「はよー」
「おはよーさん」
「おはよう二人とも」
教室に入ると、既に集まっていた三人のクラスメイト達が俺と聖に気付いて手を振った。
「おはよー!」
「……はよ」
聖はにこにこと手を振り返し、俺はというと申し訳程度に声を出して会釈を返す。
学校に着くと同時に、無くなったと思っていた眠気がまたやってきて、すでに立っているのもやっとだ。
こんな事になるくらいなら、コーヒーかなんか自販機で買ってくりゃよかった。
でも一番近い自販機は渡り廊下の方にしかなくて、今更階段を降りるのは面倒くさい。
「……しくじったなぁ」
「なぁなぁ、昨日の配信見た?」
ひとり言をぽつりと零すと、いつも話すうちの一人である伊藤が俺達にスマホの画面を向けてくる。
「相方ドッキリ企画か、見てないかも」
それは伊藤がハマっている配信者の動画で、いつも頑張る相方にサプライズ! という名のドッキリを仕掛けよう、というものらしい。
「──そうそう、まずは見てみろって。ユーカがおかしくってさ……何回腹筋やられたかな、これで」
ふふふ、と伊藤が小さく笑う。
ドッキリ企画ってあんまり見ないけど、聖は好きみたいだ。
「へー、ちょっと待ってて。ぱっと最初のとこだけ見るから」
「おーいいよ」
聖が伊藤のスマホを持って、自分の席に座る。
俺から見て斜め右の席で、ここからでも動画の内容は少しだけど見えていた。
でも笑いどころ? っていうのがいまいち分からないから、そういう動画は俺に向いてないのかもな。
そもそも俺が見るのは、スポーツかバラエティくらい。
あとは聖から勧められるドラマを、勉強してる時に流し見するだけだった。
動画に注視している聖の後ろ姿を見ながら、俺も自分の席に座る。
聖の隣りでは伊藤がいて、小さく笑っている声が聞こえてくる。
「ほらここ、ここ! やっぱタイミング上手いよなぁ」
「ふふ、ほんとだ」
そんな伊藤に呼応するように、聖の肩がかすかに揺れる。
きっと俺には分からないところで二人は笑っていて、少しだけ面白くない。
それと同時に、こいつら朝から元気だなぁ、なんてぼんやりと思う。
多分聖と伊藤は担任が来るまであのままだろうし、俺はこのまま机に突っ伏して、朝のホームルームが始まるまでは眠りたかった。
腕に頭を置く前にスマホをちらりと見ると、まだ八時を過ぎたばかりだから三十分くらいある。
「眠そうだなぁ、宇月」
「……ん」
すると、隣りの席から声が聞こえた。
俺はそちらに顔を向け、ぼうっと声のした方を見る。
この男は神尾裕樹と言って、二年に上がってすぐに仲良くなった。
兄貴肌なのか時々お節介を焼いてくるけど、必要な時以外は話し掛けてこない。
その距離感が心地良くて、不思議と周りには人が……集まらないんだよな、なぜか。
「まぁ……早く起きたから」
俺はぼうっと聖の後ろ姿を見ながら、ぽそりと口の中で言う。
こうして聖と揃って学校に来るのは嬉しい反面、負担になっていないかが心配だった。
もちろん聖のことだから『気にするな』って言うと思うし、やっぱりその言葉に甘えてしまう俺がいるのも事実で。
近いうち、改めて『もう一人で行くから』って言わないとな。
家も近所だし、そもそも学校に着いたら嫌でも顔を合わせるから、あんまり変わらないはず。
ふわふわとした睡魔に揺られながら、今後のことについて考えていると、ぽんぽんと肩を叩かれた。
「……なに」
つい低い声が出てしまって、一瞬だけまずいと思う。
けれど誰か分かっているから、わざと眉間に力を込めて顔を上げた。
「ねぇ蓮ちゃんこれ見てみて、面白いよ」
聖が笑い混じりの声でスマホを俺に向けていて、満面の笑みで見下ろしていた。
「ほらここ」
そう言うと聖は俺の机に手をついて、スマホを目線の高さまで上げてくれる。
動画には二十代っぽい男女がああでもないこうでもない、と何かを言っている。
字幕も付いていて分かりやすいな、という今どきの幼稚園児でも言わないような感想が、頭の中に浮かんでは消えた。
「あー……なるほど?」
このまま黙っているのも違う気がして、聖には悪いけど適当に相槌を打つ。
周りの賑やかな声が聞こえてくるのも合わさって、内容はほとんど頭に入ってこない。
「あっ、蓮ちゃん見てここ! しょーやんがタイキックされてる!」
「ふ、っ……なにそれ」
唐突な言葉に、図らずも小さく笑う。
「もー、ちゃんと見ててよ。巻き戻すねー」
そう言うと聖は俺に身体を寄せてきて、スマホを机に置いた。
肩を組まれ、小さな画面を見る形になる。
タンクトップと短パン姿の女性が頭に鉢巻を巻いて、男性の背中だか尻だかを思いっ切り蹴っているところが映った。
『痛ってぇー!』
男性が床にのたうち回って、その姿を女性が見下ろす。
かと思えば、女性がきっとカメラを睨でガッツポーズをする──というところで、動画は止まった。
聖が画面をタップして、一時停止したから。
「ふふふ。ね、面白いでしょ?」
にこにこと楽しそうに聞いてくる聖は、子供みたいで可愛い。
動画の中の女性の蹴りはヘナチョコと言った方がしっくり来て、けれど男性の大袈裟なリアクションはちょっと面白かった。
「……ん、そだな」
少し寝ようと思ってたけど、聖が楽しそうに説明してくるからいいか。
相変わらず内容はあんまり入ってこないけど、この人達ってこういうスタンスの動画が多いのか、とぼんやり思う。
男の人は身体つきがしっかりしてて、逆に女の人は小さくて小動物っぽい。
こういうのをデコボココンビっていうのかな、もしくはギャップ萌えを狙ってるのかもしれない。
って、何を真面目に分析してるんだ俺は。観てる人が面白かったらそれでいいだろうに。
「──なんというかまぁ、今日も仲がいいことで」
「うん……?」
「え、なぁに」
不意に呆れたような声が聞こえて、聖とともに声がした方を見る。
それは神尾が言ったみたいで、神尾の視線はじっと俺達に向けられていた。
何を言っているのかすぐには分からなくて、頭にハテナを浮かべていると、神尾が重ねて口を開く。
「お前らが幼馴染みってのは知ってるけど、ちょーっと……いや、かなり距離が近いというか」
なんかなぁ、と神尾が続けると、周囲に集まるクラスメイト達が苦笑する。
「んー、普通じゃね? 喧嘩しないのはすごいと思うけど」
伊藤が神尾の方を見ながらあっけらかんと言うと、伊藤の横から姫村が同調するように頷く。
「そうそう、あとは裕樹が僕達以外に友達いないだけー」
「おいこら、聞こえてんぞ玲!」
「わ、裕樹が怒ったー」
わちゃわちゃと戯れる友人らを横目に、俺はそっと聖に尋ねる。
「……俺らってそんなに距離近いか?」
改めて言われてもピンとこず、周りに聞こえないように小声で聞いた。
「うーん、今更かなぁ」
聖は一瞬だけ顎に人差し指をあてて考える素振りを見せたものの、にこりと屈託なく笑う。
「だよな」
元々こいつは昔から距離感が近くて、しかも知り合って長いからあんまり気にした事はなかった。
でも第三者から見ればそう見えるのか、と気付いたのはこれが初めてだ。
でも今更普通の距離感になれ、と言われたとしても、俺はもちろん聖はもっとできないだろう。
今ですら身体を寄せてきていて、人から指摘されたからって離れろっていう方が不自然だし。
そもそも俺が嫌な素振りをしても、聖はめげないって分かってる。
だから無理に直そうとは思わないし、聖が望んでいない事はしない。
それでもいつか聖に余計なことを言って、離れていく日が来ると思うと怖さがある。
そうなったら俺は……どうなるんだろう。
「裕樹達だけズルい、僕も混ぜてーっ!」
俺が一人で考え込んでいるうちに、聖がわぁわぁと騒いでいる神尾と姫村の輪の中に入っていくのが視界の端に映った。
「うおっ!?」
「わー、ひじりんだ〜」
「ほんと朝から元気だなぁ、お前ら」
驚いて素っ頓狂な声を上げる神尾、聖が加わったことでぱぁっと笑顔を見せる姫村、とばっちりを喰らわないよう俺の後ろに避難してくる伊藤……今日も平和だな。
ざわざわとした喧騒を聞きながら、机に顔を伏せてすうっと瞼を閉じる。
「……いや、お前はお前で寝れんのかよ! ある意味一番すごいぞ!」
伊藤が突っ込んでくるのを右から左に聞き流しながら、俺は束の間の眠りについた。
「おはよーさん」
「おはよう二人とも」
教室に入ると、既に集まっていた三人のクラスメイト達が俺と聖に気付いて手を振った。
「おはよー!」
「……はよ」
聖はにこにこと手を振り返し、俺はというと申し訳程度に声を出して会釈を返す。
学校に着くと同時に、無くなったと思っていた眠気がまたやってきて、すでに立っているのもやっとだ。
こんな事になるくらいなら、コーヒーかなんか自販機で買ってくりゃよかった。
でも一番近い自販機は渡り廊下の方にしかなくて、今更階段を降りるのは面倒くさい。
「……しくじったなぁ」
「なぁなぁ、昨日の配信見た?」
ひとり言をぽつりと零すと、いつも話すうちの一人である伊藤が俺達にスマホの画面を向けてくる。
「相方ドッキリ企画か、見てないかも」
それは伊藤がハマっている配信者の動画で、いつも頑張る相方にサプライズ! という名のドッキリを仕掛けよう、というものらしい。
「──そうそう、まずは見てみろって。ユーカがおかしくってさ……何回腹筋やられたかな、これで」
ふふふ、と伊藤が小さく笑う。
ドッキリ企画ってあんまり見ないけど、聖は好きみたいだ。
「へー、ちょっと待ってて。ぱっと最初のとこだけ見るから」
「おーいいよ」
聖が伊藤のスマホを持って、自分の席に座る。
俺から見て斜め右の席で、ここからでも動画の内容は少しだけど見えていた。
でも笑いどころ? っていうのがいまいち分からないから、そういう動画は俺に向いてないのかもな。
そもそも俺が見るのは、スポーツかバラエティくらい。
あとは聖から勧められるドラマを、勉強してる時に流し見するだけだった。
動画に注視している聖の後ろ姿を見ながら、俺も自分の席に座る。
聖の隣りでは伊藤がいて、小さく笑っている声が聞こえてくる。
「ほらここ、ここ! やっぱタイミング上手いよなぁ」
「ふふ、ほんとだ」
そんな伊藤に呼応するように、聖の肩がかすかに揺れる。
きっと俺には分からないところで二人は笑っていて、少しだけ面白くない。
それと同時に、こいつら朝から元気だなぁ、なんてぼんやりと思う。
多分聖と伊藤は担任が来るまであのままだろうし、俺はこのまま机に突っ伏して、朝のホームルームが始まるまでは眠りたかった。
腕に頭を置く前にスマホをちらりと見ると、まだ八時を過ぎたばかりだから三十分くらいある。
「眠そうだなぁ、宇月」
「……ん」
すると、隣りの席から声が聞こえた。
俺はそちらに顔を向け、ぼうっと声のした方を見る。
この男は神尾裕樹と言って、二年に上がってすぐに仲良くなった。
兄貴肌なのか時々お節介を焼いてくるけど、必要な時以外は話し掛けてこない。
その距離感が心地良くて、不思議と周りには人が……集まらないんだよな、なぜか。
「まぁ……早く起きたから」
俺はぼうっと聖の後ろ姿を見ながら、ぽそりと口の中で言う。
こうして聖と揃って学校に来るのは嬉しい反面、負担になっていないかが心配だった。
もちろん聖のことだから『気にするな』って言うと思うし、やっぱりその言葉に甘えてしまう俺がいるのも事実で。
近いうち、改めて『もう一人で行くから』って言わないとな。
家も近所だし、そもそも学校に着いたら嫌でも顔を合わせるから、あんまり変わらないはず。
ふわふわとした睡魔に揺られながら、今後のことについて考えていると、ぽんぽんと肩を叩かれた。
「……なに」
つい低い声が出てしまって、一瞬だけまずいと思う。
けれど誰か分かっているから、わざと眉間に力を込めて顔を上げた。
「ねぇ蓮ちゃんこれ見てみて、面白いよ」
聖が笑い混じりの声でスマホを俺に向けていて、満面の笑みで見下ろしていた。
「ほらここ」
そう言うと聖は俺の机に手をついて、スマホを目線の高さまで上げてくれる。
動画には二十代っぽい男女がああでもないこうでもない、と何かを言っている。
字幕も付いていて分かりやすいな、という今どきの幼稚園児でも言わないような感想が、頭の中に浮かんでは消えた。
「あー……なるほど?」
このまま黙っているのも違う気がして、聖には悪いけど適当に相槌を打つ。
周りの賑やかな声が聞こえてくるのも合わさって、内容はほとんど頭に入ってこない。
「あっ、蓮ちゃん見てここ! しょーやんがタイキックされてる!」
「ふ、っ……なにそれ」
唐突な言葉に、図らずも小さく笑う。
「もー、ちゃんと見ててよ。巻き戻すねー」
そう言うと聖は俺に身体を寄せてきて、スマホを机に置いた。
肩を組まれ、小さな画面を見る形になる。
タンクトップと短パン姿の女性が頭に鉢巻を巻いて、男性の背中だか尻だかを思いっ切り蹴っているところが映った。
『痛ってぇー!』
男性が床にのたうち回って、その姿を女性が見下ろす。
かと思えば、女性がきっとカメラを睨でガッツポーズをする──というところで、動画は止まった。
聖が画面をタップして、一時停止したから。
「ふふふ。ね、面白いでしょ?」
にこにこと楽しそうに聞いてくる聖は、子供みたいで可愛い。
動画の中の女性の蹴りはヘナチョコと言った方がしっくり来て、けれど男性の大袈裟なリアクションはちょっと面白かった。
「……ん、そだな」
少し寝ようと思ってたけど、聖が楽しそうに説明してくるからいいか。
相変わらず内容はあんまり入ってこないけど、この人達ってこういうスタンスの動画が多いのか、とぼんやり思う。
男の人は身体つきがしっかりしてて、逆に女の人は小さくて小動物っぽい。
こういうのをデコボココンビっていうのかな、もしくはギャップ萌えを狙ってるのかもしれない。
って、何を真面目に分析してるんだ俺は。観てる人が面白かったらそれでいいだろうに。
「──なんというかまぁ、今日も仲がいいことで」
「うん……?」
「え、なぁに」
不意に呆れたような声が聞こえて、聖とともに声がした方を見る。
それは神尾が言ったみたいで、神尾の視線はじっと俺達に向けられていた。
何を言っているのかすぐには分からなくて、頭にハテナを浮かべていると、神尾が重ねて口を開く。
「お前らが幼馴染みってのは知ってるけど、ちょーっと……いや、かなり距離が近いというか」
なんかなぁ、と神尾が続けると、周囲に集まるクラスメイト達が苦笑する。
「んー、普通じゃね? 喧嘩しないのはすごいと思うけど」
伊藤が神尾の方を見ながらあっけらかんと言うと、伊藤の横から姫村が同調するように頷く。
「そうそう、あとは裕樹が僕達以外に友達いないだけー」
「おいこら、聞こえてんぞ玲!」
「わ、裕樹が怒ったー」
わちゃわちゃと戯れる友人らを横目に、俺はそっと聖に尋ねる。
「……俺らってそんなに距離近いか?」
改めて言われてもピンとこず、周りに聞こえないように小声で聞いた。
「うーん、今更かなぁ」
聖は一瞬だけ顎に人差し指をあてて考える素振りを見せたものの、にこりと屈託なく笑う。
「だよな」
元々こいつは昔から距離感が近くて、しかも知り合って長いからあんまり気にした事はなかった。
でも第三者から見ればそう見えるのか、と気付いたのはこれが初めてだ。
でも今更普通の距離感になれ、と言われたとしても、俺はもちろん聖はもっとできないだろう。
今ですら身体を寄せてきていて、人から指摘されたからって離れろっていう方が不自然だし。
そもそも俺が嫌な素振りをしても、聖はめげないって分かってる。
だから無理に直そうとは思わないし、聖が望んでいない事はしない。
それでもいつか聖に余計なことを言って、離れていく日が来ると思うと怖さがある。
そうなったら俺は……どうなるんだろう。
「裕樹達だけズルい、僕も混ぜてーっ!」
俺が一人で考え込んでいるうちに、聖がわぁわぁと騒いでいる神尾と姫村の輪の中に入っていくのが視界の端に映った。
「うおっ!?」
「わー、ひじりんだ〜」
「ほんと朝から元気だなぁ、お前ら」
驚いて素っ頓狂な声を上げる神尾、聖が加わったことでぱぁっと笑顔を見せる姫村、とばっちりを喰らわないよう俺の後ろに避難してくる伊藤……今日も平和だな。
ざわざわとした喧騒を聞きながら、机に顔を伏せてすうっと瞼を閉じる。
「……いや、お前はお前で寝れんのかよ! ある意味一番すごいぞ!」
伊藤が突っ込んでくるのを右から左に聞き流しながら、俺は束の間の眠りについた。
