――僕は”すぅ”以外の女の子を好きになる(すべ)を知らなかった。

 古い団地の建替えなどにより生じた広大な余剰地。
 大規模な再開発事業が進められ、商業施設やレジャー施設、新築マンションや戸建住宅が続々と誕生。
 多くの人口が流入し、複合的な街へと様変わりした。
 僕が産まれた時から中学2年になった現在まで住んでいるのは、国交省が推進している生活圏内で何でも揃うコンパクトなまちづくりを実現した郊外の穏やかさと生活利便の共存した街だった。

 「おおっ、山園(やまぞの)さんだ!」

 放課後、所属しているソフトテニス部の部室に向かっている途中、友人の一人が騒ぎ出した。
 目線の先、昇降口で靴を履き替えている山園(やまぞの) 澄玲(すみれ)の姿。
 ――すぅだ……。

 「5組のやつが言ってたけど、体育の時に山園さんのおっぱい揺れまくってマジでやばいって」
 「セーラー服着ててもわかるもんな。あの巨乳」
 「顔も流行りのたぬき顔でかわいいし、俺も5組になって山園の神おっぱい拝みたい」

 すぅは中学入学と同時に人目を引きすぎる存在になった。
 主に男子からの性的な目線において。
 小学校卒業まではずっと眼鏡に三つ編み、身体のラインがわからないようなダボッとした服装だったすぅ。
 眼鏡をコンタクトに変え、腰まで伸びていた髪をおしゃれなミディアムボブに切り、中学の制服のセーラー服に身を包んだら、別人のように垢抜けて、ざわつかせた。
 たぬき顔と例えられるかわいらしい顔立ちに、栄養が行き過ぎたように周りより膨らんだ胸元……。
 すぅは思春期の多感な男子たちにとって気にしないなんて不可能な注目を浴びる存在になった。

 「小学校の時の山園を知っているけど、まさかここまでの逸材とはな。な、谷内(たにうち)?」

 急に友人の一人が僕に向かって声をかけてきた。

 「うん、まあ……」
 「そっか。お前ら、山園さんと小学校一緒だったのか」
 「そうそう、俺らの小学校、人数多かったし。山園って全く目立ってなかったよ。俺も大人しくて地味な子くらいにしか思ってなかった」

 僕は内心、そりゃお前はな……と思う。
 ――僕は昔から知っていた。
 すぅの目鼻立ちのかわいらしさも、身体の発育が速く良すぎたがゆえにラインがでないような服を着て小学校に登校していたことも。
 すぅが好きなお菓子も、すぅが好きなキャラクターも。
 すぅが蒼斗(あおと)という名前の僕を“あおくん”と呼んでいたことも。
 ――ずっとずっと昔から。
 すぅの姿が見えなくなっても、昇降口でスニーカーに履き替えながら、飽きもせず山園澄玲の話は続く。

 「山園さんって何で彼氏いないんだろう。今まで居るって噂、聞いたことないよな?」
 「ここだけの話、バスケ部部長の海道(かいどう)先輩も山園に振られたって」
 「ええ。あの人、うちの中学で1番イケメンじゃん」
 「みんな振られてるらしいよな。中学以外のとこで彼氏いるのかな」
 「あの……!!」

 僕たち4人の行く手を阻むように1人の女子が進み出てきた。
 ポニーテールが似合っていて、身体の線が細い。
 胸ポケットの学年章を見ると一年生だった。
 緊張しているのか小刻みに震えている。

 「谷内先輩に用事があって、少し時間もらえませんか?」

 一年生の女子はか細い声色ながらも、しっかりと僕を見つめて伝えてきた。
 ――僕かなとは予測がついていたけれど。

 「わかった。先、行ってて」
 「おー。また後でな」

 友だちたちはニヤニヤしながら僕から離れて行った。
 僕を冷やかしてやりたいけど、囃し立てたら相手の下級生の女の子に悪いと思っているのだろう。
 そういう配慮があるなら、同級生の女子への性的興奮を人前では隠せばいいのに。
 自分の体格を面白おかしく話題にされる、すぅの気持ちは考えないんだろうか。
 嘆息を胸のうちに隠し、人影のない校舎裏まで一年生の女の子とやってきた。

 「私、陸上部なんですけど、谷内先輩がテニスしているところを見かけていて、好きになりました……」

 辿々しくも一生懸命、僕に伝えてくれる女の子。
 まだ4月に中学に入学したばかりだというのに、勇気と度胸がすわっている。
 ――かわいいな。
 素直にそう思った。
 こういう子と部活帰りに一緒に帰ったり、公園のベンチで話したり、そんな青春って感じの付き合いが出来たら楽しそうだ。
 だけど……。

 「気持ちは嬉しいけど、期待させることはできない。ごめんね」

 僕の返事を受けて、相手の女の子の肩がぴくりと跳ねる。

 「いえ、謝らないでください。谷内先輩。お時間ありがとうございました」

 涙を必死にこらえている姿にも、丁寧に言葉を伝えようとする姿勢にもグッと胸を掴まれた。
 告白してくれた女の子が立ち去り、校舎裏に一人残される。
 すぐに部活に向かう気が起きなくて、ぼんやりとそのまま佇んでいた。
 部活、行かないと。
 僕は先輩とペアを組んでるし、団体戦のメンバーにも2番手で入っているから、来月の三年生の最後の大会に出る。
 けど、足の裏から地上へと根が生えたように動きたくない。
 湿度の高い6月の風が僕の前髪と校舎裏の若葉を揺らした。
 
 「――かわいい子だったね」