超絶クールな先輩は俺の前でふにゃふにゃのSubになる

 あれから、飛鳥井先輩が俺を見る目は明らかに変わった。――なんてことはなかった。

 窓の外、視線のさきには長身で優等生風の男――石田という名前らしい――と仲良さげにストレッチしている先輩がいる。向こうは体育で、こっちは自習時間。
 俺は自習でも基本真面目に課題に取り組んでいたが、最近どうも意識が散らかりがちで集中できない。

「身長合ってないじゃん別のやつと組めよ……」
「ん、アキなに見てんの? あー、あの二人? 付き合ってんのかな〜って部活の先輩も言ってたわ」
「は……?」
「なんつーか、雰囲気似てるしお似合いじゃん?」

 ヤスの言葉に、どこが? ぜんっぜん似てないだろ! と言いかけて、口をつぐむ。どちらも眼鏡で派手さなんてなくて、真面目ちゃんグループの二人だと感じていたのは自分なのに。
 
 ダイナミクスという第二性があるため、同性同士で付き合うことはそう珍しくもない。もちろん、結婚したり子どもを作ったりするのは男女間しかできないけれど。
 うちの親のパートナーのSub夫婦も、両親とは同性同士でプレイをしている。恋人とは違うのだと思っているものの、それぞれ贈られたColler(カラー)を身体の一部のように身に着けているし、プレイをしている者同士の親密な空気感を感じることは、ある。
 
 飛鳥井先輩がSubだとかもう一人のやつがDomだとかそういった推測をされている雰囲気はないけど、お似合いだと言われるほど仲が良いというのは嘘じゃなさそうだ。
 
 もしかして、あいつDomなのか……? 飄々としていていかにも賢そうな男。
 あいつがふにゃふにゃな先輩を見たことがあるのかと想像するだけで、神経を逆撫でされたような不快な気持ちが胸の内に広がった。

(パートナーなら、不安症を起こす前に助けてやれよ……)

 理不尽で矛盾する感情が混じり合い、つい突き刺すような目線で石田先輩を見てしまう。――そのとき、視線に気付いた飛鳥井先輩が俺の方を見た。

「あ」

 「どした?」と聞こえるヤスの声も無視して、俺の姿を認識した先輩の様子を固唾をのんで見守る。……が、やはり機嫌悪そうにすぐ視線をそらされてしまった。近くにいたらチッと舌打ちが聞こえたに違いない。
 忘れてくださいと頼んだのは自分なのに、何も言わずに立ち去ったのは自分なのに、何事もなかったようにされるとどうしようもなく落ち込むんだから馬鹿みたいだ。

 あれはコマンドじゃないし俺は催眠術師でもないから、先輩は確実に覚えているだろう。いや、過呼吸まで起こしていたから記憶は曖昧になっている可能性もあるか……とにかく、あの人的には忘れたい記憶であることは間違いない。

「はぁ〜……」
「なに、思春期? アキちゃん最近心ここにあらずじゃん?」
「うるせぇ、そんなんじゃねーよ。ヤス、この前言ってたマネージャーの子とどうなった?」
「聞いてくれるな……! どうしておれの魅力が女子全員に伝わらないんだ。学校一イメケンと認められたアキの横にいるからか……?」
「お前がくっついて来るんじゃん」
「いやだっ、捨てないで……! まだ好きなのぉ」
「うざ」

 前後の席でこそこそと会話していただけで、聞き耳を立てていたらしい周囲のやつにクスクス笑われた。
 
 ヤスはお調子者の性格に合った軽薄そうな見た目をしているが、人当たりの良さもあって結構モテる。しかし好みの子には全く好かれないという損なやつだ。一年のときも告白されて付き合ってみた子がいたが、「やっぱり違う……」と悩みに悩んで別れていた。
 
 まぁ、俺も彼女はできても長続きしないんだけどな。どの子も「好きって言ってくれない」「不安になる」といって離れていく。黙っていれば、「引き止めてもくれない」と怒られる。
 自分でも彼女に対して執着心が薄い自覚はある。でも、性格なんだから仕方なくね? あっさりサッパリとしたお付き合いじゃ駄目なのだろうか。

 重くもない、けれど俺たちにとってはわりと深刻な悩みを浮かべてつついているとチャイムが鳴った。「っあ〜! 疲れた〜!」と一番喋っていただけのヤスが大声を出すからまたみんな笑う。
 
「うっし。部活だ! サッカーボールがおれを待ってるぜ!」
「ヤスはずっと小学生だよな……途中まで一緒に行こうぜ」
「そんなおれと一緒にいたいなんて、お主ロリコンだったのか……てか、なんでこっち? あ、打ち合わせか」
「おー。もう文化祭なんて早いよなー」

 やっと新しいクラスに慣れてきたばかりの気がするのも、そう間違いではない。八月末にある文化祭の準備は、約二ヶ月かけてコツコツと進めていく。クラスで出し物を決める前から、文化祭実行委員の仕事は始まる。

 俺はクラスの代表者として、全学年の各クラスが集まる放課後の打ち合わせに向かった。
 学級委員長はいかにも真面目なやつがやってくれるけど、こういうイベント系は俺が選ばれることが多い。去年の文化祭実行委員も俺がやったから、勝手はもう分かっていて案外気楽だ。
 
 部活をやっていないし、別に絶対嫌ってわけでもないし。何気に人をまとめる仕事は得意だと感じている。

 最近また復活してきた軽い頭痛を感じながら多目的室に到着すると、同学年の知ってるやつに「よっ」と手を上げる。きゃあっと華やいだ女子の声が聞こえた。
 わりかし席は埋まっていて、一番後ろに空いた席を見つける。迷わずそこに足を向け、近づきながら隣の人を確認すると。

「……あ」
「隣? どうぞ。かぜたにくんだよね?」
風谷(かざや)です。石田先輩……ですよね」

 飛鳥井先輩のいつも隣にいる、優等生風の細長い眼鏡をかけた男だった。飛鳥井先輩は真面目そうに見えて不真面目なところもあるけど、この人はクソ真面目って感じだ。身長も高くて、シュッと細い。俺の方が背は高いけどな。

 石田先輩がいるなら、もしかして……と左右を見渡すが目的の人は見当たらない。まぁ、あの人はクラスの代表とかすごく嫌がりそう。なんとなく。

(さく)ならいないよ。目立つのは嫌いなんだ、昔から」
「は……」

 思いもよらぬ発言に、視線を戻す。朔というのは飛鳥井先輩の名前だと、数秒の間を置いて気づく。
 この人、なんで俺があの人を探してるってわかったんだ。まさか、飛鳥井先輩が俺の話をこいつにしてる……?

「あぁ、朔は君の話を全くしないけどね。僕は君のベタベタする視線を感じ取ってたから。風谷くん、どこにいても目立つもんね」

 一瞬生まれかかった期待を見透かしたように、釘を刺される。勝手に喋りだした男に俺は目を丸くしたが、言葉の意味を理解して眉根を寄せた。
 
 こいつは敵だ。無害そうな顔してサクッと急所を刺してくるタイプ。めちゃくちゃマウント取って馬鹿にしてくるじゃん。

「石田先輩は、飛鳥井先輩のなんなんですか?」
「事実は二つある。僕は君と同じってことがひとつ。君よりは近い位置にいるってことがふたつめ。足し算はできるかな?」
「はぁっ?」

 ニッコリと優男の笑みを浮かべているが、これは明らかな挑発だ。表面上は先輩だと思ってずっと抑えていたものが爆発しそうになった。
 小声で会話していたものの、カッとしてつい声がでかくなる。が、その直後に学年主任の教師が多目的室に入ってきた。
 
 何人かの生徒がちらちらっと後ろを振り返ってきていた。それも、石田先輩は「なんでもないよ」といなしてしまう。
 いや、確かにキレて問題を起こすつもりなんてないけどな、こいつ裏表ありすぎだろ……!

 俺の内心とは裏腹に、打ち合わせ自体は順調に進んだ。今日は今後のスケジュールの確認がメインで、忙しくなるのはクラスの出し物が決まってからだろう。
 
 俺は教師の話を聞きながらも、頭の中では石田先輩の言ったことを考えていた。
 
 『僕は君と同じ』って……何のことだろうか。一番に思いつくのはダイナミクスのことだ。もしこいつがDomなら、俺がDomだと気づいてもおかしくない。
 
 俺にはまだよくわからないが、同族を認識しやすいというのは、DomにもSubにもいえることだという。
 前にこいつがDomじゃないかと推測したのは、本当になんとなくだが。やっぱり、飛鳥井先輩のそばにDomがいるのは、非常に気に食わない。

 同じというのがもしダイナミクスのことじゃないとすれば? 俺のことをそんなに知らないだろうに、どんな共通点があるんだ。
 ……正直、飛鳥井先輩のこと以外思いつかない。まさかあいつ、好きなのか? それで俺が、同じだと勘違いしてるとか?

 そこまで考えて、俺はひとり首を振った。間違っても片想い仲間とか思われてたらドン引きだわ。

「ふっ」

 隣から鼻で笑う音が聞こえて、まーじーで、ムカついた。わざと煙に巻くような言い方をして、俺が悩むのを楽しんでいるんだろう。
『君よりは近い位置にいる』はただの事実だ。でも、さっきの推測と併せて考えると……やっぱりパートナーとか恋人とか、そういう答えが出る。

 牽制か? ふつふつと怒りが沸き立ってくる。
 優越感でも抱いてんの? 俺だって先輩とプレイしたことあるんだよ。ま、どうしようもなく嫌われてるけどな……

 誤魔化せないほど強くなってきた頭痛に、さっき薬を飲んでおけばよかった……と後悔する。隣のやつに悟られないよう、そっと指先でこめかみを揉んだ。