俺にだけ可愛い幼馴染みの本性は、甘くて重い

「って……またどっか行ったし」

 結局、昼休みは予鈴が鳴るギリギリまで聖は教室に戻ってこなかった。

 それだけじゃなくて、午後の授業が終わる度にいそいそと教室を出ていくから、もはや俺が話し掛ける隙もない。

 休み時間は短いから仕方ないとはいえ、昼休みはしっかり三十分以上あるから、どこかで話せると思ったのに。

 放課後のホームルームが終わると教室が騒がしくなるのに合わせて、クラスメイト達は部活や帰る準備をする。

 神尾は部活、伊藤と姫村は用事があるとか言ってさっさと教室を後にしたから、俺はほとんど一人も同然だった。

 でもクラスメイトが教室を出る波に紛れて、聖がどこかへ行ったのがつい五分前。

 カバンは置いているからトイレか他のクラスに行ってるか、担任や誰かに呼ばれたのかもしれない。

 まぁ聖は誰とでも分け(へだ)てなく話すから、どんな理由かまでは俺でも予想できないんだけど。

「……人のこと言えないよな、俺も」

 はは、と乾いた笑いが漏れる。

 今日はいつにも増して聖以外とよく話す日だったな、いつもはほとんど聖と一緒にいるから余計に。

「なんか……送ってみるか」

 椅子の背凭れに身体を預けながら、ポケットからスマホを取り出す。

 聖に対する気持ちを自覚してから名前すら呼べてないし、話せないまま一日が終わるのは嫌だったから。

 ってメッセージアプリを開いたはいいけど、なんて送ったらすぐに返ってくるんだろう。

 昨日も思ったけど、あいつが何を考えてるから分からないから、こっちもどうしたらいいのか分からないんだよな。

 でも聖のカバンは教室にあるから、どっちみち戻ってくるのを待ってたら必然的に鉢合わせるわけで。

 幸いにも教室には俺しかいなくて、これこそ神様が俺に与えてくれたご褒美なのかも、って小学生じみた考えが浮かぶ。

「……おれ、ひじりの……こと」

 ぶつぶつと口の中で呟きながらメッセージを打ち込んでいると、ぽんと肩を叩かれた。

「やっ、蓮弥くん」

 ゆっくり振り返ると、二つ隣りのクラスの男子生徒が俺のすぐ傍に立っていた。

「……吉川(よしかわ)

「まだ居たんだね、良かった」

 俺が名前を呼ぶとにっこりと柔和な笑みを浮かべて、吉川は俺の机に手をついた。

 吉川とは一年の時同じクラスで、そこから仲良くなった。

 二年に上がると離れてしまったけど、同時に生徒会長に立候補して見事当選したからか、普段から忙しくしてるみたいだ。

 加えて塾にも行っていて、生徒会の活動が無い日はすぐに下校するみたいだから、しっかりと顔を見るのは数日ぶりだった。

「そろそろ模試だよね。生徒会のみんなで勉強会しようと思って、何人かに声掛けてるんだけど……蓮弥くん、空いてる日ある?」

 吉川は色素の薄い瞳を細めて、やや早口に問い掛けてくる。

「ちょっと待って」

 吉川に一言断るとメッセージアプリを一旦閉じて、スケジュール管理アプリを開く。

 自分の予定のついでに聖の予定も分かるから、こういう時に確認出来るのはありがたい。

「あ、明後日なら空いてる」

 無意識に聖のことを考える自分に笑いつつ、吉川の方に顔を向けた。

 でも吉川はそれまでとは違って目を丸くしていて、何がなんなのか分からず首を傾げる。

「えっ……と。予定、埋まってたか?」

 その日は土曜日だけど、金曜日の方が良かったかな。模試はもう少し先だけど、集まるのはもっと早い方がいいか?

 あんまりにもまっすぐに見つめてくるから困惑していると、吉川はにこにこと上機嫌そうに口を開いた。

「ううん、大丈夫だよ。朝の十時に図書館で待ち合わせでいい?」

「十時な。……うん、分かった」

 図書館、勉強会と打ち込んで時間を十時に合わせる。

 予定を入れると聖に通知が行くって知ってるけど、あいつは勉強嫌いだから、一緒に図書館には行っても多分勉強はしないだろう。

 なんなら漫画が入ってる棚に行って、俺が勉強してる顔をじっと見てくるくらいだし。

「じゃあ、塾に行かないとだから。あ、でも急に予定入ったら連絡してね」

「ん、多分入らないから大丈夫だと思う」

 そもそも予定らしい予定って言ったら、放課後たまに部活の助っ人に入るくらいだし。

「──そうそう。勉強会もだけど、蓮弥くんに教えとこうと思ったんだった」

 吉川が教室を出ようとしてると、思い出したように俺の方を振り向いて続ける。

「加宮くん、さっき三階の空き教室に入っていったよ。誰かと待ち合わせしてるみたい」

「え」

 図らずもバカみたいな声が出てしまう。

 三階の空き教室って、机と椅子があるだけで文字通り使われてないんだよな。

 でも好きに使っていいみたいで、昼休みになるとそこで昼飯を食べる生徒が居たりいなかったり……俺は使った事ないけど。

 吉川はそんな俺を見て、人好きのする笑みを浮かべた。

「ほら、加宮くんって人気者だから噂してる人が多いんだよね。知ってると思うけど」

「……まぁ」

 改まって言われると確かに聖の噂をよく聞くけど、避けられるようになってからは一度も聞いてない気がする。

 最近は特に聖が誰かと話してるのをあんまり見てないから、ってのもありそうだな。

「……でも、ね」

 吉川はそこで一度言葉を切ると、軽く眉を寄せて唇を歪めた。

「最近は空き教室で後輩だか先輩だか……場合によっちゃ新任の先生と、って噂があるんだ」

 その言葉の意味が分からなくて、俺は目を見開く。

 濁してはいるけど、吉川の言わんとしている事はすぐに想像出来た。

 漫画やドラマの見すぎだと思うけど、聖は人気者だからそういう可能性もある……かもしれない。

 同時に俺の胸の中には、言い表せない不安と恐怖……それから、嫉妬心が占めていく。

 どす黒くて(みにく)くて、今すぐにでも聖に会いたい衝動に駆られた。

「さすがに本当だったら困るから加宮くんに確認したいんだけど、なかなか捕まらなくてさ。僕はこれから塾だし、蓮弥くんの方から」

「何分前に見た!?」

 吉川が最後まで言い終わるよりも早く、俺は椅子から立ち上がるとガシリと吉川の肩を摑んだ。

 空き教室に入っていったことも、そもそもそういう噂があったことも、俺は何も知らなかったし聞いてもなかったのに。

 俺の剣幕がよっぽど酷かったのか、吉川が一歩後ろに下がった。

「じ、十分くらい前かな? でも後から──」

「ありがとう!」

「え、蓮弥くん……!?」

 吉川が後ろから何か大声で言ってるのが聞こえるけど、もはやそんなことゆっくり聞いていられなかった。

 頭の中は聖のことでいっぱいで、ただただ早く会わないとという衝動で脚を動かす。

 教室を出てすぐ、一番近い階段を一段飛ばしで駆け上がって三階に着くと、廊下には誰もいなかった。

 ここは生徒会が活動してる教室と、放送部や音楽室があるから普段の放課後はちょっと騒がしい。

 でも今はしんと静まり返っていて、全速力で階段を駆け上がったから乱れてしまった息遣いと、いつもより速い心臓の鼓動が聞こえるだけだった。

「はっ……は、ぁ……」

 膝に手をついて、何度も深呼吸して乱れた息を落ち着かせる。

 空き教室は一番奥にあるから、俺が上がってきた階段からだと一番遠い。

 吉川のクラスから近い階段を使うんだったな、そしたら時間を短縮出来たはずで……って、ゆっくり考えてる暇なんか無いんだけど。

「ほん、と……すぐ気付いたら……よかっ、た」

 はは、と今日何度目かの自嘲じみた笑いが漏れる。

 聖の悪い噂が出回ってる事にも、俺に対するあいつの気持ちにも。

 遅れて学校に来た理由はまだ分からないけど、今日は特に教室にいなかったからイライラしてたっけ。

 それもこれも、休み時間になる度に空き教室に来ていたからで、昼休みにギリギリまで戻ってこなかったのは待ち合わせていた人と……考えたくないけど、そういう事をしていたからで。

 噂が本当なら風紀が乱れるから、って言ってた吉川の言い分は正しい。

 でもそれ以上に悲しくて、ずっと俺が隣りにいたのに訳も分からず避けられて、嘘でも誰かとそういう事をしていたって思うと頭がおかしくなりそうだった。

 毎回空き教室で何してるのか知らないけど、その人に俺と同じ笑顔を向けていて、好きだよって優しい声で言って……ああ嫌だ、聖の顔や声が余裕で浮かんでくる。

 考えれば考えるほど泣きそうになって、俺はぐいと目元を拭った。

「……泣くな、今から聖に会うのに」

 俺が泣いてたって知ったら少しは心配してくれるのかな、ってそんな期待なんかするな。

 きゅうと唇を噛み締めて、震えそうになる脚を叱咤(しった)して一生懸命動かす。

 奥にある空き教室に近付くほど、段々心臓の音が速くなっていく。

 それすら気のせいだって気付かないふりをして、やがて空き教室のドアの前に着いた。

「……あ、っ」

 教卓の辺りに聖が背中を向けて立っていて、吉川が言っていた通り誰かを待っているみたいだった。

 ドアが少しだけ開いていて、そこからかすかに声が漏れ聞こえてくる。

「ひじ──」

「あの子と付き合おうと思う」

 聖、ってはっきり名前を呼ぶ前に、いつになく低い声が聞こえた。

 あれ、誰か居るのか?

 でも聖以外に姿は見えないし、独り言って言うにはおかしな言葉で……誰に言ってるんだ。

「──お前がそれでいいならいいんじゃね。宇月がどう思うのか、俺は知らないけど」

 すると、教室の後ろに積み上げられた机と椅子のところから神尾が姿を現した。

 あいつ、部活があるって言ってたのに……もしかして嘘だったのか?

 それよりも、なんで二人きりでこんな所に居るんだ?

 神尾の横顔がいつになく険しくて、聖は背中しか見えないから余計に不安が大きくなっていく。

 なんなら声もあんまり聞こえなくて、無意識にドアの方に小さく一歩進んだ時だった。

「……()()()のこと──知ってて言ってる? 『よかったな』って言われる俺の気持ち、考えたことある?」

 静かで低くて、でもはっきりと何を言ったのかは分からない。

 ただ、聖が神尾に向けて俺のことを言ってるのだけは分かって……それで。

『蓮弥』はまだ分かるけど、聖が自分のことを『俺』って呼ぶのは聞いたことがなくて、顔も見えないから別人に見えた。

 でも後ろ姿は、声は低いけどどこか抑揚のある口調は、紛れもなく聖だった。

「あのね、裕樹(ゆうき)

 すると聖は神尾の肩を摑んで、耳元に何かを囁いたのが見えた。

 何を言ったのか分からないけど、神尾が目を見開くのがここからでも見えて、でも神尾の目線はこっちに向けられている。

 ……あ、覗いてるって気付かれたかな。

「──って、どこ見てるの……っ」

 神尾の視線に引き寄せられるように聖が振り返って、俺と真正面から視線が合った。

 ドア一枚を隔てた向こうで聖が目を丸くしたのが分かって、でもまっすぐに聖の顔を見られなかった。

 盗み聞きしていた俺が全部悪いけど、なんでそんな……びっくりした顔をしてるんだ。

 なんで俺を見て、嫌そうな……困った顔をするんだ。

「っ、ごめ……」

 神尾にもだけど聖に気付かれたのが耐えられなくて、反射的に一歩二歩と後ろに下がる。

「……まって、蓮ちゃん。今のは」

「っ……!」

 聖が呟く声や俺の方に近付いてくる足音がはっきりと聞こえた瞬間、俺はつまずきそうになりながらその場から逃げた。