ふと目覚めると、覚えのないベッドに寝ていた。慌てて身体を起こす。
「いって……」
肩に激痛が走り、顔をしかめる。そこに包帯が巻かれていることに気付いた。
前腕には点滴の針が刺さっている。ここは病院だと気づき、経緯を思い出す。
あの後すぐに救急隊員が到着し、俺と朔先輩は引き離されそうになった。先輩にはサブドロップの可能性があったし、俺も先輩も怪我をしていたのだから当然だ。
しかし俺も混乱していたので朔先輩を放したくなくて抵抗し、自分が連れて行くと言い張った。
誰も俺を説得できず、言う通りにしたほうが早いと思われたらしい。だらだら血を流しながら先輩を運ぶ俺の姿は、周囲の目には狂気的に映っただろう。
きっちり覚えているのでいたたまれない気持ちになるが、Domの本能が前面に出て、自分でも抑えきれなかったのだ。
到着したのはダイナミクス専門の病院だった。そこで俺は安定剤を打たれ、眠っているあいだに治療されたらしい。
(朔先輩は大丈夫なのか?)
狭い部屋は個室で、俺しかいない。居ても立っても居られず、立ち上がる。強い西日が窓から差し込み、俺の影を長く伸ばしている。
カラカラ、と引き戸を開け左右に廊下を見渡す。面会時間を過ぎているのか、歩く人影は見当たらない。
点滴を勝手に抜く勇気はなく、スタンドを片手に引きずった。血がついたであろうシャツも甚平みたいな病衣に着替えさせられていたし、なんか一気に病人感が出ている。ぶっちゃけダセェ。
通路が開けて見える方向に歩みを進めると、ナースステーションがあった。いや、スタッフステーションと書いてある。こっちが正式名称か。
俺が顔を出せば、気づいた看護師が嬉しそうに「あら!」と声を上げる。
「すみません。今日運ばれてきた風谷といいますが……」
「風谷さんね! 存じ上げてます。いま先生を呼びますから、部屋に居てください。お母さまにも連絡しますから」
「あの……一緒に来た飛鳥井って人はどこにいますか?」
「ごめんなさいね。まずは先生と話してください」
守秘義務とかそういうやつか。ここは三階のようだが、Subは別の階に隔離されているのかもしれない。
Domには危険なやつもいるからだ。今日それを目の当たりにした。抑え難い怒りが生まれるのと同時に、同じダイナミクスを持っていることが恥ずかしく、落胆する気持ちも大きかった。
端的に言えば……ショックだったのだ。自分も油断すればSubに危害を与えてしまう存在になるんじゃないか?
朔先輩に何度も迷惑をかけてしまった記憶が蘇る。俺は複雑な思いを抱きながら踵を返す。
背後で「まじイケメン」と呟く声が聞こえてきたのは無視しておこう。
「暁斗!」
ちょうど通りかかったエスカレーターを上ってきたのは母だった。思わずといった様子でぎゅっと抱きつかれる。
「もう、心配した……!」
「ごめん。大丈夫だから」
本気で心配されているのが伝わってきて、胸が熱くなる。目の前で息子が血を流す姿なんて、見たくないよな。
こっちまで泣きそうになるのを堪えて、母の肩を撫でた。この人の身体は、こんなにも小さかったのかとかすかに驚く。
「部屋に戻ろうぜ。ちょっと痛い……」
「あ! ごめん!」
笑って返し、平気だとアピールする。歩きながら点滴に痛み止めも入っていると聞かされて、じゃあ本当はもっと痛いのかと想像して少し背筋が寒くなったのは秘密だ。怪我した瞬間は全然平気だったのにな。
担当医だという吉本先生が来て、蹴られた背中は打撲が複数。十センチほどの切創は肩と上腕に二箇所あり、きれいに縫合できたと告げられた。
名誉の負傷だと思っているし自分では気にしないが、傷痕も目立たなくなるだろうとのことだ。服で隠れる場所だし問題ない。
「発熱する可能性があるから二、三日は大人しくしておくようにね。それで、本当ならもう帰ってもいいんだけど……」
「飛鳥井先輩のことですか」
まず、これは事件になってしまったので警察による事情聴取があるという。被害を受けたSubの人たちはメンタルケアが最優先なので、できれば俺から詳しい話を聞きたいのだそうだ。
しかもアツシはほんの少しとはいえ顔見知りだ。プレイバーのユキさんと、オーナーである父にも連絡して情報を得てもらった方がいいだろう。
「飛鳥井くんはおそらく、犯人のグレアとコマンドの影響を一番受けている。今は薬で落ち着いているけど、目覚めたらサブドロップに陥る可能性があるんだ。風谷くんがこの前言ってたのは……彼のことだろう? 家に帰りたいだろうけど、アフターケアのために残っていてほしい」
「もちろんです。そばに居させてください」
「暁……大人になったね」
大きくうなずき、即答する。そういえばスゥさんが大丈夫だったのかと母に問うと、距離もあったしすぐ母がケアできたおかげで問題ないそうだ。
俺があのときもっと早く朔先輩の元へ辿り着いていれば。犯人とすれ違ったときに気づいていれば……あんな、悪意にまみれたコマンドを受けることなんてなかったはずなのに。
自分の不甲斐なさが悔しく、奥歯を噛みしめる。死ね、なんて……コマンドとして禁忌だと、Domなら絶対知ってるはずなのに。
あ。っていうか……
「あ……」
「どうしたのかい?」
「『死ね』って……犯人がコマンドを……。先輩は意識がなかったけど、もしかしたら」
「本当か!? それは……まずい!」
ガタン!と音をさせ吉本先生が椅子から立ち上がる。「君は安静に!」といわれたが、俺は無視してその背中を追いかけた。母親の手が一瞬当たり、トンと背中を押してくれたようにも感じる。
どうしてもっと早く思い出さなかったのか。先生が顔色を変え、階段を一段飛ばしで駆け上っていくほどの危機だと、どうして気づけなかったのか。悔しくてきつく手を握りしめる。
先輩がまだ眠っていたらいい。俺たちが過剰に反応しているだけで、何も覚えていなかったらいい。走りながらそう願った。
「飛鳥井くん!」
「先輩!!」
医者とは思えないほどバン!と激しく扉を引き、俺も叫ぶ。
静かで、自分がいた部屋と全く同じような部屋だ。ベッドの上にあるはずの人影がない。
点滴スタンドがポツンと置かれていて、大きく開いた窓から湿気を帯びた風が入ってくる。カーテンが揺れている。
サァッ……と頭から血の気が引いていくのを感じた。先生の肩を押しのけ、窓際に走っていく。窓の外には簡易的な柵があり、簡単には落ちないようになっている。
窓から下を覗くとくらりと目眩がした。つかのま目を閉じ、息を整える。落ち着け!
そっとまぶたを開けると、眼下には何の変哲もない景色が広がっていた。ちょっとした草むらと、道路。朔先輩らしき人影もない。
大きなため息がこぼれた。止まっていた心臓が思い出したように動き出す。
「はぁーっ……よかった……」
「風谷くん、こっち!」
吉本先生の声が聞こえて慌てて振り向くと、窓とベッドのあいだにうずくまる朔先輩がいた。頬に湿布を張り唇の端にもガーゼが当てられている。
慌てていたのもあるが、全く気づかなかったのは朔先輩が身じろぎもせず、ひとことも発しなかったからだ。
先生と頷きあい、小さく膝を抱えている先輩の肩にそっと手を乗せる。その瞬間、ビクッと大きく肩が震えた。
「ひっ」
「朔先輩、俺です」
声を掛けたものの、先輩の震えは大きくなる一方だった。目を開いていても、こちらを見もしない。
俺から逃げるように壁へすがり、さらに身体を縮めてしまう。少しずつグレアを出してみているが、先輩に変化は見られない。
「おそらくサブドロップを起こしている! 風谷くん、慎重に……!」
やはりそうなのか。先生が緊急用の抑制薬を持ってくるようナースコールで指示している。
「あ……ごめんなさいごめんなさい! 僕まで死んだら……家族が……」
「そんなコマンド無視していい! 先輩、俺を見てっ」
「いや……怖い……ぁ……息が……ッ」
「先輩!!」
「いって……」
肩に激痛が走り、顔をしかめる。そこに包帯が巻かれていることに気付いた。
前腕には点滴の針が刺さっている。ここは病院だと気づき、経緯を思い出す。
あの後すぐに救急隊員が到着し、俺と朔先輩は引き離されそうになった。先輩にはサブドロップの可能性があったし、俺も先輩も怪我をしていたのだから当然だ。
しかし俺も混乱していたので朔先輩を放したくなくて抵抗し、自分が連れて行くと言い張った。
誰も俺を説得できず、言う通りにしたほうが早いと思われたらしい。だらだら血を流しながら先輩を運ぶ俺の姿は、周囲の目には狂気的に映っただろう。
きっちり覚えているのでいたたまれない気持ちになるが、Domの本能が前面に出て、自分でも抑えきれなかったのだ。
到着したのはダイナミクス専門の病院だった。そこで俺は安定剤を打たれ、眠っているあいだに治療されたらしい。
(朔先輩は大丈夫なのか?)
狭い部屋は個室で、俺しかいない。居ても立っても居られず、立ち上がる。強い西日が窓から差し込み、俺の影を長く伸ばしている。
カラカラ、と引き戸を開け左右に廊下を見渡す。面会時間を過ぎているのか、歩く人影は見当たらない。
点滴を勝手に抜く勇気はなく、スタンドを片手に引きずった。血がついたであろうシャツも甚平みたいな病衣に着替えさせられていたし、なんか一気に病人感が出ている。ぶっちゃけダセェ。
通路が開けて見える方向に歩みを進めると、ナースステーションがあった。いや、スタッフステーションと書いてある。こっちが正式名称か。
俺が顔を出せば、気づいた看護師が嬉しそうに「あら!」と声を上げる。
「すみません。今日運ばれてきた風谷といいますが……」
「風谷さんね! 存じ上げてます。いま先生を呼びますから、部屋に居てください。お母さまにも連絡しますから」
「あの……一緒に来た飛鳥井って人はどこにいますか?」
「ごめんなさいね。まずは先生と話してください」
守秘義務とかそういうやつか。ここは三階のようだが、Subは別の階に隔離されているのかもしれない。
Domには危険なやつもいるからだ。今日それを目の当たりにした。抑え難い怒りが生まれるのと同時に、同じダイナミクスを持っていることが恥ずかしく、落胆する気持ちも大きかった。
端的に言えば……ショックだったのだ。自分も油断すればSubに危害を与えてしまう存在になるんじゃないか?
朔先輩に何度も迷惑をかけてしまった記憶が蘇る。俺は複雑な思いを抱きながら踵を返す。
背後で「まじイケメン」と呟く声が聞こえてきたのは無視しておこう。
「暁斗!」
ちょうど通りかかったエスカレーターを上ってきたのは母だった。思わずといった様子でぎゅっと抱きつかれる。
「もう、心配した……!」
「ごめん。大丈夫だから」
本気で心配されているのが伝わってきて、胸が熱くなる。目の前で息子が血を流す姿なんて、見たくないよな。
こっちまで泣きそうになるのを堪えて、母の肩を撫でた。この人の身体は、こんなにも小さかったのかとかすかに驚く。
「部屋に戻ろうぜ。ちょっと痛い……」
「あ! ごめん!」
笑って返し、平気だとアピールする。歩きながら点滴に痛み止めも入っていると聞かされて、じゃあ本当はもっと痛いのかと想像して少し背筋が寒くなったのは秘密だ。怪我した瞬間は全然平気だったのにな。
担当医だという吉本先生が来て、蹴られた背中は打撲が複数。十センチほどの切創は肩と上腕に二箇所あり、きれいに縫合できたと告げられた。
名誉の負傷だと思っているし自分では気にしないが、傷痕も目立たなくなるだろうとのことだ。服で隠れる場所だし問題ない。
「発熱する可能性があるから二、三日は大人しくしておくようにね。それで、本当ならもう帰ってもいいんだけど……」
「飛鳥井先輩のことですか」
まず、これは事件になってしまったので警察による事情聴取があるという。被害を受けたSubの人たちはメンタルケアが最優先なので、できれば俺から詳しい話を聞きたいのだそうだ。
しかもアツシはほんの少しとはいえ顔見知りだ。プレイバーのユキさんと、オーナーである父にも連絡して情報を得てもらった方がいいだろう。
「飛鳥井くんはおそらく、犯人のグレアとコマンドの影響を一番受けている。今は薬で落ち着いているけど、目覚めたらサブドロップに陥る可能性があるんだ。風谷くんがこの前言ってたのは……彼のことだろう? 家に帰りたいだろうけど、アフターケアのために残っていてほしい」
「もちろんです。そばに居させてください」
「暁……大人になったね」
大きくうなずき、即答する。そういえばスゥさんが大丈夫だったのかと母に問うと、距離もあったしすぐ母がケアできたおかげで問題ないそうだ。
俺があのときもっと早く朔先輩の元へ辿り着いていれば。犯人とすれ違ったときに気づいていれば……あんな、悪意にまみれたコマンドを受けることなんてなかったはずなのに。
自分の不甲斐なさが悔しく、奥歯を噛みしめる。死ね、なんて……コマンドとして禁忌だと、Domなら絶対知ってるはずなのに。
あ。っていうか……
「あ……」
「どうしたのかい?」
「『死ね』って……犯人がコマンドを……。先輩は意識がなかったけど、もしかしたら」
「本当か!? それは……まずい!」
ガタン!と音をさせ吉本先生が椅子から立ち上がる。「君は安静に!」といわれたが、俺は無視してその背中を追いかけた。母親の手が一瞬当たり、トンと背中を押してくれたようにも感じる。
どうしてもっと早く思い出さなかったのか。先生が顔色を変え、階段を一段飛ばしで駆け上っていくほどの危機だと、どうして気づけなかったのか。悔しくてきつく手を握りしめる。
先輩がまだ眠っていたらいい。俺たちが過剰に反応しているだけで、何も覚えていなかったらいい。走りながらそう願った。
「飛鳥井くん!」
「先輩!!」
医者とは思えないほどバン!と激しく扉を引き、俺も叫ぶ。
静かで、自分がいた部屋と全く同じような部屋だ。ベッドの上にあるはずの人影がない。
点滴スタンドがポツンと置かれていて、大きく開いた窓から湿気を帯びた風が入ってくる。カーテンが揺れている。
サァッ……と頭から血の気が引いていくのを感じた。先生の肩を押しのけ、窓際に走っていく。窓の外には簡易的な柵があり、簡単には落ちないようになっている。
窓から下を覗くとくらりと目眩がした。つかのま目を閉じ、息を整える。落ち着け!
そっとまぶたを開けると、眼下には何の変哲もない景色が広がっていた。ちょっとした草むらと、道路。朔先輩らしき人影もない。
大きなため息がこぼれた。止まっていた心臓が思い出したように動き出す。
「はぁーっ……よかった……」
「風谷くん、こっち!」
吉本先生の声が聞こえて慌てて振り向くと、窓とベッドのあいだにうずくまる朔先輩がいた。頬に湿布を張り唇の端にもガーゼが当てられている。
慌てていたのもあるが、全く気づかなかったのは朔先輩が身じろぎもせず、ひとことも発しなかったからだ。
先生と頷きあい、小さく膝を抱えている先輩の肩にそっと手を乗せる。その瞬間、ビクッと大きく肩が震えた。
「ひっ」
「朔先輩、俺です」
声を掛けたものの、先輩の震えは大きくなる一方だった。目を開いていても、こちらを見もしない。
俺から逃げるように壁へすがり、さらに身体を縮めてしまう。少しずつグレアを出してみているが、先輩に変化は見られない。
「おそらくサブドロップを起こしている! 風谷くん、慎重に……!」
やはりそうなのか。先生が緊急用の抑制薬を持ってくるようナースコールで指示している。
「あ……ごめんなさいごめんなさい! 僕まで死んだら……家族が……」
「そんなコマンド無視していい! 先輩、俺を見てっ」
「いや……怖い……ぁ……息が……ッ」
「先輩!!」



