俺にだけ可愛い幼馴染みの本性は、甘くて重い

 放課後、俺は一人で校舎裏へ向かっていた。

 聖が教室で待ってるって言ったから、カバンは置いてきた。

 伊藤と神尾も待とうとしてたけど、姫村に無理矢理引き摺られて帰っていったっけ。

『人の恋路は、って言うでしょー。あと、ひじりんがいたら大丈夫かなって』

 その言葉を聞いた時、俺は『ナイス、姫村!』って心の中でガッツポーズした。

 でも俺がつい『そんな面白いもんじゃないからな』って小声で言ったら、二人に聞こえてしまったようだ。

『どうせクールで売ってるお前にはわからんだろ、俺らの気持ちなんか!』

加宮(かみや)もにこにこして、心ん中じゃ俺らのこと馬鹿にしてるだろ、多分!』

 伊藤はいつも通りか、それ以上にうるさいけどほぼ通常運転で、でもまさかの神尾が涙目になってちょっと怒ってた。

 朝は半分くらい寝てたから、皆が何を話してたか正直なところはっきりしない。

 けど聖が手紙を読んでくれた時、神尾はあんまり興味無いと思ってたのに。

 がっつり気にしてるじゃないか、って突っ込むのをすんでのところで耐えた俺は偉いと思う。

 ……なぜか俺ら以外に友達いないもんな、神尾は。

 あれで中々面倒見がよくて俺達のムードメーカーで、普通なら友達も多いはずなのにな。

「……見に来なくて正解だろ、こんな奴のために」

 葉っぱがさわさわと擦れる音に(まぎ)れて、俺はぼそりと呟いた。

 この後何があるのか、わざわざ後輩の顔を見なくても分かる。

 改めて告白されてOKしたら、しばらくして別れを切り出されるんだから。

 今までがそうだったから、改めて一人になるとちょっとした人間不信になってる気がする。

 ここに聖が居てくれたら楽になるんだろうな。

 まぁ、今から告白されに行くから無理なんだけど。

 関係ない奴が俺の隣りに居たら、後輩の女の子も思ってることを話せないだろうし。

 でも正直、今回ばかりは後輩っていうのはもちろん、相手のことをよく知らない。

 その子には悪いけど、お断りするのが無難だって思ってたりする。

「長続きしないもんな、俺は」

 くすりと自嘲じみた笑いが漏れる。

 本音を言えば人並みの恋愛をしたいだけなのに、いつも上手くいかない。

 今度こそ、って思っても、最終的には俺の側を離れていくから。

 傷付くのも泣きたくなるのも、俺が恋愛下手でネガティブ思考だからかもな。

 今も不安と期待が俺の心に同居していて、緊張から心臓が痛いほど跳ねてる。

 小学校や中学校の時も何回か告られてきてるのに、今更緊張してるとかダサすぎるだろ。

「……あ」

 そうしているうちに、校舎裏に着いたみたいだった。

 数十メートル先には一人の女子生徒が居たけど、まだ背中しか見えない。

「ごめん、待たせて」

 十メートルくらい離れたところで、そっと呼び掛けた。

 すると俺の声に気付いたその子は、がばりとこちらを振り返った。

「っいえ……! わたしもさっき着いたところなので!」

 裏返った声が出たのが恥ずかしかったのか、すぐさま口元に手をあてて続ける。

「やだ、ごめんなさい。ほんと、来てくれるって思って、なくて」

 ぽそぽそと呟く女の子は、首筋辺りで切り揃えた黒髪を指先に絡ませる。

「ドタキャンするのは悪いし、ちゃんと来るよ」

 お決まりの言葉を言っているだけなのに、あまりに顔を真っ赤にして言ってくるから小さく笑ってしまう。

 ああ、本当にこの子は俺のことが好きなんだな。

 なんだかその事実がこそばゆくて、先程まで考えていたことが頭から抜けそうになる。

 でも顔を見ても誰か分からないのははっきりしてて、こうして話しているだけで申し訳なくなってくる。

 それでも一歩一歩距離を詰めて、女の子から二メートルくらいのところで立ち止まった。

 近くで見ると本当に小さくて、俺とは頭一つ分以上身長差があるっぽい。

 抱き締めでもしたらすっぽり隠れるだろうな、なんて思っていると、女の子が胸の前でぎゅうと両手を握り締めるのが見えた。

「……あの、宇月先輩」

 目元を真っ赤にして、後輩の女の子が俺の名前を呼ぶ。

 間近で見ると顔が小さくて、当たり前だけど手も小さい。

 それに目が大きくて人形みたいだ、って小学生みたいな感想が浮かんでは消えた。

「わたしのこと意識してほしくて、あんな手紙書いちゃったんですけど……迷惑、でしたよね」

 ごめんなさい、と女の子が頭を下げる。

 声が震えていて、顔を見なくても泣いてるんだと分かった。

「そうだな。気持ちは嬉しいけど付き合えない」

「っ」

 思ったよりも厳しい口調になってしまったけど、彼女の言葉と同じことを考えたのは否めない。

 多分だけど一目惚れ、だよな。

「で、ですよね。わかって、ました。ごめんなさい、わざわざ……ここまで……きて、もらって」

 見る間に大粒の涙をいくつも流す女の子に、なんと言葉を掛けたらいいのか分からない。

 今言ったことは本音で、でも俺の言葉で泣かせてしまうのは後味が悪くて、何より可哀想だった。

 こう考えるところが、聖や他の奴らに『お人好し』って言われるんだろうな。

 俺は思ったことのすべてを唇に乗せるように、まっすぐに後輩の目を見て続けた。

「名前もそうだけどどんな人か、俺は知らないから。だから今すぐ付き合うのは違うって思ったんだ」

「え、っ……」

 俺の言葉に女の子は大きな目を見開くと、涙に濡れた瞳で俺を見上げてくる。

 庇護欲をそそるような仕草は、健全な男子だったらすぐに今言った言葉を変えるかもな。

 でも、俺は違う。

「友達からでも良ければ、君のことを教えてくれると嬉しい」

「おとも、だち……?」

 ぱちぱちと何度も瞬きを繰り返して、何度も『友達』と口の中で反芻(はんすう)するのが校舎裏に響く。

「お友達からでも、いいのなら……なりたいです!」

 やがて女の子は嬉しいとも悲しいともつかない、複雑な表情を浮かべた。

 けれどそれも一瞬で、こくりと大きく頷くと泣き笑いした顔を俺に向ける。

 ……よかった、笑ってくれて。

「えっと、何かSNS交換しようか。IDとか分かる?」

 心の中でひっそりと胸を撫で下ろしながら、俺はスマホを取り出す。

「インスタかラインか……鳥のやつは見る専だけど」

「あ、はい! ……これです」

 女の子は慌ててスマホを操作すると、俺の方に画面を向けてくる。

 綾川(あやかわ)って苗字の横に猫の絵文字が付いていて、名前はない。

 でも綾川が本名なのかな、鍵が付いてるから投稿は見れないけど。

 手早くインスタのIDを検索して、フォローボタンを押した。

「うん、でき……」

 出来た、って言おうとしていると、はたと綾川さんの肩に白い粉が付いているのが視界に入る。

「……ちょっとごめん」

「え」

 短く一言断ると、俺はそっと身体を(かが)める。

「あ、あの……?」

 それでもいきなり近付いてしまったから、綾川さんはちょっと震えていた。

 まぁ当たり前か、四十センチくらい身長差があれば誰だって驚くだろう。

 ぽんぽんと彼女の肩を叩くように払いながら、努めて落ち着いた声で言う。

「肩、白くなってたから。……ごめんな、驚かせて」

「あ……いえ。ありがとう、ござい……ます」

 綾川さんは小さな声で礼を言うと、それきり黙り込む。

「よし、これくらいか。……今日って日直だった?」

 あらかた白いチョークを払い終わると、俺は安心させるように淡く微笑んだ。

 よく聖も肩や背中に粉を付けて、『蓮ちゃん払ってー』って言いに来るんだよな。

 その様子と今の綾川さんがちょっと重なって、無意識に口角が上がってしまう。

「そう、ですね。ごめんなさい、恥ずかしいところ見せて」

「いや、俺もたまにやるし──」

 頭を下げて謝ろうとする綾川さんを止めようとしてると、不意にがさりと音がした。

「っ」

 綾川さんとほとんど同時に、音のした方に顔を向ける。

「……いな、い?」

 しかし視線の先には何もなくて、また音の出どころは分からない。

「ハトとか、ですかね。学校を出たらたまに見るので……」

 綾川さんが顎に手をあてて、ぽつりと呟く。

「ああ、なるほど」

 そういえば時々、昼になったらスズメとかハトが『いつもの場所』に来るんだった。

 鳥って羽ばたく時あんなに音立てるんだっけ、よく知らないけど。

「人を待たせてるから、もう戻ろうか」

 早く戻らないと聖がうるさいし。

 俺が(きびす)を返しながら言うと、綾川さんが目の前に回り込んできた。

「し、志織(しおり)って呼んでください!」

 唐突な言葉もだけど告白する前よりも顔が真っ赤で、俺はぱちぱちと瞬きを繰り返す。

 でもせっかく友達なのに苗字呼びも失礼だよな、しかも女の子相手に。

「志織な。俺のことも名前で呼んでいいから」

 にこりと淡く微笑むと、今度は志織が不思議そうにする番だった。

「いい、んですか……?」

 それでも信じられないのか、顔を赤くしたまま上目遣いで尋ねてくる。

「うん」

 俺がもう一度頷くと、志織はやや顔を俯けてぽそぽそと唇を動かした。

「えっと……蓮弥、センパイ」

「なんでカタコトなんだ」

 ふふ、と図らずも笑ってしまう。

「だ、だって……! 振られると思ってたのに、お友達になってくれるから。どうしたらいいかわかんないんです……!」

 半ば絶叫する志織の声が、校舎裏に響いた。