ネットで猫の絵をみていると、太郎みたい、と想う。ふわふわでもふもふだった小さい太郎だ。太郎は、しゃむ猫の名前だ。太郎をみかけたのは駅をでたところの右側にあった、ペットショップだった。5匹のかわいいしゃむ猫の、子猫たちがいて、ともだちと学校帰りによくみていた。わたしはすごくしゃむ猫が欲しくなった。値段も、1万3000円で、机の引き出しにいれている、お年玉から買えそうだ。おばあちゃんが奮発して2万円もくださった。そのお金で、このしゃむ猫の子猫を飼おう。何度も何度も店の前を往復しているうちに、帰り道にともだちと、ガラスの向こうの可愛らしいしゃむ猫の子猫たちをみて、そう考えた。
 家に帰って母にいうと、あっさり、いいよ、と言われた。それで、机の引き出しにあった、一万五千円を財布にいれて、学校帰りに、一緒にいつも子猫をみている友達に、わたしは、この、子猫を飼うと、宣言し、ペットショップに入っていった。どの子猫にします?と聞かれたので、瞳がまあるくて可愛らしい雄のしゃむ猫にした。首輪は何にします?と聞かれたので、瞳とまったくおんなじ色合いのブルーの首輪があったのでそれにした。ペットショップの人は小さな段ボールに子猫をいれてくださった。駅にいって、子猫用の手荷物のきっぷを買ってそれを、段ボールにつけてもらった。西明石までは友達がいたけれども、いなくなったら、子猫がにゃーにゃーと、泣き出して、まわりの乗客がわたしの方をみて、わたしを見て、ずいぶんと、可哀想なことをするものだ、といった。わたしは中学生だったので、年上の高校生やらに物知り顔でそういわれて、子猫ににゃーにゃー鳴かないで、といったけれども無駄だった。最寄り駅まで子猫は膝の上で、暗い箱の中にいれられて揺れるし、にゃーにゃー鳴きっぱなしだった。わたしは動物愛護団体から訴えられそうだ、とおもって、体を小さくして、子猫が入った箱を膝の上に置いていた。駅から、自転車に乗せて、落としたら行けないので、自転車を引きずるようにして帰った。家に帰って箱をあけると、猫がにゃーにゃー鳴いていた。なんだか、たくさんの子猫たちといて、ダニがついてるのじゃなかろうか、と想った。風呂場に連れていって青いバケツにお湯をいれて洗ったら、断末魔の悲鳴をあげた。あとから、隣の家の御主人が、殺し合いが風呂場でおこったのではなかろうか、と、駆けつけようかと想ったと母にいったらしい。風呂でシャンプーで洗ったら細くて鼠みたいに小さな猫になってしまった。ドライヤーでバスタオルで、巻きながら、乾かした。小さなからだを震わせていた。それが、我が家にシャムネコがやってきた初日だった。母が、帰ってきて、猫のトイレとか買ってきてくれていた。そのころになると足元でじゃれるように歩いていて可愛らしかった。母は、「この瞳は、アレクサンダーだわ」と大きな声でいい、この子猫は、アレクサンダーと名付けるといいだした。わたしは、クレオパトラ役のエリザベステーラーの、隣にいそうな人のギリシャぽいなまえのひとで、母はいっつもわたしの知らないギリシャぽいなまえをだしてくると想った。玄関にはアグリッパーの像を飾っていて、夜、トイレにいくときに、白目が不気味な感じをかもしだしていた。わたしは母の声よりももっと大きな声で「日本で産まれたから、たろう、にする」といった。母が気の抜けた声で「たろう!?」といった。「なぜ、たろうにするの?」というので、一緒にこねこをみていたあっちゃんが、いま、好きな人がたろうで、たろうかっこいい。たろう最高。笑った顔がチャーミングだ、っていうから、明日から、太郎かわいいなあ、といえるようにそうしたいといったら、あっさり、あんたが買ったんだし、たろうでいいわ、といった。シャムネコの血統書もついていたのに、たろう、というなまえにしたからか、大きくなると、大きなたぬき、みたいになってしまった。意外と喜んだのが父だった。父が玄関にたつとどこからか太郎が庭からやってきて、足にすりよって、すりすりするらしいのである。その姿が、なんともかわいい、ということであった。わたしにも機嫌がよいときはそうやってすりすりした。だけれども、決闘のポーズみたいなものを、わたしによくしていて、わたしもまねをして決闘のポーズ。背中をまるめてジャンプしながらアタックする、というのをまねしたりして、遊んでいた。犬は、家族の中でかならず下から二番目のポジションに自分をつけるらしいわよ。猫もそうかしらね、と母がいった。たろうを抱いて寝ても、夜中にごろごろ喉をならしながら顔を毛布のうえから踏み踏みしてそれから自分で扉をあけて、母の部屋にいってしまう。朝起きても、台所で母の肩に乗って、しっぽを振っていた。わたしにとっては弟みたいな存在だった。いまでも、たろうが見上げてにゃーにゃー鳴いている姿を思い出すと、心に温かいものが流れる。