============== これは、勿論フィクションです。 =======
俺の名は、加賀見進。別名「異次元の殺し屋・万華鏡」。次元を渡り歩く殺し屋をしていたが、時間管理局に『異動』になった。俺の使命は、この未来世界(3026年)から、所謂タイムリープをして逃げた犯人を追って、『悪さ』をしていた場合、逮捕し、局に移送させることだった。殺しはしないが、痛め付けること位は許されている。
今の俺は、『異次元のパトロール警官』。次元の『調整係』だ。
午前9時。時間管理局。
出勤するなり、ボスは言った。もう力石だと、ばれてるが、変な仮面を着けている。
もう知らん振りするしかない。
「五十嵐、お前は・・・お前、確か『冤罪』は嫌いだったよな?」
「ファイナルアンサー。」
「先に言うなよ。今回は、『冤罪』から『再審』を経て、『無罪』になった事件だ。差異が生じたのは、『溌の国』。お前が『辞めないトップ』の体制を平定した次元だ。時間軸は、1980年12月28日。無罪が確定され、補償金も支払われた。ここまでが、データベースにある真実だ。ところが、年鑑が書き変わった。翌年1981年1月4日。冤罪だった被告に強盗殺人した者がいる。補償金目当てだろうと推測されたが、犯人は不明で行方不明。変だよね。」
間違いない。シッパーだ。金目当てでもない。いや、本来の犯人を巻き込んでいるかも知れない。
俺はMRIに似た移送装置に寝転がった。
側には、コートとマフラーがある。
マフラー?
睡眠学習によると、被告になった男は、随分辛酸な目に遭っている。
自白の強要、手抜き捜査。本来はタダの空き巣だ。
空き巣のセオリーは、人を殺めないことと聞いたことがある。強盗と空き巣は根本的に違うのだ。
再審で無罪を勝ち取るまで随分時間がかかっている。弁護団の粘り勝ちか。
万一シッパーでなくても、俺達は、「歴史を修正」する。シッパーの場合は『保安檻』に送り、単純に・・・いや、あり得ない。
現地の時間軸に元被告を葬った奴がいても、黒幕はシッパーだ。
「データベースの歴史」を知った上でやっているのだから。
1981年1月4日。『溌の国』。元被告の家の近く。
「やってきたな、万華鏡。5人がかりで、私を葬るのか?それでも『時間警察』か。」と、オンナは嗤った。
「おまいう。自爆して元被告を、無理矢理地獄に引きずり込もうとしている奴に正義はないだろう。」
「今、なんて?」
「知らなかったのか。じゃ、解決しよう。」
今回は、良子、ミミー、エコ、そして、止揚だ。
オンナを良子、ミミー、エコが金縛りにする。
止揚が、オンナの体の中の爆発ブツを切り離した。
俺は、爆発ブツを跳ばし、オンナを『保安檻』に送った。
挨拶は抜きで、皆は消えた。
現地の警察官は、俺が消えた後、残骸を見つめていた。
多分、判らないだろう。この時間軸の、この次元には存在しないものだ。
3026年某月某日。午後5時。時間管理局。
俺はタイムレコーダーシステムに体内時計をスキャンさせた。
ボスはやってこない。
午後7時。五十嵐家。
「ダーリン、ごめんねえ、冷たくして。これから、たっぷりサービスさせてやるからさ。」
「え?メシは?」
「3開戦、終ってから。」
俺は、ドリンク剤を3本飲まされた。
た、助けて・・・・。
―完―
※免田事件(めんだじけん)とは、1948年(昭和23年)12月29日に熊本県人吉市で発生した強盗殺人事件。
※同事件の被疑者として逮捕・起訴された男性に死刑判決が言い渡されて確定したが、後に再審で無罪が確定した冤罪事件でもある。四大死刑冤罪事件のひとつ(免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件)。日本弁護士連合会が支援していた。
※翌1949年1月13日、警察は熊本県球磨郡免田町(現・あさぎり町)在住の男性・免田 栄(めんだ さかえ、1925年〈大正14年〉11月4日 - 2020年〈令和2年〉12月5日)を別件の窃盗容疑で逮捕し、同月16日には一家4人への強盗殺人などの容疑で再逮捕した。この3日あまりの間、警察は免田に拷問と脅迫を加え、自白を強要する。
※1950年(昭和25年)3月23日、熊本地裁八代支部は被告人・免田栄に死刑判決を言い渡した。免田は控訴するが1951年(昭和26年)3月19日に福岡高裁は免田の控訴を棄却する判決を言い渡した。さらに免田は上告したが、同年12月25日に最高裁から上告棄却の判決を言い渡され、1952年(昭和27年)1月5日に死刑が確定した。
※1972年(昭和47年)に免田は熊本地裁八代支部に第6次再審請求したが、1976年(昭和51年)4月30日に同地裁支部より請求棄却決定が出される。しかし、1979年(昭和54年)9月27日に福岡高裁が再審開始を決定。検察は最高裁に特別抗告したが、1980年(昭和55年)12月11日に棄却され、再審開始が確定した。
※同地裁支部は事件当夜の免田のアリバイを認め、(有罪の根拠となった)自白の信用性を否定した。この判決は死刑囚に対しては初となる再審無罪判決で、事件発生から34年6か月後のことだった。免田は即日釈放され、同月28日に検察が控訴を断念したことで無罪が確定。刑事補償法に基づき、死刑確定判決から31年7か月の拘禁日数12,599日に対して免田に9,071万2,800円の補償金が支払われた。
※なおそれまでに、警察・検察は、いずれも免田が真犯人だとして本事件の再捜査を行わなかったため、真犯人は検挙されず、本事件は公訴時効が完成し、未解決事件となっている。


