その名は時間管理局


 ============== これは、勿論フィクションです。 =======
 俺の名は、加賀見進。別名「異次元の殺し屋・万華鏡」。次元を渡り歩く殺し屋をしていたが、時間管理局に『異動』になった。俺の使命は、この未来世界(3026年)から、所謂タイムリープをして逃げた犯人を追って、『悪さ』をしていた場合、逮捕し、局に移送させることだった。殺しはしないが、痛め付けること位は許されている。
 今の俺は、『異次元のパトロール警官』。次元の『調整係』だ。

 午前9時。時間管理局。
 出勤するなり、ボスは言った。もう力石だと、ばれてるが、変な仮面を着けている。
 もう知らん振りするしかない。
 「五十嵐、お前は・・・お前、映画は好きだよね?」
 「好きだよね?なんでご存じなんでしょう?」
 「かな子が好きだから、映画。」
 「えっと、差異は映画、かな?」
 「よく判ったね。」前振りしといて、よく言う。
 「差異が生じたのは、、『判の国』。『抹殺グループ』による事件に関わった次元だ。時間軸は1997年。大監督の十三勇(じゅうそういさむ)が亡くなった。俳優・マルチタレントやデザイナーでも知られる彼は、51歳の遅咲きだったが、映画監督として名を馳せた。
 64歳の時亡くなった彼は自殺したことになっている。が、反社に襲われたこともあり、暗殺されたという説もある。ここまでが真実だ。ところが、3026年、変わった映画が作られ、彼に酷似している、と、『判の国』の年鑑が書き変わっている。シッパーが絡んでいると思えないか?」
 「絡んでいます、きっぱり。」

 俺はMRIに似た移送装置に寝転がった。
 コートがある。そうか。12月だ。
 睡眠学習によると、随分多彩な才能を発揮した人物だ。彼の自殺説は友人達が否定している。遺族がそれを否定しなかったということは、不審死だ。やはり、反社にやられたか。宗教団体が依頼したのか?彼が取材した宗教団体が。不都合な真実を掴まれて。
 まあ、とにかく、『生きていた事実』を引っくり返すのは心が痛むがしょうがない。

 1997年12月20日。『判の国』。ある病院。
 深夜に集まった家族・親族の前に、数人の男が現れた。
 そこに、俺は跳んできた。
 怯える看護師の中に、蔵前悦子がいた。
 目配せをした、悦子は消火器を念力で倒した。
 消火液が飛び散る。
 俺は、悦子と共に、奴らを『保安檻』に送った。

 十三は尋ねた。「あなた方は?」
 「未来の保安員。時間警察の者です。口外しないと約束して貰えますよね、これから逃亡する十三さん。後は、台本通りで。用意、スタート!!」
 俺と悦子が『見えないカーテン』で見ていると、秘密裏に十三氏は、『替え玉』の人形と入れ替わり、逃亡する『マジック』を見せてくれた。

 近くの公園に俺達は、跳んだ。
 抱きついたまま、悦子は言った。
 「悦子、好きだよ。そう言ってくれるだけでいいです、神様。」
 「悦子、好きだよ。」

 3026年某月某日。午後5時。時間管理局。
 俺はタイムレコーダーシステムに体内時計をスキャンさせた。
 ボスは来なかった。

 午後7時。五十嵐家。
 悦子はいなかった。
 かな子がTVを観ていた。
 「これね。今。流行っているの。『バイオハザードマークの女』。129年前に流行った映画のリメイクですって。DVDも買っちゃった。」
 「そ・・・そう。確か、十三監督の映画だよね。」
 「うん。」
 かな子は、ダイニングキッチンにTVディスプレイを運んだ。

 やれやれ。

 ―完―

 ※伊丹 十三(いたみ じゅうぞう、1933年5月15日 - 1997年12月20日)は、日本の映画監督・俳優・脚本家・エッセイスト。本名は池内 義弘(いけうち よしひろ)。雑誌編集長・商業デザイナー・イラストレーター・CMプランナー・ドキュメンタリー映像作家としても活動し、料理通としても知られた。

 ※人物
 監督デビューは51歳と遅咲きだったが、それまでに表現手段を追究する職を多数経験し、その集大成として映画に挑戦し、ヒットメーカーとなった。

 ※1984年の監督デビュー作である『お葬式』からいきなり数々の映画賞を獲得するなど絶賛を浴びた。その後、『タンポポ』『マルサの女』『マルサの女2』『あげまん』『ミンボーの女』『大病人』『スーパーの女』『マルタイの女』などを演出し、いずれも大ヒットを記録した。一般観客からも映画評論家からも、ともに高く評価されていたことは特筆に値する。

 ※俳優としての出演も数十作品に及び、1983年(昭和58年)公開の『家族ゲーム』『細雪』の演技でキネマ旬報助演男優賞を受賞。エッセイストとしての代表作には『ヨーロッパ退屈日記』『女たちよ!』『小説より奇なり』など。CM出演も多数。

 ※妻の宮本信子は、伊丹の監督デビュー後は伊丹作品の多数で主演女優として作品のヒットに貢献し、それ以前から家庭でも多面的にその成功に貢献しつづけていた。二人の間の長男の池内万作も俳優として活動した。

 ※愛媛県松山市に伊丹十三記念館が開館され、伊丹の功績が紹介されている。また伊丹を記念してその名を冠した「伊丹十三賞」がさまざまな表現者たちに贈られている。

 ※周防正行は『マルサの女』のメイキング映像を撮影してくれと依頼され、それを撮影することにより伊丹の映画製作現場や監督業をつぶさに観察する機会を得たことで、自身も映画監督となるきっかけをつかみ、伊丹同様に日本映画界を盛り上げてゆく存在となった。
 ※突然の死
 1997年12月20日18時40分頃、伊丹プロダクションのある東京都港区麻布台3丁目のマンション南側下の駐車場で倒れているところを住民に発見され、渋谷区広尾の広尾病院に搬送されたが、19時30分に死亡が確認された。64歳没。葬儀は故人の遺志により執り行われなかった。投身自殺を図ったとされたが、当初からその経緯について様々な説が飛び交った。
 (Wikipediaより)

 ※私見としては、氏は暗殺された、と考えています。
 根拠はありません。クライングフリーマン