渾身の一撃を放ったジローの剣は獣王の硬い皮膚になすすべもなかった。

 

 彼の必殺技・連撃剣も通用せず、ジローの剣は欠け、弧を描いて宙を舞った。



「チキショウ! 俺が補欠だから、補欠だから、補欠だから勝てねえのかよォォォ!!」



 ジローは絶望の淵に立たされ、涙し、放屁した。その音色はいかにも悲しい悲しい調べだった。



 獣王はジローの頭を鷲掴みすると、哄笑して放屁した。



「うーむ。そなたのほうが美しい屁をするではないか。まるでショパンの『別れの曲』だったぞ。だが、ここで終わりだ」



 獣王の大きな手がジローの頭を砕かんとしている。ジローの心は闇のなかに落ちてしまっていて、叫び声すら上げられなかった。



 獣王は空を見上げた。天が光に満ち、曇天の空が急に晴れ渡ったからだった。



「なんだ? レギュラー勇者でも現れたか? だが、レギュラーは補欠の補欠に格下げになったはず」



――その後、獣王が言葉を発することはなかった。彼は灰塵と化してしまったからだ。
  しかし、臨終の折、大地が割れ、凄まじい臭気とともに自身が吹き飛ばされているのを感じた。



 臭気によってすべてが無と化した大地に全裸にシルクハットを被った老人が立っていた。
 老人は下がった眼鏡をクイと上げるとジローを起こした。
 ジローは放屁耐性スキルの持ち主だったから一命をとりとめた。



 ジローは何が起こったのかわからず、老人に訊ねた。



「獣王は!? 獣王はどこだッ!?」



 老人は優しい眼差しでジローを見つめた。



「獣王? あのトラのことかね? たぶん死んでるよ」



 ジローは耳を疑った。あの獣王をこの老人が屠ったというのか。
 この世界では放屁力がすべてだ。
 こんな真っ裸にシルクハットの変態老人にそんな力があるわけがない。
 だが、この臭気は老人以外には考えられない。



「それじゃあ、失敬」



 老人は尻から爆炎を放ちながら飛び立とうとしていた。
 ジローは意識をなんとか保ちつつ、糞尿を垂れ流しながら老人に問うた。



「助けていただき感謝します。お名前を伺っても?」



「ワイズマンだよ。辺境の大学で教鞭を執っている。では失敬」



 彼は爆炎を発して飛んで行った。
 ジローは超古代文明の資料で見たロケットなるものの打ち上げに似ていると思った。


 鼻がちぎれるような臭気はしなかった。
 ただ、直後の爆風でジローは意識を失った。