その名は時間管理局


 ============== これは、勿論フィクションです。 =======
 俺の名は、加賀見進。別名「異次元の殺し屋・万華鏡」。次元を渡り歩く殺し屋をしていたが、時間管理局に『異動』になった。俺の使命は、この未来世界(3026年)から、所謂タイムリープをして逃げた犯人を追って、『悪さ』をしていた場合、逮捕し、局に移送させることだった。殺しはしないが、痛め付けること位は許されている。
 今の俺は、『異次元のパトロール警官』。次元の『調整係』だ。

 午前9時。時間管理局。
 出勤するなり、ボスは言った。
 「五十嵐、お前は、出世をどう思う?」
 「ボス、出世したんですか?局長?局次長?」
 「お前、舐めてるだろう。かな子に言いつけてやる。差異の話だよ、当然。場所は、『脱の国』。お前が体張って、国のトップを救った次元だ。時間軸は、1989年。4月27日に【経営道の神様】津島孝之助氏が気管支肺炎で亡くなった。これがデータベースにある真実だ。津島氏は人格者で、ソレが故に大出世した人物として知られている。ところが、後年、身内と後継者でもめ事があり、会社本体は先細りして行った、と言われている。それはともかく、書き変わった年鑑によると、津島氏は、同年1月2日に行方知れずになっていて、3026年に姿を現わしている。」
 ボスは、スクリーンに2枚の写真を並べて見せた。
 「例によって、シッパーの誘拐ですね。まさか、悪事にアドバイスさせている?」
 「かどうかは判らないが、誘拐を阻止しろ。」

 俺はMRIに似た移送装置に横になった。
 睡眠学習によると、ボスの言った通り、大変尊敬を集めた人物だったが、『お家騒動』は、世間を困惑させ、結果的に後継者を会社を衰退させたようだ。
 まあ、どこの企業でも、創業者が起業した時の通りに軌道は進まなかったという事例はある。

 1989年1月2日。深夜。津島家。
 正月の宴会が終って、皆寝静まった頃、庭に一人の男が現れた。
 「3026年に連れて行って、津島塾開いて貰うのかい?余命いくばくもないのに。講義は『誘拐の仕方』とかかい?」
 ぎょっとして振り向いた男は、何も言えなかった。
 俺が、躊躇無く、『保安檻』に送ったからだ。
 津島氏なら、頑丈で長持ちする『保安檻』造れるかな?

 突然、雨戸が開いて、津島氏が顔を見せたが、見えたのは、雪が積もった庭だけだった。
 コート着てきたのは正解だったな。
 ありがとう、かな子。
 『内助の功』って奴だ。

 3026年某月某日。午後5時。時間管理局。
 俺はタイムレコーダーシステムに体内時計をスキャンさせた。
 ボスが寄ってきて、そっと言った。
 「お前、俺に出世して欲しい?」「はい。」「いい部下だ。」

 午後7時。帰宅すると、かな子はマッサージ器に座っていた。
 背面を見ると、M社製品。津島氏の会社製品だ。
 「あんたを『揉む』為には、体を柔軟にしていおかないとね。今夜はお茶漬けよ。」

 ヒーローは辛い。

 ―完―

 ※イメージモデル、『松下幸之助』氏について
 平成元(1989)年4月6日、幸之助は38度の高熱を出し、気管支肺炎を発症しました。治療を担当したのは、松下記念病院の当時の院長でした。
 ※同月20日、院長が幸之助の気管にたまった痰たんをチューブで吸い出す際、「これから管を喉に入れます。苦しいでしょうがご辛抱ください」と声をかけました。幸之助は声帯の萎縮によってほとんど声が出せない状態だったにもかかわらず、「いやいや、お願いするのは私です」と、振り絞るように低くかすれた声で答えたのです。これが生涯最期の言葉となりました。
 ※幸之助はその1週間後の27日、午前10時6分に94歳で永眠しました。院長は、「あのひと言は終生忘れることができない。苦しい病の床にありながらも相手を思いやる。松下さんのすべてを物語っている言葉だった」と語っています。
 ※1月10日の松下電器の経営方針発表会に車椅子で出席。、壇上に上り8000人の出席者にゆっくりと手を振った。会場からは熱狂的な拍手が起こり、かなりの人が涙を流していたそうです。
 ※記録によって、「4月6日没」と「4月27日没」がありましたが、当作品では、ウィキペデイアの記述を使用しました。
 「末期」の、謙虚な言葉も有名です。