夏休み最終日。いよいよ一人部屋へ移動する日が来た。受験生への配慮で、3年だけが他の学年とフロアが違う。
 たいした荷物はない。俺が机周りを整理している間、清瀬が布団をまとめてくれている。
「いい匂い〜」
 えっ、とベッドの方を見ると手にした俺の夏掛けに顔を近づけていた。
「ちょ、ちょっと、そんなに嗅ぐなよ。やめろって」
「なんでですか? 先輩気付いてないかもしれませんが、いい匂いですよ。シャンプーなのかなあ」
 くんくんする姿にぶわっと顔が熱くなる。やめない清瀬に苛立ちながらベッドまで来た。
「清瀬、おんなじことされてもいいの? 結構恥ずいんだからな」
 清瀬のベッドから夏掛けを手に取り、顔を近づけようとして、はたと我にかえる。
 ――俺、超絶恥ずかしいことしようとしてね?
「隙あり!」
「うわっ」
 埋めかけた顔を上げる間も無く、身体に衝撃が来た。一瞬のうちにベッドに沈み、上から清瀬に見つめられる。いつもクールな清瀬が赤く染まっている。じりじりと距離が縮まる。
 その距離が5センチになった。
「いいよ、清瀬」
 俺が目を閉じると、すっと唇が重なった。
「ズルいな、先輩」
 どうしようもなく愛おしいものを見る目が俺に向けられる。
「清瀬」
 顔を寄せ、そっと触れるだけのキスを俺からもした。
「マジでずるい。そういうとこメチャクチャ心配」
「年上、なめんなよ」
 ふたりで笑い合った。

 こんな風に部屋を後にしたから寂しくなり、明日から新学期だというのに寝付けない。スマホの画面を見つめること1時間。もう限界だと清瀬にメッセージを送る。
『電話してもいい?』
 送信と同時に既読がついた。
「来て、先輩」
 えっ!? とすぐに返信する。
『それはマズい』
「なら、俺がそっちに行きます」
『もっとマズいって。3年フロアには来ちゃダメ』
「じゃ、どうしたらいいんですか」
 涙目のウサギのスタンプ付きで来た。
『わかった。俺が行く』
 
 音を立てないように階段を下り、201号室の前に来た。
 ノックした方がいいのか。
 こんなこと考えたことも無かった。
 ドアノブに手をかけると回す前にドアが開き、体を引き寄せられた。
「こっち」
 昼間押し倒された清瀬のベッドに手を引かれた。
「えっ」
「何もしませんよ、今はまだ」
 耳元でささやかれてビクッとする。
 壁際に横になると、清瀬が体を寄せる。このベッドにふたりは無理がある。
 オレンジ色の読書灯が清瀬を照らす。
 初めて壁ドンされたとき、あまりにもきれいな顔立ちに目が離せなくなった。
 ふわっと解けるような清瀬の笑顔が好きだ。
 できれば、目の前で頬を緩めるクールイケメンの温かな表情を俺だけのものにしたい。

 まだ夏の暑さが残る深い夜。
 初めて好きになった人の寝息を聞きながら、まぶたを閉じた。

 *
 
 部屋の明るさに目が覚めた。スマートフォンの液晶を見て一気に焦る。
 時刻は6時。この部屋から俺が出て行くのを他の寮生に見られたら、俺たちの関係がバレる!!
 しっかりとホールドされた清瀬の腕をそっと解こうとすると、さらにぎっちりと身体を引き寄せられた。
「清瀬、離せ」
「韻踏んでるー」
「なに言ってんだよ! 俺、部屋に戻んないと」
「え~、なんで?」
 寝ぼけ眼で清瀬が頭をすり寄せてきた。
「だから、もうこの部屋じゃないだろ。俺」
「別に、『忘れ物取りに来た』っていう雰囲気を醸し出せば大丈夫ですって。もう真面目だな~、先輩。可愛いけど」
 ぼっと顔が熱くなる。
 いやいや、ダメだろ。ルールだよ、ルール!!
 おまえ、今日始業式のスピーチするんじゃねぇの? こんなにのんびりしてて大丈夫なの!?
 急にガチャリと音がしてビクッと肩がすくむ。
「隣の部屋ですよ。ほら、もう少しこっち」
 ああ。
 コイツにはかなわない。
 あともう少し、5分だけこのままで……。