「アシュリーって子は、坊主のお友達か」
「そのようね」

 ミリアムはエンジンを止め、キーを抜く。

「写真を見ればおとなしそうな子よね」

 トラヴィスは報告書をブリーフケースに仕舞いながら頷いた。報告書にあった写真には、ブラウンの髪にオリーブ色の瞳、少女のように儚げな顔立ちの少年が写っていた。

「で、現在行方不明か? 家出じゃなくて」
「この子の母親がそう訴えているのよ」

 二人は車から下りると、手入れされた緑の芝生の間に敷かれた赤レンガの道を歩いた。

「レイジーに連れ去られたんですって」

 玄関でミリアムは押しボタン式のベルを鳴らした。その背後で、わけが分からないというようにトラヴィスは首をひねっている。

 二回ほどベルを鳴らし、ようやく家のドアが開いた。現れたのは、ブラウンの髪を腰まで垂らし、ベージュ色のロングスカートを履いた綺麗な白人の女性だった。

「FBIです」

 ミリアムは慣れた手つきで身分証明書を見せた。やや遅れてトラヴィスも掲げる。

「お待ちしていましたわ。リサ・グラハムです」

 アシュリーの母親は目元を指先でぬぐって、二人を招き入れた。

「すぐに出られなくてごめんなさい。ちょっとソファーで横になっていたから」
「いいえ、構いませんわ」

 如才なくミリアムが答えて、リサの肩に手を添えた。

「大丈夫ですか? 具合が悪そうですわ」
「……ええ、でもあなた方と話すくらいなら大丈夫よ。最近あまり眠れなくて」
「同情しますわ」

 ドアを閉めて二人の女性の後ろを歩くトラヴィスは、相変わらず手馴れた様子のミリアムに感心しながら、それとなく内部を観察した。家の外観は大きいが、中はそれほど広いという感じがしない。玄関のすぐそばにリビングルームがあり、ドアを開けて通された。奥にダイニングルームやキッチンやベッドルームなどがあるのだろう。リビングルームはきちんと掃除がされてあって、非常に清潔感溢れる空間だ。隅には白いポットに植えられてある観葉植物があった。長く伸びた青い葉がみずみずしい。白いレース柄のカーテンが垂れ下がっている開き窓から、道路の脇に停車した車が見える。

「そこのソファーに座ってちょうだい。コーヒーでいいかしら?」
「いただきますわ」

 リサはリビングルームを出て行った。

 ミリアムとトラヴィスは黙って本革張りのソファーに腰を下ろす。

「大丈夫か、あの母親は」
「仕方がないわ」

 やがて、リサが戻ってきた。淡いクリーム色のコーヒーカップを二人の前に差し出して、テーブルを挟んで、向かい側のソファーに座る。

「アシュリーのことで来てくれたんでしょう?」
「ええ。何度も同じ質問をされて、気分を悪くされているとは思うんですけれど」
「いいえ。あの子を連れ戻せるなら、何でも答えるわ。アシュリーは誘拐されたのよ」

 あの子にね、と憎々しげに吐き出す。

「レイジー・バーンズワースですね?」

 ミリアムが確認すると、リサは深く頷いた。

「レイジーとアシュリーは友人と聞きましたけれど」
「アシュリーは優しい子だから、騙されているのよ」

 噛みつくように言う。

「ここに引っ越してきて、アシュリーは友人がいなかったの。シャイな子だから、学校で友人をつくるのも難しかったと思うわ。そこにあの子がつけこんだのよ」
「学校では、いつも一緒だったそうですけれど」
「アシュリーは優しいから、つき合いたくなくても、つき合わざるを得なかったのよ。きっと、あの子に脅されていたんだわ」
「なぜそう思うんですか?」
「あの子を見ればわかるわよ!」 

 リサの目頭が濡れている。しかしその口調は反対に熱を帯びて、興奮し始めている。

「あの子に会えばあなた方も私の言っている意味がわかるわ! あの悪意だらけの顔! いつも悪巧みを考えているような子なのよ! 周りを馬鹿にして、嘲笑っているのよ! 私のアシュリーがあの子の毒におかされないか、いつも心配でならなかったわ!」

 ミリアムはちらりとトラヴィスを見た。トラヴィスも視線を流して、鼻で小さく息をついた。この母親の発言を、あの婆さんが聞いたら何と言うだろう?

「落ち着いて下さい」

 トラヴィスはリサをなだめるように、少しだけ前屈みになった。

「我々は、アシュリーが今回の事件に関与していると言っているわけではありません」
「当然よ!」

 リサは怒ったように立ちあがると、部屋を横切り、壁際にあるチーク材のチェストにあったティッシュ箱から数枚、乱暴に掴み取った。

「なぜあの子がそんなことしなければならないの! 全部あの薄汚い子のせいよ!」

 トラヴィスはちゃんと聞いているという表情をつくりながら、自分の質問を続けた。

「家出ではないとしたら、レイジーはなぜアシュリーを連れていったんでしょう?」
「知らないわ! 無理やり連れて行かれたのよ!」
「それならどうして、アシュリーは帰ってこないんでしょう?」
「監禁されているんだわ!」
「ミズ・グラハム、どうか落ち着いて冷静に考えて下さい」
「ずっと冷静に考えているわよ!」

 やれやれと、トラヴィスは髪をかきたくなった。どうして母親というのは、自分の子供を無条件に信用してしまうのだろう? ハイスクールでの聞き込みでは、レイジーとアシュリーの二人はまるで恋人のように仲が良く、二人揃って家出してもおかしくはないと、全員が断言した。騙した騙されたどころの話ではない。

「リサ、お気持ちはすごくわかりますわ」

 口をつけたコーヒーをソーサに丁寧に戻したミリアムが、隣のパートナーへ目配せする。

「私たちは必ずアシュリーを助けますわ。どうか心配なさらないで」
「……ええ、ありがとう」

 リサは目元を指でぬぐうと、ティッシュで鼻を啜った。

「優しいアシュリーを助けるために、あなたの協力が必要ですわ」
「ええ、何でも協力するわ」

 頃合いを見計らって、ミリアムはこの家を訪問した目的を伝えた。

「アシュリーの部屋を見せていただけませんか?」

 数分後、二人の捜査官は二階の子供部屋を捜索していた。

「どうして最初に来た連中がやらなかったんだ」
「彼女がパニックを起こして、それどころじゃなかったそうよ」

 二人は白い手袋をして、アシュリーの部屋の中を見て回る。室内にあるのは、ベッドに本棚、机にノート型パソコン、iPod。今時の子にしては、テレビもなければゲーム機もない。リサの話では、携帯は持たせていない。

 トラヴィスはこの間見たレイジーの部屋を思い出した。子供は千差万別だが、十代の部屋というのは、何かしら置いてある物などが似てくるものだ。しかしレイジーの部屋は十代という年齢を感じさせなかった。素っ気ないくらいに物がなかったのだ。まるでここは自分の居場所ではないとでもいうかのように。

 トラヴィスはパソコンに電源を入れ起動させた。パソコンは日本製だ。画面は変わったが、すぐにパスワード入力の表示が出た。

「何だと思う?」

 近くで本棚を漁っていたミリアムは、肩越しに振り返った。

「自分がティーンだったら、何て入れる?」
「くそったれ死んじまえ、だな」
「私だったら、くそったれやってやる、だわね」
「お前は強すぎるんだ」

 トラヴィスは画面を睨んだ。画面にはユーザー名が表示されている。一番目はアシュリー 。その下にはレイジー。

 しばらく睨めっこして、おもむろにキーを叩いた。レイジー。クリックすると、アシュリーの方が立ちあがった。

 トラヴィスは口笛を吹いて画面を見守った。普通のウィンドウズの画面で、左側にアイコンが並んでいる。マウスを動かし、フォルダを片っ端から開いていった。しかし個人のファイルが見つからない。ゴミ箱も覗いたが、空だった。

「消されたファイルがあるかもしれないわ。持ち帰って、復元しましょう」

 ミリアムもトラヴィスの隣にいて、ディスプレイを見つめている。

 トラヴィスはいったん終了させ、ログオフし、ユーザーを切り替えた。マウスのポイントをレイジーの欄に合わせると、パスワードをアシュリーと打ち込みクリックする。すると起動した。

「お互いの名前をパスワードにしているわけ?」
「らしいな。仲がいいぜ」

 再びスタート画面が表示される。アシュリーと同様のウィンドウズの画面。しかし左側に並んだアイコンの下に、黄色のフォルダがあった。フォルダ名はFBI。

「ご指名だ」

 フォルダをクリックすると、メッセージという名のファイルが一つだけあった。

 トラヴィスはそれをクリックした。ファイルが開き、画面に表示される。

 二人の捜査官は顔を寄せあって、それを凝視した。ワードの画面に記されていたのは、たった二行の文章。


 こんにちは。
 お願いがあるんだけど、僕とアシュリーを探してね。


 トラヴィスもミリアムもしばらく無言だった。眉間に皺を寄せて、この二行の文章の意味をどう解釈しようかというような不穏な空気が漂う場を打ち壊したのは、携帯電話の着信音だった。

「ハロウ、ウィリアムズ」

 ミリアムは胸のポケットから取り出した携帯を耳にあてた。トラヴィスは乱暴な扱いでファイルを閉じ、パソコンを終了させる。

「ええ……はい、わかりました」

 ミリアムは携帯を切ると、またポケットに入れた。

「行くわよ、トラヴィス」
「何の電話だ」
「また爆発が起きたんですって」

 ミリアムは手袋を脱いで、機敏に部屋を出た。トラヴィスも本体とコードを持って、後を追う。

「でも、今度は本物の爆弾が使用されたそうよ」