無事に自販機でお目当てのカフェラテを買うと、校舎を出る。
すると、さわさわと柔らかい風が吹いて、俺の背中や頬を太陽が優しく照らすのを感じた。
五月病って言葉があるくらい五月って憂鬱で、でもその分まだ暖かくて過ごしやすい。
雨の匂いや音を感じるのは好きだけど、昔から夏だけは少し苦手だった。
あ、夏っていえば小学校低学年くらいの頃だったか、聖に付き合って公園で遊んでたんだよな。
暑くてたまらない中、我慢して外にいたら軽い熱中症になって……聖は倒れた俺を見て、自分の方が辛そうな顔してたっけ。
幸いというのか、日陰で水分を摂って少し休んだら治った。
でもその間、聖は涙や鼻水で顔をぐちゃぐちゃにして、何度も『蓮ちゃん死なないで』って言ってたな。
小さい子にとって仲のいい友達を失うのが、どんなに怖いことなのか分からなくもない。
まぁ『休憩しよう』って一言でも言わなかった俺が悪いんであって、あの頃の聖には責任の『せ』の字も無いと未だに思う。
ただ、そこから聖の過保護さに拍車が掛かっていったのは事実だった。
ことある毎に世話を焼いてくるのはもちろんだけど、たまに甘えてくるのは可愛い。
学校がない休みの日は、二人で出掛けたりする。
行く先はほとんど近場だからか時々同級生に会って、高確率で『仲いいな』なんて苦笑いされるまでがお約束だ。
「……幼馴染みや友達って、こんなんじゃないのか」
頭に浮かんだ疑問を、ぽそりと口の中で呟く。
俺達は普通に接しているけど、他の友達を見てると適度な距離感があるんだよな。
いや、俺に対する聖の距離感がバグりまくってるせいか。
同時に脳裏に満面の笑みを浮かべた聖が出てきて、小さく苦笑する。
そういえば、あいつが怒ったところってあんまり見たことないかも。
怒ったとしても可愛らしくて、小さい子と話してる時みたいな口調になってしまうから、場合によっちゃ更に怒られたりもした。
でもすぐに仲直りしていつもの聖に戻るから、ちょっと甘えてるところはあるんだよな、やっぱり。
そうしてのんびり物思いに耽りながら歩いていると、『いつものところ』に着くのはすぐだった。
大きな木が目印のそこは、校舎から丁度裏手にある。
二人掛けのベンチには、青々とした葉っぱがいくつか落ちていた。
「あれ」
どうやら聖はまだ来てないようで、ほんの少しだけ胸を撫で下ろす。
ひとまずベンチに座ってから、二人分の昼食を一応俺の方に寄せておく。
たまにベンチに何が置いてあるかすら見ないで腰掛ける時があるから、念のためだ。
ちょっとそそかっかしいんだか抜けてるんだか、本当に世話を焼いてるのはどっちだって話だよな。
「ふぅ……」
そっと目を閉じて、しばらく木の葉のざわめきに耳を傾ける。
葉が擦れる音に混じってかすかに声が聞こえてくるけど、何を言ってるのかは分からない。
聖を待っているこの時間は、スマホを見る以外にはやる事がなくて退屈だ。
この場所に誰もいないのをいいことに、俺はその場で背伸びをしたり、ゆらゆらと身体を揺らしたりする。
正直なところ一人でいる方が楽だけど、隣りに聖がいる方がもっと落ち着く節がある。
たまにうるさく思う時はあっても、あのうるささが心地良いと思う時も少なからずあるから。
「蓮ちゃーん、おまたせ〜っ」
不意にのんびりとした声が聞こえてきて、俺はうっすらと瞼を開くと、声のした方へ顔を向けた。
聖がぶんぶんと手を振って、こちらに小走りで向かってくるのが目に入る。
「待った?」
俺の目の前で立ち止まると、軽く息を切らしていた。
急いで来なくてもいいのにと思う反面、そんなに時間が経ってたっけ。
「いや、さっき着いたとこ」
俺はポケットからスマホを取り出すと、画面を見ながら小さく言った。
時刻は十二時四十二分を表示していて、まだ昼休みが終わるまで三十分近くある。
よかった、これならゆっくり弁当を食べられそうだ。
「入れ違いだったかぁ」
残念、と聖が屈託なく笑って、肘掛けを挟んで隣りに座る。
「わ、買ってきてくれたの?」
サンドイッチの隣りに置いておいたカフェラテを手に取ると、聖が花開かんばかりの笑顔で聞いてくる。
「まぁ。お茶だと味気ないだろ」
いつも似たようなの飲んでるよな、聖さん?
そんな、宝物でも見つけたみたいな顔して……子供みたいで可愛いな本当。
「ありがと、蓮ちゃんもいる?」
言いながらプルタブを開けて、俺の方に差し出してくる。
「俺が飲んじゃ駄目だろ、聖に買ってきたのに」
やや呆れ気味に言うと、お茶と弁当を聖に見えるように自分の顔の前に持ってくる。
「……お互い交換してもいいならいいけど」
だから俺の言葉で悲しそうな顔をするのはやめろ、良心が痛む。
「──や、やっぱいいや。蓮ちゃん、絶対にこれだけじゃ足りないでしょ。僕はサンドイッチだけだし」
なんだろう、聖が一瞬だけ言い淀んだような。
けれど俺が聞き間違えた可能性もある。
そんなことをぼんやり考えている間に、聖が明るい口調で続ける。
「でもいいなぁ、僕もお弁当作ろうかな。その分朝早く起きないとだからなぁ」
どうしよっかなー、って言いながら、聖がベンチの背もたれに身体を深く預ける。
おい、最悪頭から落ちるからやめろ。
「あー……いつも早いんだっけ、髪のセットするから」
聖の頭が落ちないように、少し下の方に手を差し出しながら言う。
「そうそう、五時起き! 母さんは夜勤終わりで寝てるから、あんまり無理させられないしさぁ」
足をぶらぶらさせたかと思えば、がばりと起き上がる。
「あ、そうだ!」
「っ!」
聖の顔がいきなり目の前に迫って、俺は小さく声を漏らした。
イケメンの顔が近付いてきたらちょっとびっくりするからやめなさい、それは。
「告白、断ってきたよ」
ビリ、とサンドイッチの封を開けながら、聖がなんでもない事のように言う。
世間話の延長みたいに言うから、俺は一瞬だけ思考が停止した。
毎度思うけど、話を切り替えるの早いな。
でもなんて言われたのか言ってこない辺り、それほど印象に残ってないんだろう。
あの女の子、泣いてないといいけど。あと聖が夜道で刺されなければいいけど。
「そうか」
少し物騒な事が脳裏に浮かぶも短く相槌を打つと、俺も昼食を食べようと弁当を開ける。
白米の上にはおかかのふりかけ、それ以外は昨日の残り物がほとんどだ。
でも卵焼きは朝からちゃんと作ってくれるんだよな、ちょっと甘いやつ。
「ん、そー。……隙ありっ!」
「あ、こら」
すると鋭い声が聞こえてきて、視界の端から聖の指が伸びてきた。
四つある卵焼きのうちの一つをつままれ、俺が止める間もなく聖の口に消えていく。
「……お前なぁ。行儀悪いぞ」
はぁ、と呆れともつかない溜め息を吐き、わざと眉間に皺を寄せて怒った顔をする。
「えー、一個くらいいいじゃん。手は綺麗に洗ったし」
「そういう問題じゃない」
「蓮ちゃんのケチ」
べぇ、と聖が軽く舌を出す。いや子供か。
「ケチじゃない」
俺も俺で今度はちょっとむきになって、ぷいとそっぽを向いた。
こんな態度を取る俺も子供っぽいな、って自嘲じみた笑いが出そうになる。
「ほんと、昔っから頑固だなぁ」
のんびりした柔らかい声が聞こえてきて、俺が振り向くと同時にわしゃわしゃと頭を撫でられる。
「……それとこれとは関係ないだろ」
というかなんで頭撫でられてるんだ、俺は。これじゃあどっちが子供か分からないだろ。
「ううん、頑固だよ。僕が言うんだから間違いない」
「……どっからその自信が来るんだ」
聖の言い方があまりに自信に満ちていて、くすくすと小さく笑ってしまう。
「あ、笑ったね。んー……幼馴染みだから?」
俺が笑ったのに気付くと聖もにっこりと笑い、お決まりの言葉を口にした。
確かにお互いの良いところも悪いところも、数え切れないほど知っている。
聖の言葉を真っ向から否定はできなくて、けれどこれだけははっきりと言える。
俺達は幼馴染みで腐れ縁で、これからもこういう付かず離れずの関係がこの先も続いていくんだ、って。
すると、さわさわと柔らかい風が吹いて、俺の背中や頬を太陽が優しく照らすのを感じた。
五月病って言葉があるくらい五月って憂鬱で、でもその分まだ暖かくて過ごしやすい。
雨の匂いや音を感じるのは好きだけど、昔から夏だけは少し苦手だった。
あ、夏っていえば小学校低学年くらいの頃だったか、聖に付き合って公園で遊んでたんだよな。
暑くてたまらない中、我慢して外にいたら軽い熱中症になって……聖は倒れた俺を見て、自分の方が辛そうな顔してたっけ。
幸いというのか、日陰で水分を摂って少し休んだら治った。
でもその間、聖は涙や鼻水で顔をぐちゃぐちゃにして、何度も『蓮ちゃん死なないで』って言ってたな。
小さい子にとって仲のいい友達を失うのが、どんなに怖いことなのか分からなくもない。
まぁ『休憩しよう』って一言でも言わなかった俺が悪いんであって、あの頃の聖には責任の『せ』の字も無いと未だに思う。
ただ、そこから聖の過保護さに拍車が掛かっていったのは事実だった。
ことある毎に世話を焼いてくるのはもちろんだけど、たまに甘えてくるのは可愛い。
学校がない休みの日は、二人で出掛けたりする。
行く先はほとんど近場だからか時々同級生に会って、高確率で『仲いいな』なんて苦笑いされるまでがお約束だ。
「……幼馴染みや友達って、こんなんじゃないのか」
頭に浮かんだ疑問を、ぽそりと口の中で呟く。
俺達は普通に接しているけど、他の友達を見てると適度な距離感があるんだよな。
いや、俺に対する聖の距離感がバグりまくってるせいか。
同時に脳裏に満面の笑みを浮かべた聖が出てきて、小さく苦笑する。
そういえば、あいつが怒ったところってあんまり見たことないかも。
怒ったとしても可愛らしくて、小さい子と話してる時みたいな口調になってしまうから、場合によっちゃ更に怒られたりもした。
でもすぐに仲直りしていつもの聖に戻るから、ちょっと甘えてるところはあるんだよな、やっぱり。
そうしてのんびり物思いに耽りながら歩いていると、『いつものところ』に着くのはすぐだった。
大きな木が目印のそこは、校舎から丁度裏手にある。
二人掛けのベンチには、青々とした葉っぱがいくつか落ちていた。
「あれ」
どうやら聖はまだ来てないようで、ほんの少しだけ胸を撫で下ろす。
ひとまずベンチに座ってから、二人分の昼食を一応俺の方に寄せておく。
たまにベンチに何が置いてあるかすら見ないで腰掛ける時があるから、念のためだ。
ちょっとそそかっかしいんだか抜けてるんだか、本当に世話を焼いてるのはどっちだって話だよな。
「ふぅ……」
そっと目を閉じて、しばらく木の葉のざわめきに耳を傾ける。
葉が擦れる音に混じってかすかに声が聞こえてくるけど、何を言ってるのかは分からない。
聖を待っているこの時間は、スマホを見る以外にはやる事がなくて退屈だ。
この場所に誰もいないのをいいことに、俺はその場で背伸びをしたり、ゆらゆらと身体を揺らしたりする。
正直なところ一人でいる方が楽だけど、隣りに聖がいる方がもっと落ち着く節がある。
たまにうるさく思う時はあっても、あのうるささが心地良いと思う時も少なからずあるから。
「蓮ちゃーん、おまたせ〜っ」
不意にのんびりとした声が聞こえてきて、俺はうっすらと瞼を開くと、声のした方へ顔を向けた。
聖がぶんぶんと手を振って、こちらに小走りで向かってくるのが目に入る。
「待った?」
俺の目の前で立ち止まると、軽く息を切らしていた。
急いで来なくてもいいのにと思う反面、そんなに時間が経ってたっけ。
「いや、さっき着いたとこ」
俺はポケットからスマホを取り出すと、画面を見ながら小さく言った。
時刻は十二時四十二分を表示していて、まだ昼休みが終わるまで三十分近くある。
よかった、これならゆっくり弁当を食べられそうだ。
「入れ違いだったかぁ」
残念、と聖が屈託なく笑って、肘掛けを挟んで隣りに座る。
「わ、買ってきてくれたの?」
サンドイッチの隣りに置いておいたカフェラテを手に取ると、聖が花開かんばかりの笑顔で聞いてくる。
「まぁ。お茶だと味気ないだろ」
いつも似たようなの飲んでるよな、聖さん?
そんな、宝物でも見つけたみたいな顔して……子供みたいで可愛いな本当。
「ありがと、蓮ちゃんもいる?」
言いながらプルタブを開けて、俺の方に差し出してくる。
「俺が飲んじゃ駄目だろ、聖に買ってきたのに」
やや呆れ気味に言うと、お茶と弁当を聖に見えるように自分の顔の前に持ってくる。
「……お互い交換してもいいならいいけど」
だから俺の言葉で悲しそうな顔をするのはやめろ、良心が痛む。
「──や、やっぱいいや。蓮ちゃん、絶対にこれだけじゃ足りないでしょ。僕はサンドイッチだけだし」
なんだろう、聖が一瞬だけ言い淀んだような。
けれど俺が聞き間違えた可能性もある。
そんなことをぼんやり考えている間に、聖が明るい口調で続ける。
「でもいいなぁ、僕もお弁当作ろうかな。その分朝早く起きないとだからなぁ」
どうしよっかなー、って言いながら、聖がベンチの背もたれに身体を深く預ける。
おい、最悪頭から落ちるからやめろ。
「あー……いつも早いんだっけ、髪のセットするから」
聖の頭が落ちないように、少し下の方に手を差し出しながら言う。
「そうそう、五時起き! 母さんは夜勤終わりで寝てるから、あんまり無理させられないしさぁ」
足をぶらぶらさせたかと思えば、がばりと起き上がる。
「あ、そうだ!」
「っ!」
聖の顔がいきなり目の前に迫って、俺は小さく声を漏らした。
イケメンの顔が近付いてきたらちょっとびっくりするからやめなさい、それは。
「告白、断ってきたよ」
ビリ、とサンドイッチの封を開けながら、聖がなんでもない事のように言う。
世間話の延長みたいに言うから、俺は一瞬だけ思考が停止した。
毎度思うけど、話を切り替えるの早いな。
でもなんて言われたのか言ってこない辺り、それほど印象に残ってないんだろう。
あの女の子、泣いてないといいけど。あと聖が夜道で刺されなければいいけど。
「そうか」
少し物騒な事が脳裏に浮かぶも短く相槌を打つと、俺も昼食を食べようと弁当を開ける。
白米の上にはおかかのふりかけ、それ以外は昨日の残り物がほとんどだ。
でも卵焼きは朝からちゃんと作ってくれるんだよな、ちょっと甘いやつ。
「ん、そー。……隙ありっ!」
「あ、こら」
すると鋭い声が聞こえてきて、視界の端から聖の指が伸びてきた。
四つある卵焼きのうちの一つをつままれ、俺が止める間もなく聖の口に消えていく。
「……お前なぁ。行儀悪いぞ」
はぁ、と呆れともつかない溜め息を吐き、わざと眉間に皺を寄せて怒った顔をする。
「えー、一個くらいいいじゃん。手は綺麗に洗ったし」
「そういう問題じゃない」
「蓮ちゃんのケチ」
べぇ、と聖が軽く舌を出す。いや子供か。
「ケチじゃない」
俺も俺で今度はちょっとむきになって、ぷいとそっぽを向いた。
こんな態度を取る俺も子供っぽいな、って自嘲じみた笑いが出そうになる。
「ほんと、昔っから頑固だなぁ」
のんびりした柔らかい声が聞こえてきて、俺が振り向くと同時にわしゃわしゃと頭を撫でられる。
「……それとこれとは関係ないだろ」
というかなんで頭撫でられてるんだ、俺は。これじゃあどっちが子供か分からないだろ。
「ううん、頑固だよ。僕が言うんだから間違いない」
「……どっからその自信が来るんだ」
聖の言い方があまりに自信に満ちていて、くすくすと小さく笑ってしまう。
「あ、笑ったね。んー……幼馴染みだから?」
俺が笑ったのに気付くと聖もにっこりと笑い、お決まりの言葉を口にした。
確かにお互いの良いところも悪いところも、数え切れないほど知っている。
聖の言葉を真っ向から否定はできなくて、けれどこれだけははっきりと言える。
俺達は幼馴染みで腐れ縁で、これからもこういう付かず離れずの関係がこの先も続いていくんだ、って。
