11
――緊張する。
ついに、放課後が来てしまった。休み時間の度にやってくる女子たちも、放課後ともなるとそれぞれ予約があるのかさっさといなくなる。たまに廊下で顔を合わせるとカラオケに誘って来たりするけれど、いつも断っている。感染症が流行っているからか、下校する時にマスク着用を推奨されているだけあって、放課後カラオケに誘われることはなかった。
俺はホームルームが終わり、少し時間を空けて図書室に向かった。念の為トイレは教室近くで済ませておいた。
図書室の扉を開けると、そこには受験勉強をしている三年の先輩たちと、カウンターの中に集まる図書委員の姿があった。何か指示を与えているのがおそらく司書と呼ばれる人なんだろう。
「今日入荷した本はここにありますから、チェック済みなのでいつも通りにカバーをして、カウンター前の新刊のコーナーにお願いね」
「「「はい」」」
「今回の新刊は、本屋さんの店員さんが選んだベスト5です。お店にあるようなキャッチコピーのポップもつけてくれると嬉しいな」
「「「はい」」」
図書委員は随分と素直に返事をして、さっさと作業に入っていく。まぁ、ごねたところで終わらなければ帰れないのだからそこは割り切っているんだろう。高橋はどこにいるのかと思ったいたら、同じ一年の図書委員たちと本を持ってカウンター内を移動していた。
「二年がポップ作っていーい?」
「先輩、毎回作ってますよね」
「じゃあ、決まりでー」
「お願いしまーす」
そんなやり取りをして、先輩と呼ばれた二年の図書委員たちは司書室の中に行ってしまった。外から見えるだけでもパソコンが数台並んでいて、司書が一人しかいないとは思えない設備の充実ぶりだった。
「チェック済みって言ってたから、ラベルの数字はコッチのパソコンでね」
図書委員の一人がカウンターの端にあるパソコンを操作し始めた。確かアレは貸し出し用で操作するパソコンだった気がする。裏表紙についているバーコードを読み取って、学生番号を伝えると貸出してもらえると入学後に説明されたのを覚えている。一度も借りたことがないかった俺は、心底後悔していた。一度でも借りに来ていれば、高橋との接点が持てたのに。
「ん?」
カウンターの方を眺めていたら、高橋が手招きをしているような気がした。だいぶ低い位置で高橋の手が招き猫みたいな動きをしているのが見える。
「見たかったんだろ?」
カウンターに近づいた高橋が、俺に向かって小声で話しかけてきた。一応、作業に関係のない話だから、声を押さえているんだろう。
俺は無言で頷いた。
「今日の新刊の……番号はコレ」
パソコンの画面を見ながら図書委員が小さなラベルに数字を書き込み、背表紙に貼っていた。貼り終わった一冊を持って、高橋が少し離れた場所に俺をまた呼ぶ。
「コレが本に巻くビニルのコーティング用紙。図書館の本もこんなの貼られてるだろ?」
高橋が見せてきたのは大きな紙だった。裏側が方眼用紙のようになっていて、表面はツルツルとしている。
「で、コイツを半分まで剥がしたら、裏紙を切り取って、方眼に合わせて本を置く。先に半分」
透明なビニルが本に張り付き、不思議な状態になった本を高橋は器用に動かしてビニルをハサミで切り取っていた。
「この辺が重なるから、先に切り取るの。片面を処理してから、半分を貼り付ける」
残り半分の裏紙を綺麗に剥がすと、高橋は丁寧に本に擦り付けた。
「ハードカバーの本は簡単に張り付くけど、文庫本はふにゃふにゃしてるからちょっと難しいんだよな」
そんなことをいいながらも、高橋の手の中で本は綺麗にカバーがかけられた。
「空気抜くのにはこの定規を使うんだよ。こうやって」
高橋がプラスチックの定規を当てて気泡を綺麗に押し潰していた。
「スマホのフィルム貼るの上手そう」
率直な感想を口にすると、高橋の口角が上がった。
「あれはだめ。ガラスだから」
「ああそうか」
なんてことの無い会話だけど、ものすごく自然にできてしまったことに俺は内心でガッツポーズをしていた。傍から見れば仲の良い友だち同士に見えているに違いない。
「で、仕上げに貸出票を裏表紙に貼り付けたら完成」
そう言って高橋は出来上がったその本をおれに手渡してきた。
「今から貸出可能。どう?初めての人になってみる?」
高橋のそんな言い方に俺は少し、いやだいぶ驚いた。
――は、初めての人。高橋が手がけた本の初めての……
そんなものすごいパワーワードを口にしているのに、高橋はなんとも言えない爽やかな笑顔を浮かべていた。勝手に興奮しているのは俺だけなことは確かである。
「安達は読書はしなさそうだもんな。読んでるのはいつも教科書」
そう言って高橋は俺の手から本を取り上げると、カウンター前の【今月の新書】のコーナーに本を置いてしまった。他の図書委員も作業が終わったのか、次々に本を棚に並べていく。
「返却の本を本棚に戻すのも俺らの仕事」
高橋は本の入ったカゴを持ち、俺の制服の袖をひっぱった。
「見たかったんでしょ?」
小首を傾げてそんなことを言う高橋の顔を俺はまじまじと見つめてしまった。確かに、そんなことを言った(書いた)のは俺である。
「背表紙に張り付いてるこのラベルが、棚の番号を示してるわけ」
高橋はラベルに書き込まれた謎の数字について解説しながら本を本棚に戻す作業を俺に見せてくれた。図書委員の仕事の解説だから、高橋の声はそこまで小さくはなかった。おしゃべりでなく、図書委員の仕事の話だから注意はされないらしい。みんな俺が図書委員ではない事に気がついていながら流してくれていることがありがたかった。
「今日の作業は終了です。図書委員の皆さんお疲れ様でした」
図書室の司書の先生からの挨拶の後、図書委員たちは解散して帰宅する生徒と、新書を借りようとする生徒に別れた。新書のコーナーには、二年の図書委員が作ったポップが貼り付けられていた。
「俺は帰るけど」
カバンを背負った高橋が声をかけてきた。
「それとも、安達は放課後図書室派?」
「違う、けど」
「じゃあ帰ろう」
俺は高橋に言われるままに帰宅する図書委員の波に乗って昇降口に向かうことになった。
「いつまでもいると仕事押し付けられるからな」
渡り廊下を歩いている時に高橋がそんなことを言ってきた。どうやら今日は図書委員の活動の日で、普段の貸出は司書の先生が行っているらしい。だからいつまでも図書室にいるとアレコレ用事を押し付けられるから、解散したらさっさと帰るに限る。というのが図書委員の暗黙の了解のようだ。
「この時期は受験生が勉強してるから、邪魔しちゃ悪いしね」
「電車の時間もあるじゃない?」
そんなことを言いながら、少し急ぎ足の生徒は電車の時間を気にしているのだろう。
「三十分に一本じゃん?」
そう言ってもはや駆け出していた。
「お疲れー」
高橋はそう言って手を振っていた。他にもゆっくりと歩いている生徒はいるけれど、俺はなんだか緊張してしまった。
そしてそのまま昇降口を出ても、高橋は俺と同じ速度で歩いている。電車組は上りと下りで時間が微妙に違うため、急ぐ生徒と急がない生徒がいるようだった。そして、高橋はいつまでも俺と同じ速度で歩き、校門へ向かわず俺と同じ方向に歩いている。
――え?なんで?
俺の心臓はバクバクと大きな音を立てていた。どうして高橋がいつまでと俺と一緒に歩いてくるのか、その理由が分からないからだ。
「それ、やっぱり安達のチャリなんだ」
スカスカの自転車置き場で高橋が笑いながら言ってきた。
「え?」
ポケットから自転車の鍵を取り出していた俺は、高橋のその言葉を聞いてポカンと口を開けた。
「え?って、南中のステッカー貼ってあるじゃん」
高橋に指摘され、俺は自分の自転車の後輪のカバーを見た。確かに卒業した南中学校の自転車ステッカーが貼られている。俺の学年は緑だった。はがせなかったので、そのままにして上の空いているところに高校のステッカーを貼ったのだ。駐輪場使用許可の自転車にはステッカーを貼らなくてはならず、費用は二百円だ。電車組でも自転車を使っている生徒はいるけれど、駅の駐輪場が月極なので、人数はだいぶ少ない。自転車通学の生徒は市内在住か、近接市在住の生徒がほとんどである。
「この高校に入るからって、いいやつ買ってもらったから」
「同じじゃん」
そう言った高橋が鍵を差し込んだ自転車は、なんと俺の自転車の隣に停められていた。
――緊張する。
ついに、放課後が来てしまった。休み時間の度にやってくる女子たちも、放課後ともなるとそれぞれ予約があるのかさっさといなくなる。たまに廊下で顔を合わせるとカラオケに誘って来たりするけれど、いつも断っている。感染症が流行っているからか、下校する時にマスク着用を推奨されているだけあって、放課後カラオケに誘われることはなかった。
俺はホームルームが終わり、少し時間を空けて図書室に向かった。念の為トイレは教室近くで済ませておいた。
図書室の扉を開けると、そこには受験勉強をしている三年の先輩たちと、カウンターの中に集まる図書委員の姿があった。何か指示を与えているのがおそらく司書と呼ばれる人なんだろう。
「今日入荷した本はここにありますから、チェック済みなのでいつも通りにカバーをして、カウンター前の新刊のコーナーにお願いね」
「「「はい」」」
「今回の新刊は、本屋さんの店員さんが選んだベスト5です。お店にあるようなキャッチコピーのポップもつけてくれると嬉しいな」
「「「はい」」」
図書委員は随分と素直に返事をして、さっさと作業に入っていく。まぁ、ごねたところで終わらなければ帰れないのだからそこは割り切っているんだろう。高橋はどこにいるのかと思ったいたら、同じ一年の図書委員たちと本を持ってカウンター内を移動していた。
「二年がポップ作っていーい?」
「先輩、毎回作ってますよね」
「じゃあ、決まりでー」
「お願いしまーす」
そんなやり取りをして、先輩と呼ばれた二年の図書委員たちは司書室の中に行ってしまった。外から見えるだけでもパソコンが数台並んでいて、司書が一人しかいないとは思えない設備の充実ぶりだった。
「チェック済みって言ってたから、ラベルの数字はコッチのパソコンでね」
図書委員の一人がカウンターの端にあるパソコンを操作し始めた。確かアレは貸し出し用で操作するパソコンだった気がする。裏表紙についているバーコードを読み取って、学生番号を伝えると貸出してもらえると入学後に説明されたのを覚えている。一度も借りたことがないかった俺は、心底後悔していた。一度でも借りに来ていれば、高橋との接点が持てたのに。
「ん?」
カウンターの方を眺めていたら、高橋が手招きをしているような気がした。だいぶ低い位置で高橋の手が招き猫みたいな動きをしているのが見える。
「見たかったんだろ?」
カウンターに近づいた高橋が、俺に向かって小声で話しかけてきた。一応、作業に関係のない話だから、声を押さえているんだろう。
俺は無言で頷いた。
「今日の新刊の……番号はコレ」
パソコンの画面を見ながら図書委員が小さなラベルに数字を書き込み、背表紙に貼っていた。貼り終わった一冊を持って、高橋が少し離れた場所に俺をまた呼ぶ。
「コレが本に巻くビニルのコーティング用紙。図書館の本もこんなの貼られてるだろ?」
高橋が見せてきたのは大きな紙だった。裏側が方眼用紙のようになっていて、表面はツルツルとしている。
「で、コイツを半分まで剥がしたら、裏紙を切り取って、方眼に合わせて本を置く。先に半分」
透明なビニルが本に張り付き、不思議な状態になった本を高橋は器用に動かしてビニルをハサミで切り取っていた。
「この辺が重なるから、先に切り取るの。片面を処理してから、半分を貼り付ける」
残り半分の裏紙を綺麗に剥がすと、高橋は丁寧に本に擦り付けた。
「ハードカバーの本は簡単に張り付くけど、文庫本はふにゃふにゃしてるからちょっと難しいんだよな」
そんなことをいいながらも、高橋の手の中で本は綺麗にカバーがかけられた。
「空気抜くのにはこの定規を使うんだよ。こうやって」
高橋がプラスチックの定規を当てて気泡を綺麗に押し潰していた。
「スマホのフィルム貼るの上手そう」
率直な感想を口にすると、高橋の口角が上がった。
「あれはだめ。ガラスだから」
「ああそうか」
なんてことの無い会話だけど、ものすごく自然にできてしまったことに俺は内心でガッツポーズをしていた。傍から見れば仲の良い友だち同士に見えているに違いない。
「で、仕上げに貸出票を裏表紙に貼り付けたら完成」
そう言って高橋は出来上がったその本をおれに手渡してきた。
「今から貸出可能。どう?初めての人になってみる?」
高橋のそんな言い方に俺は少し、いやだいぶ驚いた。
――は、初めての人。高橋が手がけた本の初めての……
そんなものすごいパワーワードを口にしているのに、高橋はなんとも言えない爽やかな笑顔を浮かべていた。勝手に興奮しているのは俺だけなことは確かである。
「安達は読書はしなさそうだもんな。読んでるのはいつも教科書」
そう言って高橋は俺の手から本を取り上げると、カウンター前の【今月の新書】のコーナーに本を置いてしまった。他の図書委員も作業が終わったのか、次々に本を棚に並べていく。
「返却の本を本棚に戻すのも俺らの仕事」
高橋は本の入ったカゴを持ち、俺の制服の袖をひっぱった。
「見たかったんでしょ?」
小首を傾げてそんなことを言う高橋の顔を俺はまじまじと見つめてしまった。確かに、そんなことを言った(書いた)のは俺である。
「背表紙に張り付いてるこのラベルが、棚の番号を示してるわけ」
高橋はラベルに書き込まれた謎の数字について解説しながら本を本棚に戻す作業を俺に見せてくれた。図書委員の仕事の解説だから、高橋の声はそこまで小さくはなかった。おしゃべりでなく、図書委員の仕事の話だから注意はされないらしい。みんな俺が図書委員ではない事に気がついていながら流してくれていることがありがたかった。
「今日の作業は終了です。図書委員の皆さんお疲れ様でした」
図書室の司書の先生からの挨拶の後、図書委員たちは解散して帰宅する生徒と、新書を借りようとする生徒に別れた。新書のコーナーには、二年の図書委員が作ったポップが貼り付けられていた。
「俺は帰るけど」
カバンを背負った高橋が声をかけてきた。
「それとも、安達は放課後図書室派?」
「違う、けど」
「じゃあ帰ろう」
俺は高橋に言われるままに帰宅する図書委員の波に乗って昇降口に向かうことになった。
「いつまでもいると仕事押し付けられるからな」
渡り廊下を歩いている時に高橋がそんなことを言ってきた。どうやら今日は図書委員の活動の日で、普段の貸出は司書の先生が行っているらしい。だからいつまでも図書室にいるとアレコレ用事を押し付けられるから、解散したらさっさと帰るに限る。というのが図書委員の暗黙の了解のようだ。
「この時期は受験生が勉強してるから、邪魔しちゃ悪いしね」
「電車の時間もあるじゃない?」
そんなことを言いながら、少し急ぎ足の生徒は電車の時間を気にしているのだろう。
「三十分に一本じゃん?」
そう言ってもはや駆け出していた。
「お疲れー」
高橋はそう言って手を振っていた。他にもゆっくりと歩いている生徒はいるけれど、俺はなんだか緊張してしまった。
そしてそのまま昇降口を出ても、高橋は俺と同じ速度で歩いている。電車組は上りと下りで時間が微妙に違うため、急ぐ生徒と急がない生徒がいるようだった。そして、高橋はいつまでも俺と同じ速度で歩き、校門へ向かわず俺と同じ方向に歩いている。
――え?なんで?
俺の心臓はバクバクと大きな音を立てていた。どうして高橋がいつまでと俺と一緒に歩いてくるのか、その理由が分からないからだ。
「それ、やっぱり安達のチャリなんだ」
スカスカの自転車置き場で高橋が笑いながら言ってきた。
「え?」
ポケットから自転車の鍵を取り出していた俺は、高橋のその言葉を聞いてポカンと口を開けた。
「え?って、南中のステッカー貼ってあるじゃん」
高橋に指摘され、俺は自分の自転車の後輪のカバーを見た。確かに卒業した南中学校の自転車ステッカーが貼られている。俺の学年は緑だった。はがせなかったので、そのままにして上の空いているところに高校のステッカーを貼ったのだ。駐輪場使用許可の自転車にはステッカーを貼らなくてはならず、費用は二百円だ。電車組でも自転車を使っている生徒はいるけれど、駅の駐輪場が月極なので、人数はだいぶ少ない。自転車通学の生徒は市内在住か、近接市在住の生徒がほとんどである。
「この高校に入るからって、いいやつ買ってもらったから」
「同じじゃん」
そう言った高橋が鍵を差し込んだ自転車は、なんと俺の自転車の隣に停められていた。
