スマホの中身は、絶対に誰にも見られたくない。
自分の裸を見られるよりも恥ずかしいかも。
だって、大切な大切なわたしの気持ちが詰め込まれているから。
憧れのスマホを買ってもらってから、一か月が経った。
ようやく使い方にも慣れてきた頃、中二にしてスマホ歴四年の友だちが言った。
「指紋認証してないの?危ないよー! パスキーだけじゃ、ママに覗かれるって!」
その言葉に、急に不安が押し寄せた。
確かに、ママにスマホの中身を見られるなんて、絶対に嫌だ。
ただ、指紋認証ってなんだか緊張する。
ドラマの中で犯人捜しに使うアレ、ってイメージが強かったから。
日曜日の午後。
手を洗って身も心も清めた若菜は、神妙にスマホの設定画面とにらめっこした。
意を決して自分の指を画面に近づけた、その瞬間。
「にゃッ!」
飼い猫のポリスケが突然、視界いっぱいに飛び込んできた。
茶虎模様で画面が全部ふさがれる。
画面に肉球を“ぷににっ”と押しつけたまま、若菜の手にすり寄ってくる。
「んもう、ポリスケ! スマホ踏まないでよ、今大事なところなの!」
抱き上げて机の下に降ろした次の瞬間、
スマホがブーンと震えた。
『指紋の登録が完了しました』
「えっ? まだ触ってないんだけど……」
試しに自分の指でボタンを押してみても、
スマホはうんともすんとも言わない。
胸がざわざわして、心臓の音が大きくなる。
「……いやいや、どうなってるの?これ…」
若菜の呟きを無視して、横でポリスケはしれっと毛づくろいを始めた。
混乱したまま固まっていると、
スマホがもう一度震える。
画面には、幼なじみ・瞬也の名前。
『今、ちょっと話せる?』
メッセージがポップアップされた。
若菜の胸が、ドキンとひとつ跳ねた。
これが、若菜のスマホを誰にも見られたくない理由。
瞬也は、保育園からの幼なじみだ。
歩いて五分の距離に住んでいるのに、最近の連絡はほとんどスマホばかり。
小学校の頃までは普通に話していた。
でも、中学生になったあたりから、なぜか“直接話すこと”が急に恥ずかしくなった。
クラスも離れてしまい、廊下で見かけても、目が合った瞬間にお互いそらしてしまう。
その“気まずさ”が積み重なって、ますます声をかけにくくなってしまっている。
だけどLINEが始まると、話は別だ。
送り合い始めたら、何気ない会話で気づけば一時間なんて普通。
楽しくて、他のことは全部後回しになるくらい——。
だからこそ、
今みたいに“スマホが使えない状況”は大ピンチだ。
(どうしよう……今、返事できないなんて……!)
若菜はスマホを握りしめたまま、もう一度画面を見つめた。
「もしかして……ポリスケの肉球で登録された?」
自分でも信じられないけれど、どう考えてもそうとしか思えない。
試しに、ポリスケをひょいと抱き上げ、
肉球をそっとホームボタンへ近づける。
ぷににっ。
その瞬間、スマホがあっさり解除された。
「……マジで、ポリスケの指紋なの……?」
ポリスケは悪びれる様子もなく、
ただ尻尾をぽそぽそ振りながら、若菜に向かって「にゃッ」と答えた。
若菜は頭を抱えた。
「どうしよう……瞬也のメッセ、読まなきゃなのに……!」
画面には“ロック解除してください”の表示。
でも解除できるのは、さっき誤作動を起こしたポリスケの肉球だけ。
二十四時間は指紋を変更できない。
若菜はベッドの上を振り向く。
ポリスケはニャンモナイト状態で丸くなっていた。
「……ポリスケ、起きて……!今は緊急事態なの……!」
そっと抱き上げて、肉球を画面へ近づける。
ぷににっ。
やっとロック解除。
若菜は急いでLINEを開いた。
そこには瞬也からの、新しいメッセージが届いていた。
『明日、放課後、会えないかな?話したいことがあるんだ』
若菜の心臓がまた跳ねた。
ロックが解除されて安心したのもつかの間、別の理由でまた胸がざわついた。
(え……これって……どういうこと……?)
スマホを握りしめたまま思考停止。
鼓動の大きさでハッと我に返る。
(話したいって……何?
LINEじゃダメなの?
ま、まさか……いやいやいや、絶対違う)
頭の中が高速で混ざり合って、まとまらない。
どれだけ固まっていたのか分からないが、
気づくとまた画面が真っ黒になっていた。
(うわぁ……! バッテリー節約のためにスリープ短くした私のバカ!)
とにかく既読をつけた以上、反応しないと失礼だ。
若菜が返事を打とうとした瞬間、
膝の上のポリスケがもぞっ——。
ぴょん、と飛び降りた。
「あっ、ちょっと! ポリスケ!?
また解除してもらわないと困るのに!」
追いかけると、ポリスケは棚の上に飛び乗り、尻尾をふりふりしながらこちらを見下ろしていた。
「もう……なんでこんな時だけ自由猫なの!」
やきもきしながらポリスケを追いかける。
瞬也への返信は、当然、途中で途切れたまま。
何か返事を打たなきゃ、と焦るほど指が震える。
『あのね、明日わ——』
焦った拍子に、そこで送信してしまった。
「わたし」って打とうとしたのに!ギャル文字みたいで恥ずかしい。
即・既読。
(これじゃ変な誤解される!
どうしよう、どうしよう……!)
その時、画面がまた震えた。
瞬也からの追いメッセージだ。
『ごめん、急にこんなこと言って。
でも、明日ちゃんと会って話したくて。
若菜、明日時間あるかな?』
こんな時に限って、瞬也のメッセージがちゃんとしてる!
自分の誤送信が益々恥ずかしい。
だけど、その文字をよく読んでみると…
次第に今まで張りつめていた胸がふわっと温かくなるのを感じた。
(会いたい……。
わたしも、直接話したい……)
小さくつぶやいた声は、ポリスケにも届いたらしい。
ベッドの上で丸まっていたポリスケが、
なぜか満足そうに「にゃっ」と鳴いた。
送信事故をなんとか挽回しようと、若菜は慌ててスマホを握りなおした。
(落ち着け私……ちゃんと返信しなきゃ……!)
――その瞬間。
ポリスケが突然、ベッドの上からすばやく飛び降り、
若菜の横を疾走した。
「ちょ、ちょっと待って!
今だけは逃げないでぇぇ!!」
若菜もスマホ片手に全速力で追いかける。
しかしポリスケは廊下へダッシュ、階段へぴょん、
テーブルの下をすり抜け、
そのままカーテン裏に消えるという自由猫ムーブ。
「ポリスケ!!お願い!一秒でいいから肉球を……!」
画面には無情にも再び【ロック解除してください】
若菜はカーテンをめくり、
やっと捕まえたポリスケの肉球をスマホへ近づける。
ぷににっ。
ロック解除。
急いで瞬也に返信する。
『さっきのはごめん!ほんとはね、明日オッケーダヨ』
なんか変だけど、秒で打って送信。
……数秒後、
瞬也からメッセージが返る。
『大丈夫だよ。でも、なんか急いでる……?』
(あああ〜〜〜!伝わってる!!焦り伝わっちゃってる!!)
その間に、ポリスケはまた若菜の腕からするりと抜け出し、
今度は本棚の上へ軽々ジャンプ。
「うそでしょ!?なんで今日に限ってそんな運動神経いいの!」
再びスマホはロックされる。
若菜の心拍はMAX。
『若菜、なんかあった?
もしかして……迷惑だった?』
瞬也に不審に思われてしまった。
若菜の胸がギュっとなった。
(ちがうの!ぜんぜん迷惑じゃない!
むしろめちゃくちゃ嬉しいのに……!
でも返信できないの!!)
テレパシーで伝われば良いのに。
若菜は再びポリスケに突撃する。
「ポリスケ!そろそろ協力してくださいぃぃー!!」
捕まえた瞬間、ポリスケが「ぶにゃあ」と渋く鳴いた。
まるで「まあまあ落ち着けよ」と言っているみたいに。
若菜はスマホを掲げ、震える手で肉球を近づける。
ぷににっ。
ロック解除成功。
そして急いで返信する。
『迷惑なんて全然ないよ!ほんとだよ!』
少しして、瞬也から返事が来た。
『そっか。よかった……』
短いメッセージなのに、その“ほっとした感じ”が伝わってくる。
若菜の胸がじんわり温かくなった。
ポリスケとの追いかけっこと、
瞬也への返信バトルを何往復かしているうちに、
気づけば夜は更けていた。
スマホを握ったまま、
若菜は布団の上で半分ぐったりした姿勢のまま考える。
(明日、会うんだ……
どうしよう……
なに話すんだろ……)
その時——
カチッ。
リビングの時計が24時を告げた。
同時に、ポリスケが“にゃ……”と欠伸をして、
ふらっと歩き出す。
「あっ……ポリスケ!?
まだスマホ……!」
追いかけようとすると、
ポリスケはそのままススス……と
若菜のママの寝室へ吸い込まれていった。
若菜も後を追おうとした瞬間————
寝室のドアが少しだけ開いて、
中からママの声。
「若菜、もう寝なさい。
こんな時間までスマホいじっちゃダメよ。約束したよね」
「で、でも今日だけは……!
ポリスケが……その……」
「もうこんな時間だよ?
相手の子にも迷惑だし、明日の学校に響くでしょ?
若菜の体が心配だよ。スマホは明日にしなさい」
ママは優しく正しいことを言った。
確かに、もう何時間もスマホと格闘している。
相手の瞬也だってもう寝ないと。
若菜はしょんぼりとうつむく。
「……はぁい……」
納得いかない気持ちを、べったり貼り付けた返事をしてしまった。
ポリスケはいつものようにママの布団で丸くなった。
任務終了、みたいな満足顔で眠っている。
若菜は自分の部屋に戻り、
ベッドにダイブした。
(……そうだよね。
私、スマホに必死になりすぎ。
ポリスケだって眠いのに、こんな時間まで付き合わせちゃった…)
しばし、考えているうちに胸が苦しくなった。
(スマホに縛られてる私のこと、止めてくれてたのかな……)
枕をギュっと抱えながら、
でも最後に、胸の奥でそっと陽が灯る。
(……明日、瞬也と直で話せるんだ……やっぱスマホで話すより嬉しいな…)
しょんぼりしつつ、
ほんの少しだけ、嬉しさが混ざっていた。
そしてハッと気づいた。
「そういえば、待ち合わせのこと、決めてない!」
翌朝。
カーテン越しに差し込む光で目を覚ました若菜は、真っ先にスマホのことを思い出した。
(よし……今日は大事な日……!
まずはポリスケの肉球でロック解除して……
瞬也のメッセージ確認して……
今日の放課後の予定をちゃんと——)
気合いを入れて布団から飛び出す。
ママの寝室の前で小さくノックして、
ひょいっと顔を出すと、
ポリスケが伸びをしながら起き上がった。
「ポリスケ!おはよう!
ちょっと肉球貸してっ!」
ポリスケを抱えてスマホに肉球を近づける。
ぷににっ。
解除成功。
やはり瞬也からメッセージが来ている。
『色々話してて、肝心な明日のこと忘れてた。
明日は、放課後
若菜は勢いよく画面を上へスクロールした——————————
その瞬間。
ふっ……。
画面が暗転した。
「………………え?」
もう一度電源ボタンを押す。
反応しない。
もう一度。
やっぱり反応しない。
(………………充電…………ゼロ…………?)
次の瞬間、若菜の全身から力が抜けた。
「なんでぇぇぇぇぇ!!
昨日のドタバタで充電できてなかったのぉ!?
バカ!昨日の私のバカぁ!!」
鏡の前で頭を抱え、
リビングの床の上で転げ回り、
ポリスケはその様子を静かに見つめている。
「ど、どうしよう……
瞬也、待ち合わせ場所どうするって言ってたっけ……
てか言ってないし……
今日会うだけ決まっただけだし……!」
ポリスケの前に倒れ込み、若菜は彼の額にそっとすがりつく。
「ポリスケ〜〜!
私の今日の人生かかってるの〜〜!!」
ポリスケは“にゃ…”と短く鳴き、
若菜の髪を少し噛んで慰めてくれるような仕草。
その優しさが逆に胸に刺さる。
「……行くしかない。
どうにかなる……いや、どうにかする……!」
時計を見ると、もう家を出る時間。
充電プラグをスマホに差し込み、若菜は玄関へ駆け出した。
登校中も、教室に入ってからも、
若菜の胸はずっとざわざわしていた。
(今日、放課後……
どこで会うの?
何を話すの?
ていうか私、なんでもっと早く確認しなかったんだろうぅぅぅ…)
思い出すだけで胃がキュッとなる。
席に座っても落ち着かない。
プリントを出しながらも指先が少し震えていた。
瞬也は、移動教室の時に廊下で姿を見掛けた。
自然と若菜の視線がそちらへ向いて——
目が合った。
ほんの一秒くらいの短い時間。
それだけなのに、若菜の顔は一気に熱くなる。
(わぁぁぁぁ!こっち見ないでぇぇ!!)
瞬也も、気まずそうに少し視線をそらす。
でも、その耳がほんのり赤いのが見えた。
(うそ……瞬也も緊張してる……?
いやいやいや、私の勘違いだよね!?)
その時に今日の待ち合わせの確認が出来たらよいはずなのに。
お互い、存在を意識しながら、周りが気になって距離を縮められない。
(どうしよう……放課後……
ちゃんと会えるよね……?
場所はどうするの……?
話したいことって何……?)
机の上で手を組み、
こっそりポリスケの肉球を思い出す。
(スマホ……無事に充電できてるよね……
お願い……生き返ってて……!)
英語のリスニングなんて全然入ってこない。
ノートに書いた文字もどこか歪んでいる。
それでも刻一刻と放課後が近づいていた。
(やば……心臓しんどい……
放課後まで持つかな……)
涙目で時計を見るたび、
針がゆっくり動いているように感じた。
そしてついに放課後——。
チャイムが鳴ると同時に若菜は立ち上がった。
(帰る!まず家に帰る!!
スマホを復活させて、瞬也の場所を確認して!
絶対に会いに行く!!)
家まで走れば十分弱だ。
瞬也が待ちくたびれて帰ってしまうまでに、絶対に間に合いたい。
若菜はカバンをつかんで走り出した。
誰も声をかける暇を与えない、まっすぐなダッシュだった。
教室を飛び出した若菜は、
校門を抜けると同時に全力で駆けだした。
「ぜっ…たい……間に合う……っ!」
夕方の風が頬に当たり、カバンが背中で跳ねる。
(スマホ……ちゃんと充電できてるよね……
お願い……生きてて……)
けれど走れば走るほど、
胸の奥に別の思いがじわじわ湧いてきた。
(私……昨日も今日も……
スマホの画面のことで頭いっぱいで……
瞬也の気持ちとか、ちゃんと見られてなかったかも……
ママもポリスケも…私のこと心配してくれてるのに…)
あの事故送信、
あの途切れ途切れの返信、
全部スマホに振り回されていた。
(私……スマホに頼りすぎてた……
今日だって、勇気出して瞬也に聞けたら、こんなに走らずに済んだのに……)
呼吸が苦しくても、
その気づきだけはハッキリしていた。
(直接会って話すのが怖くて……
スマホ越しなら平気だからって、
ずっと逃げてたの……私だ……)
自分の情けなさに胸がきゅっと痛む。
でもその痛みと一緒に、
“ちゃんと向き合いたい”気持ちも強くなる。
(こんな後悔、今日で終わりにするっ……!)
家の角を曲がった瞬間、
ようやく玄関が見えてきた。
「もうちょい……っ!!」
ドタバタの足音のまま玄関を開け、
若菜は靴を脱ぎ捨てて走り込んだ。
「ポリスケ!!」
ポリスケは汗だくの若菜を労うように、「にゃっ」と前脚をそろえて出迎えてくれた。
その奥の机の上、充電ケーブルにつながれたスマホは、
バッテリーのマークが一〇〇%近くまで伸びていた。
「よかったぁぁぁぁ……」
ポリスケをそっと抱き上げ、ロックを解除する。
昨夜のドタバタとは打って変わって、素直に協力してくれた。
そして画面に——
“指紋再登録が可能です” の文字。
(……二十四時間、経ったんだ。長かったなぁ)
昨日の“ぷににっ事件”から、
ぴったり二十四時間。
若菜は静かに息を整えた。
(…もう逃げない。
ちゃんと自分の手で開く!)
指先をそっと画面に当てる。
ピッ。
指紋登録成功。
再起動している間、若菜はポリスケをギュッと抱き寄せた。
(ポリスケ…振り回してごめんね。
私、スマホのことで頭いっぱいだった。
ポリスケは大切なことちゃんと見えてないわたしのこと…叱ってくれたんだね)
昨夜ポリスケが、何度も若菜を止めようとしていたことを思い出す。
それは悪戯なんかじゃなくて、「ダメだよ」って教えてくれていた気がした。
これからはもうスマホの画面より、目の前にいる優しいふわふわを大切にしたい。
ポリスケの頭をそっと撫でてつぶやく。
(ポリスケ、大切にするよ!いつか、ママじゃなくて、私の横でも一緒に寝てくれるかな?)
その時、スマホが震え、瞬也からの新しいメッセージが表示された。
『放課後、四時半に裏庭の自転車置き場で待ってる』
若菜はスマホを胸に抱きしめた。
時計を見ると、四時二十分。
「すぐ行く……!」
走り出す足は、もう迷っていなかった。
夕陽に染まる校庭裏。
若菜が駆け込むと、瞬也が驚いたように立ち上がった。
「若菜……来てくれて、ありがとう。なんか、息切れてるけど、大丈夫?」
呼吸がままならない若菜は、途切れ途切れになりながらも、
瞬也とちゃんと会えた安堵感に包まれながら、
まず昨日今日のドタバタを一気に話した。
「スマホが……その、ポリスケでしか開かなくて……
変なメッセージ送っちゃうし……
ほんと、焦って……!」
瞬也は笑いながら首を振る。
「うん、なんか色々伝わってきた。
でも……それより、今日どうしても若菜と直接話したいこと、あってさ。」
若菜の心臓がきゅっと鳴る。
(まさか……いや、違うんでしょ……?)
瞬也は少し照れたようにカバンから何かを取り出した。
手紙サイズの封筒から、数枚写真が出てきた。
「……実は、昨日子猫を預かったんだ。
でもどうしたらいいかわからなくて……
猫って、どうお世話するのか、若菜に聞きたくて」
若菜は目を丸くする。
「うわっちっちゃい!
わ、私に!?な、なんで……?」
「だって若菜、ポリスケのことすごく大事にしてるし……
前、若菜ん家行ったとき、ポリスケすごく幸せそうに過ごしてたからさ。
いい飼い主に育てられてんだなって、ずっと思ってた。
だから……頼りたかったんだ」
視線を落とした瞬也の耳が、ほんのり赤い。
胸が熱くなる。
“好き”とは違う。
でも、“信頼”の気持ちが真っ直ぐ届いた。
若菜はそっと子猫の写真を覗き込みながら微笑む。
(そっか……
“会いたい話”って、これだったんだ……
なんだろ……嬉しい……)
若菜はそっと息を吸い、
瞬也の目をまっすぐ見た。
「うん。私でよければ、なんでも聞いて。
直接、話したいこと……まだたくさんあるんだ。
あのね——」
言葉の続きは、夕風にふわりと溶けていく。
その頃、若菜の家では…__
夕陽を眩しそうに目を細めながら丸まっているポリスケは、ぴくりと尻尾を揺らした。
若菜が走って出ていった時の気配で、
もう“何か大事な一歩を踏み出した”のを感じていた。
(任務完了……にゃ)
ただ満足そうに目を閉じる。
優しい光が窓から差し込み、
ポリスケの背中がほんのり温かく照らされた。
自分の裸を見られるよりも恥ずかしいかも。
だって、大切な大切なわたしの気持ちが詰め込まれているから。
憧れのスマホを買ってもらってから、一か月が経った。
ようやく使い方にも慣れてきた頃、中二にしてスマホ歴四年の友だちが言った。
「指紋認証してないの?危ないよー! パスキーだけじゃ、ママに覗かれるって!」
その言葉に、急に不安が押し寄せた。
確かに、ママにスマホの中身を見られるなんて、絶対に嫌だ。
ただ、指紋認証ってなんだか緊張する。
ドラマの中で犯人捜しに使うアレ、ってイメージが強かったから。
日曜日の午後。
手を洗って身も心も清めた若菜は、神妙にスマホの設定画面とにらめっこした。
意を決して自分の指を画面に近づけた、その瞬間。
「にゃッ!」
飼い猫のポリスケが突然、視界いっぱいに飛び込んできた。
茶虎模様で画面が全部ふさがれる。
画面に肉球を“ぷににっ”と押しつけたまま、若菜の手にすり寄ってくる。
「んもう、ポリスケ! スマホ踏まないでよ、今大事なところなの!」
抱き上げて机の下に降ろした次の瞬間、
スマホがブーンと震えた。
『指紋の登録が完了しました』
「えっ? まだ触ってないんだけど……」
試しに自分の指でボタンを押してみても、
スマホはうんともすんとも言わない。
胸がざわざわして、心臓の音が大きくなる。
「……いやいや、どうなってるの?これ…」
若菜の呟きを無視して、横でポリスケはしれっと毛づくろいを始めた。
混乱したまま固まっていると、
スマホがもう一度震える。
画面には、幼なじみ・瞬也の名前。
『今、ちょっと話せる?』
メッセージがポップアップされた。
若菜の胸が、ドキンとひとつ跳ねた。
これが、若菜のスマホを誰にも見られたくない理由。
瞬也は、保育園からの幼なじみだ。
歩いて五分の距離に住んでいるのに、最近の連絡はほとんどスマホばかり。
小学校の頃までは普通に話していた。
でも、中学生になったあたりから、なぜか“直接話すこと”が急に恥ずかしくなった。
クラスも離れてしまい、廊下で見かけても、目が合った瞬間にお互いそらしてしまう。
その“気まずさ”が積み重なって、ますます声をかけにくくなってしまっている。
だけどLINEが始まると、話は別だ。
送り合い始めたら、何気ない会話で気づけば一時間なんて普通。
楽しくて、他のことは全部後回しになるくらい——。
だからこそ、
今みたいに“スマホが使えない状況”は大ピンチだ。
(どうしよう……今、返事できないなんて……!)
若菜はスマホを握りしめたまま、もう一度画面を見つめた。
「もしかして……ポリスケの肉球で登録された?」
自分でも信じられないけれど、どう考えてもそうとしか思えない。
試しに、ポリスケをひょいと抱き上げ、
肉球をそっとホームボタンへ近づける。
ぷににっ。
その瞬間、スマホがあっさり解除された。
「……マジで、ポリスケの指紋なの……?」
ポリスケは悪びれる様子もなく、
ただ尻尾をぽそぽそ振りながら、若菜に向かって「にゃッ」と答えた。
若菜は頭を抱えた。
「どうしよう……瞬也のメッセ、読まなきゃなのに……!」
画面には“ロック解除してください”の表示。
でも解除できるのは、さっき誤作動を起こしたポリスケの肉球だけ。
二十四時間は指紋を変更できない。
若菜はベッドの上を振り向く。
ポリスケはニャンモナイト状態で丸くなっていた。
「……ポリスケ、起きて……!今は緊急事態なの……!」
そっと抱き上げて、肉球を画面へ近づける。
ぷににっ。
やっとロック解除。
若菜は急いでLINEを開いた。
そこには瞬也からの、新しいメッセージが届いていた。
『明日、放課後、会えないかな?話したいことがあるんだ』
若菜の心臓がまた跳ねた。
ロックが解除されて安心したのもつかの間、別の理由でまた胸がざわついた。
(え……これって……どういうこと……?)
スマホを握りしめたまま思考停止。
鼓動の大きさでハッと我に返る。
(話したいって……何?
LINEじゃダメなの?
ま、まさか……いやいやいや、絶対違う)
頭の中が高速で混ざり合って、まとまらない。
どれだけ固まっていたのか分からないが、
気づくとまた画面が真っ黒になっていた。
(うわぁ……! バッテリー節約のためにスリープ短くした私のバカ!)
とにかく既読をつけた以上、反応しないと失礼だ。
若菜が返事を打とうとした瞬間、
膝の上のポリスケがもぞっ——。
ぴょん、と飛び降りた。
「あっ、ちょっと! ポリスケ!?
また解除してもらわないと困るのに!」
追いかけると、ポリスケは棚の上に飛び乗り、尻尾をふりふりしながらこちらを見下ろしていた。
「もう……なんでこんな時だけ自由猫なの!」
やきもきしながらポリスケを追いかける。
瞬也への返信は、当然、途中で途切れたまま。
何か返事を打たなきゃ、と焦るほど指が震える。
『あのね、明日わ——』
焦った拍子に、そこで送信してしまった。
「わたし」って打とうとしたのに!ギャル文字みたいで恥ずかしい。
即・既読。
(これじゃ変な誤解される!
どうしよう、どうしよう……!)
その時、画面がまた震えた。
瞬也からの追いメッセージだ。
『ごめん、急にこんなこと言って。
でも、明日ちゃんと会って話したくて。
若菜、明日時間あるかな?』
こんな時に限って、瞬也のメッセージがちゃんとしてる!
自分の誤送信が益々恥ずかしい。
だけど、その文字をよく読んでみると…
次第に今まで張りつめていた胸がふわっと温かくなるのを感じた。
(会いたい……。
わたしも、直接話したい……)
小さくつぶやいた声は、ポリスケにも届いたらしい。
ベッドの上で丸まっていたポリスケが、
なぜか満足そうに「にゃっ」と鳴いた。
送信事故をなんとか挽回しようと、若菜は慌ててスマホを握りなおした。
(落ち着け私……ちゃんと返信しなきゃ……!)
――その瞬間。
ポリスケが突然、ベッドの上からすばやく飛び降り、
若菜の横を疾走した。
「ちょ、ちょっと待って!
今だけは逃げないでぇぇ!!」
若菜もスマホ片手に全速力で追いかける。
しかしポリスケは廊下へダッシュ、階段へぴょん、
テーブルの下をすり抜け、
そのままカーテン裏に消えるという自由猫ムーブ。
「ポリスケ!!お願い!一秒でいいから肉球を……!」
画面には無情にも再び【ロック解除してください】
若菜はカーテンをめくり、
やっと捕まえたポリスケの肉球をスマホへ近づける。
ぷににっ。
ロック解除。
急いで瞬也に返信する。
『さっきのはごめん!ほんとはね、明日オッケーダヨ』
なんか変だけど、秒で打って送信。
……数秒後、
瞬也からメッセージが返る。
『大丈夫だよ。でも、なんか急いでる……?』
(あああ〜〜〜!伝わってる!!焦り伝わっちゃってる!!)
その間に、ポリスケはまた若菜の腕からするりと抜け出し、
今度は本棚の上へ軽々ジャンプ。
「うそでしょ!?なんで今日に限ってそんな運動神経いいの!」
再びスマホはロックされる。
若菜の心拍はMAX。
『若菜、なんかあった?
もしかして……迷惑だった?』
瞬也に不審に思われてしまった。
若菜の胸がギュっとなった。
(ちがうの!ぜんぜん迷惑じゃない!
むしろめちゃくちゃ嬉しいのに……!
でも返信できないの!!)
テレパシーで伝われば良いのに。
若菜は再びポリスケに突撃する。
「ポリスケ!そろそろ協力してくださいぃぃー!!」
捕まえた瞬間、ポリスケが「ぶにゃあ」と渋く鳴いた。
まるで「まあまあ落ち着けよ」と言っているみたいに。
若菜はスマホを掲げ、震える手で肉球を近づける。
ぷににっ。
ロック解除成功。
そして急いで返信する。
『迷惑なんて全然ないよ!ほんとだよ!』
少しして、瞬也から返事が来た。
『そっか。よかった……』
短いメッセージなのに、その“ほっとした感じ”が伝わってくる。
若菜の胸がじんわり温かくなった。
ポリスケとの追いかけっこと、
瞬也への返信バトルを何往復かしているうちに、
気づけば夜は更けていた。
スマホを握ったまま、
若菜は布団の上で半分ぐったりした姿勢のまま考える。
(明日、会うんだ……
どうしよう……
なに話すんだろ……)
その時——
カチッ。
リビングの時計が24時を告げた。
同時に、ポリスケが“にゃ……”と欠伸をして、
ふらっと歩き出す。
「あっ……ポリスケ!?
まだスマホ……!」
追いかけようとすると、
ポリスケはそのままススス……と
若菜のママの寝室へ吸い込まれていった。
若菜も後を追おうとした瞬間————
寝室のドアが少しだけ開いて、
中からママの声。
「若菜、もう寝なさい。
こんな時間までスマホいじっちゃダメよ。約束したよね」
「で、でも今日だけは……!
ポリスケが……その……」
「もうこんな時間だよ?
相手の子にも迷惑だし、明日の学校に響くでしょ?
若菜の体が心配だよ。スマホは明日にしなさい」
ママは優しく正しいことを言った。
確かに、もう何時間もスマホと格闘している。
相手の瞬也だってもう寝ないと。
若菜はしょんぼりとうつむく。
「……はぁい……」
納得いかない気持ちを、べったり貼り付けた返事をしてしまった。
ポリスケはいつものようにママの布団で丸くなった。
任務終了、みたいな満足顔で眠っている。
若菜は自分の部屋に戻り、
ベッドにダイブした。
(……そうだよね。
私、スマホに必死になりすぎ。
ポリスケだって眠いのに、こんな時間まで付き合わせちゃった…)
しばし、考えているうちに胸が苦しくなった。
(スマホに縛られてる私のこと、止めてくれてたのかな……)
枕をギュっと抱えながら、
でも最後に、胸の奥でそっと陽が灯る。
(……明日、瞬也と直で話せるんだ……やっぱスマホで話すより嬉しいな…)
しょんぼりしつつ、
ほんの少しだけ、嬉しさが混ざっていた。
そしてハッと気づいた。
「そういえば、待ち合わせのこと、決めてない!」
翌朝。
カーテン越しに差し込む光で目を覚ました若菜は、真っ先にスマホのことを思い出した。
(よし……今日は大事な日……!
まずはポリスケの肉球でロック解除して……
瞬也のメッセージ確認して……
今日の放課後の予定をちゃんと——)
気合いを入れて布団から飛び出す。
ママの寝室の前で小さくノックして、
ひょいっと顔を出すと、
ポリスケが伸びをしながら起き上がった。
「ポリスケ!おはよう!
ちょっと肉球貸してっ!」
ポリスケを抱えてスマホに肉球を近づける。
ぷににっ。
解除成功。
やはり瞬也からメッセージが来ている。
『色々話してて、肝心な明日のこと忘れてた。
明日は、放課後
若菜は勢いよく画面を上へスクロールした——————————
その瞬間。
ふっ……。
画面が暗転した。
「………………え?」
もう一度電源ボタンを押す。
反応しない。
もう一度。
やっぱり反応しない。
(………………充電…………ゼロ…………?)
次の瞬間、若菜の全身から力が抜けた。
「なんでぇぇぇぇぇ!!
昨日のドタバタで充電できてなかったのぉ!?
バカ!昨日の私のバカぁ!!」
鏡の前で頭を抱え、
リビングの床の上で転げ回り、
ポリスケはその様子を静かに見つめている。
「ど、どうしよう……
瞬也、待ち合わせ場所どうするって言ってたっけ……
てか言ってないし……
今日会うだけ決まっただけだし……!」
ポリスケの前に倒れ込み、若菜は彼の額にそっとすがりつく。
「ポリスケ〜〜!
私の今日の人生かかってるの〜〜!!」
ポリスケは“にゃ…”と短く鳴き、
若菜の髪を少し噛んで慰めてくれるような仕草。
その優しさが逆に胸に刺さる。
「……行くしかない。
どうにかなる……いや、どうにかする……!」
時計を見ると、もう家を出る時間。
充電プラグをスマホに差し込み、若菜は玄関へ駆け出した。
登校中も、教室に入ってからも、
若菜の胸はずっとざわざわしていた。
(今日、放課後……
どこで会うの?
何を話すの?
ていうか私、なんでもっと早く確認しなかったんだろうぅぅぅ…)
思い出すだけで胃がキュッとなる。
席に座っても落ち着かない。
プリントを出しながらも指先が少し震えていた。
瞬也は、移動教室の時に廊下で姿を見掛けた。
自然と若菜の視線がそちらへ向いて——
目が合った。
ほんの一秒くらいの短い時間。
それだけなのに、若菜の顔は一気に熱くなる。
(わぁぁぁぁ!こっち見ないでぇぇ!!)
瞬也も、気まずそうに少し視線をそらす。
でも、その耳がほんのり赤いのが見えた。
(うそ……瞬也も緊張してる……?
いやいやいや、私の勘違いだよね!?)
その時に今日の待ち合わせの確認が出来たらよいはずなのに。
お互い、存在を意識しながら、周りが気になって距離を縮められない。
(どうしよう……放課後……
ちゃんと会えるよね……?
場所はどうするの……?
話したいことって何……?)
机の上で手を組み、
こっそりポリスケの肉球を思い出す。
(スマホ……無事に充電できてるよね……
お願い……生き返ってて……!)
英語のリスニングなんて全然入ってこない。
ノートに書いた文字もどこか歪んでいる。
それでも刻一刻と放課後が近づいていた。
(やば……心臓しんどい……
放課後まで持つかな……)
涙目で時計を見るたび、
針がゆっくり動いているように感じた。
そしてついに放課後——。
チャイムが鳴ると同時に若菜は立ち上がった。
(帰る!まず家に帰る!!
スマホを復活させて、瞬也の場所を確認して!
絶対に会いに行く!!)
家まで走れば十分弱だ。
瞬也が待ちくたびれて帰ってしまうまでに、絶対に間に合いたい。
若菜はカバンをつかんで走り出した。
誰も声をかける暇を与えない、まっすぐなダッシュだった。
教室を飛び出した若菜は、
校門を抜けると同時に全力で駆けだした。
「ぜっ…たい……間に合う……っ!」
夕方の風が頬に当たり、カバンが背中で跳ねる。
(スマホ……ちゃんと充電できてるよね……
お願い……生きてて……)
けれど走れば走るほど、
胸の奥に別の思いがじわじわ湧いてきた。
(私……昨日も今日も……
スマホの画面のことで頭いっぱいで……
瞬也の気持ちとか、ちゃんと見られてなかったかも……
ママもポリスケも…私のこと心配してくれてるのに…)
あの事故送信、
あの途切れ途切れの返信、
全部スマホに振り回されていた。
(私……スマホに頼りすぎてた……
今日だって、勇気出して瞬也に聞けたら、こんなに走らずに済んだのに……)
呼吸が苦しくても、
その気づきだけはハッキリしていた。
(直接会って話すのが怖くて……
スマホ越しなら平気だからって、
ずっと逃げてたの……私だ……)
自分の情けなさに胸がきゅっと痛む。
でもその痛みと一緒に、
“ちゃんと向き合いたい”気持ちも強くなる。
(こんな後悔、今日で終わりにするっ……!)
家の角を曲がった瞬間、
ようやく玄関が見えてきた。
「もうちょい……っ!!」
ドタバタの足音のまま玄関を開け、
若菜は靴を脱ぎ捨てて走り込んだ。
「ポリスケ!!」
ポリスケは汗だくの若菜を労うように、「にゃっ」と前脚をそろえて出迎えてくれた。
その奥の机の上、充電ケーブルにつながれたスマホは、
バッテリーのマークが一〇〇%近くまで伸びていた。
「よかったぁぁぁぁ……」
ポリスケをそっと抱き上げ、ロックを解除する。
昨夜のドタバタとは打って変わって、素直に協力してくれた。
そして画面に——
“指紋再登録が可能です” の文字。
(……二十四時間、経ったんだ。長かったなぁ)
昨日の“ぷににっ事件”から、
ぴったり二十四時間。
若菜は静かに息を整えた。
(…もう逃げない。
ちゃんと自分の手で開く!)
指先をそっと画面に当てる。
ピッ。
指紋登録成功。
再起動している間、若菜はポリスケをギュッと抱き寄せた。
(ポリスケ…振り回してごめんね。
私、スマホのことで頭いっぱいだった。
ポリスケは大切なことちゃんと見えてないわたしのこと…叱ってくれたんだね)
昨夜ポリスケが、何度も若菜を止めようとしていたことを思い出す。
それは悪戯なんかじゃなくて、「ダメだよ」って教えてくれていた気がした。
これからはもうスマホの画面より、目の前にいる優しいふわふわを大切にしたい。
ポリスケの頭をそっと撫でてつぶやく。
(ポリスケ、大切にするよ!いつか、ママじゃなくて、私の横でも一緒に寝てくれるかな?)
その時、スマホが震え、瞬也からの新しいメッセージが表示された。
『放課後、四時半に裏庭の自転車置き場で待ってる』
若菜はスマホを胸に抱きしめた。
時計を見ると、四時二十分。
「すぐ行く……!」
走り出す足は、もう迷っていなかった。
夕陽に染まる校庭裏。
若菜が駆け込むと、瞬也が驚いたように立ち上がった。
「若菜……来てくれて、ありがとう。なんか、息切れてるけど、大丈夫?」
呼吸がままならない若菜は、途切れ途切れになりながらも、
瞬也とちゃんと会えた安堵感に包まれながら、
まず昨日今日のドタバタを一気に話した。
「スマホが……その、ポリスケでしか開かなくて……
変なメッセージ送っちゃうし……
ほんと、焦って……!」
瞬也は笑いながら首を振る。
「うん、なんか色々伝わってきた。
でも……それより、今日どうしても若菜と直接話したいこと、あってさ。」
若菜の心臓がきゅっと鳴る。
(まさか……いや、違うんでしょ……?)
瞬也は少し照れたようにカバンから何かを取り出した。
手紙サイズの封筒から、数枚写真が出てきた。
「……実は、昨日子猫を預かったんだ。
でもどうしたらいいかわからなくて……
猫って、どうお世話するのか、若菜に聞きたくて」
若菜は目を丸くする。
「うわっちっちゃい!
わ、私に!?な、なんで……?」
「だって若菜、ポリスケのことすごく大事にしてるし……
前、若菜ん家行ったとき、ポリスケすごく幸せそうに過ごしてたからさ。
いい飼い主に育てられてんだなって、ずっと思ってた。
だから……頼りたかったんだ」
視線を落とした瞬也の耳が、ほんのり赤い。
胸が熱くなる。
“好き”とは違う。
でも、“信頼”の気持ちが真っ直ぐ届いた。
若菜はそっと子猫の写真を覗き込みながら微笑む。
(そっか……
“会いたい話”って、これだったんだ……
なんだろ……嬉しい……)
若菜はそっと息を吸い、
瞬也の目をまっすぐ見た。
「うん。私でよければ、なんでも聞いて。
直接、話したいこと……まだたくさんあるんだ。
あのね——」
言葉の続きは、夕風にふわりと溶けていく。
その頃、若菜の家では…__
夕陽を眩しそうに目を細めながら丸まっているポリスケは、ぴくりと尻尾を揺らした。
若菜が走って出ていった時の気配で、
もう“何か大事な一歩を踏み出した”のを感じていた。
(任務完了……にゃ)
ただ満足そうに目を閉じる。
優しい光が窓から差し込み、
ポリスケの背中がほんのり温かく照らされた。
