この村に普通の人間はいない。


 村民は転生前に何らかの偉業を成し遂げた人たちだ。

 たとえば、隣人のコウメイさん。

 おそらく、蜀の軍師だった人だろう。

 彼の真向かいにはユリウスさんが住んでいる。

 たぶん古代ローマの政治家だろう。


 私は何の偉業も成さず38歳で過労死した元会社員だ。
 
 5年間、不眠不休で働いたことが評価されたのだろうか。
 
 いまは文字通り晴耕雨読の生活で気ままに暮らしている。


 村民の多くは転生してから竜王討伐を果たした勇者ばかり。
 
 でも、おっかない人はおらず、優しい人たちばかりだ。
 
 こうして布団に転がって本が読めるのも彼らが竜王を倒した平和の上に成り立っている。



 幸福感を抱きしめながら読書していたら家のドアを叩く音がした。
 
 私は、どうぞと声を張り上げた。

 名は知らないが大柄な男が入室してきた。


「おまえ、カナタだな。村長が呼んでいる。いますぐこい」


 私は部屋着のまま村長のもとへ行った。

 村長はスーツ姿で身綺麗にしていたが、禿げ頭だった。

 頭の角度を変えるたび光の反射が変わるので私は口元が緩むのを抑えるのに必死だった。

 医者、大学教員、国会議員、なんとなく前世では「先生」と呼ばれる仕事をしていた感じがする。

 この村長と面と向かって話すのは初めてかもしれない。

 だっていつもはヅラ、いやウィッグを着けてるから。

 なんでいま笑いを取りにきてるんだよ! もしかして元芸人さん?


「カナタ、いますぐ竜王討伐に向かえ」


 ん? 聞き間違えかな。私は黙っていた。
 

「知ってのとおり、この村は類を見ない高齢化が進んでいる。何の才も持たぬおまえを行かせるのは心苦しいが理解してくれ。この村で最年少はおまえなんだ」


 え? オキタさんとか転生してないの? ゲンズイさんとか、リョーマさんとか。
 あ、いたいた。トシゾーさん。このまえ、大衆浴場で見たぞ。たしか享年34だったはず。

「村長、トシゾーさんは私より若いのでは?」

 つい得意顔で鼻を鳴らしてしまった。

「ああ、トシゾーか。あれも若いなあ。だが、すでに討伐をすませている」

 村長は手を組んで姿勢を前方へ傾けた。
 やめてくれ。頼むからやめてくれ。
 前世にいっさい笑いがなかったから、頭が光るだけでもおもしろいんだ。

「はい。若くて経験者ならなおさら適任かと」

 私は虚空を見つめながら言った。

「すまないな。いちど討伐をした者は対象外なのだ。直近だとコービーが討伐したと思う」

 コービー? バスケ選手の? いずれにしても私より年上だ。


 最悪だ。名だたる猛者たちは、すべからく対象外ということか。

 あー、チクショウ! 

 言葉を発する代わりに舌打ちしてしまった。

 と同時に背後に誰かいるのがわかった。


「仕方ありませんね。ところで私の後ろにいる御仁は?」


 村長は首をもたげて頭を光らせると、


「ケンサク、出てこい」

 と言った。


 私の横に黒服の男が並んだ。

 ちらと目をやると艶やかな黒髪、黒いネクタイに礼服。

 横顔は凛としていて男前だと思われる。

 やや筋肉質な標準体型というところか。


 しかし何で礼服、いや喪服なんだよ! 

 タイピンが緑なのもおかしい!


「カナタ、おまえを勇者総代に任ずる。秘匿大勇者のケンサクとともに竜王を討伐せよ」

 喪服男はケンサクというのか。で、秘匿大勇者か。


「はあ……。しかし、秘匿大勇者なら一人で十分なのでは?」


 村長は髪のない頭を掻いた。


「おまえが同行する理由はそのうちわかる。竜王が何度も復活することは知ってるな? 今回現れた竜王は最恐で最強のようなのだ。とにかく頼む!」

 若干ふざけた言い回しが気に食わなかった。

 が、私の腹筋が崩壊しそうだったので了承してケンサクとともに村長の家を辞去した。


 村人の喝采を浴びながら村門をくぐった。

 数歩先を歩いていたケンサクが振り返った。


「不愉快だ」

「は?」

「君のことだよ。顔といい服装といい不愉快だ」


 こいつ何様だよ! 強情そうだったので帰宅して髭を剃り、喪服に着替えてすぐ戻った。


「随分いいじゃないか。じゃあ、行こうか」



 爽風が吹き抜け、木々の葉がカサカサ鳴った。

 ケンサクの前髪が戻る鍵盤のように浮いた。

「忘れてた。これを君に」

 緑のタイピン? 

 異世界で喪服という時点で浮いているし、ありがたく頂戴した。

 彼は優しい目をして微笑んだ。



 なんだよ、性格悪いキャラじゃないんかい!






 ケンサクは道々、転生して日が浅い私に世界の説明をしてくれた。



 町は王都を含めて4つ。ダンジョンはない。

 王都はスルーして竜王城に行くのが最短コースで歴代勇者もそうしてきたらしい。 

 

 竜王討伐じたいは楽勝らしいが、神出鬼没の竜宮城に行ってしまうと厄介なことになるようだ。
 最恐にして最強の竜王が復活したにもかかわらず、ケンサクは涼しい顔をしていた。


「ありがとう。ところでケンサクは何歳なの?」


「38歳だよ。僕ら勇者は不老なのにオッサンなのが不愉快だ」



 おいおいおい。

 もろもろ最年少だから抜擢されたんだろ。

 

 見た目は変わらなくても体力や精神力は衰える。

 ムサシとコジローの決闘はいまなお毎日行われているが、老人の戯れにしか見えなかった。



 ケンサクは石ころを蹴ってふて腐れていた。

 子供っぽいやつだが、同年齢なのは嬉しい。

 こいつは秘匿大勇者だし、私は従者みたいなものだろう。



 しかし、秘匿大勇者なんて伝説だと思っていた。

 世界を30億回破壊できる力を持つと聞いている。

 それ以外の情報は秘匿されている。



 マジでケンサクだけで十分だろ。私の存在意義なくね? 



 ムカついたので舌打ちした。

 ん? もしかして後ろの雑木林に何かいるのか? 私は首をかしげた。



「カナタ、君の前世は盲目だったのかい?」



 ケンサクが不可解だという視線を私に向ける。



「いや。なんで? 違うけど」



「君が使ったのは反響定位だよ。後ろのゴブリンに気づいたろ?」



 舌打ちは癖だと弁明した。

 過労でイライラして舌打ちばかりしていたのだろう。

 3年目くらいから周囲を見なくても物事が把握できた。

 

 あれは反響定位だったのか!



 なるほどと合点し、舌打ちじゃなくても可能ではと閃いてバチンと指を鳴らした。 

 フィンガースナップでも大丈夫みたいだ。



「体長1メートルくらいのが、30。いや、50体はいるな。棍棒を持ってる」



「わかった。僕は詠唱に入る。攻撃合図は総代の君に任せる。いわばパーティリーダーだからね」



 詠唱? この世界に魔法はないぞ! 

 

 っておい! なんでスマートフォンなんか持ってんだよ!



「やあ、ノブさん。久しぶりだね」



 フツーに電話するんかーい! 



 オイオイオイッ! 雑木林からめっちゃ走ってくるぞ!



「うん。うん。それで頼むよ。……急急如律令!!」



 最後だけ呪文みたいなこと言ってごまかしたな。

「秘匿」ってスマホのことかよ。

 前世と連絡がとれる秘匿回線の「秘匿」? 



 異世界アニメのテンプレのようなゴブリンらが長い舌から涎を垂らして駆けてくる。



 終わりだ。せめて苦しませずに殺してくれ……。私は目を閉じた。



「カナタ、そろそろ近づいてきたかい?」



「すぐそこだよ! もう終わりだ!」



 頭を抱えてしゃがんだとたんにゴブリンの足音が消えた。

 私は恐る恐る顔を上げた。

 ゴブリンらが痙攣しながら倒れている。



「ケンサク! 何したんだよ!」



 私は恐怖と安堵と怒りが胸中で混在して彼に詰め寄った。



「あー、ノブさん? 助かったよ。父上にもよろしく。じゃ」



 人の話聞いてねえなこいつ。私は溜め息をついた。



「いまのはノブユキ、僕の兄の仕業さ。鋼鉄の矢を1万本ほど所望したんだが、毒でも使ったのかな。僕にもわからない」



 え? そんなのアリ?



「どうせ知れることだから、いまのうちに君に伝えておこう」



 ケンサクによると彼の能力は前世に存在していた森羅万象に干渉し、召喚・使役できるものだという。

 父は大財界人で不仲だったが和解。
 まだ気まずくて兄を通じて連絡をとっているそうだ。



「前世の森羅万象? イージス艦も召喚できるの?」



「僕の時代にはなかったがね。召喚可能だよ。しかし不快だな。早くここを去ろう」



 ケンサクはスマホを耳に当てた。

 しばらくすると陸上自衛隊の高機動車が顕現した。

 彼はハンドルを握ると私に乗るよう手招きした。

 窓に頬杖をつきながら私は思った。



 最初からこれに乗れよ!







 ひたすら退屈な湿原を抜けて2日が経過した。

 ようやく町が見えてきた。

 ケンサクは「不愉快」とか「不快」などとネガティブな言葉を連発していた。


「いったい何がそんなに不快なの?」


 ケンサクはキッと鋭く私を睨んだ。


「わからないかい? さっきから寒いんだ」


 たしかに寒い。町への距離が縮まるたび寒くなっている気がする。


「君の懐は寒くないかネ?」


 失礼なやつだ。とくべつ困っていない。


「大丈夫。ん? なんか街並みがおかしくないか?」


 門の正面からでも町が凍っているのがわかった。

 この先に続くツルツルの道を高機動車が滑らないという保障はない。


「おもしろくないな」


 意外にも車両は滑らなかった。
 ケンサクは不満そうに口を尖らせていた。


 街並みはゲームやアニメでよく見る中世ヨーロッパ風。
 往来に人はいない。
 ケンサクは車を停車させて言った。


「町が静かだ。反響定位で何かわからないかい?」


 私は目を閉じ、何度か舌打ちした。

 遠くて正確なことはわからないが、町はずれの湖が波打っている。

 ケンサクにそのことを伝えると、地図を持って一人で湖に向かうと言う。


「ノブさんに三ツ星ホテルを用意させるから、君は休んでいたまえ」


 しばらくして場違いな高層ビルが顕現した。

 天を衝かんとする高さに唖然とした。

 これのどこがホテルなんだよ。もしかして複合施設なのか?

 ビルのエントランスに入るなり気分が落ち込んだ。

 もうこういう建築物はこりごりだ。前世を思い出してしまう。

 エレベーター前の案内板を見るとホテルのフロントは220階らしい。
 いや、こんなホテルあります? 未来の摩天楼じゃないか。


 前面ガラス張りのエレベーターは恐怖でしかなかった。
 膝を震わしながらチェックインをすませた。


 299階のスイートルーム。
 微妙な数字に困惑したが、文句を言っても仕方がない。
 大きなベッドでジャンプしたり、走り回ったりして子供のようにはしゃいだ。

 コラコラ! 
 私は何をやっているんだ。
 正気に戻ってフロントに架電した。


『はい、フロントでございます』

「町の人たちは無事ですか?」


『おそらく凍ってらっしゃるかと……』


 私は礼を言って受話器を置いた。
 あれっ? 
 どうも体が臭う。入浴して身を清めた。


 バスローブに身を包みベッドに腰かけていると爆発音がした。
 ホテルも揺れている。


 私は喪服を着て湖へ急いだ。


 巨大なウナギが砕けた氷に挟まって身動きできなくなっていた。

 湖を凍らせて砕く技術ってあるの?

 あきらかに爆発音だったけど、破裂音?

 まったくわからなかった。

 ケンサクは白い息を機関車のごとく吐いて遊んでいた。



「ケンサク! なんだこのデカいウナギは!?」


「ホテルでゆっくりしてればいいのに。さっき『氷竜』と名乗ってたな」


「じゃあ、こいつが竜王なのか?」


 ケンサクはかぶりを振って竜王はこんなにザコじゃないと氷竜を挑発するような仕草をした。

――おのれ人間! 許さん!

 おいおい、怒らしてるじゃないか。

 なんとなく凍てつくブレスを吐いてくる気がする。

 ケンサクにブレスに注意するよう訴えた。


「たしかにブレスは危険だ。君もくれぐれも注意したまえ」


 は? 注意に注意で返してきたか。
 私は腕組みしてプンスカしていた。


「ノブさん、座標どおりに」


 ケンサクが湖に背を向けて走ってきた。


「急ぎたまえ。逃げるぞ」


 そう言うとケンサクは私の手をギュッと握った。

 えっ? ナニコレ? 

 まさかそういう展開? えっ?

 オッサンでもこういうのアリなのね!
 いやん、もう。


「ケンサクぅぅぅ! ちょっ! まっ……」


 私たちは手をつないだまま立ち止まった。
 凄まじい爆発音と地響きが少なくとも100回以上はあったと思う。



――ぐああああ。人間め! ぐあああああッッッ!!



 湖は炎の海になっていた。

 私はモジモジしながら握った手をほどくとケンサクを見た。


「航空支援を頼んだだけなんだけどな」


 彼は頭を掻いた。

 氷竜の断末魔とともに町の氷が溶けていく。


「町民が氷解して出てこないうちに立ち去ろう。話しかけられては面倒だ」


 高機動車で町を後にした。



 ……人とのふれあい皆無!



「次は山登りだが、今日は厳しそうだな」


 ハンドルのうえに顎を乗せたケンサクが退屈そうに言った。

 私は彼に停車を求め、指を鳴らした。

 草花が揺れているだけで問題なさそうだった。

 また三ツ星ホテルが現われた。


 平原に豪華絢爛なホテルがぽつり。
 私は溜め息をついた。



「カナタ、不愉快なら不愉快だと言ってくれよ?」

「不愉快じゃないよ。おもしろくない」


 ケンサクは肩を大きく揺らして笑い出した。
 変なこと言ったかな?


「僕もおもしろくない」

 ケンサクは私の顎に触れ、持ち上げた。

 ま、まさかの顎クイ!? 待って、心の準備が!

 オッサン同士でもアリかもしれない。


 私は生唾を飲み込んでケンサクの目を見つめた。
 彼は私を見つめ返すと、


「君は髭が伸びるのが早いようだ。早く剃りたまえ。不愉快だ」


 と言い残してホテルへ入っていった。


 私は地面に尻をついて呼吸を整えていた。
 あぶねえ! 新たな扉が開くところだった。



 遠くに見える湖はまだ燃えていた。