恋するだけでは、終われない / 卒業したって、終われない


「……海原(うなはら)くん、今度はいったいなにをしたの?」
「いえ、三藤(みふじ)先輩。特になにも……」

 心当たりはないという、そのセリフに。
 嘘はないのだろうけれど……。

「じゃぁ月子(つきこ)に心当たりは?」
「もちろん、ありません」
 響子(きょうこ)先生は、そりゃそうだよねぇとつぶやくと。
「じゃぁきっと、頼まれごとだね!」
 明るい声で、いってくれたものの。

 第三会議室に並んで腰掛けている先生がたは。
 またなんとも……『難しい顔』をしていた。


「みんな、ご苦労さま」
 寺上(てらうえ)つぼみ校長の声はいつもどおりだ。
 ただその表情がどこか……いつもよりも険しくなっていて。

「ま……まぁ座ってくれ」
 生徒指導部長と、副部長の先生たちは。
 なんだか微妙な雰囲気で、わたしたちに着席するようにうながすけれど。
 どうにも動きが、ぎこちない。

「はいはい。ふたりとも、座ろっか?」
 響子先生が、まるでわたしたちを守るかのように。
 さりげなく隣に座ってくれたものの。
 佳織(かおり)先生はなぜか……神妙な顔をして立ったままだ。


 ……微妙な沈黙が、会議室をしばらく支配する。

「あの、よろしいでしょうか……?」
 この雰囲気を、一切読まずに。
 自ら話しはじめる海原くんはやはり偉大だ。
 その証拠に、指導部長たちふたりが一瞬ひるむと。
 互いにどちらが口を開くか牽制し合っている。

 聞きにくそうなことでも、真正面から向き合える。
 『鈍いだけ』だと思っていた海原くんは。
 どんどん成長して、頼りになっていて。

 ……わたしはその姿を、少し誇らしく思っていた。





 ……三藤先輩がいつもより目を大きく開いて、僕を見てくれている。

 なんだか、その表情は。
 ひょっとすると『うれしい』みたいな感情が入っていそうだけれど。

 できればその『僕を見る目』を。

 ……あと少しだけ、背中のほうに向けて欲しかった。


 会議室に入ったときの先輩は。
 ちょうど高尾先生の言葉と被ったから、聞こえなかったのだろう。

 入室したその瞬間、藤峰(ふじみね)先生が。
 なにかをボソリと口にして。
 僕の背中に、鋭利なものを突き刺した。


「……メロンパン」
 どうやら、気のせいではなかったようだ。
 大切なことだから、二度同じことを繰り返した先生が。

「カバンの中に、ふたつ隠れてるから必ず手に入れて」
 そんな指令を出すと同時に。
 着席した僕の肩の一点にだけ、なにかの力を増してくる。

「揚げパン用の菜箸、もちろんステンレス製」
 本当にどうでもいい情報だけが、耳元で発せられると。
「早く聞いて」
 肩の一点だけが、ぐんぐん鋭い痛みを増してくる。


「あの……よろしいでしょうか……?」
 指導部長たちが、一瞬ひるんだのは。
 きっと藤峰先生の獲物を追う目に気づいたからだろう。

 引き続き三藤先輩の視線を感じながら。
「あの……できれば一気に渡していただきたいのですが……」
 ひとつだと、先生が暴れそうだから。
 頼むからふたつ欲しいとお願いする。


 ……カチ、カチ、カチ。

 そんな三カウントの沈黙のあと。
「よし、頼むぞ」
「まかせるわよ」
「頼んだぞ!」
 校長たちの声が一気に飛んできた瞬間。

 うしろから悪魔が。
「いただきます!」
 そう声を張りあげて。

 ステンレス製の菜箸が、思いっきり背中のツボに命中した僕は。
「うっ……」
 あまりの激痛に思わず。
 机に、突っ伏した……。





「……海原くん!」

 どうしよう、自分から頼んでおいて。
 でも書類のあまりの多さに、ショックを受けたらしく。
 海原くんが……突っ伏してしまった。

「だ、大丈夫です先輩……」
 両手を書類の束にのせながら、頭をあげた海原くんが。
「これ『だけ』ですか?」
 そんな返事をしているけれど。

 ……まさかそんなに、仕事に飢えていたの?


「いや〜、頼もしい!」
「えっ?」
「よろしく、頼んだぞ!」
「はい?」
 指導部長たちが、頭をかきながら。

「まぁ、放送部なら大丈夫だ」
「そうそう、大丈夫だ」
 ホッとした表情になって、喜んでいる。

「それなら、これもよろしくね」
 寺上先生のやわらかな声がしたかと思うと。
 別の書類の束が、机の上に積み重ねられる。

「きょうは……少し頭が痛いのよね」
 校長が、つぶやくと。
「新しい老眼鏡、合わないわね」
 そういっていつもの表情に戻っている。

 ……険しい顔だったのは、どうやらメガネのせいだったらしい。


「おぉそうだ海原。お礼といっちゃなんだが、これでも食うか?」
 指導部長がそういうと。
「売店の残りがこれしかなくてな。ただ俺、甘いパンは苦手なんだよな」
 机の上に、メロンパンをふたつ乗せている。

「喜んで承りました!」
 そう返事したのは、佳織先生で、
「なんだかまた……」
「増えていますよね……」
 響子先生とわたしは、机の上の書類の山を見つめている。


 三年生を送る会。
 卒業謝恩会。
 あと……高校入試ボランティア?


「いやぁ。すっかり忘れていてな。企画から全部まかせたぞ」
「本来は保護者会主催なんだが、会長から急に生徒に頼みたいといわれてな」
「へっ?」
「どうした海原?」
「な、なんですかこれは……」
「書類よ?」
「さっき両手でかき集めてただろう?」

 メロンパンを両手に持った佳織先生が、ご機嫌な顔で。
「問題ありませんよ。ね、海原君?」
 逆らえない声色で、圧力をかけている。

 もしかして海原くん……佳織先生に脅されていただけなの?


「これ……全部ですか?」
「なんだ? 一気に渡せといっただろう?」
「過去の資料も全部あるから、ついでに整理してもらえると助かるんだが?」
「え、えっ……」
「最近教師も働きかた改革とかで残業しにくいのよ。あなたたちがいて助かるわ」
「あの……」

「では、次の会議があるので頼んだぞ!」
 そういって先生たちは。
 そろいもそろって晴々とした顔で会議室を退出すると。

「おいし〜」
 佳織先生の、メロンパンに浮かれた声だけが。


 冷え切った、会議室の中で。
 能天気に、こだました。