手先からの振動が、僕の脳を揺らす。
リズミカルな振動は、握ってるスマホから身体の上へと駆け上がり、僕はぼんやり目を開けた。
えっと…ここは…
どこだっけ?
あっ!!
昼休みが終わりのアラームだ。
やばい!5時間目が始まってしまう。
僕は、寝てる間に滑り落ちてしまったのであろう弁当袋を拾うと、よろよろと心許ない足元のまま、急いで教室へと向かった。
なんとか始業には間に合った。
息を整え、教科書とノートを机に並べた時、違和感を感じた。
あれ?
無い……
えっ?無い?
えっ!えっ?!なんで?
どこで?
さっき走ってて落としたとか?
いや、そもそも、図書室に…忘れて来たのか?!
うそ…どうしよ。
手を挙げて教室を抜ける勇気もないまま、僕の焦りとは別に、のんびりと古文のおばあちゃん先生の授業が進む。
僕の頭の中は、忘れてきたであろう物の事ばかりをぐるぐると考えていた…
いつもの3倍の長さに感じる授業を、やきもきしながら、終わりを待った。
終わりのベルと共に、ゆっくりと丁寧なお辞儀をするおばあちゃん先生、僕は腰を浮かしつつ、みんなが立ち上がるのと共にダッシュした。
廊下を、走ってはいけません。
そんな事は勿論知っているけど、焦る気持ちにどうしても小走りになった。
図書室への距離が縮まる毎に、どんどん心臓の音が大きくなる。
誰の目にも留まりませんように…心の中で祈り続け、僕は震える手で図書室の扉を開いた。
が、遅かった…
遠目に見えたのは、僕が寝こけていた場所に置き土産としてしまった数枚の紙の束。
それを手に取る誰か。
足は固まったように動かない。
僕のです!って声を張り上げる事も出来なくて。
しかも、どうやら…それを手に取ってるのは、学校中から羨望の眼差しを受ける有名なイケメン3人組の1人。
特にあまりの顔面国宝ぶりに、うちの高校の中だけでなく校外にもファンクラブまで設立されてるという彼、三年生の陽岡京先輩。
滅多に笑わないので、もし彼の笑顔を見たら、その日は必ず良い事がある…(笑顔を見た時点で良い事があった…って意味かもしれないが)そんな事を言われる程、笑顔は稀なんだろう。
そんなクールビューティーな彼を、数回見かけたが、心がどこか他所へ行っているというか…何故そう感じるのか分からないけど、つまらなさそうな顔をしていたのが僕の記憶。
モテても楽しいとは限らないのかな…
モテる事とは、かけ離れた僕には、そもそも理解できない。
学年の違う僕にさえ、彼の情報は入ってきていて、有名な小説家の息子だとか…?まぁ、確証の無い噂話ではあるけど。
セレブな感じの雰囲気が漂っている。
そして、今の僕は…終わった。
まさに、頭の上にはガーンという文字が上に乗ってる。
もう、ダメだ。
既に泣きそうになりながら、静かに紙を捲る彼をじっと見つめていると。
彼は、ふわりと笑ったのだ。
鼻で笑うとかでは無くて、はんなりと優しい笑みだった。
僕は目の錯覚かと思った。
あんなに笑わないと言われてるのに…
立ち尽くしたまま、美しい笑みだけが、脳裏に焼きつく。
そして、彼は自分のペンケースから少し大きめの青いポストイットとペンを取り出した。
俯き何かを書いているその顔は真剣な様子。
ペタッと貼り、そのままスタスタと…奥へ向かい、なんと、窓から出て行ってしまった。
一階にあるとはいえ、なんと大胆な。
入り口はこっちですよ?なんて心の中だけで突っ込んだけど。
そもそも今見た光景は、夢なのか?幻なのか?
僕は恐る恐る先ほど彼がいた場所に来た。
やはり、僕の忘れて行った紙の束には、青いポストイットが貼り付けられていた。
読んだって事?
しかも、ポストイットには、整った文字で[とても良かったので、続きが書けたら読ませて欲しい。]
と、綴ってあった。
僕は信じられない物を見た気がした。
まずは、あのクールビューティーが、僕の書いた物を読み、続きが読みたいなんて置き手紙に、笑顔の高額オプション追加。
実は…僕には、小さな頃からの夢があった。
誰にも話した事の無い、僕だけの夢。
児童文学の作家になりたい。
言葉にしてしまうと消えてしまいそうな程に、儚い夢だ。
小学生の頃、絵本を自作しては、父親に見せていた。
優しい父は、いつも大絶賛してくれるので、良い気になって、沢山描いた。
読書が好きで、中学に入ってからは、多種多様な本を読んだ。
それこそ、純文学から表現が艶めかしいものまで、世の中には、沢山の物語が溢れていることを知り、更に文学の世界へと深く入り込んだ。
そして最後に行き着いたのが児童文学。
特に海外の児童文学の冒険物や、何気ない日常の物語が好きだった。
子ども達に向けて難しく無い言葉を選び、読み手に伝えるという作家の職人技みたいなものに感嘆した。
読むだけでは飽き足らず、一度書き始めてしまうと、ハマってしまったというか…ストーリーを考えふけっている時が、物凄く幸せだったから。
陽岡先輩が手にしたモノ…は、まさに、僕の書きかけの物語。
しかも、主人公のオオカミのモデルは、陽岡先輩だった。
学校で見かけた彼が、僕のイメージする主人公のオオカミにピタリとハマったから。
ただそれだけの理由で…
まさか、そのご本人に読まれ、続きをせがまれる事になるなんて、1ミリの想像すらしてなくて。
最悪なのか最高なのか…
頭の中は、ずっとパニック状態だった。
元々あまり前に出る事が得意では無くて。
僕は幼稚園の頃に罹患したおたふく風邪による高熱が原因で、右側の耳がほとんど聴こえない。その出来事は、引っ込み思案に拍車をかけた。
片方は聴こえるので、そちらに頼るが、聴き取れない事もある。
そうすると、どうしても会話についていけず、言葉が引っ込んでしまう…
幼馴染みの友達は知ってるから、聴こえる方に話してくれるが、高校に入って、同じ中学出身者が少ない今、自ら片側が難聴です…とは言えず。
どうしても、返事の代わりに笑って、時が過ぎるのを待ってしまう。
補聴器を着けてた事もあるけど、あれは高額な値段の割に、調整も難しく、キーンと鳴るハウリング音が気になり、結局、高校入学と同時に外してしまった。
着けてた頃は、見た目で明らかだったが、外した今は、逆に周りに余計な気遣いをさせる事も無く、少しだけ心のゆとりが出来た。
僕の補聴器を見て、一瞬驚いた顔の後、俯き、その後には、耳の方をなるべく見ないようにする…これが、デフォルトの反応。
聴こえない不便も多いけど、そういうのを見なくて済むようになったのは、単純に気が楽になった。
気を遣って欲しいわけでも、同情して欲しいわけでも無くて。
みんなもそれぞれの個性があるように、右耳が聴こえ無いのも、僕の個性だと思ってもらいたかっただけ。
自己主張は出来ないけど…自分の中だけの意地みたいなもの。
そんな僕は、物語を書くときだけは、解放される。
音が聴こえない事は、文章を綴る事とは、一切関係が無い。自分から出てくる言葉を表現することは、僕なりの自己主張だと思う。
ただし、リアル読者は、父のみ。
公募に出す勇気は無くて、夢といいつつ、現実を知ってしまうのは怖くて。
図書室は、僕にとって、とても執筆の捗る場所だった。
沢山の本に囲まれてると、整然と並んだ1冊1冊からエネルギーを貰える気がして。
今日は、春の光につい、うとうととしてしまって…
寝たのが不味かった。
それにしても…
陽岡先輩は、何故、こんなシロウトの物語なんて読んで、わざわざコメントを残してくれたのだろう。
揶揄われたのかな…とも思ったけど、それなら、あんな優しい顔だったのも分からないし、そもそも、バカにするつもりなら、見せ物として、掲示板にでも張り出すだろう…
丁寧な文字からは、誠実さを感じた。
僕は、騙されても良いから…
2人目の読者に感想を聞きたかった。
怖さよりも、聞きたい誘惑が勝ったみたいで。
ダメ元で、次の日の放課後…
彼を待ってみる事にした。
ーーーーーーーーー
僕は6時間目の授業が終わると、先生から頼まれていたプリントの回収をし、職員室まで持っていく。
早く行かなくては…と、焦る気持ちのまま、図書室へと向かった。
扉をそっと開けると、静かな室内には、誰も居なかった。
約束をしていた訳では無いから、当然かとも思いつつ、しっかりとがっかりした自分。
とりあえず、昨日と同じ席に座った。
ふと目を上げると、本棚と本棚の間には、陽岡先輩が居た。
手には開いた本を持ったまま、こちらに視線を向けていて、バチリと目が合った。
えっ?はっ?と思っていると、彼はこちらに向かってきて
「昨日の忘れ物…書いたのは.君?」
「えっ、あっ、は…はっ、はい」
しどろもどろになる僕に、彼は柔らかく微笑んでくれた。
笑わないなんて言ったの誰?こんなにも簡単に笑顔を、くれるじゃないか。
「約束はしてないから来てくれるか半信半疑だったけど、来てくれてありがとう。あと、勝手に読んでごめんな。でも、言葉の選び方が凄く良くて、続きがどうしても気になってね…」
聞き逃してはイケナイと、全神経を片方の耳に集結させた。
助かったのは、図書室の静寂。
「あ、あの…僕、父以外には、読んでもらったこと無くて…」
「こんなに…良いのに?」
「自信が無くて…見せれなくて」
「じゃ、俺が初めての一般読者かぁ」
うんうんと嬉しそうにしてる彼をポカンと見る。今までのイメージと違う彼の反応に戸惑ってしまう。
「あの…ほんとに…続き読んで下さるんですか?」
「むしろ、良いの?」
「いやっ、恥ずかしい気持ちもあるんですが!読んで頂けるなら…大変恐縮ですが、とても有難いです!」
「硬いなぁ…」
クスクスと笑われる。
その美麗な笑い方に、心臓はバクバクした。
「あの、でも…どこで、お見せしたら…」
「あ、待って、とりあえず、連絡先交換しよ」
「えっ?!大丈夫ですか?万が一、僕が怪しい輩だったら、どうされるのですか?!」
「怪しい輩なの?」
更に笑われる。
「そんな事はないですけど…」
「自分の心配より、人の心配する所。この文章読んだ時に、大丈夫だと感じたから」
トントンと指先で僕の紙の束を叩く。
スマホを取り出すと、メッセージアプリで連絡先の交換をした。
「へぇ〜アイコンは猫なの?」
「うちの猫さんなんです」
「先輩のは…お団子?ですか?」
オシャレなアイコンを思い描いていたら、凄いギャップなのが来て、笑いを堪える。
「笑うなよ、和菓子が好きなんだ」
僕の数少ない連絡先リストに、校内の人気者の連絡先が入っている事に現実味が無かった。
ぼんやりスマホを見つめていると
「どうかした?」
問いかけられ
「いや、なんていいますか、有名人の先輩の連絡先がここにあるのが現実味無くてですね…」
「なにそれ、怖がられてるわけ?」
「めっそうもございません!光栄の極みで」
「なんで、そんなに硬いんだよ(笑)友達にもそうなの?」
「いや、友達にはタメ口です。そもそも、父が僕に対して敬語でして…敬語が落ち着くんですけど」
「お母さんも?」
「いえ、母は…あの、居なくて。幼い頃に病気で…」
「そっか、片親なのは、うちと一緒だな。ま、うちは離婚で、現状の生活は母と一緒だけど」
「そんなプライベートな情報、簡単に会ったばかりの人間に教えてはなりませんよ!先輩!」
「面白いなぁ〜君は…って言うのも変だな、名前は?」
「あっ、筒井成海です。一年B組です」
「成海か…良い名前だな」
普通なら、いきなりの呼び捨てに嫌な感じがするかもしれないのに、親しみを込められててる雰囲気に、むしろ、自分の名前が特別なものに聴こえてくる。
「ありがとうございます」
僕は90度のお辞儀をした。
「じゃ、成海。また、連絡するからね」
陽岡先輩は、春の爽やかな風を纏ったみたいに、さらりと去って行った。
僕は、先輩が行ってしまった後も、ふわふわとした気持ちでその場に佇んでいた。
リズミカルな振動は、握ってるスマホから身体の上へと駆け上がり、僕はぼんやり目を開けた。
えっと…ここは…
どこだっけ?
あっ!!
昼休みが終わりのアラームだ。
やばい!5時間目が始まってしまう。
僕は、寝てる間に滑り落ちてしまったのであろう弁当袋を拾うと、よろよろと心許ない足元のまま、急いで教室へと向かった。
なんとか始業には間に合った。
息を整え、教科書とノートを机に並べた時、違和感を感じた。
あれ?
無い……
えっ?無い?
えっ!えっ?!なんで?
どこで?
さっき走ってて落としたとか?
いや、そもそも、図書室に…忘れて来たのか?!
うそ…どうしよ。
手を挙げて教室を抜ける勇気もないまま、僕の焦りとは別に、のんびりと古文のおばあちゃん先生の授業が進む。
僕の頭の中は、忘れてきたであろう物の事ばかりをぐるぐると考えていた…
いつもの3倍の長さに感じる授業を、やきもきしながら、終わりを待った。
終わりのベルと共に、ゆっくりと丁寧なお辞儀をするおばあちゃん先生、僕は腰を浮かしつつ、みんなが立ち上がるのと共にダッシュした。
廊下を、走ってはいけません。
そんな事は勿論知っているけど、焦る気持ちにどうしても小走りになった。
図書室への距離が縮まる毎に、どんどん心臓の音が大きくなる。
誰の目にも留まりませんように…心の中で祈り続け、僕は震える手で図書室の扉を開いた。
が、遅かった…
遠目に見えたのは、僕が寝こけていた場所に置き土産としてしまった数枚の紙の束。
それを手に取る誰か。
足は固まったように動かない。
僕のです!って声を張り上げる事も出来なくて。
しかも、どうやら…それを手に取ってるのは、学校中から羨望の眼差しを受ける有名なイケメン3人組の1人。
特にあまりの顔面国宝ぶりに、うちの高校の中だけでなく校外にもファンクラブまで設立されてるという彼、三年生の陽岡京先輩。
滅多に笑わないので、もし彼の笑顔を見たら、その日は必ず良い事がある…(笑顔を見た時点で良い事があった…って意味かもしれないが)そんな事を言われる程、笑顔は稀なんだろう。
そんなクールビューティーな彼を、数回見かけたが、心がどこか他所へ行っているというか…何故そう感じるのか分からないけど、つまらなさそうな顔をしていたのが僕の記憶。
モテても楽しいとは限らないのかな…
モテる事とは、かけ離れた僕には、そもそも理解できない。
学年の違う僕にさえ、彼の情報は入ってきていて、有名な小説家の息子だとか…?まぁ、確証の無い噂話ではあるけど。
セレブな感じの雰囲気が漂っている。
そして、今の僕は…終わった。
まさに、頭の上にはガーンという文字が上に乗ってる。
もう、ダメだ。
既に泣きそうになりながら、静かに紙を捲る彼をじっと見つめていると。
彼は、ふわりと笑ったのだ。
鼻で笑うとかでは無くて、はんなりと優しい笑みだった。
僕は目の錯覚かと思った。
あんなに笑わないと言われてるのに…
立ち尽くしたまま、美しい笑みだけが、脳裏に焼きつく。
そして、彼は自分のペンケースから少し大きめの青いポストイットとペンを取り出した。
俯き何かを書いているその顔は真剣な様子。
ペタッと貼り、そのままスタスタと…奥へ向かい、なんと、窓から出て行ってしまった。
一階にあるとはいえ、なんと大胆な。
入り口はこっちですよ?なんて心の中だけで突っ込んだけど。
そもそも今見た光景は、夢なのか?幻なのか?
僕は恐る恐る先ほど彼がいた場所に来た。
やはり、僕の忘れて行った紙の束には、青いポストイットが貼り付けられていた。
読んだって事?
しかも、ポストイットには、整った文字で[とても良かったので、続きが書けたら読ませて欲しい。]
と、綴ってあった。
僕は信じられない物を見た気がした。
まずは、あのクールビューティーが、僕の書いた物を読み、続きが読みたいなんて置き手紙に、笑顔の高額オプション追加。
実は…僕には、小さな頃からの夢があった。
誰にも話した事の無い、僕だけの夢。
児童文学の作家になりたい。
言葉にしてしまうと消えてしまいそうな程に、儚い夢だ。
小学生の頃、絵本を自作しては、父親に見せていた。
優しい父は、いつも大絶賛してくれるので、良い気になって、沢山描いた。
読書が好きで、中学に入ってからは、多種多様な本を読んだ。
それこそ、純文学から表現が艶めかしいものまで、世の中には、沢山の物語が溢れていることを知り、更に文学の世界へと深く入り込んだ。
そして最後に行き着いたのが児童文学。
特に海外の児童文学の冒険物や、何気ない日常の物語が好きだった。
子ども達に向けて難しく無い言葉を選び、読み手に伝えるという作家の職人技みたいなものに感嘆した。
読むだけでは飽き足らず、一度書き始めてしまうと、ハマってしまったというか…ストーリーを考えふけっている時が、物凄く幸せだったから。
陽岡先輩が手にしたモノ…は、まさに、僕の書きかけの物語。
しかも、主人公のオオカミのモデルは、陽岡先輩だった。
学校で見かけた彼が、僕のイメージする主人公のオオカミにピタリとハマったから。
ただそれだけの理由で…
まさか、そのご本人に読まれ、続きをせがまれる事になるなんて、1ミリの想像すらしてなくて。
最悪なのか最高なのか…
頭の中は、ずっとパニック状態だった。
元々あまり前に出る事が得意では無くて。
僕は幼稚園の頃に罹患したおたふく風邪による高熱が原因で、右側の耳がほとんど聴こえない。その出来事は、引っ込み思案に拍車をかけた。
片方は聴こえるので、そちらに頼るが、聴き取れない事もある。
そうすると、どうしても会話についていけず、言葉が引っ込んでしまう…
幼馴染みの友達は知ってるから、聴こえる方に話してくれるが、高校に入って、同じ中学出身者が少ない今、自ら片側が難聴です…とは言えず。
どうしても、返事の代わりに笑って、時が過ぎるのを待ってしまう。
補聴器を着けてた事もあるけど、あれは高額な値段の割に、調整も難しく、キーンと鳴るハウリング音が気になり、結局、高校入学と同時に外してしまった。
着けてた頃は、見た目で明らかだったが、外した今は、逆に周りに余計な気遣いをさせる事も無く、少しだけ心のゆとりが出来た。
僕の補聴器を見て、一瞬驚いた顔の後、俯き、その後には、耳の方をなるべく見ないようにする…これが、デフォルトの反応。
聴こえない不便も多いけど、そういうのを見なくて済むようになったのは、単純に気が楽になった。
気を遣って欲しいわけでも、同情して欲しいわけでも無くて。
みんなもそれぞれの個性があるように、右耳が聴こえ無いのも、僕の個性だと思ってもらいたかっただけ。
自己主張は出来ないけど…自分の中だけの意地みたいなもの。
そんな僕は、物語を書くときだけは、解放される。
音が聴こえない事は、文章を綴る事とは、一切関係が無い。自分から出てくる言葉を表現することは、僕なりの自己主張だと思う。
ただし、リアル読者は、父のみ。
公募に出す勇気は無くて、夢といいつつ、現実を知ってしまうのは怖くて。
図書室は、僕にとって、とても執筆の捗る場所だった。
沢山の本に囲まれてると、整然と並んだ1冊1冊からエネルギーを貰える気がして。
今日は、春の光につい、うとうととしてしまって…
寝たのが不味かった。
それにしても…
陽岡先輩は、何故、こんなシロウトの物語なんて読んで、わざわざコメントを残してくれたのだろう。
揶揄われたのかな…とも思ったけど、それなら、あんな優しい顔だったのも分からないし、そもそも、バカにするつもりなら、見せ物として、掲示板にでも張り出すだろう…
丁寧な文字からは、誠実さを感じた。
僕は、騙されても良いから…
2人目の読者に感想を聞きたかった。
怖さよりも、聞きたい誘惑が勝ったみたいで。
ダメ元で、次の日の放課後…
彼を待ってみる事にした。
ーーーーーーーーー
僕は6時間目の授業が終わると、先生から頼まれていたプリントの回収をし、職員室まで持っていく。
早く行かなくては…と、焦る気持ちのまま、図書室へと向かった。
扉をそっと開けると、静かな室内には、誰も居なかった。
約束をしていた訳では無いから、当然かとも思いつつ、しっかりとがっかりした自分。
とりあえず、昨日と同じ席に座った。
ふと目を上げると、本棚と本棚の間には、陽岡先輩が居た。
手には開いた本を持ったまま、こちらに視線を向けていて、バチリと目が合った。
えっ?はっ?と思っていると、彼はこちらに向かってきて
「昨日の忘れ物…書いたのは.君?」
「えっ、あっ、は…はっ、はい」
しどろもどろになる僕に、彼は柔らかく微笑んでくれた。
笑わないなんて言ったの誰?こんなにも簡単に笑顔を、くれるじゃないか。
「約束はしてないから来てくれるか半信半疑だったけど、来てくれてありがとう。あと、勝手に読んでごめんな。でも、言葉の選び方が凄く良くて、続きがどうしても気になってね…」
聞き逃してはイケナイと、全神経を片方の耳に集結させた。
助かったのは、図書室の静寂。
「あ、あの…僕、父以外には、読んでもらったこと無くて…」
「こんなに…良いのに?」
「自信が無くて…見せれなくて」
「じゃ、俺が初めての一般読者かぁ」
うんうんと嬉しそうにしてる彼をポカンと見る。今までのイメージと違う彼の反応に戸惑ってしまう。
「あの…ほんとに…続き読んで下さるんですか?」
「むしろ、良いの?」
「いやっ、恥ずかしい気持ちもあるんですが!読んで頂けるなら…大変恐縮ですが、とても有難いです!」
「硬いなぁ…」
クスクスと笑われる。
その美麗な笑い方に、心臓はバクバクした。
「あの、でも…どこで、お見せしたら…」
「あ、待って、とりあえず、連絡先交換しよ」
「えっ?!大丈夫ですか?万が一、僕が怪しい輩だったら、どうされるのですか?!」
「怪しい輩なの?」
更に笑われる。
「そんな事はないですけど…」
「自分の心配より、人の心配する所。この文章読んだ時に、大丈夫だと感じたから」
トントンと指先で僕の紙の束を叩く。
スマホを取り出すと、メッセージアプリで連絡先の交換をした。
「へぇ〜アイコンは猫なの?」
「うちの猫さんなんです」
「先輩のは…お団子?ですか?」
オシャレなアイコンを思い描いていたら、凄いギャップなのが来て、笑いを堪える。
「笑うなよ、和菓子が好きなんだ」
僕の数少ない連絡先リストに、校内の人気者の連絡先が入っている事に現実味が無かった。
ぼんやりスマホを見つめていると
「どうかした?」
問いかけられ
「いや、なんていいますか、有名人の先輩の連絡先がここにあるのが現実味無くてですね…」
「なにそれ、怖がられてるわけ?」
「めっそうもございません!光栄の極みで」
「なんで、そんなに硬いんだよ(笑)友達にもそうなの?」
「いや、友達にはタメ口です。そもそも、父が僕に対して敬語でして…敬語が落ち着くんですけど」
「お母さんも?」
「いえ、母は…あの、居なくて。幼い頃に病気で…」
「そっか、片親なのは、うちと一緒だな。ま、うちは離婚で、現状の生活は母と一緒だけど」
「そんなプライベートな情報、簡単に会ったばかりの人間に教えてはなりませんよ!先輩!」
「面白いなぁ〜君は…って言うのも変だな、名前は?」
「あっ、筒井成海です。一年B組です」
「成海か…良い名前だな」
普通なら、いきなりの呼び捨てに嫌な感じがするかもしれないのに、親しみを込められててる雰囲気に、むしろ、自分の名前が特別なものに聴こえてくる。
「ありがとうございます」
僕は90度のお辞儀をした。
「じゃ、成海。また、連絡するからね」
陽岡先輩は、春の爽やかな風を纏ったみたいに、さらりと去って行った。
僕は、先輩が行ってしまった後も、ふわふわとした気持ちでその場に佇んでいた。
