恋するだけでは、終われない / 卒業したって、終われない


 ……それからの三日間は、比較的穏やかなときが流れていた。

 ニュースといえば……そういえばひとつ。

 市野(いちの)さんが女子バレーボール部から移籍したことについて。
 僕たちのもとに抗議の声が、届けられたことだ。


「な・に? いまの死神みたいなノック?」
 さっきまで笑顔だった波野(なみの)先輩が、いきなりいぶかしげな顔になって。
 隣にいた高嶺(たかね)が、そっと放送室の扉を開くと。

 ……ものすごい勢いで、閉めてしまった。


「もしかして、本当に死神でもいた?」
 玲香(れいか)ちゃんが聞くと。
「いえ。貧乏神がいたんで、閉めました」
 高嶺が、平然と答えている。

「えっと……だったら佳織(かおり)先生、ですか?」
 市野さんが、なかなか馴染んできた。
 じゃなくて……ブラックだよね……。

「佳織先生ならどちらかといえば、モンスターに近いのではないかしら?」
 三藤(みふじ)先輩が涼しい声で答えると。
「それに扉とか閉める前に、入り込んでくるよねぇ〜」
 休憩にきていた、都木(とき)先輩が苦笑いする。


「カカカ、カイバラっ! た、たたた頼もぉぅっ〜」
 廊下から、嫌な響きの絶叫が聞こえてくる。

海原(うなはら)君の……お友達?」
 えっ! 高尾(たかお)先生いたんですか?
「ウソっ!」
 市野さんも、気づいてなかったんだ……。


「さ、さっきのは冗談です!」
 藤峰(ふじみね)先生に告げ口されると思ったのだろう。
 市野さんが、ものすごく慌てると。

「平気、結構おもしろかったから!」
 高尾先生が、ニコリとすると。
「よ、よかった……」
 市野さんが安心してしまったけれど。
 いま先生は、ひとことも。

 ……『告げ口しない』とは……答えなかった気がする。



「キャキャキャ、キャイバラっ!」
「うるさいからっ!」
 高嶺が、ドアを開ける前から叫んで。

「ほんと、なんなんですか!」
 なんだか市野さんの……怖いモードスイッチが入りかけて。
 やむなくあけた扉の向こうにいたのは。
 貧乏神、じゃなくて。クラスメイトの山川《やまかわ》俊《しゅん》だった……。


「えっと君は確か……海原君の、親友だっけ?」
 あの……先生。
 仮に親友なら、名前を間違えませんし。
 そもそも山川は……高尾先生のクラスの生徒ですよ?

「もしかして、海原くんに用かしら?」
 三藤先輩って、意外と山川とは話せるんだよな。
「ヒャ、ヒャィッ!」
「だったら、帰ってもらえるかしら?」
 でも……会話としては成立しない。

「あのうぅぅ……み、三藤パイセン……」
 呼ばれた三藤先輩は、心の底から嫌そうで。
「聞こえた? 帰ってく・れ・る?」
 かわりに波野先輩が。
 目をそむけながら、とっても明るく伝えている。


「い、い、い、い、市野さんっ?」
 しぶといというか、なんというか。
 山川が今度は、市野さんを発見して。
 両方の目玉が飛び出そうなくらい驚いている。

「なんなの! 変態なの? それとも変態なの?」
 市野さんを、背中でかばいながら。
 高嶺が選択肢のない問いを発すると。

「い、いや……『制服姿』なんて初めて見たんで」
「で?」
「頭の中で……ジャージに着せ替えてみてたっス」
「最悪……」

 あぁ……救いようのないその返事。
 自分から変態だという、変態に。
 僕は人生で初めて、この日出会ってしまった……。



「で……お前、なにしにきたんだ?」
 高嶺たちはもちろん。
 玲香ちゃんが、ものすごくイライラしているのに身の危険を感じて。
 僕はしかたなく、山川に質問する。

「い、一応抗議文……受け取ってくれ」
「は?」
 高嶺が、かわりに答えると。
「うわっ、汚い字っ……」
 藤峰先生の私物の、馬だか牛用だという大きなピンセットで。
 ヨレヨレの紙切れをつまんでいる。


『じょ、女子バレー部のアイドルにゃん・市野《いちの》千雪《ちゆき》さんをウェルカムバック!』

「ねぇ、書いてて恥ずかしくないの?」
「というか、常識とかないの?」
「そもそも言葉づかいも、人としてもおかしいわよ……」

「男子バレー部の、パイセンたちが泣いてやして……」
 文面は二年生有志。
 一年生のあみだくじで負けた山川が、抗議文として届けにきたそうだけれど。

「さすが告白連敗数、『三桁』だけあるよね……」
「ほんと、情けない部活だ・よ・ね……」
 なんだかさすがに、かわいそうになってきた……。


「ところで千雪って、アイドルだったの?」
 都木先輩が、恥ずかしさの余り部室の隅で凍っている市野さんに。
 ごくナチュラルに聞いている。

「そっか。アイドル引退してから、放送部にきたんだね……」
 高尾先生……。
 たぶんそれ、間違っていると思います。

「どうせなら、もっと早く持ってきなよ」
 高嶺が、あきれた感じでいうけれど。
 それもまた、なにか違わないか?
 もし早く持ってきたら……なにか変わるのか?


「いやオレ。冬休みに下痢して便秘して痔になって、きょうきたところだし……」
「あっ、そう」
「っていうか高嶺さん! オレ休みだったの知らないの?」
「知らないけど?」
 同じクラスの『隣の席』のヤツなのに。
 高嶺は、平然と答えると。

「ちょっと待った!」
 急に慌てたようすで。
「なんでそれで欠席なの? 頭おかしいから!」

 そういってカバンから制汗スプレーを取り出すと。
「これでもかけさせてっ!」
 あぁ……意味のないことやるなよな……。


 ただ、あまりにどうでもいい欠席理由のカミングアウトのおかげで。
「出て・っ・て・っ!」
「サイテー!」
「いますぐハウス!」
 その迫力に押されて、その貧乏神は。
 あっというまに、放送室から追い出された。

 ちなみに山川は、廊下で僕に。
「あれ? でも春香(はるか)パイセンと鶴岡(つるおか)さんがバレー部にきたってことは……」
 今頃気がついたといわんばかりの顔で。

「なんだ、女子増えてんじゃん!」
 ただの『数合わせ』的な発言をすると。
「女子が・増え・て・るぅー!」
 謎の首振り走りで叫びながら、体育館へと戻っていった。



 アホの山川の痕跡が『洗浄』されると。
 波野先輩がうれしそうな声で。
 放送室でヒラヒラ動きながら、同じ言葉を繰り返す。

「アイドルと女優だよ。放送部すごくない?」

 市野さんと、自分のこと……だよな?


「どっちも『自称』でしょ?」
「あの、玲香ちゃん! わたしは自称さえしていません!」
 とりあえず、市野さんは生き返ったようで。
 それはそれで……なによりで。
 しかしそんな『穏やか』な時間は……長くは続かず。

「ついに『本物』がきたわね……」
 三藤先輩が、ブラックなことをつぶやいたのはもっともだ。


「部長、副部長。校長と生徒指導部長と副部長が呼んでるよ……」
 我らが顧問・藤峰佳織が。
 メロンパンが売り切れていたと、半べそをかきながら。

「響子もついてきて……」
 そういって。

 僕たちは第三会議室へと、連れ出された。