============== これは、勿論フィクションです。 =======
俺の名は、加賀見進。別名「異次元の殺し屋・万華鏡」。次元を渡り歩く殺し屋をしていたが、時間管理局に『異動』になった。俺の使命は、この未来世界(3026年)から、所謂タイムリープをして逃げた犯人を追って、『悪さ』をしていた場合、逮捕し、局に移送させることだった。殺しはしないが、痛め付けること位は許されている。
今の俺は、『異次元のパトロール警官』。次元の『調整係』だ。
午前9時。時間管理局。
出勤するなり、ボスは言った。もう力石だと、ばれてるが、変な仮面を着けている。
もう知らん振りするしかない。
「五十嵐、お前は・・・お前、結婚を祝うのは好きか?」
「誰のことです?」
「愛子だ。まあいい。差異が生じたのは、『就の国』。お前が愛子と再会して、チョメチョメした次元だ。あ、愛子と共に『就の国』を外国の魔手から救った次元だ。時間軸は、1986年。あるパーティーに次期お妃候補のまあこさんが、招待され、婚約され、お妃になった。ここまでがデータベースだ。ところが、書き変わった年鑑では、彼女はパーティーに参加しなかった。出来なかった。凶弾に倒れ、妃は後に別の女性に決まった。」
「許せないな。許す訳にはいかないな。」
「落ち着け。行ってこい。」
MRIに似た移送装置に横たわると、何も置かれていなかった。
睡眠学習によると、王室の実家と呼べる場所・実所に、100人、招待されていた。
その中に、まあこさん一家も招かれていた。
たまたま、ではなく、大掛かりな「お見合い」だったと称した者もいたようだ。
1986年10月18日。『就の国』。実所。
巨大な円盤が黒雲の中、現れた。そして、もう1機。円盤が現れた。
「空中闘いは任せよう。」そう言って現れた愛子は双眼鏡を俺に渡した。
3台の戦車が実車に向かって行く。
「行くぞ、万華鏡。」
愛子と共に俺は戦車に向い、1台ずつ爆弾を仕掛けて行った。
そして、出てきた乗り組み員を『保安檻』に送った。
2機の円盤は、姿を消していた。
「本番は、もっと来る。我々の目を盗んで『傭兵』をかき集めているらしいからな。覚悟はしておけ。」
そう言って、愛子は消えた。
3026年某月某日。午後5時。時間管理局。
俺はタイムレコーダーシステムに体内時計をスキャンさせた。
ボスは来なかった。愛子もだ。
つまらない通勤電車で帰った。
皆、疲れた顔をしている。
午後7時。五十嵐家。
帰宅すると、倉庫に色んなボールを入れている、かな子がいた。
「横丁のスポーツ用品店。経営者が、引退して店を閉めたの。色んなのを配ってるから、貰っちゃった。」
「準備がいいね、かな子。」
俺は、かな子を強く抱きしめた。
「もっと、愛して。」
「勿論だ。」
―完―
※皇太子徳仁親王と小和田雅子の結婚の儀(こうたいしなるひとしんのうとおわだまさこのけっこんのぎ)は、1993年(平成5年)6月9日に日本の皇居にある宮中三殿において、国事行為として行われた皇室の儀式(結婚の儀)である[1]。本儀式により日本の皇太子徳仁親王(当時33歳)と小和田雅子(当時29歳)は結婚し、雅子は皇太子妃となった。
※一連の出来事は皇太子の父である天皇明仁(当時)の皇太子時代の結婚と同様、皇太子ご成婚(ご結婚)や皇太子さまご成婚、皇太子さま・雅子さまご成婚などのようにマスメディアでは表現される。
※本項では両名が婚約に至るまでの経緯や、納采の儀などの一連の関連行事、これらが与えた社会的影響などについても記述する。日時については特記がない限りすべて日本標準時(JST)で24時制で表記する。また人物の名や身位、役職名などは原則として当時のものである。
※夫となる徳仁親王は第125代天皇・明仁と皇后美智子の第1皇男子(第1子長男)であり、御称号を浩宮(ひろのみや)といった。以下の婚約と結婚が進められる間に、父帝・明仁の即位を受けて皇太子となり、31歳で立太子の礼を挙げた。2019年(令和元年)5月1日をもって第126代天皇に即位した。
※妻となる小和田雅子は婚約当時外務省勤務で、同じく外交官であり当時外務事務次官を務めていた小和田恆の長女である。幼少時より父についてソビエト連邦、アメリカ合衆国での生活を経験した帰国子女で、ハーバード大学経済学部を卒業、学士入学で東京大学在学中に外交官試験に合格、中退して外務省に入省し、研修でオックスフォード大学に留学した。彼女は日本で男女雇用機会均等法が制定され、女性の社会進出というテーマに揺れた世代である。上記の徳仁親王の天皇即位に伴い、同日皇后となった。
※1986年(昭和61年)10月18日、スペインの王女エレナ・デ・ボルボン・イ・デ・グレシアを迎えた東宮御所でのパーティーに100人ほどが招待され、その中に小和田家一同も招待された。このとき雅子をはじめ小和田家の人々はお妃候補としての顔見せのために招待されているとは知らされておらず、皇室からの誘いとあって断るという考えは持たなかった。中川の側も雅子の出席を恆に確認したが、この段階ではお妃選びとの関連を気付かれないように心を配っていた。
※当時外交官試験に受かったばかりの雅子は、お妃候補として以前に、父娘二代の外交官の卵として注目を集めていて、パーティー出席も重要な仕事のひとつである外交官としての経験を踏む意味もあり出席した。事前に資料や高円宮憲仁親王を通じて雅子の人柄を知り、この場で本人と会話した浩宮は彼女に強い印象と好感を持った。
※以後雅子は、同年から翌年にかけて、東宮御所で行われた広中平祐・和歌子夫妻の夕食会に同じハーバード大学出身者として、また国際交流基金を通じて恆と面識のある高円宮邸へと続けて招かれ浩宮と会食を共にするなど、何度か交流することになった。浩宮には結婚相手を選ぶ上でプロセスを大事にしたいという思いがあり、それを理想的な形で実現しようと考えた中川や高円宮の配慮によってこのような形が作られていった。


