ハンガーにかかった制服を眺めていると、いつのまにか新年になっていた。

 スマホの画面を見るが、通知は特にない。
「まぁ勉強中だと思って、気をつかってくれている……んだよね?」
 わたしは、机の上の写真立てを手に取ると。
 並んだ顔のひとつひとつに、語りかけてみるものの。

 ……当たり前だが、返事はない。


 自身の大学受験の年を迎えておきながら。
 深夜まで勉強をしたわけでもなく、かといって睡眠中でもなくて。
 ただ制服を眺めていただけなんて……。

 いったいわたし……なにをやっているんだろう……。


 たった三日、いや日付が変わったので四日目だけれど。
 ハンガーにかかった『それ』は、ずっと動かないままだ。
 そもそも年末年始だし、おまけに受験生なのだから。
 当たり前だろうと……頭では理解しているものの。

 ……ただどうしても。制服が気になってしまうのだ。


「原因は先生だよ! ほんと!」
 わたしは、写真の右端で。
 とびきり笑顔でこちらを見ている藤峰(ふじみね)佳織(かおり)
 わたしの心を惑わした、張本人の顧問の名前を声に出す。

 佳織先生は、受験も恋もなんであろうと。
 いつだってわたしを応援してくれるといってくれて。
 実際色々と、構ってくれてはいる。

 ただ……そうはいっても。
「あの余分なひとこと、いや絵文字は……タイミング的にどうなんですか?」
 いつものこととはいえ。
 思わず、そう口にせずにはいられない。



『少し早いけどよいお年を! 英語の質問ならいつでも受け付ける!』
 二十九日に届いたメッセージ『だけ』なら、ありがたい激励で済んだのに。

『……なんですか、これ?』
 なぜだか、最後に。
 謎の絵文字が添えられていて。
『ボタン』
 それは洋服のボタンだと返信がきた。

『……どういう意味ですか?』
 気になって、わたしが質問しても。
 先生はそれきり返事をしてくれない。
 まぁきっと、合格のおまじないでもしてくれたのかと。
 自分なりに納得していたのだけれど……。

『卒業式!』
 大晦日の夕方、いきなりそんな返信が届いていて。
「卒業式と、ボタン?」
 その意味がわからなくてわたしはつい……検索してしまった。


 ……『大好きな人の、制服の第二ボタン』


 卒業式で、女子から思い切って告白してから受け取るもよし。
 逆に男子からその想いとともに、渡されるもよし。
 もし自分に『関係なければ』。
 きっと甘酸っぱい、青春のひとコマで済むことだけれど。

 思いっきり『渦中にいる』わたしにとっては。
 あぁ……とんでもないことを、知ってしまった。
 それ以外に、言葉はない。


 ……ねぇ。いったい、どうしたらいい?


 わたしは、写真の中の海原(うなはら)(すばる)君に問いかける。

 ただあの海原君が……わたしも知らなかったそんな『文化』に。
 ともて造詣があるとは思えないから。
「あの……都木(とき)先輩、よかったら僕のボタンをどうぞ」
 そんな光景は……まったく想像できない。

 かといって、同じ写真に映る『あの女子たち』をひとりひとり眺めていると。
美也(みや)ちゃん……どうして海原くんのボタンを?」
「えっ? 昴君のボタンですよねそれ?」
「ちょっと! ど・う・し・て?」
「なんでアイツのボタンを……」
 あぁ……とてもではないが。
 穏やかに卒業式を、終えられる気がしない。


 ちなみに彼のようにブレザーの場合は。
 ネクタイをもらうという手も、あるらしいけれど。
 海原君は、来年も使うのだから……この場合はどうするのだろう?

 先にかわりを買っておけばいい?
 売っているのは購買、それとも制服指定店?
 海原君の代から制服が変わったから、よく勝手がわからない。
 だったらあとで、ネクタイ代を払うのはどうだろう?

 なんだかどれも……違う気がしてきて。
 この際、いっそわたしのボタンを渡すのも手だけれど……。
 きっと海原君のことだ。

「ええっ! ボタン外したら、制服着られなくなりますよっ!」
「えっと……卒業するから、もう着ないけれど?」
「じゃぁせめて。僕のボタンと交換させてくださいっ!」
 あぁ……この展開は。
 余計に周囲の騒ぎが大きくなりそうだ……。


「……というかわたし、全部もらえること前提だ」
 そう思うと、恥ずかしくなってきた。
 でも、続いて。

「なんだか、あっというまに補充されちゃいそう……」
 周囲の子たちが針と糸とボタンを持って。
 隣でスタンバイしている光景が頭に浮かんできて。
「そんなの絶対嫌だぁ〜!」
 わたしはベッドに飛び込み、頭を枕にうずめると。
 誰も見ていないのをいいことに、足をバタバタさせてみる。


 あぁ……なんだかこのミッションは。

 ……ある意味で大学入試よりも、難問に思えてきてしまう。


「都木美也、ピンチだねぇ……」
 わたしはもう一度、顔をあげると。
 写真立てのガラスに反射する自分に向かって、そうつぶやいてから。

「卒業式……どうしよう?」
 新年早々、そんなことを考えていた。



 ところで。
 そんなわたしが恋する海原君とその仲間たちは。
 この年末年始、わたしが妄想中のこの時間も含めて。
 なんと夜通し、副顧問の高尾(たかお)響子(きょうこ)先生の実家で『社会奉仕活動中』だ。

 高校生が先生の実家で徹夜中?
 それっていったい、どういうこと?

 普通は疑問に、思うところだろう。
 でもそれが逆に『平常運転』なのが、わたしたち。
 そこそこ大きな地方都市にある、私立『丘の上』高等学校放送部の日常だ。


 響子先生の実家は、中身はともなく構えは立派な神社で。
 夏休みにはみんなの合宿場所でもあった。
 副顧問がいるということは、その親友で悪友で。
 わたしや海原君たちを悩ますあの顧問もいるということで。

 要するに、安全でも安心でもないけれど。
 ある意味で……『無事』ではあるだろう。


 ただ、学校の便利屋・放送部として。
 これまでこき使われたり、感謝されることは多々あれど。
 『社会奉仕活動中』という言葉の響きには、これまで馴染みのなかったことだ。



 ……さてさて。わたしの話しが、思いのほか長くなったけれど。


 それでは、時計の針を昨年に少し戻そう。
 なぜなら放送部、いや海原君たちが。
 学校から『処分』されることとなった出来事から。


 今回の物語は、はじまっていくのだから……。