超絶クールな先輩は俺の前でふにゃふにゃのSubになる

 夏休みに入って約二週間経った。平日の夕方、繁華街のなかにあるカフェに小走りで向かう。
 
 カフェの前には、人の往来の邪魔にならない位置でピンク色の飲み物を片手に佇んでいる風谷がいる。立ってるだけなのに、いちいちモデルみたいなやつだな……
 一瞬突っかかりたくなったものの、待ち人は僕だ。緩みかけた足を早める。どうやらピンク色は限定の桃スムージーらしいことが、横目に見た看板でわかった。
 
「あの、お兄さん待ち合わせですかっ?」
「ああ、うん。もう来たから……せんぱーい!」

 おいナンパに僕を巻き込むな。女の人に話しかけられていた風谷が、嬉しそうに手を振ってくる。
 つい癖で無視してやろうかと思ったが、気づけば僕は「お待たせ」と風谷の腕を引っぱり、そのまま女たちから離れるように歩きはじめていた。
 
 念のため振り返ってぺこっと会釈しておいたから大丈夫だろ。あの子も可愛い〜、ってまさか地味代表の僕のことじゃないよな? ああ、走ったせいで前髪が乱れてる。

「遅れて悪い。バイトでぎりぎりだった……」
「全然待ってませんよ? あ、先輩。これどうぞ」

 バイトしてたんですねと言いながら風谷が差し出してきたのは、ピンク色のスムージー。プラスチック容器についた結露の粒が夏の光を反射し、眩しいくらいに冷たそうな雰囲気を伝えてくる。
 正直なところすごく美味しそうで、僕は無意識にゴクリとつばを飲み込んだ。

「え、これお前のじゃないの?」
「いや、先輩のです。俺は先に来て飲んじゃったんで。あ、桃嫌いでした?」
「嫌いじゃない。実は……すげー好き。ありがと」
「…………はい」

 やっぱだいぶ先に来てるじゃんかよと思いつつ、きっと鮮度が重要であろうスムージーを受けとった。
 桃は大好きなのだ。贅沢な果物だと認識しているから、食べるとしても年に一回とかだし。家族で分け合うと、基本一切れしか食べられないし。

「あ〜〜〜っ、沁みわたる。美味いなこれ!」
「ふふっ……よかったです。ていうかうちの高校ってバイトしていいんでしたっけ?」
「んー駄目だな。……でも、うちは金ないからさ。秘密にしろよ」

 スムージーはちゃんと桃の味がして、奇跡のように美味しかった。暑いなか走ってきたから単純に喉が乾いていたというのもある。
 夢中でストローに吸い付きながら、僕はちょっと目を丸くしている風谷を横目に見上げた。

 もちろん学校にアルバイトがバレたら怒られるだろうけど。信頼できるやつに話すくらいなんてことない。そのせいで待ち合わせに遅れたりするならなおさらだ。
 ああでも、どっかの御曹司だと噂の風谷には貧乏人のことなんて理解できないかもしれないな。普通に引いてるかも。

「それ、受験に響いたりしません? あ。バレたらってことじゃなくて、勉強時間とか……」
「余計なお世話だよ。志望校はA判定だし、合格して入学金とか授業料払えなかったら笑えないからな」

 ほら、引いてる。思った以上に自分も動揺してしまい、突き放すような言い方をしてしまった。
 甘い液体が喉に詰まったように苦しくなる。顔を見続ける勇気がなくて、コンクリートの地面に視線を移す。
 
 別に自分を憐れんでるわけじゃない。ただ、周りに裕福なやつが多い高校に入ってしまっただけで。
 馬鹿にするようなやつもいないけど……たまに壁を感じることはあるのだ。期間限定のドリンクを他人にも気軽に与えられるような人との、あいだに。

「っすみません! 俺、無神経でしたよね……」
「別にいいよ。僕もちょっと……八つ当たりした」

 とっさに謝られ、居心地が悪くなる。気づけばプレイバーのあるビルの前まで来ていた。近くで待ち合わせしたのだからすぐ着くのは当然だ。
 わざわざ中に入る前から待ち合わせしようと言ってきたのは、風谷のほう。この前のことで心配してるのだろうか。
 
 いつの間にか日は沈みかけ、周囲は茜色に染まり始めている。
 どこか落ち着く色の光に包まれて、僕は気持ちの方もふっと落ち着いてくるのを感じていた。
 
 お互いのため不安症の症状が出る前にプレイしようと今日の約束を決めたが、もしかしたら無駄に悶々としたのも不安症が始まりかけているのかもしれない。
 風谷を逆ナンする女に苛々したり、引かれたと思って逆ギレしそうになったり。

 自分が素直な性格じゃないというのは重々承知しているものの、すごく申し訳なさそうに謝られたからこっちも素直に謝れた。というか、Dom性をもつ男がSubに謝ることの方に驚いてしまう。
 風谷はまだ足りないと思っているのか、さらに言葉を重ねてくる。

「俺……勉強が、ほんとに駄目で。とにかく時間をかけてやってるんですけど、良くて真ん中くらいの順位なんで……」
「…………」

 打ち明けられた内容に、ポカンと口を開けて驚く。なにも悩みなんてなさそうな風谷が、勉強が不得意だと深刻に話してくるなんて思わなかったのだ。
 ガチで勉強時間の心配してくれてたのかよ……意外すぎるだろ。つーか、お互いの悩みが正反対すぎないか?

 ずっと呆けているのも失礼だと気づいて、僕はごまかしがてら風谷の腕をバシッと叩いた。

「本当に駄目なやつは真ん中にもなれないだろ。うちの高校の偏差値知ってる? ……あ。これは僕の自慢じゃないからな」
「あははっ。ありがとうございます。――じゃあ、そろそろ……行きましょうか」

 吹き出すように笑った顔を見て安心した。整った顔がくしゃっとなるのは、何も構えていない様子が伝わってきて、どうしてか目が離せない。
 なにしてもイケメンってずるいよな……と思いつつ、一緒にエレベーターへと乗り込んだ。

 眠りに入ろうとする太陽の最後の光が、閉じゆく扉に遮られていく。橙色と、ほのかな熱と。
 僕は胸の中に残ったそれを抱えながら、カウントアップしていく階数表示を見つめていた。