蒼くんの家のチャイムを押す。
すぐに蒼くんの声がインターホンから聞こえて来て、門を開けてくれる。
あたしはその瞬間にイヤリングを装着する。
玄関で出迎えてくれる蒼くん。
何も言わずにあたしのことを抱きしめてくれる蒼くん。
本当に彼はあたしの睡眠薬なのだ。
そうしてしばらく抱き合った後、中へ入る。
あれ。
蒼くん。イヤリングには気がついてくれなかった。
そこであたしは重大なことに気がつく。
「蒼くん。ちょっとトイレ借りるよ」
「うん」
そうしてあたしは再びトイレの鏡に向かう。
あたしのショートウルフカットでは、イヤリングがぎりぎり見えるかどうかくらい、というところだった。
たぶんさっきは髪に隠れていて、蒼くんは気づかなかったのだろう。
蒼くんの家では、またカレーを作った。
彼は本当にカレーばかり食べたがる。
「んー!いつ食べても最高だよ!紬のカレー」
と言って、彼はご満悦の様子だった。
その途中、イヤリングのことを話題にする。
「蒼くん見て。シルバーリングのイヤリング買ったんだよ」
あたしは髪をかきあげてイヤリングを蒼くんに見せつける。
「へー。似合ってるよ。だけどどうしたの、急に」
「ちょっと、オシャレしてみたくなっちゃって」
お姉さんのことはあくまで伏せておこう。
その後、あたしたちは彼の部屋に行って、ベッドに寝転がって彼に抱き締めてもらった。
これでまた夜にぐっすりと眠れることだろう。
あたしは蒼くんに提案をする。
「蒼くん。自転車のふたり乗りがしたいんだけど」
彼の胸の中にいたあたしは、彼の顔を見上げて言う。
「急にそんなこと言うんだね」
「うん。死ぬまでにやりたいこと」
本当は、あなたのお姉さんが好きだった自転車に、一緒に乗りたいの。
「警察に見つからないようにしないとね」
「ほら、ここの団地の真ん中を突っ切ってる大通りって、下の八幡のほうまでずっと続いてるでしょ。あの坂を下ってみたいの」
「ふたり乗りで?」
「そう」
「大丈夫かな。危ないよ」
「スピード落として行けば、大丈夫じゃない」
「そ、そうなのかな」
「ね、しよ。死ぬまでにやりたいことリストだから」
「そう言われたらしないといけないな」
翌日は曇りだった。
学校の帰りに、あたしたちは待ち合わせる。
そして、蒼くんとあたしは並んで歩き、団地の中央通りに向かう。
高校の敷地の斜向かいにある交差点まで来ると、蒼くんは自転車を構えた。
「紬。行くぞ。後ろ、乗りなよ」
「うん」
あたしは蒼くんの自転車の荷台に乗る。
う……。結構お尻、痛いかも。
あたしはがに股で乗ると、蒼くんの背中にしがみつく。
目の前には長い坂が待ち受けている。
「行くぞ」
そう言って、蒼くんは立ちこぎの体勢になる。
あたしはスマホを構えた。
カメラのアプリを立ち上げ、録画モードにする。
片手で蒼くんの脇腹につかまり、スマホを前方に向ける。
自転車はあっという間にスピードをあげる。
「わ、そんなにスピード出して大丈夫」
「これくらいでやめておくよ」
風があたしの髪の毛を乱していく。
梅雨の湿っぽい風。
それを感じた瞬間、夏にやれば良かったな、と感じる。
いや、それなら夏にもう一度やればいいだろう。
湿っぽい風とはいえ、涼しかった。梅雨とはいえ気温は高い。湿気を含んだ空気は、肌にまとわりついて、汗を流させる。その汗が風によって消えていく。
耳のイヤリングがぶらぶら揺れてあたしの皮膚を何度も当たる
「涼しいねぇ」
「ぼくはそんなの感じる余裕ないぞ」
スマホのカメラに、蒼くんの姿を写す。お尻ばっかり写っている。あたしは角度を変えて、団地の景色を撮る。景色が横に流れていく。
「蒼くん。危ないと思ったらいつでもやめていいからね」
「大丈夫。ずっとブレーキをちょっとずつかけて、これ以上スピード出ないようにしてるから」
あたしはスマホに視線を写す。
団地の風景が流れていく……のだが、だんだん風景の流れるスピードがあがっていく。
「あれ……ちょっと、蒼くん、なんかスピード速くなってない」
「ははは。なんか楽しくなってきちゃって」
「ちょっと。怖いよ」
「これくらいはまだへっちゃらだろ」
「ちょっとってば」
あたしのスマホを握る手がぶるぶると震える。
橋に差し掛かったとき、橋の継ぎ目の段差で自転車が一度、がたんと上下する。
「きゃっ」
お尻を荷台にぶつける。痛い。
「大丈夫か、紬」
「そう思うなら、ちょっとスピード落として」
「しょうがないなあ」
また橋の継ぎ目に差し掛かる。
だん、と音をさせて自転車が上下する。
「きゃっ」
「はははは。こんなに面白いならもっと早くやるべきだったね」
「もう蒼くんたら。スピード違反だよ」
坂を結構なスピードで駆け降りる。まだ彼がブレーキに手をかけているのはわかる。
これでも手加減してるのか。ちょっと怖い。
スマホで蒼くんの顔を横から捉えようとしたが、うまくいかない。背中ばかりが写ってしまう。下に降りきったら、そのとき蒼くんの顔を撮ってしまわないと。
こんなときにも関わらず、あたしは一瞬暗い想像をする。もしもあたしの余命があと数日になったら、そのときはこの動画を何度も見返すんだろう。そのときのために、彼の姿もしっかりと撮影しておきたい。
自転車は急な坂をほぼ降りきった。あとはゆるやかな坂が八幡(やはた)方面に続いているだけだ。
そこからは彼はブレーキをかけなかった。もう坂はゆるやかだからだろうけど。
それでも、ブレーキをかけないと結構なスピードが出る。
「ちょっと、蒼くん。どこまで行くの」
「下の交差点まで」
「スピードは落とさないの」
「これくらい余裕っしょ」
こんなにはしゃぐ蒼くんを見たのは初めてだった。あたしはなんとか彼の姿を撮りたかったが、彼は前を見ている。
「蒼くん。ちょっとだけ横向いて」
「はい?」
その瞬間を、あたしはスマホのカメラで動画撮影する。ばっちり、蒼くんの顔を撮影することに成功する。
「もういいよ、蒼くん、前見て、前」
「おう」
蒼くんはご機嫌だった。
そしてついにあたしたちは麓にたどり着いた。大きなバイパスの通る交差点だ。
蒼くんは自転車を止めると、交差点の端の横断歩道の前に立ち上がった。あたしもそこに立って、蒼くんの姿をじっと撮影する。
「あ、なんだよ、それ、撮影してるの」
「そうよ」
「なんだよ。恥ずかしいよ」
「思い出だから」
「それなら紬のことも撮影しておかないと」
「なんで」
「ここで自転車で遊びましたって、あとで見てわかるように、記録するんだよ」
「なるほど」
あたしはそう言ってスマホを自撮りモードに切り替えて画面を反転させ、空に向かってスマホを掲げた。
「蒼くん、画面に向かってピースして」
「は、恥ずかしいな」
「その声も入ってるよ。一緒にピースしよ」
「うん」
そう言ってあたしたちは画面に向かってピースサインをする。
「六月二十九日、月曜日。あたしたちは自転車で椿の坂学園から自転車でここまで降りてきました」
しかし帰りは大変だった。
当たり前である。今降りてきた坂道を登らないといけないのだから。
「蒼くんって、この坂をいまの交差点から自転車で登りきったことはあるの」
蒼くんは自転車を降りて押している。
「下から学園までなら何度もあるよ」
「すごいね。あたしは一度もしたことないよ」
「いい運動になるよ」
ふたりとも少し息が上がっている。梅雨のじめじめした空気によって汗が服にはりつく。
ようやく学園のところまで来た。あたしたちは学園に戻る。
なぜなら、荷物は学園内に置きっぱなしだからだ。ふたり乗りするのに荷物は邪魔だろうという判断だった。
そしていつもの旧校舎の屋上へ行く。
あたしはそこで蒼くんに抱き締めてもらう。
その後、蒼くんはいつものように給水塔のところで参考書を広げて勉強を始めた。
あたしはその彼の横顔に向かって提案をする。
「蒼くん。あたし、あとどうしてもやりたいことがふたつあるの。蒼くんと一緒じゃないといけないことなの」
「なんだい」
「宮島に行きたい。あとね。ちょっと遠いけど、角島に行きたいの」
「角島!?」
蒼くんは素っ頓狂な声をあげた。
「角島か。そういえば、姉さんがずっと行きたいって言ってたよ」
お母さんから聞き出した情報のとおりだ。
「テレビコマーシャルでよく出てくる島だよね」
「そうだよ。でもどうやって行けばいいんだろう」
「あたし調べたんだけど、JRと新幹線を乗り継いで行けば、行けるみたいだよ」
「だけど、日帰りはキツいんじゃないかな」
そこであたしたちはその場で調べることにした。
乗り換えアプリによると、ここからバスで西広島駅まで行き、広島駅で新幹線に乗り換え、下関でJRに乗り換えて、角島の最寄駅まで行けるらしい。都合三時間。
「三時間か。日帰りできなくもないね」
あたしは地図アプリを開いていた。角島の最寄駅から、角島大橋までは、徒歩で一時間の表示が出てきた。
「最寄駅から角島までかなり遠いみたいだね。一時間かかっちゃう」
「じゃあ、やっぱり乾さんに車を運転してもらって行ったほうがいいな」
あたしはそこで彼の右腕にしがみつく。
「いや。蒼くんとふたりきりがいいの」
「……あはは」
「な、なに、その笑い」
「いや。紬が珍しく、わがまま言うから。驚いちゃった」
「わ……わがままかな」
「別にそれくらいいいけど」
「あとね。あたし、蒼くんと宮島に行きたい」
「宮島か」
蒼くんが真顔であたしの顔を見つめる。
「な、なに?あたし、変なこと言った?」
「いや、角島といい、宮島といい、姉さんみたいなこと言うな、って思って」
あたしはギクッとする。蒼くんの理想のお姉さん像を目指すというあたしの目標は早くもバレてしまったのだろうか。
「ほら、つ……角島はさ。夏休み行こうね。あそこは雨の日だと景色が台無しだから」
「うん。そうだね。夏休みの、晴れた日に行こう。暑そうだなぁ」
そしてあたしたちは家路に着いた。
その日もあたしはぐっすりと眠ることができた。
すぐに蒼くんの声がインターホンから聞こえて来て、門を開けてくれる。
あたしはその瞬間にイヤリングを装着する。
玄関で出迎えてくれる蒼くん。
何も言わずにあたしのことを抱きしめてくれる蒼くん。
本当に彼はあたしの睡眠薬なのだ。
そうしてしばらく抱き合った後、中へ入る。
あれ。
蒼くん。イヤリングには気がついてくれなかった。
そこであたしは重大なことに気がつく。
「蒼くん。ちょっとトイレ借りるよ」
「うん」
そうしてあたしは再びトイレの鏡に向かう。
あたしのショートウルフカットでは、イヤリングがぎりぎり見えるかどうかくらい、というところだった。
たぶんさっきは髪に隠れていて、蒼くんは気づかなかったのだろう。
蒼くんの家では、またカレーを作った。
彼は本当にカレーばかり食べたがる。
「んー!いつ食べても最高だよ!紬のカレー」
と言って、彼はご満悦の様子だった。
その途中、イヤリングのことを話題にする。
「蒼くん見て。シルバーリングのイヤリング買ったんだよ」
あたしは髪をかきあげてイヤリングを蒼くんに見せつける。
「へー。似合ってるよ。だけどどうしたの、急に」
「ちょっと、オシャレしてみたくなっちゃって」
お姉さんのことはあくまで伏せておこう。
その後、あたしたちは彼の部屋に行って、ベッドに寝転がって彼に抱き締めてもらった。
これでまた夜にぐっすりと眠れることだろう。
あたしは蒼くんに提案をする。
「蒼くん。自転車のふたり乗りがしたいんだけど」
彼の胸の中にいたあたしは、彼の顔を見上げて言う。
「急にそんなこと言うんだね」
「うん。死ぬまでにやりたいこと」
本当は、あなたのお姉さんが好きだった自転車に、一緒に乗りたいの。
「警察に見つからないようにしないとね」
「ほら、ここの団地の真ん中を突っ切ってる大通りって、下の八幡のほうまでずっと続いてるでしょ。あの坂を下ってみたいの」
「ふたり乗りで?」
「そう」
「大丈夫かな。危ないよ」
「スピード落として行けば、大丈夫じゃない」
「そ、そうなのかな」
「ね、しよ。死ぬまでにやりたいことリストだから」
「そう言われたらしないといけないな」
翌日は曇りだった。
学校の帰りに、あたしたちは待ち合わせる。
そして、蒼くんとあたしは並んで歩き、団地の中央通りに向かう。
高校の敷地の斜向かいにある交差点まで来ると、蒼くんは自転車を構えた。
「紬。行くぞ。後ろ、乗りなよ」
「うん」
あたしは蒼くんの自転車の荷台に乗る。
う……。結構お尻、痛いかも。
あたしはがに股で乗ると、蒼くんの背中にしがみつく。
目の前には長い坂が待ち受けている。
「行くぞ」
そう言って、蒼くんは立ちこぎの体勢になる。
あたしはスマホを構えた。
カメラのアプリを立ち上げ、録画モードにする。
片手で蒼くんの脇腹につかまり、スマホを前方に向ける。
自転車はあっという間にスピードをあげる。
「わ、そんなにスピード出して大丈夫」
「これくらいでやめておくよ」
風があたしの髪の毛を乱していく。
梅雨の湿っぽい風。
それを感じた瞬間、夏にやれば良かったな、と感じる。
いや、それなら夏にもう一度やればいいだろう。
湿っぽい風とはいえ、涼しかった。梅雨とはいえ気温は高い。湿気を含んだ空気は、肌にまとわりついて、汗を流させる。その汗が風によって消えていく。
耳のイヤリングがぶらぶら揺れてあたしの皮膚を何度も当たる
「涼しいねぇ」
「ぼくはそんなの感じる余裕ないぞ」
スマホのカメラに、蒼くんの姿を写す。お尻ばっかり写っている。あたしは角度を変えて、団地の景色を撮る。景色が横に流れていく。
「蒼くん。危ないと思ったらいつでもやめていいからね」
「大丈夫。ずっとブレーキをちょっとずつかけて、これ以上スピード出ないようにしてるから」
あたしはスマホに視線を写す。
団地の風景が流れていく……のだが、だんだん風景の流れるスピードがあがっていく。
「あれ……ちょっと、蒼くん、なんかスピード速くなってない」
「ははは。なんか楽しくなってきちゃって」
「ちょっと。怖いよ」
「これくらいはまだへっちゃらだろ」
「ちょっとってば」
あたしのスマホを握る手がぶるぶると震える。
橋に差し掛かったとき、橋の継ぎ目の段差で自転車が一度、がたんと上下する。
「きゃっ」
お尻を荷台にぶつける。痛い。
「大丈夫か、紬」
「そう思うなら、ちょっとスピード落として」
「しょうがないなあ」
また橋の継ぎ目に差し掛かる。
だん、と音をさせて自転車が上下する。
「きゃっ」
「はははは。こんなに面白いならもっと早くやるべきだったね」
「もう蒼くんたら。スピード違反だよ」
坂を結構なスピードで駆け降りる。まだ彼がブレーキに手をかけているのはわかる。
これでも手加減してるのか。ちょっと怖い。
スマホで蒼くんの顔を横から捉えようとしたが、うまくいかない。背中ばかりが写ってしまう。下に降りきったら、そのとき蒼くんの顔を撮ってしまわないと。
こんなときにも関わらず、あたしは一瞬暗い想像をする。もしもあたしの余命があと数日になったら、そのときはこの動画を何度も見返すんだろう。そのときのために、彼の姿もしっかりと撮影しておきたい。
自転車は急な坂をほぼ降りきった。あとはゆるやかな坂が八幡(やはた)方面に続いているだけだ。
そこからは彼はブレーキをかけなかった。もう坂はゆるやかだからだろうけど。
それでも、ブレーキをかけないと結構なスピードが出る。
「ちょっと、蒼くん。どこまで行くの」
「下の交差点まで」
「スピードは落とさないの」
「これくらい余裕っしょ」
こんなにはしゃぐ蒼くんを見たのは初めてだった。あたしはなんとか彼の姿を撮りたかったが、彼は前を見ている。
「蒼くん。ちょっとだけ横向いて」
「はい?」
その瞬間を、あたしはスマホのカメラで動画撮影する。ばっちり、蒼くんの顔を撮影することに成功する。
「もういいよ、蒼くん、前見て、前」
「おう」
蒼くんはご機嫌だった。
そしてついにあたしたちは麓にたどり着いた。大きなバイパスの通る交差点だ。
蒼くんは自転車を止めると、交差点の端の横断歩道の前に立ち上がった。あたしもそこに立って、蒼くんの姿をじっと撮影する。
「あ、なんだよ、それ、撮影してるの」
「そうよ」
「なんだよ。恥ずかしいよ」
「思い出だから」
「それなら紬のことも撮影しておかないと」
「なんで」
「ここで自転車で遊びましたって、あとで見てわかるように、記録するんだよ」
「なるほど」
あたしはそう言ってスマホを自撮りモードに切り替えて画面を反転させ、空に向かってスマホを掲げた。
「蒼くん、画面に向かってピースして」
「は、恥ずかしいな」
「その声も入ってるよ。一緒にピースしよ」
「うん」
そう言ってあたしたちは画面に向かってピースサインをする。
「六月二十九日、月曜日。あたしたちは自転車で椿の坂学園から自転車でここまで降りてきました」
しかし帰りは大変だった。
当たり前である。今降りてきた坂道を登らないといけないのだから。
「蒼くんって、この坂をいまの交差点から自転車で登りきったことはあるの」
蒼くんは自転車を降りて押している。
「下から学園までなら何度もあるよ」
「すごいね。あたしは一度もしたことないよ」
「いい運動になるよ」
ふたりとも少し息が上がっている。梅雨のじめじめした空気によって汗が服にはりつく。
ようやく学園のところまで来た。あたしたちは学園に戻る。
なぜなら、荷物は学園内に置きっぱなしだからだ。ふたり乗りするのに荷物は邪魔だろうという判断だった。
そしていつもの旧校舎の屋上へ行く。
あたしはそこで蒼くんに抱き締めてもらう。
その後、蒼くんはいつものように給水塔のところで参考書を広げて勉強を始めた。
あたしはその彼の横顔に向かって提案をする。
「蒼くん。あたし、あとどうしてもやりたいことがふたつあるの。蒼くんと一緒じゃないといけないことなの」
「なんだい」
「宮島に行きたい。あとね。ちょっと遠いけど、角島に行きたいの」
「角島!?」
蒼くんは素っ頓狂な声をあげた。
「角島か。そういえば、姉さんがずっと行きたいって言ってたよ」
お母さんから聞き出した情報のとおりだ。
「テレビコマーシャルでよく出てくる島だよね」
「そうだよ。でもどうやって行けばいいんだろう」
「あたし調べたんだけど、JRと新幹線を乗り継いで行けば、行けるみたいだよ」
「だけど、日帰りはキツいんじゃないかな」
そこであたしたちはその場で調べることにした。
乗り換えアプリによると、ここからバスで西広島駅まで行き、広島駅で新幹線に乗り換え、下関でJRに乗り換えて、角島の最寄駅まで行けるらしい。都合三時間。
「三時間か。日帰りできなくもないね」
あたしは地図アプリを開いていた。角島の最寄駅から、角島大橋までは、徒歩で一時間の表示が出てきた。
「最寄駅から角島までかなり遠いみたいだね。一時間かかっちゃう」
「じゃあ、やっぱり乾さんに車を運転してもらって行ったほうがいいな」
あたしはそこで彼の右腕にしがみつく。
「いや。蒼くんとふたりきりがいいの」
「……あはは」
「な、なに、その笑い」
「いや。紬が珍しく、わがまま言うから。驚いちゃった」
「わ……わがままかな」
「別にそれくらいいいけど」
「あとね。あたし、蒼くんと宮島に行きたい」
「宮島か」
蒼くんが真顔であたしの顔を見つめる。
「な、なに?あたし、変なこと言った?」
「いや、角島といい、宮島といい、姉さんみたいなこと言うな、って思って」
あたしはギクッとする。蒼くんの理想のお姉さん像を目指すというあたしの目標は早くもバレてしまったのだろうか。
「ほら、つ……角島はさ。夏休み行こうね。あそこは雨の日だと景色が台無しだから」
「うん。そうだね。夏休みの、晴れた日に行こう。暑そうだなぁ」
そしてあたしたちは家路に着いた。
その日もあたしはぐっすりと眠ることができた。
