桜と星と初こいと




「毎年毎年、あの花束を見る度、苦しめられてる私の気持ちを考えた事はありますか」
「…申し訳ありません、僕はただ」
「やめて下さい!聞きたくもない!全てあなたのせいだと分かってるんですか!?主人をたぶらかして、主人を死に追いやったのは、」
「てめぇ、まだそんな事!」
「やめろ、龍貴!」

さすがにそれ以上は口にされたくないし、槙に聞かせたくない。龍貴はそもそも、実咲から出る言葉の全てを、槙には聞かせたくなかった。
龍貴が我慢の限界に声を荒げてしまえば、槙は咄嗟に龍貴の前に腕を伸ばし、踏み出す体を制した。実咲は短く悲鳴を上げ、直後、槙に対して侮蔑の視線を向けた。

「…ほら、やっぱり」
「…え?」
「そういう家の方ですもの、主人が断れないのも当然です」
「あんたなぁ!」
「龍貴やめろって、」
「あんな家潰れて当然よ、もう私達に関わらないで下さい」

実咲は憎々しげに頭を下げ、その場から立ち去った。
コツコツと、ヒールの音が空に響き、まるでそれは槙を責めているみたいだった。少し丸まった背中にこけた頬、文人の死から十二年、まだ彼女は、文人の死を過去のものになんて出来ないのだろう。それだけ、大事な人を失ったのだ。

だが、そうは理解出来ても、龍貴はどうしたって槙を思うし、槙を責める実咲を憎んでしまう。
傷ついているのは槙だって同じだ、槙だって同じだけ傷ついて、いやそれ以上に苦しんで耐えてきたのだ。
龍貴は、槙を思えば思う程に実咲の言動に腹が立ち、忌々しげに舌を打って「あいつ、やっぱりただじゃおかねぇ」なんて、ぶつぶつ言ってしまうのだが、当の槙からは力ない笑みが零れていた。

「そう怒るなよ」

ぽんと軽く背中を叩かれて、さすがに龍貴はムッと表情を歪めた。

「だって坊っちゃん、何で黙ってるんだよ!あいつ、全部坊っちゃんのせいだって決めつけやがって!坊っちゃんがどんな思いで、」
「良いんだ!」

遮る声の強さに、龍貴は言葉を飲み込んだ、飲み込むしかなかった。

「…その通りだ、先生は俺のせいで死んだ」
「坊っちゃん、それは、」
「帰ろう」

槙は笑って、龍貴を置いて歩き出してしまう。

違うと言いたかったが、龍貴の言葉はきっと槙には届かない。槙は、痛みも苦しみも周りには見せようとしない、槙が望まないのなら、龍貴はただ槙に従う事しか出来ない。
槙を見守るしか出来ない自分が、悔しかった。






それでも、龍貴が槙を信じる気持ちを手放す事はなかった。それは、十二年どころか、出会った頃から変わらない。
帰りの車内でも槙は静かで、龍貴はこれだけは言っておかないと、そう思い、勢い込んで口を開いた。

「坊っちゃん、俺は久瀬ノ戸(くぜのと)の家を誇りに思ってます!」

勢い込んで、予想外に大声での宣言になってしまった。槙は驚いて目を瞬いている。

「…なんだよ、急に」
「行く宛もなく、荒れてた俺を拾ってくれたのは、親父さんでした。俺に、坊っちゃんを守る役目をくれた。それは、俺がこの先も生きていける証なんすよ」

親父さんとは、槙の父親ではなく、槙の祖父の事だ。
槙は龍貴を見つめていた瞳を窓の外に移すと、小さく笑った。

「大袈裟だなぁー、その家だって、もうないだろ」
「あんたが生きてる限り、俺は生きていられるんだ。俺はいつだって坊っちゃんの味方ですからね」
「……」

槙は何か言おうとしてか口を開きかけたが、その言葉が声に乗る事はなく、窓の外に目を向けたまま、ズルズルとシートに体を沈めた。

「…だから、大袈裟なんだって」

その呟きが濡れている事にやはり気づかぬ振りで、龍貴はわざと笑ってみせると、自分の被っていたキャップを取り、それを俯く槙の頭に被せた。視界を覆うように被せたそれは、槙の鼻をすする音も奪っていくようだった。