超絶クールな先輩は俺の前でふにゃふにゃのSubになる

 開いたままだった多目的室の前のドアから、ひょっこりと小さな顔を出したのは飛鳥井先輩だった。
 タイミングとしては最悪だ。Dom同士がグレアで威嚇し合っている場所なんて、Subじゃなくても避けたいに違いない。

 飛鳥井先輩がよろけたのを見て、慌てて威嚇をやめる。石田先輩と同時に駆け寄ったが、机のあいだをすり抜けるのは俺のほうが早かった。

「先輩っ。すみません、先輩。大丈夫ですか?」
「だ、だいじょうぶ……だから、帰れ」

 ドアの縁へと縋り付くようにうずくまる様子は、保健室での出来事を彷彿とさせる。あのときほどではないが顔を青くし、小さく何度も身体を震えさせていて明らかに大丈夫そうではない。
 威嚇など意図しない強いグレアに当てられたSubは、Sub(サブ) drop(ドロップ)に陥る可能性があるのだ。胸のなかに、恐怖がしのび寄ってくる。

 目の前が真っ暗になりそうだったものの、一度強く目を閉じ自分を奮い立たせた。とにかくこのままじゃいけない。抵抗する力もない飛鳥井先輩の身体を抱き上げると、背後から肩を強く掴まれた。

「風谷、朔を下ろせ。保健室に連れて行くから。……朔?」

 初めて見る余裕のなさそうな顔で石田先輩が話しかけてくる。
 ……どうすればいいかわからない俺より、慣れた人のほうがいいだろう。俺は無力さに悔しい気持ちになりながら、抱き上げたばかりの身体を下ろそうとした。
 
「……あ」

 わずかな抵抗を感じ見下ろすと、飛鳥井先輩の手はぎゅっと俺のシャツを握っていた。苦しそうに眉根を寄せ目を閉じているし、完全に無意識なのだろう。
 俺は心臓まで掴まれた心地になって、下ろそうとしていたその身体をもう一度しっかりと抱き上げた。決意を目に宿す。

 石田先輩もそれに気付いている。グレアは引っ込めたまま憎々しげに俺を睨んでいるが、無理やり引き剥がすことはしない。

「俺が、なんとかしますんで。出ていってもらえますか、石田先輩?」
「調子に乗るなよ。必要以上に触れるな。変なことをして、朔に後悔させたらただじゃ置かない」

 言われなくても分かっている俺は頷いて、視線で廊下を示した。石田先輩は俺をもう一度睨み、つぎに飛鳥井先輩を気遣わしげに見つめて、多目的室を出ていく。
 
 たとえ応急処置だとしても、プレイやケアは一対一の対話だ。とてもプライベートなものでSubだって見られたくないだろうし、特に自分のSubの振る舞いを見せたいと思うDomはいない。それを理解して石田先輩は出ていったのだ。

 その意味を深く考えず、ふたりきりになった俺は飛鳥井先輩を横抱きにしたまま机に腰掛けた。必要以上に触れるつもりはないが、俺を離さないのは飛鳥井先輩だし……と内心言い訳する。
 
 サブドロップはSubに強い緊張や不安を与えてしまう。酷い場合は自殺願望を引き起こしたりする。
 ……そこまで考えて、俺は腕の中にある飛鳥井先輩の存在を確かめるように、きつく抱きしめてしまった。

「ん……」

 不満げな声が聞こえ、また現実に戻される。先輩は威嚇グレアに当てられた影響でつらそうではあるが、この前より呼吸は安定しているし、最悪の状況ではない。
 まだ、大丈夫。深呼吸して言い聞かせる。しっかりしろ……自分。
 
 酷い場合は正式なパートナーによるケアでないと意味はないそうだけど、いまは一般的な対処法を試すつもりだ。俺はさっき感覚を掴みかけたグレアを、じわじわと先輩を包み込むような優しさを意識して身体から放った。怖がらせないように、少しだけ。