俺にだけ可愛い幼馴染みの本性は、甘くて重い

 一日経てば、(ひじり)の方から普通に話し掛けてくるよな。

 そう考えていた俺が浅はかだった。

 あれから聖は五日間、聖は俺を避け続けたから。

 保健室から戻った次の休み時間、俺がいない時はどんな感じなのか気になって、トイレに行くふりをして聖から死角になる位置で聞き耳を立ててみた。

『え、何それほんとー?』

 そしたらどうだろう。

 聖は普段と変わらないくらい普通に、他の人と話して……俺と話す時みたいに笑ってる声が聞こえた。

 伊藤ともふざけ合って、それを神尾(かみお)姫村(ひめむら)(たしな)めるまでがお約束で。

 俺はその中にいないのに、まるで前からそうだったみたいだった。

 そんな中、いざ俺が聖の前に顔を見せたり声を掛けようとすると不自然なくらい避けていく。

 どこそこに用がある、誰かに呼ばれてる、バイトだから、と理由を付けて俺から距離を取っていった。

 ……俺のことが嫌いみないな、そんなあからさまな態度取らなくてもいいだろ。

 そう言ってしまいたいけど、この五日で名前を呼んでも一度も返事は無かったし、無視されてるから言うだけ無駄なんだろう。

「今日で五日……いや、その前からおかしかったってなると六日か」

 俺はベッドに大の字になって、天井を見つめながらぽそりと呟いた。

 帰ってきてすぐに手洗いうがいをして、部屋に戻ったはいいけど何もする気が起きなくて、ベッドにダイブした。

 制服から普段着に着替えるのすら面倒で、かろうじてネクタイを緩めて第一ボタンを外しただけ。

 シャツがシワになるって分かってるけど、ちょっとくらいなら大丈夫だろ、多分。

「聖と話さなくなって、六日……」

 ごろりと横になって、心の中でそっと反芻する。

 六日、か。

 一日目はなんとか耐えたけど、時間が経つにつれて聖の行動がはっきり違和感に変わるのはすぐだったっけ。

 朝一緒に登校するのも、話さないから自然と無くなってしまった。

 毎日母さんに起こしてもらうのも悪いから、スマホのスヌーズを五分おきに何度もセットして、やっと起きるという日々。

 三日目くらいに『あれ、これ聖がいなくても起きられてるよな』って思ったけど、ぽっかりと心に穴が空いたみたいな寂しさがあった。

 それは今も変わらなくて、本当は自信を持たないといけないのに、『蓮ちゃん起きて』って声が聞こえないとどうしてか気持ち悪い。

 まぁ学校には行かないとだから頑張って起きないとだし、眠気覚ましの薬を飲んでから行くから、聖と一緒に登校した時よりちょっとマシかもしれない。

 でも隣りに聖がいないと時間の流れがゆっくりで、最寄り駅に着くまでが長かった。

 それは帰りも変わらなくて、放課後は俺を気遣った神尾達が途中まで一緒に行ってくれる。

 特に今日は、俺があんまりにも無言だったからかな。

『なぁ宇月(うづき)さ、あんま落ち込むなよ』

 正門を出た帰り道、神尾がふとなんでもない事のように言った。

 ……そんな顔に出てたっけ。

『そうそう、いくらお前がクールぶってても俺らには分かるから。……ほら、運命共同体ってやつぅ?』

 神尾の言葉に緩く首を傾げると、俺の後ろを歩いていた伊藤(いとう)が乙女めいた口調で言う。

明人(あきと)キモい』

 すると姫村がぼそりと呟いた。

『んだと、姫村のくせにぃ!』

 正直、姫村の言葉に賛成ですね俺も。

 伊藤と姫村がわーわー言ってるのを横目に、俺は神尾に向けて口を開く。

『あいつ、俺に何か言ってなかったか?』

 聖に対する話題を俺から出すのはこれが初めてで、神尾は一瞬だけ目を見開くと顎に指をあてて小さくうなった。

『うーん……特に何も言ってない、な。宇月が頭痛いって時も声掛けなかったし、俺らにただいまって言わずに席座ってたっけ。なぁ伊藤』

『いや、普通に三日も前のこと覚えてるの、記憶力すごすぎん?』

 話し掛けられた伊藤が、頭にハテナを浮かべたままバカみたいに言った。

 人間、印象に残らないと記憶に残らないって言うけど、伊藤からしたらその時の聖はおかしいと思わなかったらしい。

『や、だって俺らとは普通に話してたし。まぁその時も言ったっぽい? けど、喧嘩したんかって思ったわけよ。そしたらどうでしょう、宇月限定でおかしいってやつなぁ』

 伊藤は歌うように言うと、次いでさっきまで言い合いをしていた姫村を見た。

『ちょ、なんでもいいから一旦加宮(かみや)にメッセ送ってみて』

『え、うん』

 姫村は手早くメッセージアプリを開くと、さっと文章を打ち込んだ。

『よっし、返信来るまでどっか寄るか』

 姫村の隣りから画面を覗き込んでいた伊藤が、ぽんと手を打った。

『こっからだとマック近いっけ、そこ行こうぜ』

 どこか楽しそうな声のまま、伊藤が続ける。

『いいけど言い出しっぺの奢りな』

『さんせーい!』

『ゴチになります』

 神尾と姫村に同調する形で、俺は某番組よろしく軽く礼をした。

『おい待て、俺今月の小遣いあんまないんだけど!? ……安いやつ頼めよ』

 あ、一応奢ってくれるんだな。ありがとう、神様伊藤様。

『……あ、来た』

 ファストフード店に向けて歩いていると、三十秒も経たずに姫村の声が聞こえた。

 その声に俺達はその場で立ち止まって、姫村のスマホに視線を向ける。

 ってメッセージアプリの背景、めちゃくちゃファンシーだな。

 ちょっと場違いなことを頭の片隅で思いつつ、短いやり取りを注視する。

 姫村が『ひじりん〜』って送ったのに対して、『どうしたのー?』って聖から返信があったのが見えた。

 俺には返ってきてない……よな。

 学校を出てからスマホの通知は来てないから、意図的に俺メッセージを後回しにしてるみたいだ。

 まぁ最後に送ったのは今日の朝で、『おはよう』って挨拶したくらいなんだけど。

『暑苦しいな、もう』

 姫村が二歩くらい後退(あとずさ)って、わざとらしく渋面になる。

 姫村以外は全員身長が高い方だから、そりゃあ一人を取り囲んだら暑いよな。すまん。

 俺がそう心の中で謝罪していると、姫村が伊藤を不思議そうに見つめる。

『で? 送ったけど、これが何?』

『ちょっと確認? みたいな……いや普通だなって、思っ……ごめんて』

 へらへらとふざけたような口調で言う伊藤の声が段々と小さくなって、姫村がにっこりと笑って伊藤の手首を摑んだ。

『自分でやればいいでしょ?』

『や、俺だと分かんないしさ。宇月は例外として、加宮と一番仲いい姫村が──痛ぇ!』

 パシン、と姫村が伊藤の手の甲を叩くと、伊藤の悲痛な声が響いた。

 あれ、結局なんの確認だったのか教えてもらってなかったな。

 どうしよう、聞きたいけどあの伊藤ならまたふざける気がする。

 でも余計な労力をこれ以上使いたくないし、というかLサイズのポテトとコーラを奢ってもらったからちょっと眠い。

「……寝ちゃ駄目」

 我ながら子供だと思うけど、朝起きた時に比べたらまだ耐えられるのが救いかもしれない。

 しばらく目を閉じてうとうとしていると、ベッドサイドに置いていたスマホが振動した。

「っ……!」

 聖から返ってきたのか!?

 飛び起きるようにしてベッドから降りると、半ば引っ摑むようにしてスマホを手に取る。

「違った、か」

 慌ててスマホを開いたけど、そろそろ雨が降るっていう天気予報の通知が来ただけだった。

 洗濯物は帰ってきた時に取り込んだから、急いでベランダへ行く必要もない。

「……いつになったら返ってくるんだ」

 俺はその場にずるずると座り込み、意味もなく暗くなったスマホの画面を見る。

 伊藤の『確認』が何かも気になるけど、それ以上に聖のことが頭に浮かんでは消えていく。

 先週まで俺が送るとすぐ返ってきたメッセージは、数時間が経ってから返ってくるようになった。

 でもそれが俺にだけだったって改めて思うと、もう聖が何を考えてるのか分からなくなる。

 姫村に送った文章も短文だったけど、話してる時とあんまり変わらなかったな。

 スタンプはいいけど、文面がちょっとそっけないのが聖だと思ってたから、新しい発見だったかも。

 ただ、さすがに五日以上避けられていて、俺とだけ一向に目が合わなくて、ずっと無視するのはおかしすぎるだろ。

「何したっけ、ほんと」

 分からない。

 いや、分かったとしても聖は俺の言葉を聞いてくれるのか?

 今ですら避けられてるのに、どうしろっていうんだ。

「もし……ずっとこのまま、だったら」

 無視されてるってだけでも辛いのに、これからもこういう日が続くのなら耐えられない。

 それくらい俺は聖の存在に甘えてるってことで、でも聖は俺の相手が内心じゃ嫌だったんじゃないか。

 あいつは優しいからずっと我慢していて、あの日聖の中で何かが爆発して、俺に愛想を尽かしたんじゃないか。

 考えれば考えるほど、ネガティブなことばかりが浮かんでいく。

 こういう時、俺の隣りに必ずいてくれたのは聖だった。

 でも、今聖は隣りにいない。

『大丈夫』って言ってくれる声はなくて、背中を擦ってくれるあったかい手もない。

 いつも俺の気持ちをいち早く察知して、落ち着くまで傍にいてくれる幼馴染みはいないんだ。

 ……本当、どうして避けられてるんだろうな。

 もしもこのまま聖がいなくなってしまえば、俺は。

「やだ、なぁ……」

 そこから先は考えたくなくて、無意識に目元に腕をあてる。

 次第に乾いた笑いが漏れて、静かな部屋の中に反響した。

 なんで俺はこんなに弱くなってるんだろう。

 いや、こんなこと考えなくても、聖がいないからだって分かってる。

 いつも俺が落ち込む前に先回りしてくれて、それでも落ち込んでしまった時は、元気になるまで側に居てくれるから。

「ひじ、り」

 聖の名前を小さく口の中で呟くと、窓の外から雨が降り出すかすかな音が聞こえてくる。

 なんだか今の俺の気持ちみたいだな、ってクサいセリフが浮かんだ。

「……あ、れ」

 同時に熱く濡れた感触を目元に感じて、俺はそっと腕を顔から離す。

 長袖のシャツに小さなシミができているのが視界に入り、数秒遅れて泣いてるんだって理解した。

「なんで、俺……泣い、て」

 頬を無造作に拭って止めようとしても、涙はあとからあとから溢れてくる。

「っ、く……ぅ」

 もう高校生だってのに、俺が子供みたいにぼろぼろ泣いてるのを見たら聖は絶対に笑うだろうな。

 でも聖はここにいないって分かってるから、一人で止めるしかない。

 そう思うのに、どれほど拭っても涙が乾く気配はなくて、むしろどんどん溢れていった。

「……なん、で……だよ」

 しゃくり上げながら、無意識に自嘲じみた声が出る。

 よく考えたら、一人で泣くのってどれくらいぶりだっけ。

 記憶にある限り、俺が泣いてるといつも聖がいてくれたから、今日が初めてかもしれない。

「ほんと……っ、だせぇ」

 こんな時に聖がいてくれたら、って思ってしまう自分が嫌いだ。

 でも一人で解決しようとしない自分は、もっともっと嫌いだった。

 俺はそのまま膝を抱えて、一人きりの部屋で涙が枯れるまで泣いた。