天狗の神様の契約花嫁

 本来神は人の世に手出しはしない、人の営みを見守るだけで眷属や幽世の生き物たちの世話だけをするというのが鉄則だと私は天宮の長老木の藤の木のおばあちゃんに習った。
 私自身も人の名残を持ちつつも神様の花嫁になったことで神に近しい存在である神人という立場になった。
 寿命も、神様と同じで老いることなく何千年の時をこれから佐彦様と生きるのだとお母様たちからも話された。
 それを受け入れて佐彦様の花嫁となり、結婚した。
 だから本来であれば私も女学館に通うなどあまりよくはないのだということを理解している。
 それでも、神に近くなったとはいえまだ少し前まで人の子であったからと半年だけならと女学館へ通うことになった。
 学校に行ってみたいという私の願いをお父様もお母様も佐彦様も理解してくれて許してくれたのだ。
 天宮家から見れば花嫁とはいえ齢十七歳の私は赤子も同然の存在だから。
 願いがあるなら最大限叶えてあげたいのよと、優しくそして慈しむように見守ってくれている。
 花嫁で巫女姫としての異能もしっかりと使って、神様のお仕事幽世の生き物たちの穢れ落としやケガの手当て、付喪神の声を聴くなど多彩な仕事をこなしてもいる。
 まだまだだと思うのだけれど、一つ一つ確実にと丁寧に接することを心掛けていると木々もほかの生き物たちも私にたくさんのことを教えてくれるようになった。
 とくに長老木の藤の木はたくさんのことを教えてくれる。
 幽世の仕組み、生き物、神様の在り方、神に近くなった私自身と幽世と現世との関わり方だ。
 藤の木は教え導く先達の師であり、大きなおばあちゃんでもあり私にとっては天宮家の人々と同じくらい大切な存在となった。
 桜のお姉さんも、同様だが知識の幅と情報量は藤の木のおばあちゃんが一番だった。
 私の異能の聴感覚についても、数百年前に同じ能力の巫女が白鷗家に居たこと。
 どんな能力でどう使うのかを教えてくれたのも藤の木だった。
 そんな藤の木が、部屋で休んでいるところに声をかけて来た。
『巫女姫、ちょっといいかい?』
 藤の木の声掛けに私は答える。
「はい、おばあちゃん。なにかありましたか?」
 私の返事に珍しく人型の様子で立つ藤の木に私は庭に下り立って駆け寄った。
『巫女姫や、此度の白鷗家の巫女について男爵に話した人物が居る。白鷗家の巫女を迎えると家が栄えると教えた人物がな。今の奥邸の叔父にあたる香の邸に住む先代皇帝の弟。香風の君と呼ばれる男だ』
 そんな藤の木のおばあちゃんの言葉に私は違和感を覚える。
 なぜ、そんな人物が男爵に接触して白鷗家を没落に追いやろうとしたのか。
 何が狙いなのかが分からない。
 そんな私に藤の木は教えてくれる。
『どうやら、香風の君は皇帝位を諦めきれておらんらしい。今なお甥である現皇帝を失脚させたりすれば自分が皇帝になれると信じておる。すでに継承順位は皇帝の息子たちとその次は皇帝の弟で香風の君は順位は五番であり、皇帝位から程遠いということを認められておらぬ。白鷗家は力のある家なので皇帝に味方されると困る故にそぎ落とそうとしたのであろう。しかも、男爵が迎えた巫女を自身のものにしようと計画していたようだ』
 まさか、自分が動かずに上手く白鷗の巫女を取り込もうと考えていたとは。
 しかし彼らは白鷗の巫女は繁栄をもたらすことを知っているが、大切にする者に繁栄をもたらすのである。
 利用しようと企む者に、繁栄をもたらすはずがないとなぜ気づかないのか?
 きっと自分のいいようにしか解釈できないのだろうことが行動から浮き彫りにされている。
「巫女を大切にする、それで家が繁栄するのだと知らないのですか?巫女の感じる幸福度が繁栄にもつながるということを」
 私の言葉に頷いて藤の木は教えてくれた。
『都合のいい部分しか聞こえない部類なのだろう。巫女が居れば栄えると信じておるのよ。愚かよな』
 藤の木は長いこと人の営みを見て来たからこそ、心理であり事実である。
「希望さんが幸せでなければ繁栄に導くことは出来ない。居るだけで繁栄をもたらすことが出来るほどの力は人である巫女にはないのにね」
 神人になったからこそ分かる、人の理で生きるには私の異能は能力が大きすぎる。
 私の異能聴感覚は神人だからこそ上手く扱えているに過ぎない、大きな力であること。
 巫女としての異能も先見の異能だってきっと自分の見たいものが見れるわけでも長く見れるわけでもない。
 断片を見て巫女自身が予測を立てて伝えている未来の可能性でしかない。
 それでも、普通の人には見えないものが見えるから巫女となるのだ。 
 そして少しでもそれを役立てて、被害を減らそうと動くからこそその能力を与えられる。
 巫女らしくあるというのは誠実な人柄の現れであり、異能や能力を駆使して世に役立つから巫女なのである。
 人柄と能力は比例すると考えると希望さんの天気を当てる能力はそのうち局地的な雨や風という能力に進化する可能性も秘めていると思う。
 しかし、そこまで能力が開花すると人の枠から外れ掛けるそんな理から外れないための呼称としても役に立っているのが巫女なのではないかと感じている。
 異能を顕現させても人の理の中で生きて行くための呼称。
 それが巫女という呼称なのだろうということ。
 異能の能力が開花し進化すればするほど巫女であっても神に近しい存在になっていくのではないかというのが今のところ私がなんとなく感じた仮設だ。
 あながち間違ってはいないと自分の能力からも感じている。
 私は運よく約束の色を持った巫女だったから神様の花嫁となり神人へと変化したおかげで能力の馴染みも、能力開花と進化のスピードが速かったのではないかとこれも私の中での仮説だ。
 とにかく古来より巫女は神に寄る力を持ちながら人の中で生きる者の呼称だという仮定もあながち間違っていないと思う。
 そんなことをつらつらと藤の木に話しかければ静かに頷きつつ聞いてくれた藤の木のおばあちゃん。
『本当にメノウは賢いねぇ。その通りさ、巫女というのはそもそも人にしては大きな異能を持つから生きにくくならないように付けられた人の理で生きて行くための呼称だよ。そんな異能持ちの巫女の幸せは家の繁栄に繋がるのは当り前さ。メノウみたいな能力であれば神様と似たような存在になりかけているのだから、繁栄するさ。でも、それは巫女自身が幸せだと感じていなくてはならないという大切なことが人の世からは消えてしまったんだろうさ。嘆かわしいことだよ』
四桁越えの長老木の言葉は大変重いものだった。