっそりと彼の部屋の中を撮影する。ついでに、彼の寝顔も。

 それからも梅雨の間はしょっちゅう彼の家に行ってカレーを作った。梅雨の間だけで二十回ほどはカレーを作ったと思う。途中からはいちいち数えなくなっていた。
 そして。
「気象庁では、中国地方の梅雨明けを発表いたしました」
 あたしは見ていたテレビから視線を落とすと、トーストにかぶりついた。
 パジャマのポケットに閉まってあるスマホが震える。
 すぐにスマホを取り出す。
 兵藤蒼くん、の文字。
 通知には「今日、宮島行こうよ」と出ていた。
 学校は、昨日から夏休みに入っていた。
 だからこれからは、毎日彼と外に出かけられる。しかもいいタイミングで梅雨明けとなった。
 あたしはお母さんに告げる。
「お母さん、あたし、今日遅くなるかも」
「あらそう。わかったわ」
 横から瑠璃お姉ちゃんがあたしの肘を小突いてくる。
「デートか」
「う、うん」
「夜、眠れてるの」
「うん。彼と付き合い始めてからは、眠れない日はなかったよ」
「すげえな。紬の彼氏、魔法使いみたいだな」
「ほんとだよね」

 あたしは外に出た。
 気温は三十四度。ぎらぎらと照りつける太陽は肌を痛いくらいに刺激してくる。紫外線を避けるため、あたしは麦わら帽子をかぶっている。
 あたしは待ち合わせ場所のバス停に向かう。
 家から徒歩五分くらいのところにあるバス停には、先に蒼くんが来ていた。
「やあ」
「蒼くん」
 蒼くんはいつものTシャツにデニムというラフな格好だった。
 あたしたちはバスに乗って西広島駅を目指す。
 始発のバス停から近いので車内はまだひとがほとんど乗っておらず、あたしと蒼くんは並んで後部座席のほうへ座ることができた。
 蒼くんのほうからあたしに身体を密着させにきた。さらに、彼はあたしの膝の上に右手を乗せる。あたしはその差し出された手の上にあたしの左手を乗せる。蒼くんはその手を握ってくる。やがて、どちらからともなく、指を絡ませ合って、恋人つなぎをする。
 バスは長い坂を下り、バイパスを抜け、市街地に入った。西広島駅前で降りる。
 あたしたちは通称カープ電車に乗る。もちろん広島カープの赤色をした車両だ。たぶん走っているのは広島県内と山口県内の一部。車内はそれなりに混雑していて、あたしたちは車椅子が乗り込むときのために広く設けられたスペースの壁にふたりしてもたれかかった。
 その間も、蒼くんはあたしの手を握る。正直、車内は混雑しているので、蒼くんは一旦手を離そうとしたのだが、あたしのほうでそれを嫌がった。
 電車は二十分もかからず宮島口に着いた。
 徒歩でフェリー乗り場を目指す。
 フェリー乗り場に到着すると電子マネーで改札を通過する。宮島フェリーは電車に乗るときと同じように電子マネーで改札を抜けて乗船することができる。
 フェリーはすぐにやってきた。桟橋を越えて、フェリーへの階段を昇ってゆく。
 船内は簡素な造りだった。島まで十分しかかからないのだ。そんな豪勢な造りをしているわけがない。
 汽笛が鳴ると、船は発進した。ゆっくりとした動きだ。
 蒼くんに提案される。
「ねえ、デッキに上がってみようよ」
「あ、うん」
 そう言ってあたしの手は蒼くんの手に引っ張られてデッキに向かった。
 外に出る扉を開ける。すると、途端に波に乗る風にさらされる。
「うわ、すごい風だ」
「本当だね」
 あたしたちはデッキの手すりのところに行って外を見渡す。
 宮島の赤い鳥居が見える。
「宮島の鳥居だよ」
「ほんとだ。今からあそこに行くんだね。ああ、すごい海の香りがする」
 フェリーはまっすぐ、向かいにある宮島港を目指す。風と波を蹴散らして走るフェリー。
 風が目にあたって目が乾きそうだ。あたしは目を細める。そして、あさっての方向を向いている蒼くんの手を取る。
 蒼くんがあたしのほうを向く。すぐに手を握ってくれる。
 あたしたちはふたりしてデッキの手すりを背もたれにして、風を全身に浴びていた。
 蒼くんは視線をあたしの瞳に向けて見つめてくる。
「なぁに?」
 蒼くんは視線を外して宮島の鳥居を見る。
「幸せだな、って思って」
 あたしがいなくなるまで、あと数か月しかない。だからこそ、この一瞬一瞬を大切にしたい。
 そして、蒼くんの理想のお姉さん像をあたしが体現してあげたい。
「あたしも幸せだよ。こんな素敵な彼氏にエスコートしてもらって」
「エスコートなんて。そんな大袈裟なもんじゃないよ」
「ううん。ありがとう」
 再びあたしは指を絡ませて恋人つなぎにする。
「涼しいね」
「うん。真夏にこれは助かるよね」
 そうしてあたしたちの会話は途切れた。沈黙の時間も味わい深い。
 そこであたしはスマホを取り出し、カメラを自撮りモードにして、スマホを頭上に掲げた。
「蒼くんもこっち向いて」
 シャッターを押す。背景には船の舳先と宮島港が写っている。
 フェリーが宮島港に到着すると、あたしたちは下船した。
 あたしの髪の毛が風のせいで乱れている。蒼くんがあたしの頭を撫でて整えてくれる。
「髪、変になっちゃってた?」
「大丈夫。元通りにしたから」
 それにしても。
 あたしは唖然としていた。ひとの多さに。インバウンド需要で外国人観光客が多いのはわかっていたが、本州から離れた島にこんなにもひとがいるなんて。しかも今は夏休みだから、平日の昼間でも日本人観光客もけっこう混ざっている。
「とりあえず、商店街のほう行こうか」
「うん」
 そう言って、あたしは蒼くんの手を握る。
 商店街はひとでごった返していた。もみじまんじゅう屋やお好み焼き屋が軒を連ねる。
「入りたい店あったら入ろうよ」
「うん」
「先にお店入る?鳥居見てからにする?」
「うーん。ゆっくりしたいから、あとかな」
「じゃあ今のうちに入りたい店の目星をつけておこうよ」
「うん。あ、あのお抹茶の店は?」
 あたしは店先に「抹茶」と幟の掲げられた店を指差す。
 お店の周りも竹で囲まれていて和風の店だということを強調しているようだ。
「あそこがいいの?」
「ちょっと見てみよう」
 そう言ってあたしは蒼くんの手を引っ張って店先を覗く。
「あ、クリームソーダある」
「またクリームソーダ頼むの」
「そうよ。だめ?」
「だめじゃないけど、ここ抹茶の店だぞ」
「あたしはクリームソーダがいいの!それに、なんか、ばえそうだし」
 あたしは両手の拳を握って主張する。
「はいはい」
「なによー蒼くん。あたしのことばかにしてんの?」
「いやいや。紬は頑固だな、と思って」
「頑固かな」
「うん。そういうとこも好きだよ」
 あたしは声を小さくして蒼くんに抗議する。
「ば、ばか!こんなにひとがいるところで、なに言ってんの」
 そうしてまた蒼くんの手を握る。
 そしてあたしたちは商店街を抜けていった。
 海沿いの道を歩いて、神社を目指す。ここにもたくさんの外国人が歩いていた。道の途中で記念撮影をしているひともたくさんいる。
 その中を、あたしと蒼くんは手をつないで進んでゆく。
「あ、鳥居だ。ほんとだ、鳥居の周りにたくさんひとがいるよ」
「この時間は干潮だからね。実は今日行こうと提案したのは、昼間が干潮の時刻だと知ってたからなんだ」
「そうなの」
「うん。あとでぼくたちも行こう」
「うん」
 そうしてあたしたちは厳島神社へと到着した。
 そこで蒼くんは突然変な声を出す。
「あ……しまったかもしれん……」
「なになに?どうしたの?」
「いや、宮島にカップルで行くと、別れるっていう伝説があるんだよ」
「なにそれ!どゆこと?」
「祀られてるのが女の神様だから、カップルに嫉妬しちゃうんだって」
「マジでー。なにそれ」
「どうしよう?お参りするの、やめる?」
「いや、そんなことであたしたち、別れないでしょ?」
「う、うん。そうだね」
 結局あたしたちは厳島神社に参拝した。赤い柱に木の板の上を歩く。
 そしてお賽銭を落とすと、あたしたちは歩いて鳥居を目指すことにした。
「ねえ、蒼くん。なんてお願いしたの」
「これからも幸せでありますように、と。曖昧にお願いしておいた。紬こそ、なんてお願いしたのさ」
 あたしはだんだん迫ってくる鳥居を見上げる。
「蒼くんと幸せでありますように、って」
「それじゃあ神様の嫉妬心を煽ってるみたいじゃん」
「うー……ぜんぜんそんなこと考えてなかったよ」
「まあ、あんなのただの迷信だからさ。気にしないでおこうよ」
「うん」
 あたしたちは鳥居の真下にまで来た。ここにもたくさんの外国人観光客がいる。
 潮は引いていて、ところどころに水溜まりがある。ちょうど潮干狩りするときと似た光景だ。海の匂いが強烈に漂っている。
 あたしと蒼くんは手をつないだまま鳥居に近づく。
「わあ、貝殻が柱にくっついてるね」
「ほんとだね」
「すごいなあ。波にも耐えてここにずっと建ってるんだね」
「まあよく補修工事してるみたいだよ」
「そうなんだ」
 あたしは顎をあげて鳥居を見上げる。
 この鳥居も見納め。あたしがこの鳥居をこんな間近で見られるのは、間違いなくこれが最後なんだ。最後に、愛するひととここに来れたことを、あたしは幸せに思った。
「そろそろ行こうか」
「うん」
 そして来たときと同じ海沿いの道を歩いてゆく。
 そこへ、鹿があたしに近寄ってきた。
「うわ、鹿だ」
「うん」
「すごい。ひとに慣れすぎじゃない?この鹿」
 角のない鹿は、ゆっくりと鼻先をあたしのほうに向けてくる。
「宮島と奈良の鹿はそうだよね」
「緊張感ないやつだなーおまえ」
 と言って、あたしは鹿のことをじーっと見つめる。
「なにしてんの?」
「鹿とにらめっこ」
 そうしてあたしはしばらく鹿とにらめっこする。
「あ、そうだ。鹿のことも撮っとこ」
 そしてあたしは、鹿を撮りながら、画角の中にこっそり蒼くんを入れる。
 スマホのレンズはもともと広角レンズだ。ぎりぎりのところに蒼くんを入れたので、蒼くんは写真に撮られたことを気がついていない。
 写真を撮り終わると、あたしは再び鹿とにらめっこする。
「あきちゃった。いこ、蒼くん」
 あたしが顔をあげると、蒼くんはニコニコしていた。
「な……なに?」
「いや。紬の新しい一面を知られて。良かったな、と」
「あたしの新しい一面って」
「かわいいところ」
「な……なにそれ」
「鹿とにらめっこなんて、ぼくはしないよ」
「い……いいでしょ。別に」
 そう言って、またあたしは蒼くんの手を握る。
 蒼くんは笑っているけど、あたしにとっては鹿とにらめっこできるのも、これが最後なんだ。
 できることはなんでもしておきたい。でもそれ以上に、蒼くんの理想のお姉さんに少しでも近づきたい。
 商店街に戻ると、さきほどの抹茶の店に入る。
 店内もすごいひとだった。
 店内は広いので、空いている席はいくつかあった。しかし中はひとの話し声で常にガヤガヤしている。
 窓際の空いている席を見つけ、向かい合って座る。
 メニュー表を見る。
 そういえば昼食を取っていないのだ。
「紬、本当にクリームソーダにするの?俺たちまだ昼飯食ってないじゃん」
「あたしはいいから、蒼くんは何かがっつりしたもの食べれば?」
「うーん、ぼくは」
 蒼くんはメニュー表とにらめっこしている。
「すみませーん」
 と言って彼は手を挙げた。
 すぐに店員さんがオーダーをとりにくる。
「えっと、クリームソーダと、抹茶のロールケーキと、抹茶のティラミスください」
 店員さんは聞き終えると奥へ帰っていった。
「蒼くん。両方とも甘いものにしたの?」
「そうだけど」
「蒼くんって、甘党だったっけ?」
「割と」
「へえ、そうなんだ。いつもカレーしか食べないから、甘党だとは思わなかった」
「ロールケーキとティラミス、紬も食べてみなよ」
「いいの?」
「もちろん。遠慮することないよ」
「じゃああたしのクリームソーダもあげる」
「え、それはいいよ」
「なんでよ」
 あたしは頬を膨らませて抗議をする。
「なんか、申し訳ないし」
「なに言ってるの。平等だよ。あたしばかりもらってたらだめじゃん」
「そ、そうですか」
 向かい合って座っている。
 通りを行くひとびとを眺める。
 蒼くんがあたしのことを見る。
 その視線に気がついたあたしは蒼くんのことを見返す。
「なあに?」
「なんでもないよ」
「お待たせしました。クリームソーダでございます」
 スカイブルーに輝くクリームソーダが運ばれてきた。あの喫茶『ドマーニ』と同じように、緑色のソーダではなかった。
「うわ!すごい!ばえる!」
 そう言って、あたしはクリームソーダを撮影し始めた。
 ついでと言っては失礼だけど、蒼くんのことも撮影する。
「蒼くん、ソーダの後ろに入って」
「なんでぼくのこと撮るんだよ」
「思い出じゃんか。大切なことだよ」
 手前にクリームソーダを入れ、奥に蒼くんを入れて撮影する。
「抹茶のロールケーキと、抹茶のティラミスでございます」
 蒼くんの品物も運ばれてきた。
 ふたつとも思ったよりも大きい。けっこうお腹になりそうだ。
「ほら、蒼くん。クリームソーダ、どうぞ」
 写真を撮り終えたあたしはクリームソーダを彼に差し出す。
「ほんとうに食べていいの」
「どうぞ。アイスも食べてね」
「ぼくもこれは写真に撮っておくよ」
 そう言って、蒼くんはロールケーキとティラミスを撮影した。
「そっちも」
 と言ってクリームソーダも撮影する。
「紬も、ロールケーキとティラミス食べなよ」
「うん。ありがと」
 あたしはロールケーキとティラミスを受け取る。ロールケーキからはみ出るように抹茶のクリームが光り輝いている。ティラミスも白色と抹茶色が中の層を交互に形成している。
 二つとも写真に撮る。さっきと同じように前景にロールケーキとティラミスを入れて、背景に蒼くんも入れて撮影する。
 ついでに、あたしはカメラを自撮りモードにすると、斜め上にスマホを掲げてシャッターを押した。
 蒼くんはスプーンでアイスをすくおうとする。アイスがソーダの中に沈んでいく。蒼くんはアイスを取り出すのに苦戦している。
「あ……」
 アイスが沈みきって、あふれたソーダがグラスの横に垂れる。
 アイスをグラスの壁に固定し、スプーンの先でアイスを削っていく。
 ようやく取れたバニラアイスを蒼くんは口に運ぶ。
「ソーダも飲んでいいよ」
「いいの」
「遠慮することないよ」
 蒼くんはしばらく躊躇っていたようだけど、ストローでソーダを吸い込んでいった。
 あたしもロールケーキとティラミスを一口ずつフォークですくって食べる。
「んん!おいしい!抹茶って感じだね!」
「そりゃ抹茶だからね」
 あたしは蒼くんに向かってグーサインをする。
 蒼くんはストローから口を離すと、クリームソーダのグラスをあたしに返す。
 あたしもロールケーキとティラミスを蒼くんに返す。
 そしてあたしはスプーンを手に持ち、クリームソーダのアイスをすくう。
 アイスを口に含む瞬間に思った。
(間接キスだな)
 そんなことを考えるなんて、まるで中学生みたい。
 キスならこの前たっぷりしたじゃん、と自分にツッコミを入れる。
 ストローにも口をつける。こっちのほうがより間接キスっぽい。
 あたしは落としていた視線をちらっと、蒼くんのほうに向ける。
 蒼くんは何事もなかったかのようにロールケーキとティラミスをもそもそと食べている。
「すげー抹茶だね。宮島はもみじまんじゅうだけじゃなかったんだ」
 蒼くんは小学生みたいに目をキラキラ輝かせて抹茶に魅了されている。その笑顔はかわいかった。あたしは思わず口元をゆるめる。
 食べ終えると、会計に行く。
 前の喫茶店のときのように、あたしはふたり分をさっさと払ってしまった。
 店を出ると、蒼くんは「ぼくの分、払うよ」と告げてくる。
「いいよ。宮島に来たいって言ったのはあたしだし、この店に入りたいって言ったのもあたしなんだから」
「でも」
「いいからいいから。いつもあたしが蒼くんに甘えてばかりなんだから、これくらいさせてよ」
「紬……」
「そんなことより。はい」
 そう言って、あたしは手を差し出す。
 蒼くんは何も言わずに手を握ってくれた。