その名は時間管理局


 ============== これは、勿論フィクションです。 =======
 俺の名は、加賀見進。別名「異次元の殺し屋・万華鏡」。次元を渡り歩く殺し屋をしていたが、時間管理局に『異動』になった。俺の使命は、この未来世界(3026年)から、所謂タイムリープをして逃げた犯人を追って、『悪さ』をしていた場合、逮捕し、局に移送させることだった。殺しはしないが、痛め付けること位は許されている。
 今の俺は、『異次元のパトロール警官』。次元の『調整係』だ。

 午前9時。時間管理局。
 出勤するなり、ボスは言った。
 「五十嵐、お前は、温泉は好きか?」
 「あ。いいですねえ。いつか、かな子とゆっくり・・・。」
 「違う。何、言ってる。休日は取れても休暇は簡単には取れない。」
 「何故ですか?」
 「ヒーロー、正義の味方に、『のんびり』はない。」
 「ちぇ。」
 「今、舌打ちした?」「このせいです。ああ、温泉で差異が生じた。ですよね。」
 「残念ながら、そうだ。差異が生じたのは、『輸の国』。お前が、蔵前悦子と出逢った次元だ。時間軸は、1968年2月21日。立てこもり事件が発生、犯人の通称ヒロ・ユキが借金を踏み倒した暴力団の組員を射殺して逃亡、旅館ミヤネの経営者と宿泊客ら13人を銃で脅し、人質にとって籠城した。結局、捕まったが、マスコミは『差別の告発』などと言って、奴を庇った。これがデータベースのデータ。ところが、3026年の『輸の国』の年鑑には、行方不明のまま、となっている。」
 「シッパーが逃亡の助けをしたんですね。」

 俺がMRIに似た移送装置に寝転がろうとすると、当時の冬物ジャンパーが置いてあった。そう言えば2月だったな。今日はサービスいいな。
 睡眠学習によると、犯人は隣国人で、暴力団を手玉に取っている。
 機を付けないとな。

 2018年1968年2月20日。射殺現場。
 立てこもりの前日に、暴力団員を射殺している。
 奴が逃亡するのを見ている者がいる。

 翌日の2月21日。旅館ミヤネ。
 籠城した後、警察が到着。警察より早く、野次馬から離れて裏口に向かうシッパー。
 俺は、すぐに裏口にテレポーテーションした。
 「そいつ助けると、儲かるのか?」
 奴が振り向いた時は、俺はもうそこにはいなかった。
 側面に飛んで、俺は奴を『金縛り』にして、『保安檻』に送った。
 「だれだ?」やばい、犯人だ。
 俺は、旅館の正面の、野次馬に紛れ込んだ。
 「どうなったんです?」隣の男に尋ねると、「突入したんだよ。年貢の納め時だな。あんた、見てなかったの?」と尋ね返された。
 「ちょっと、ションベン行ってて。」「ああ。」
 犯人が連行されて行くので、皆はそっちに夢中だ。俺は、急いで未来に帰った。

 3026年某月某日。午後5時。時間管理局。
 俺は、タイムレコーダーシステムに体内時計をスキャンさせた。
 「ご苦労さん。今夜、湯豆腐するから、豆腐買って帰れ、ってさ。」
 「了解。」
 兄も夫もパシリか。

 午後8時。帰宅して豆腐を渡すと、「遅い。遅いから、一人で湯豆腐食べた。おかゆならあるよ。これ、明日食べよう。タレ、忘れず買って帰って。」

 湯豆腐はカップラーメンに化けた。
 あいつう。腹立つが、義兄で上司だ。とほほ。

 ―完―

 ※金嬉老事件(きんきろうじけん、キムヒロじけん)は、1968年2月20日に、在日朝鮮人(二世)の金 嬉老(きん きろう(キム・ヒロ)、改名後の本名:権 禧老(クォン・ヒロ)、1928年11月20日 - 2010年3月26日、事件当時39歳)が犯した殺人を発端とする人質事件である。寸又峡事件とも呼ばれる。籠城の様子がテレビを通じてリアルタイムで報道されたことで日本初の劇場型犯罪となった。
 ※1968年2月20日、金嬉老は借金返済を求める暴力団への返済を約束して静岡県清水市(現・静岡市清水区)の歓楽街にあるクラブ「みんくす」で暴力団・柳川組組員と面会した。その場で暴力団員2人(未成年の少年1人を含む)に対しライフルを乱射して殺害し逃亡した。
 ※翌日には、同県榛原郡本川根町(現・川根本町)寸又峡温泉の「ふじみや旅館」で経営者と宿泊客ら13人を銃で脅し、人質にとって籠城した。

 金は、M1カービン用の30発弾倉を取り付けた豊和工業製の猟銃「M300」とダイナマイトで武装していた。籠城すると、自ら警察に居場所を通報し、警察が民族差別について謝罪することを人質解放の条件とした。88時間にわたる籠城を経て、2月24日に金は記者に変装した警察官に取り押さえられ、逮捕された。
 ※旅館には、警察と共に報道陣も詰め掛けた。金は「私は昔から警察から酷い扱いを受けてきた。これを世間に訴えるには、こうした騒ぎを起こし、新聞やテレビで取り扱ってもらうしかない」と事件をマスコミに扱ってもらう為に起こしたと主張しだした。何度も記者会見を開き、「これまで受けた差別」を訴え、「警察官による在日韓国・朝鮮人への蔑視発言について謝罪」を人質解放条件として要求、マスコミの報道内容で人質の扱いを変えるなど、それ以外の要求をほとんどしなかった。これにより、事件は「差別の告発」として報道された。
 ※金が籠城する様子はテレビやラジオで実況中継され、関連していたとされる警察官がテレビに出演するなどもした。連日各テレビ局のワイドショーは、人質被害者の安否や被害者家族の意向などお構いなしにスタジオから「ふじみや旅館」に独自に生電話を入れて視聴率を稼いだ。一部のメディアは、銃を持って戸外を警戒している金に対し「金さん、ライフルを空に向けて射ってくれませんか」と要望を出し、金は数発によるライフルの空中乱射を撮影させて演出までした(後に金本人が法廷陳述で一連のマスコミ報道の裏を暴露して不満を表明している)。また金の本国である韓国でも大々的に報道され、金は「差別と戦った民族の英雄」として祭り上げられた。事件の発端は金が抱えていた暴力団員との金銭トラブルに端を発し、彼らを射殺したことであったにもかかわらず、メディアは金を「差別と闘う象徴的存在」のように取り上げ、「英雄視」する報道も見られた。事件直後の1972年4月、県警が発行した内部資料には、当時現場で取材を行った記者らによる反省の手記が掲載されている。テレビ局の記者は、金が報道内容によって態度を変え、人質を解放したり、銃を乱射したりしたと証言し、報道が金の意図に利用されたことへの後悔を述べている。また、最初に現地に入った新聞記者は、「金の主張を中心とした報道となり、人種差別への言及が結果的に正当化されるような印象を与えてしまった」と、報道姿勢への自省を綴っている。

 ※以上が、この作品の題材になった事件ですが、上記の通り、『被害者を無視して加害者を擁護する体質』は、今もマスコミに根強いようです。
 犯罪は犯罪。法によって裁かれるべきで、『情状酌量』は、裁判で争う事案であって、マスコミは裁く権利もないし、国民に同意を求めるべく偏向報道する姿勢は、下品!!!!!!!
 クライングフリーマン