FBI連邦捜査官 file 1 Liar FBI連邦捜査官シリーズ

 レイジーは病室のドアを閉めると、廊下の先にミカールが立っているのに気がついた。ちらりと一瞥して、背を向けて歩き始める。その後ろを、ミカールも同じ歩調でついていった。

 階段を下りて、一階のロビーの隅にある使い古されたソファーに座った。周辺は患者で溢れかえっていた。医師やナースが慌しく行き交い、まるで戦場のようである。緊急のERだから仕方がないだろう。

 ほどなくミカールもやって来て、隣に腰を下ろすと、持っていた紙コップのうち、一つを差し出した。

「ありがとう」

 レイジーは受け取って、口をつけた。甘い香りがするコーヒーだった。

 ミカールも熱さに気をつけながら飲む。

 しばらく、二人は何も喋らなかった。

「――婆さん、大丈夫だったか?」

 コーヒーを飲んで一息ついたのか、ミカールが前を向いたまま口をひらいた。

「うん、大丈夫だよ。ちょっとびっくりして、寝込んでいるだけだよ。君のほうこそ大丈夫だった?」
「ああ、平気さ。マスコミに追いかけられたけど、すぐに次の話題に飛んでいくだろうよ。親父とお袋はまだ寝込んでいるけど」
「かわいそうに」
「でも、人殺ししたわけじゃないから」

 ミカールは紙コップを右手で持ったまま、深々と息をついて、隣を振り返った。

「お前のおかげだ、レイジー。本当に感謝している」
「どうってことないさ」

 レイジーは小さく笑った。

「全部、君のお兄さんがやったことだからね。僕は見ていただけだよ」
「そう……うまく見ていてくれたようだな」

 ミカールは呟いた。ちょうど、緊急患者が運ばれてきて、血だらけの男性が手術室へ入ってゆくのが見えた。ER内は相変わらず騒然としていて、ロビーの片隅にいる白人とアラブ系の少年たちには、誰も気にもとめていない。

「君の希望したとおりになったと思うよ」

 レイジーはコーヒーを飲みながら、ミカールを振り返った。

「これで、満足?」

 まるでゲームの感想を訊くような口振りだった。

 ミカールはレイジーを見つめた。十五歳の少年にしては、驚くほど冷ややかな眼差しをしていた。

「ああ、しばらく刑務所で暮らせば、馬鹿な兄貴も頭を冷やすだろうさ。エジプトにいたコプト教徒の親父とお袋が、どれだけ苦労してアメリカへ渡ってきたのか、少しは思い出すはずだ」

 以前に捜査官たちと喋っていた同一の少年とは思えないような、突き放すような声だった。

 レイジーの唇が、酷薄げな笑みを浮かべる。

「君の、そのドライな性格が大好きだよ」

 その表情は、トラヴィスが写真で見た印象そのもののレイジーだった。

「お前にも、兄貴とキスをさせてしまったな」

 ミカールは悪びれもせず口にする。

「全然気にしてないよ……ああ」

 レイジーは思い出したように、クスクスと笑う。

「どうした?」
「ううん、夜に彼と抱き合っていたら、アシュリーのママに見られたんだ。あんまり見ているから、キスも見せてやろうと思ってさ。そうしたら、すっかり僕を嫌いになったようだよ。きっとアシュリーとやっているところを想像したんだろうね」
「悪い奴だな、お前は」

 ミカールはさすがに苦笑する。

「お前の大切な友人は、すっかりお前が被害者だって信じ込んでいるぞ。僕の大切なレイジー、ひどい目にあって可哀相……ってな」
「当然だよ、アシュリーは僕の心配だけをしていればいい」

 レイジーは傲慢な主人のように言い切る。

「そのお友達に邪魔されなければ、もっと簡単だったんだぜ?」 
「仕方がないよ。アシュリーにとって僕は大切な友人だから」

 ミカールは鼻で笑った。

「婆さんが退院してくるまで、俺の家で暮らすんだから、両親がいない時に連れ込んでもいいぜ」
「気持ちだけ受け取っておくよ」

 二人はコーヒーを飲み終えると、立ち上がった。

「……それにしても、あのおっそろしい連中に撃たれそうになった時は、正直びびったぜ」

 ミカールは隅にあるゴミ箱に紙コップを投げ捨てた。

「本当にヤバい連中だった」
「心配することないよ。あのおっかない人たちがどれだけ探っても、僕たちは関係ない。だって、彼一人でやったんだから。僕は誘拐されて、彼に言っていただけだよ。やめて、死んじゃうよ、そんなひどいことをしちゃだめだよってさ」

 レイジーも紙コップを捨てる。

「彼は自分を正しいと思っていたから、止めようとすればするほど、一人で盛りあがってくれた……」

 唐突に、金髪のおっかない人が浮かんだ。あの人の良さそうな男性がいなくなったあとで、取調室に現れた男性。ドアを開いて、自分を一瞥だけしていった。まるでお前たちの企みは全てお見通しだと言わんばかりに。

 だがレイジーはすぐに打ち消した。だからどうしたの? 僕は何もしていない。事件を(そそのか)したわけでもない。ただただ彼に言われたとおりにしただけ。それはお爺ちゃんの知り合いが、ちゃんと証言してくれる。

「本当に、神に感謝しないと……都合のいい時に、お爺ちゃんの知り合いが来てくれるなんて」
「何をやった奴なんだ?」

 ミカールは利用できる人としか教えられていない。

「お爺ちゃんと一緒に、いけないことをした人だよ。イラク戦争が終わったあとでね」

 レイジーは含み笑いを洩らす。

「彼が聞いたら、それこそ怒り出すようなことをね……」

 レイジーとミカールは同時に振り返った。後ろから、自分たちを呼ぶ声がした。往来する人々の間を通りぬけてやって来たのは、アシュリーだった。

「お婆ちゃんのお見舞いに来てくれたの?」
「うん、すごく心配だったから」

 アシュリーは肩で息をついていた。走ってきたようだ。

「ママと来たの?」
「……うん」

 アシュリーは困ったように頷いた。レイジーは事情を察した。

「来てくれて嬉しいよ。一緒に行こう」

 友人の手には花束がある。

 レイジーは忘れていたというように、ミカールを紹介した。

「初めてだよね。彼はミカール。僕たちを助けようとしてくれたんだ」
「うん、聞いているよ」

 アシュリーは笑顔で手を差し出す。ミカールはその手をしっかりと握り返した。

「俺の兄貴がひどいことをして、本当にすまなかったと思っている。でも、仲良くしてくれると嬉しいな」
「気にしないで。レイジーの友人は、僕の友人だから」

 先程までレイジーと喋っていた時の殺伐とした表情が嘘のように、ミカールは陽気な笑顔を見せた。

「あ……ちょっと待っていてくれる? すぐ戻ってくるから」

 アシュリーは踵を返すと、急いで走ってゆく。

「どうしたんだ?」
「きっと、まぬけなママがヒステリーを起こさないように、なだめに行ったんだよ」 

 アシュリーの後ろ姿を見つめながら、辛辣にレイジーは言う。

 ミカールはしばらく考えるように顎を撫でて、ちらっと隣に目をやった。

「お前、抱きたいって顔をしているぞ?」

 レイジーはすぐには何も言わなかった。

「……今は、抱かないよ」

 アシュリーの姿が見えなくなっても、レイジーは動かない。

「今はね……」

 少年の目は、鋭く遠くを見据えていた。