超絶クールな先輩は俺の前でふにゃふにゃのSubになる

 ドスッ……と鈍い音が聞こえて、朔先輩の身体が吹き飛ぶ。アツシに蹴り飛ばされたのだ。
 
 俺の大声に驚いた人たちの注目を集めるなか、ようやく先輩の元へたどり着きその身体を抱き起こす。頬が赤く、口の端が切れていて痛々しい。

「せんぱいっ、朔先輩。大丈夫ですかっ?」
「か、ざ……ぁ……たすけ……」

 か細い声で名前を呼ばれ、胸が引き絞られるように痛む。目の下に涙の跡があった。
 なにより初めて『助けて』と言われた。先輩がこれまで以上に切羽詰まって苦しんでいることがわかる。

 背中が蹴られる。突き刺さるような威圧のグレアも感じる。
 しかし俺は全てを無視して先輩を抱きしめた。蹴られた衝撃が伝わらないように優しく……いつも以上に穏やかなグレアで包み込む。

「先輩……少し、休んで(Rest)いてください」
「ん……」

 腕の中の身体が脱力する。先輩が眠るように気を失ったのだ。
 こんな僅かなグレアでも安心して身を任せてくれるようになったことに、心の奥底で喜びが兆す。俺も小さく息をついた。ただし喜びに浸るのは後だ。
 
 俺が朔先輩を抱えたまま振り向くと、怒りで顔を赤くしたアツシと目が合う。無理やりSubを従わせて、従わなければ暴力で屈服させようとするなんて……哀れな男だ。

 俺の視線をどう感じたのか、アツシはニヤリと嗤って尻ポケットから何かを取り出した。

「またお前か。お前みたいなDomがいるからこっちが迷惑を被るんだよ」

 太陽の光を受けて不気味に輝いたのは――果物ナイフだった。
 
 周囲から悲鳴が上がる。輪が広がる。

「まじか。迷惑はお前だろ……アツシ」
()()は俺のオモチャなんだよ。お前、まさかSubは守ってあげなきゃ〜って思うタイプ? あははダッセェ!」
「だったらなんなんだ? それがDomの本能だ。それに、先輩はお前みたいな底辺Domのものじゃねーよ」

 朔先輩を物のように言われ、頭に血が上る。冷静さを保とうとすると、抑えすぎて地の底を這うような低い声が出た。
 
 アツシとその周囲にいるDomたちへ向けて、跳ね返すように強いグレアを出す。

「ヒッ……ざ、ざけんな! クソッ。俺は底辺じゃない!」

 アツシの仲間のDomたちは一斉に腰を抜かし、地面に這いつくばる。青褪めた顔で後ずさろうとするが、群衆が壁になった。
 Subや女子生徒は既に遠ざけられている。残った彼らはグレアに耐え、同じ学校の生徒に手を貸したいとそこにいるのだ。腰を抜かしたDomを逃がさないくらいはできる。

 アツシだけが、ナイフを振り回しまだ立っていた。Domとしてのランクが強いというより、俺に仕返したいという強い意思だけに突き動かされているように感じる。
 滝のような汗を流し腰が引けているものの、ふらふらと円の中を彷徨い俺と先輩の方へ近づいてくる。

「警察を呼んだぞ!」

 誰かが叫ぶ。タイミングを見計らったかのように遠くでサイレンの音が聞こえた。

「うわあああああああ! 死ね(Dead)! くたばれ!」
「ッ……」

 アツシが腕をめちゃくちゃに振り回す。目の焦点が定まらず、錯乱している。
 
 俺は身体全体で先輩を包み込む。死ねって……まさかコマンドか? 先輩は意識がないから聞こえていないだろうか。

 肩と腕が焼かれたように熱い。切られたのかもしれない。

 群衆が割れた。誰かが飛び出してきて、アツシに飛びかかる。
 思わず振り向くと、登場したのは朔先輩と同じように女子の制服を着た、茶髪の男だった。
 
 ナイフが地面を滑り、誰かが足で踏みつけて止める。男はアツシの顔を容赦なく殴っている。

「飛鳥井くんは! おれの! 大事な友だちだ!」
「辻……気持ちはわかるが、やめろ」

 追いかけてきて気のない声で男を止めたのは石田先輩だ。辻……先輩は最後にもう一度だけアツシの頬を殴り、「うわきったね」と言いながら立ち上がった。
 アツシは白目をむいて気を失っている。漏らしたのか股座が濡れていた。

 サイレンの音が近い。救急車も来ているようだ。
 俺はようやくグレアを引っ込め、力を抜いた。ひとまず難は去った。

 けれど……まだアフターケアが必要だし、しかも先輩がSubだと周囲に知られてしまった。他にも被害を受けたSubがいるだろう。目撃者が多すぎて、誤魔化すことはできない。
 
 みんなが守られなければ駄目だ。Subを守るのは俺たちの使命なんだから。

「暁!」
「アキ!」
 
 問題は山積しているけど、母親とヤスが駆け寄ってくるのが見えて俺はちょっと笑った。
 朔先輩は生きている。目は閉じているものの、確かに息をしている。大丈夫、ちゃんと守れた……。


 ◇