============== これは、勿論フィクションです。 =======
俺の名は、加賀見進。別名「異次元の殺し屋・万華鏡」。次元を渡り歩く殺し屋をしていたが、時間管理局に『異動』になった。俺の使命は、この未来世界(3026年)から、所謂タイムリープをして逃げた犯人を追って、『悪さ』をしていた場合、逮捕し、局に移送させることだった。殺しはしないが、痛め付けること位は許されている。
今の俺は、『異次元のパトロール警官』。次元の『調整係』だ。
午前9時。時間管理局。
出勤するなり、ボスは言った。
「五十嵐、お前は・・・銀行は嫌いか?」
「嫌いです、きっぱり。」
「きっぱり?まあ、いい。今回の差異の場所は『歩の国』。お前が麻雀のメンツに割り込んで調べた次元だ。時間軸は、2014年。懲役9年の実刑を受けた男が服役後、週刊誌の報道が事実と異なっているとして訴え、デマ報道に関する裁判に勝訴した。そもそもの事件は、睡眠学習でお浚いしてくれ。で、データベースはと違い、『歩の国』の年鑑が書き変わった。その男が出所した直後、行方不明になったことになっている。」
俺は、MRIに似た移送装置に横になった。
睡眠学習が始まった。
そもそもの事件は、2002年12月26日。融資トラブルが原因で人質立てこもり事件が起こった。SATも出動し、結局投降した。第一審から第三審まで裁判は続き、懲役9年の実刑判決になった。服役後、事件を『想像を交えた』週刊誌に対して、裁判を起こし、勝訴した。SNSが流行り出した頃で、世間は味方した。罪は償ったのに、オモチャにされたのだ。
立てこもり事件は終っている。彼を『消した』のは・・・。
2014年4月某日。某弁護士事務所。
立てこもり犯堀田は、事件で弁護人になった手川弁護士のもとを訪れ、事件を拡大解釈して、売らんが為のフィクションを作った週刊誌『週間珍重』を訴えたいと申し出た。
手川は、真実の為に立ち上がった。SNSも利用し、『更生の道』を閉ざした、として裁判を起こした。
堀田が弁護士事務所を出た直後、ワゴン車がとまり、堀田を拉致しようとした。
俺は、変装をした上で、ワゴン車の前に立ちはだかった。
ワゴン車は、無理矢理突っ込んで来た。
だが、俺は、ワゴン車だけを消した。
そして、シッパーと思しき人物を『保安檻』に跳ばした。
更に、週刊誌記者らしき人物の衣類を消した。
堀田は、唖然としていたが、「アンタは?」と尋ねた。
「通りすがりの、正義の味方だ。アンタの事情は心得ている。勝訴することを祈ってるよ。」
「誰だか知らないが、ありがとう。」
3026年某月某日。時間管理局。
俺はタイムレコーダーシステムに体内時計をスキャンさせた。
ギリギリセーフか。
「小さな事件なんだけどね、週刊誌記者がストリーキングして逮捕された事件が年鑑に加わったんだけど、知ってる?」
「さあ・・・・。」
午後7時。帰宅すると、2丁拳銃を持った、かな子が出迎えた。
俺は「ギブアップ。投降します。」と両手を挙げた。
「今夜は、2丁拳銃、使ってもいいわよ。」と、かな子はウインクした。
へ?
―完―
※
2002年(平成14年)12月26日午前10時ごろ、京都中央信用金庫の本店に拳銃2丁を所持した徳田衛一(当時60歳)が押し入り「理事長に会わせろ、と京都中央信用金庫の職員4人を人質にとり立てこもった。立てこもり事件発生を受けて京都府警察は本部に100人態勢の指揮本部を設置し、大阪府警察に特殊部隊 (SAT) の出動を要請した。
※人質は男性行員3人と女性行員1人だったが、午後4時40分ごろ(発生から約6時間半)に女性行員1人、午後10時半ごろ(発生から約12時間半)に男性行員1人が解放されたが、融資の担当であった債券管理部の部長と課長の2人は残された。
※発生から14時間が経過した12月27日午前2時30分ごろ、警察官や自身が経営していた不動産会社の元従業員らの説得に応じるかたちで残る2人を解放し、自身も投降した。
※これを受けて京都府警察は徳田を人質強要行為処罰法違反と銃刀法違反で現行犯逮捕した。
※徳田は事件前に自身の犯行声明としてビデオテープ3本を報道機関あてに残している。ビデオテープの中で徳田は「私はこの凶器、弾薬を的確にコントロールする技術と能力を持って、正規の金融機関に押し入り、私を陥れた犯罪者をこの手でとらえ、処罰を加える」と京都中央信用金庫をターゲットとした犯行を予告していた。関西テレビ放送はビデオテープを入手した後、犯行予告の内容を報道したが、徳田は関西テレビ放送に電話をかけて犯行動機などを主張した。その後、読売新聞大阪本社にも電話をかけている。
※2003年(平成15年)1月17日、京都地検は徳田を人質強要行為処罰法違反と銃刀法違反の罪で起訴した。
※2005年(平成17年)4月6日、最高裁第一小法廷(横尾和子裁判長)は被告側の上告を棄却する決定を出したため、懲役9年の判決が確定した。
※現在は刑期を終えて出所しており、2014年ごろから個人ブログやTwitter(現・X)などで獄中生活や犯行の動機などについて発信している。獄中で事件に関する『週刊新潮』の報道が事実と異なっているとして、裁判に勝訴し慰謝料を得ている。
俺の名は、加賀見進。別名「異次元の殺し屋・万華鏡」。次元を渡り歩く殺し屋をしていたが、時間管理局に『異動』になった。俺の使命は、この未来世界(3026年)から、所謂タイムリープをして逃げた犯人を追って、『悪さ』をしていた場合、逮捕し、局に移送させることだった。殺しはしないが、痛め付けること位は許されている。
今の俺は、『異次元のパトロール警官』。次元の『調整係』だ。
午前9時。時間管理局。
出勤するなり、ボスは言った。
「五十嵐、お前は・・・銀行は嫌いか?」
「嫌いです、きっぱり。」
「きっぱり?まあ、いい。今回の差異の場所は『歩の国』。お前が麻雀のメンツに割り込んで調べた次元だ。時間軸は、2014年。懲役9年の実刑を受けた男が服役後、週刊誌の報道が事実と異なっているとして訴え、デマ報道に関する裁判に勝訴した。そもそもの事件は、睡眠学習でお浚いしてくれ。で、データベースはと違い、『歩の国』の年鑑が書き変わった。その男が出所した直後、行方不明になったことになっている。」
俺は、MRIに似た移送装置に横になった。
睡眠学習が始まった。
そもそもの事件は、2002年12月26日。融資トラブルが原因で人質立てこもり事件が起こった。SATも出動し、結局投降した。第一審から第三審まで裁判は続き、懲役9年の実刑判決になった。服役後、事件を『想像を交えた』週刊誌に対して、裁判を起こし、勝訴した。SNSが流行り出した頃で、世間は味方した。罪は償ったのに、オモチャにされたのだ。
立てこもり事件は終っている。彼を『消した』のは・・・。
2014年4月某日。某弁護士事務所。
立てこもり犯堀田は、事件で弁護人になった手川弁護士のもとを訪れ、事件を拡大解釈して、売らんが為のフィクションを作った週刊誌『週間珍重』を訴えたいと申し出た。
手川は、真実の為に立ち上がった。SNSも利用し、『更生の道』を閉ざした、として裁判を起こした。
堀田が弁護士事務所を出た直後、ワゴン車がとまり、堀田を拉致しようとした。
俺は、変装をした上で、ワゴン車の前に立ちはだかった。
ワゴン車は、無理矢理突っ込んで来た。
だが、俺は、ワゴン車だけを消した。
そして、シッパーと思しき人物を『保安檻』に跳ばした。
更に、週刊誌記者らしき人物の衣類を消した。
堀田は、唖然としていたが、「アンタは?」と尋ねた。
「通りすがりの、正義の味方だ。アンタの事情は心得ている。勝訴することを祈ってるよ。」
「誰だか知らないが、ありがとう。」
3026年某月某日。時間管理局。
俺はタイムレコーダーシステムに体内時計をスキャンさせた。
ギリギリセーフか。
「小さな事件なんだけどね、週刊誌記者がストリーキングして逮捕された事件が年鑑に加わったんだけど、知ってる?」
「さあ・・・・。」
午後7時。帰宅すると、2丁拳銃を持った、かな子が出迎えた。
俺は「ギブアップ。投降します。」と両手を挙げた。
「今夜は、2丁拳銃、使ってもいいわよ。」と、かな子はウインクした。
へ?
―完―
※
2002年(平成14年)12月26日午前10時ごろ、京都中央信用金庫の本店に拳銃2丁を所持した徳田衛一(当時60歳)が押し入り「理事長に会わせろ、と京都中央信用金庫の職員4人を人質にとり立てこもった。立てこもり事件発生を受けて京都府警察は本部に100人態勢の指揮本部を設置し、大阪府警察に特殊部隊 (SAT) の出動を要請した。
※人質は男性行員3人と女性行員1人だったが、午後4時40分ごろ(発生から約6時間半)に女性行員1人、午後10時半ごろ(発生から約12時間半)に男性行員1人が解放されたが、融資の担当であった債券管理部の部長と課長の2人は残された。
※発生から14時間が経過した12月27日午前2時30分ごろ、警察官や自身が経営していた不動産会社の元従業員らの説得に応じるかたちで残る2人を解放し、自身も投降した。
※これを受けて京都府警察は徳田を人質強要行為処罰法違反と銃刀法違反で現行犯逮捕した。
※徳田は事件前に自身の犯行声明としてビデオテープ3本を報道機関あてに残している。ビデオテープの中で徳田は「私はこの凶器、弾薬を的確にコントロールする技術と能力を持って、正規の金融機関に押し入り、私を陥れた犯罪者をこの手でとらえ、処罰を加える」と京都中央信用金庫をターゲットとした犯行を予告していた。関西テレビ放送はビデオテープを入手した後、犯行予告の内容を報道したが、徳田は関西テレビ放送に電話をかけて犯行動機などを主張した。その後、読売新聞大阪本社にも電話をかけている。
※2003年(平成15年)1月17日、京都地検は徳田を人質強要行為処罰法違反と銃刀法違反の罪で起訴した。
※2005年(平成17年)4月6日、最高裁第一小法廷(横尾和子裁判長)は被告側の上告を棄却する決定を出したため、懲役9年の判決が確定した。
※現在は刑期を終えて出所しており、2014年ごろから個人ブログやTwitter(現・X)などで獄中生活や犯行の動機などについて発信している。獄中で事件に関する『週刊新潮』の報道が事実と異なっているとして、裁判に勝訴し慰謝料を得ている。


