王都の朝は早いが、迎賓館「紫雲閣」の周辺だけは、異様な静けさに包まれていた。
昨日の庭園での一件、土御門家の姫君・沙耶が龍神の怒りに触れて制裁を受けたという噂は、一夜にして貴族たちの間に広まっていたからだ。
遠巻きに見る視線には、昨日のような露骨な侮蔑はなく、腫れ物に触れるような恐怖と警戒心が混ざっていた。
「……静かだな。虫が減って清々しい」
蒼月は、朝の茶を啜りながら不敵に笑った。 清野はその隣で、昨夜彼が選んでくれた淡紅色の衣を身にまとい、少し緊張した面持ちで座っていた。髪には、あの青龍の簪が朝日を受けて輝いている。
「蒼月さま。沙耶様は、その後どうなられたのでしょうか……」
「知らん。生きてはいようが、二度と表舞台には出てこれまい。俺の神気にあてられたのだ、精神が崩壊していなければ良いがな」
蒼月は興味なさげに言い捨てた。彼にとって、清野を害そうとした者は、その時点で存在価値を失うのだ。
その時、広間の外から、衣擦れの音と共に低い声が響いた。
「――龍神・蒼月様。陰陽寮より使いに参りました」
入室を許可すると、現れたのは黒装束に身を包み、顔の半分を布で隠した長身の男だった。昨日の女官たちのような媚びへつらいはなく、機械のような無機質な気配を漂わせている。
「陰陽頭・土御門晴明様がお待ちです。陰陽寮本殿へ、ご足労願います」
「土御門……?」
清野の背筋が凍った。それは、昨日蒼月が制裁を下した沙耶の父親であり、この国の霊的守護を司る最高権力者の名だ。 娘を傷つけられた報復だろうか。それとも…
蒼月は、男を一瞥すると、楽しげに口角を上げた。
「昨日の娘の親父か。謝罪ではなく、頭を下げに来いということらしい。……いいだろう。この国の『守護者』がどれほどのものか、拝んでやろうではないか」
蒼月は立ち上がり、清野の手を引いた。
「行くぞ、清野。簪がある限り、如何なる呪術もお前には届かない。堂々としていろ」
「……はい」
清野は深く息を吸い込み、蒼月の手に自分の手を重ねた。
陰陽寮は、宮殿の敷地の北東、鬼門の方角に位置していた。 朱塗りの華やかな宮殿とは対照的に、そこは黒塗りの木材で組まれた、要塞のように厳めしい建物だった。
周囲には何重もの注連縄が張り巡らされ、空気そのものが重苦しい香の煙で白く濁っている。
「うっ……」
建物に足を踏み入れた瞬間、清野は胸が悪くなるような圧迫感を覚えた。 無数の視線を感じる。
しかし、それは人の目ではない。壁や柱に貼られた無数の呪符に宿る、監視のための式神の気配だ。
「気味が悪いか?」
蒼月が清野の肩を抱き寄せ、自身の清浄な霊気で包み込む。
「ここは欲望と執着の掃き溜めだ。人間が神の力を模倣し、制御しようとあがいた成れの果てだ」
最奥の間、祭壇が設けられた広間に通されると、そこには一人の男が座っていた。 豪奢な祭服を纏い、長い銀髪を一つに束ねた美丈夫。
年齢は不詳。若くも見えるし、老成しているようにも見える。 彼が、陰陽頭・土御門晴明だった。
「ようこそおいでくださいました、龍神様。そして……稀有なる『器』の娘よ」
晴明の声は、鈴の音のように美しかったが、温度が感じられなかった。 彼は立ち上がりもせず、ただ静かに二人を見据えていた。
「単刀直入に聞こう。昨日の娘の件で、俺に文句でもあるのか?」
蒼月が挑発的に問うと、晴明は眉一つ動かさずに答えた。
「いいえ。未熟な娘が神威を汚し、不敬を働いたとのこと。処罰は妥当であり、むしろ命があっただけ慈悲深いと感謝しております」
「……ほう」
「娘の怪我など、些末なこと。私が憂慮しているのは、もっと根源的な問題です」
晴明の視線が、蒼月を通り越し、清野の首筋にある青玉の痣に固定された。 その目は、人間を見る目ではなかった。実験動物や、あるいは処理すべき危険物を観察する目だ。
「清野殿、とおっしゃいましたか。貴女のその力……そして龍神様との結びつきは、世界の理にとって重大なバグだ」
「バグ…?」
清野が聞き慣れない言葉に戸惑うと、晴明は淡々と続けた。
「龍神の力はこの国の根幹を成すエネルギー。それを、たった一人の人間の情動が増幅させ、あるいは歪めるなど、あってはならない。貴女方が愛し合い、心が揺れ動くたびに、世界には見えない歪みが生じる。……それは『愛』などという美しいものではない。世界に対する猛毒です」
晴明は、懐から一枚の黒い呪符を取り出し、机の上に置いた。
「陰陽寮として、提案があります。清野殿の喉にある『青玉』の力を、我々の術式で封印させていただきたい。そして、貴女には今後、陰陽寮の管理下にある離宮で暮らしていただく」
「それは……」
清野の顔から血の気が引いた。 管理下と言えば聞こえはいいが、それはつまり、蒼月から引き離され、一生を監視付きの檻の中で過ごせという宣告だ。
「ふざけるなッ!!」
轟音と共に、部屋の床が爆ぜた。 蒼月が激昂し、全身から青白い雷を放っていた。
「俺の妻を檻に入れるだと?貴様、自分の命が惜しくないと見えるな!」
圧倒的な殺気。部屋中の呪符が一斉に燃え上がり、香炉が粉々に砕け散る。 しかし、晴明は顔色一つ変えず、懐から扇子を取り出して口元を隠しただけだった。
「感情的になられないでいただきたい。これは世界の均衡を守るための、最も合理的な判断です。彼女一人を犠牲にすれば、万の民が安寧を得られる。……かつて、彼女が『生贄』として選ばれた時と同じ理屈ですよ」
「貴様ッ……!」
蒼月が右手を振り上げ、晴明をその場から消滅させようとした瞬間。
「待ってください、蒼月さま!」
清野が、蒼月の腕に抱きついた。
「清野!?離せ!こいつは万死に値する!」
「いけません!ここで力を振るえば、それこそあの方の思う壺です!」
清野は必死に蒼月を止め、震える足で一歩前へ出た。 晴明の、氷のような瞳と向き合う。
怖い。足がすくむ。けれど、ここで引くわけにはいかなかった。 彼は今、自分たちの「愛」を「毒」だと言った。それだけは、認めるわけにはいかない。
「……土御門さま。あなたの仰る『理』や『正義』は、私には難しくて分かりません」
清野の声は震えていたが、その瞳には強い光が宿っていた。 髪に挿した簪が、彼女の心に応えるように熱を放つ。
「でも、一つだけ分かることがあります。私は、この『毒』だと言われた力で、夫を救いました」
清野は、自分の首の痣に手を当てた。
「あの日、世界が私たちを拒絶し、殺そうとした時……私を守ろうとして倒れた蒼月さまを、この力が癒やしました。もし、この力がなければ、私は最愛の人を失っていたでしょう」
晴明の目が、わずかに細められた。
「個人の幸福のために、世界のリスクを許容すると?」
「はい。そうです」
清野はきっぱりと言い切った。 かつて「生贄」として死ぬことを受け入れていた少女は、もうそこにはいなかった。
「誰かの犠牲の上に成り立つ安寧など、私は願いません。私が望むのは、夫が生きて、隣で笑ってくれる世界だけです。……そのためなら、私は『異物』と呼ばれても構いません。私は、龍神・蒼月の妻ですから」
その言葉は、静かな部屋に凛と響き渡った。 蒼月が、驚いたように目を見開き、そして愛おしそうに清野の肩を抱き寄せた。
「……聞いたか? 晴明。これが、俺たちの答えだ」
蒼月は、勝ち誇ったような、そして何よりも妻を誇る笑顔を浮かべた。
「俺の妻は、お前たちが考えるような弱い生贄ではない。俺と共に運命を背負う、誇り高き伴侶だ。……次に俺の妻に『封印』などという言葉を使えば、この国から陰陽術という概念ごと消し去ってやる」
蒼月は机の上の黒い呪符を、指先から放った青い炎で焼き尽くした。
「行くぞ、清野。ここには、俺たちが呼吸するに値する空気はない」
「はい、蒼月さま」
二人は背を向け、堂々と部屋を出て行った。 残された晴明は、燃え尽きた呪符の灰を見つめ、扇子の裏で薄く笑った。
「……感情論か。愚かな」
晴明の声には、嘲りと、そして危険な好奇心が混ざっていた。
「ならば試させてもらおう。その『愛』とやらが、我々の組み上げた術式と、幾千の呪詛の前で、どれほど保つのかを」
彼は手元の鈴を鳴らした。 闇の奥から、無数の式神たちが這い出してくる。
「次の夜会……そこが、貴女方の断頭台だ」
迎賓館への帰り道、馬車の中で蒼月は清野を強く抱きしめていた。 先ほどの怒りは消え、今はただ、清野への愛しさで胸が一杯のようだった。
「よく言った、清野。……『世界よりも俺を選ぶ』か。お前にそう言われることが、神としてこれほど嬉しいとはな」
「……少し、言い過ぎてしまいました。あんなに偉い方に……」
清野が赤くなって俯くと、蒼月はその額に口づけを落とした。
「いいや、最高だった。あの時の晴明の顔、見せてやりたかったぞ。計算高い能面が、一瞬だけ歪んでいた」
蒼月は清野の手を取り、その指先に口づけた。
「だが、奴は諦めてはいないだろう。陰陽寮は、この国の闇そのものだ。必ず、次の手を使ってくる」
「はい。……でも、怖くありません」
清野は、髪の簪に触れた。
「蒼月さまがいてくださるなら、私はもう、誰の言葉にも惑わされません」
二人の絆は、敵の出現によってより強固なものとなった。 しかし、王都の闇は深く、二人が想像するよりも遥かに狡猾な罠が、華やかな夜会の裏で準備されようとしていた。
昨日の庭園での一件、土御門家の姫君・沙耶が龍神の怒りに触れて制裁を受けたという噂は、一夜にして貴族たちの間に広まっていたからだ。
遠巻きに見る視線には、昨日のような露骨な侮蔑はなく、腫れ物に触れるような恐怖と警戒心が混ざっていた。
「……静かだな。虫が減って清々しい」
蒼月は、朝の茶を啜りながら不敵に笑った。 清野はその隣で、昨夜彼が選んでくれた淡紅色の衣を身にまとい、少し緊張した面持ちで座っていた。髪には、あの青龍の簪が朝日を受けて輝いている。
「蒼月さま。沙耶様は、その後どうなられたのでしょうか……」
「知らん。生きてはいようが、二度と表舞台には出てこれまい。俺の神気にあてられたのだ、精神が崩壊していなければ良いがな」
蒼月は興味なさげに言い捨てた。彼にとって、清野を害そうとした者は、その時点で存在価値を失うのだ。
その時、広間の外から、衣擦れの音と共に低い声が響いた。
「――龍神・蒼月様。陰陽寮より使いに参りました」
入室を許可すると、現れたのは黒装束に身を包み、顔の半分を布で隠した長身の男だった。昨日の女官たちのような媚びへつらいはなく、機械のような無機質な気配を漂わせている。
「陰陽頭・土御門晴明様がお待ちです。陰陽寮本殿へ、ご足労願います」
「土御門……?」
清野の背筋が凍った。それは、昨日蒼月が制裁を下した沙耶の父親であり、この国の霊的守護を司る最高権力者の名だ。 娘を傷つけられた報復だろうか。それとも…
蒼月は、男を一瞥すると、楽しげに口角を上げた。
「昨日の娘の親父か。謝罪ではなく、頭を下げに来いということらしい。……いいだろう。この国の『守護者』がどれほどのものか、拝んでやろうではないか」
蒼月は立ち上がり、清野の手を引いた。
「行くぞ、清野。簪がある限り、如何なる呪術もお前には届かない。堂々としていろ」
「……はい」
清野は深く息を吸い込み、蒼月の手に自分の手を重ねた。
陰陽寮は、宮殿の敷地の北東、鬼門の方角に位置していた。 朱塗りの華やかな宮殿とは対照的に、そこは黒塗りの木材で組まれた、要塞のように厳めしい建物だった。
周囲には何重もの注連縄が張り巡らされ、空気そのものが重苦しい香の煙で白く濁っている。
「うっ……」
建物に足を踏み入れた瞬間、清野は胸が悪くなるような圧迫感を覚えた。 無数の視線を感じる。
しかし、それは人の目ではない。壁や柱に貼られた無数の呪符に宿る、監視のための式神の気配だ。
「気味が悪いか?」
蒼月が清野の肩を抱き寄せ、自身の清浄な霊気で包み込む。
「ここは欲望と執着の掃き溜めだ。人間が神の力を模倣し、制御しようとあがいた成れの果てだ」
最奥の間、祭壇が設けられた広間に通されると、そこには一人の男が座っていた。 豪奢な祭服を纏い、長い銀髪を一つに束ねた美丈夫。
年齢は不詳。若くも見えるし、老成しているようにも見える。 彼が、陰陽頭・土御門晴明だった。
「ようこそおいでくださいました、龍神様。そして……稀有なる『器』の娘よ」
晴明の声は、鈴の音のように美しかったが、温度が感じられなかった。 彼は立ち上がりもせず、ただ静かに二人を見据えていた。
「単刀直入に聞こう。昨日の娘の件で、俺に文句でもあるのか?」
蒼月が挑発的に問うと、晴明は眉一つ動かさずに答えた。
「いいえ。未熟な娘が神威を汚し、不敬を働いたとのこと。処罰は妥当であり、むしろ命があっただけ慈悲深いと感謝しております」
「……ほう」
「娘の怪我など、些末なこと。私が憂慮しているのは、もっと根源的な問題です」
晴明の視線が、蒼月を通り越し、清野の首筋にある青玉の痣に固定された。 その目は、人間を見る目ではなかった。実験動物や、あるいは処理すべき危険物を観察する目だ。
「清野殿、とおっしゃいましたか。貴女のその力……そして龍神様との結びつきは、世界の理にとって重大なバグだ」
「バグ…?」
清野が聞き慣れない言葉に戸惑うと、晴明は淡々と続けた。
「龍神の力はこの国の根幹を成すエネルギー。それを、たった一人の人間の情動が増幅させ、あるいは歪めるなど、あってはならない。貴女方が愛し合い、心が揺れ動くたびに、世界には見えない歪みが生じる。……それは『愛』などという美しいものではない。世界に対する猛毒です」
晴明は、懐から一枚の黒い呪符を取り出し、机の上に置いた。
「陰陽寮として、提案があります。清野殿の喉にある『青玉』の力を、我々の術式で封印させていただきたい。そして、貴女には今後、陰陽寮の管理下にある離宮で暮らしていただく」
「それは……」
清野の顔から血の気が引いた。 管理下と言えば聞こえはいいが、それはつまり、蒼月から引き離され、一生を監視付きの檻の中で過ごせという宣告だ。
「ふざけるなッ!!」
轟音と共に、部屋の床が爆ぜた。 蒼月が激昂し、全身から青白い雷を放っていた。
「俺の妻を檻に入れるだと?貴様、自分の命が惜しくないと見えるな!」
圧倒的な殺気。部屋中の呪符が一斉に燃え上がり、香炉が粉々に砕け散る。 しかし、晴明は顔色一つ変えず、懐から扇子を取り出して口元を隠しただけだった。
「感情的になられないでいただきたい。これは世界の均衡を守るための、最も合理的な判断です。彼女一人を犠牲にすれば、万の民が安寧を得られる。……かつて、彼女が『生贄』として選ばれた時と同じ理屈ですよ」
「貴様ッ……!」
蒼月が右手を振り上げ、晴明をその場から消滅させようとした瞬間。
「待ってください、蒼月さま!」
清野が、蒼月の腕に抱きついた。
「清野!?離せ!こいつは万死に値する!」
「いけません!ここで力を振るえば、それこそあの方の思う壺です!」
清野は必死に蒼月を止め、震える足で一歩前へ出た。 晴明の、氷のような瞳と向き合う。
怖い。足がすくむ。けれど、ここで引くわけにはいかなかった。 彼は今、自分たちの「愛」を「毒」だと言った。それだけは、認めるわけにはいかない。
「……土御門さま。あなたの仰る『理』や『正義』は、私には難しくて分かりません」
清野の声は震えていたが、その瞳には強い光が宿っていた。 髪に挿した簪が、彼女の心に応えるように熱を放つ。
「でも、一つだけ分かることがあります。私は、この『毒』だと言われた力で、夫を救いました」
清野は、自分の首の痣に手を当てた。
「あの日、世界が私たちを拒絶し、殺そうとした時……私を守ろうとして倒れた蒼月さまを、この力が癒やしました。もし、この力がなければ、私は最愛の人を失っていたでしょう」
晴明の目が、わずかに細められた。
「個人の幸福のために、世界のリスクを許容すると?」
「はい。そうです」
清野はきっぱりと言い切った。 かつて「生贄」として死ぬことを受け入れていた少女は、もうそこにはいなかった。
「誰かの犠牲の上に成り立つ安寧など、私は願いません。私が望むのは、夫が生きて、隣で笑ってくれる世界だけです。……そのためなら、私は『異物』と呼ばれても構いません。私は、龍神・蒼月の妻ですから」
その言葉は、静かな部屋に凛と響き渡った。 蒼月が、驚いたように目を見開き、そして愛おしそうに清野の肩を抱き寄せた。
「……聞いたか? 晴明。これが、俺たちの答えだ」
蒼月は、勝ち誇ったような、そして何よりも妻を誇る笑顔を浮かべた。
「俺の妻は、お前たちが考えるような弱い生贄ではない。俺と共に運命を背負う、誇り高き伴侶だ。……次に俺の妻に『封印』などという言葉を使えば、この国から陰陽術という概念ごと消し去ってやる」
蒼月は机の上の黒い呪符を、指先から放った青い炎で焼き尽くした。
「行くぞ、清野。ここには、俺たちが呼吸するに値する空気はない」
「はい、蒼月さま」
二人は背を向け、堂々と部屋を出て行った。 残された晴明は、燃え尽きた呪符の灰を見つめ、扇子の裏で薄く笑った。
「……感情論か。愚かな」
晴明の声には、嘲りと、そして危険な好奇心が混ざっていた。
「ならば試させてもらおう。その『愛』とやらが、我々の組み上げた術式と、幾千の呪詛の前で、どれほど保つのかを」
彼は手元の鈴を鳴らした。 闇の奥から、無数の式神たちが這い出してくる。
「次の夜会……そこが、貴女方の断頭台だ」
迎賓館への帰り道、馬車の中で蒼月は清野を強く抱きしめていた。 先ほどの怒りは消え、今はただ、清野への愛しさで胸が一杯のようだった。
「よく言った、清野。……『世界よりも俺を選ぶ』か。お前にそう言われることが、神としてこれほど嬉しいとはな」
「……少し、言い過ぎてしまいました。あんなに偉い方に……」
清野が赤くなって俯くと、蒼月はその額に口づけを落とした。
「いいや、最高だった。あの時の晴明の顔、見せてやりたかったぞ。計算高い能面が、一瞬だけ歪んでいた」
蒼月は清野の手を取り、その指先に口づけた。
「だが、奴は諦めてはいないだろう。陰陽寮は、この国の闇そのものだ。必ず、次の手を使ってくる」
「はい。……でも、怖くありません」
清野は、髪の簪に触れた。
「蒼月さまがいてくださるなら、私はもう、誰の言葉にも惑わされません」
二人の絆は、敵の出現によってより強固なものとなった。 しかし、王都の闇は深く、二人が想像するよりも遥かに狡猾な罠が、華やかな夜会の裏で準備されようとしていた。

