タイミングが良かったといえるのだろう、何も知らないまま冬休みを迎えるところだった。なんとか追いついてここにいることが不思議だ。
病院の廊下は煌々と明るいが、もうすっかり日は沈んで夜だ。自分が入院していた部屋とは階が違うもののつくりは同じで、ところどころクリスマスの飾り付けがしてあった。
(そういえば今日、クリスマスイブだったな……)
弟や妹がクリスマスパーティーをするのだと一週間以上前から意気込んでいたのだ。それを思い出し、慌てて家に連絡を入れる。
母に風谷のことを正直に伝えると、思った以上に真剣に心配していた。家まで来てくれたのに僕が追い返してしまった件も、怒られはしなかったが僕に非があると思っていた節がある。事件のときに上がりきった風谷への好感度は下がる予定もないらしい。
役に立てることがあるならしっかり勤めを果たしてくるように言われ、もちろんと応えた。いまの僕にできることなんて、あると思えないけど……もし、風谷と話せるのなら……。
風谷の家族に帰りまで送ってもらう訳にはいかないので、姉が仕事を終えたら病院まで迎えにきてくれるよう頼んだ。この時間帯は道も混んでいるし、だいたい一時間後だろう。
通話エリアを出て病室の前に戻ると、ちょうどご両親が出てくるところだった。先ほど一瞬だけ見かけた父親と目が合い、会釈する。……気まずいな。
上背以上に迫力がある人の前で身を縮めていると、話しかけられた。声は低く、落ち着きがある。
「朔くんだね。私たちはこれから先生と話があるから、その間だけ息子を見ていてくれないか」
「あ……、はい」
「ありがとう」
数十年後の風谷――この人も風谷だけど――を見ている心地がして、妙に恥ずかしくなる。とんでもない美丈夫なのだ。
感謝のことばを深みのある声で言い残し、二人は去っていってしまった。つかのま惚けていた僕は頼まれたことを思い出して、慌てて病室に入る。
病室は静かで、なぜか寂しかった。白いベッドに風谷が横たわっている。違和感しかない。こいつは……もっと大勢に囲まれているのが似合う。
蛍光灯の光のもとでは肌に生気が感じられず怖かった。目を閉じた顔は整いすぎて、精緻な彫刻のようだ。わずかに上下する胸を見つめながら、囁く。
「あきと……やせ我慢してんじゃねーよ……」
こんな時でも文句がついて出る自分に、ハハッと乾いた笑いがこぼれた。
心配していても素直になれない。とことん可愛くない性格だと、心の中で自嘲する。
「……せんぱい……」
「っ……!」
「いま……名前で呼びました?」
「、え……起きて……?」
とつぜん聞こえてきた声に、狼狽えて声が震える。懐かしい声だ。
勝手に意識はないものと思い込んでいた。信じられなくて、動いた唇から視線を動かす。
ゆっくりと上がっていくまぶた。優しいブラウンの瞳と目が合った。
――それだけで、胸がいっぱいになってしまった。
「泣かないでください……」
「っ、うるさい」
頬に流れるものを感じて、自分がぼろぼろと泣いていることに気づく。涙は次から次へと生まれ、止める間もなくこぼれ落ちる。喉の奥が痛くて苦しい。
風谷が……暁斗が起きて、喋っている。それだけのことにどうしようもなく安心した。僕を見て困ったように微笑んでいる顔が愛おしくて、たまらなかった。
「先輩、こっち来て」
「ぅわっ。え……っ!」
急にコマンドを放つから転びそうになる。その前に腕を引かれて、立っていた僕は暁斗の方へ倒れ込んだ。
薄い布団にボフッと顔から突っ込んでしまい、混乱を感じる前に優しく頭を撫でられる。グレアは出されていないのに、それだけでふわ……と嬉しくなってくるのだから可笑しい。まるでパブロフの犬だ。
顔を上げると、少しかさついた手が頬に添えられ、眼鏡の下をくぐった親指が目の下をなぞる。
「……いったい、どうしたんですか?」
「こっちの台詞だ! 僕はなにも知らなかったんだぞ!」
「そりゃ、知らせないようにしてましたもん。俺のことなんて気にしてもなかったんじゃないですか?」
「…………」
どこまでも平然としている暁斗にふつふつと怒りが沸いてくる。
こいつの前でだけ、僕は感情の振れ幅が大きくなるのだ。たったひとことに振り回され、視線ひとつで胸が熱くなる。
「へっ……?」
前触れもなくぎゅう、と両腕をつかって暁斗の胸に抱きつくと、まぬけな声が聞こえた。
ドクッドクッと強く、早い鼓動が伝わってくる。――大丈夫、生きてる。
顔を上げ、上目遣いで見つめる。
これだけは伝えなければならなかった。
「僕を……暁斗の、……パートナーにしてくれ」



