血を吸われたときに落とした血壺は、案の定割れてしまっていた。
これがないと霊薬である明玉の血をバンへ渡すことができないので困るのだが、皇帝である偉龍について来いと言われたのに待たせるわけにもいかない。
仕方なく壺の破片は放置し、明日バンに事情を話し直してもらおうとそのままにすることにした。
先を進む長身の背中を追いながら、これは本当に現実なのだろうかと思ってしまう。
一生会わずにいるのだろうと思っていた皇帝と出会ったこともだが、まさかその皇帝に血を吸われるとは……。
通常人は血など吸わない。その非現実的な状況は、夢だと言われた方が納得できる。
(まあでも、血が霊薬となってしまった私よりは現実的かしら?)
振り返ってみると自分の状況の方がはるかに非現実的だったことに思い当たり、逆に血を吸う人間がいる方が理解できるのかもしれないと思いはじめる。
人ではないが、亡くなった者が僵尸となって人の血肉を求めるという怪談話もある。そちらの方がまだあり得そうだ。
とはいえ、今明玉の前を歩く皇帝・偉龍は怖いほどに存在感があり、僵尸などという幽鬼の類には見えない。
皇帝の住まいである太極宮へ移動するため、馬車に乗り込みながら考える。
なぜ偉龍は毎夜妃嬪の生き血を吸うのか。話を聞きたいと言って妃嬪たちが住まう掖庭宮から連れ出されたが、自分は彼にどう扱われるのか。
分からないことばかりだが、話がしたいと言っていたので、その疑問の答えも教えてくれるのではないだろうか?
バンが聞いたら冷血皇帝相手に楽観的過ぎると小言を食らいそうだが、明玉から見た偉龍は噂されるほど恐ろしい人物とは思えなかった。
楽観的であったとしても、話をするためにと連れ出されたのだからいきなり殺されることはないだろう。殺すのならば、先ほど血を吸った後に切り捨てればいいだけだ。なんの後ろ盾もない下級妃を切ったところで、皇帝である偉龍を咎める者はいないのだから。
そんな推測もあって、明玉は特に恐れることなく偉龍の宮へと入っていった。
「さて、まずはお前の話から聞こうか、明玉。血が多くなる病と言っていたが、どういうことだ?」
「はい。……えっと、私幼い頃洪水に巻き込まれ死にかけたことがあったのですが、それをたまたま通りがかった道士に助けていただいて……」
偉龍に案内されるまま、明らかに高価そうな調度品のある房に入った明玉は、薦められた円凳に座り求められるまま質問に答えた。
とは言っても、バンのことと明玉の血が霊薬であることは流石に話すわけにはいかず、助けてくれたのは道士だったことにして、術が半分失敗し血が多く作られるようになってしまったのだということのみを話した。
後宮に来る前は叔父たちや周囲の者たちにも同じように説明していたので、特に問題はないだろう。
「そうか、道士の術か……」
明玉の話を聞き納得したように呟いた偉龍だったが、その声音には嫌悪感のようなものが滲んでいた。道士に対して何か悪感情でもあるのだろうか。
軽く疑問に思ったが、明玉の方から質問するわけにもいかないため、ただ黙って偉龍の次の言葉を待った。
「だが、血が多く作られるというのならば都合がいい。俺の事情も話す故、明玉には俺の食糧となってもらう」
「……」
鬼の面越しに真っ直ぐ見つめられ、明玉は否とも是とも答えられなかった。
(いくら皇帝とはいえ、『食糧となってもらう』とは……簡単には頷けない命令をするのね)
毎日瀉血しなければ死んでしまう明玉にしてみれば、先ほどのように血を吸ってもらえるのは大変助かる。だが、人であると自認している身としては、食糧扱いされるのは少々矜持が傷つくというものだ。
だが、明玉の気持ちがどうであれ、偉龍の言葉はお願いではなく命令だ。明玉に拒否権はない。
言葉として是を返すことは出来なかったが、了承の意を込めて頷いた。
明玉が了承したと見て、偉龍は満足そうに頷くと口を開く。
「先ほど吸血したことである程度は気づいているだろうが、俺は人の生き血を吸わなければ生きていけないのだ。先代の皇帝・王俊文の不老不死の実験のせいでな」
憎々しげに偉龍の口から語られた皇族内部の話は、明玉が思ってもみなかったほどに凄惨なものだった。
先王が不老不死の研究に心酔し国が傾いたことは有名だが、その先帝は同じ血を分けた者の方が検証しやすいだろうと言い、実験体として自らの子たち――つまり、偉龍やその兄弟を使っていたのだそうだ。
「一番下の妹は、商人が不老不死の霊薬・肉霊芝だと偽って献上した毒茸を食べさせられ死んだ。すぐ下の弟は、錬丹術による辰砂を含んだ丹薬を服用させられ、最後には自力で起き上がることもできなくなり死んだ」
他にも様々な怪しい術や薬を試され、何とか生き延びたとしても本当に不死となったかの確認のために殺されたのだと、偉龍は淡々と語る。
黙して聞いていた明玉は、あまりのことに声を発するどころか息をするのも躊躇っていた。
ひとしきり話した偉龍は、深く重いため息を吐き最後に「そして、俺も」と呟く。
「俺も、西洋を旅し戻ってきたという道士が献上した、不死の鬼の血とやらを飲まされてしまったのだ」
言い終えると、偉龍は自身がつけている鬼の面に手を添え、頭の後ろにある結び目を解く。固定するものがなくなった面は、添えられた手と共に彼の顔から離れていった。
「あっ……」
男らしく濃い整った眉と、伏せた長い睫毛が頬へ影を落としているのが見える。通った鼻筋も偉龍の端正な顔立ちを引き立たせていた。
整った偉龍の素顔に思わず見惚れるが、伏せていた瞼が上がりその目が明玉を見た瞬間、驚きで息を呑む。
(赤い……血のように、真っ赤だわ)
人が持つ色彩としては、かなり珍しい色だ。明玉はじっと偉龍を見つめ返しながら、先ほど血を吸われたときに見えた赤はこの目だったのだなとどこか納得した。
赤い目をした美しい男は、冷たいほどに感情のこもらない声で話す。
「食事に混入され、三日三晩高熱に苦しんだのち、熱が引くと共にこの目になっていた」
鬼の面はこの赤い目を隠すためなのだと、偉龍は語る。
「身体能力も以前より上がり、俺の身体が変化したことは確実だったが……それでも不死になったとは思えなかった。だから、確認のためと殺される前に俺が先帝を殺したのだ」
実の親を殺したと語る偉龍の声は地を這うように低く、明玉はここで初めて偉龍を怖いと思った。
だが、その憎しみのような感情を向けられているのは自分ではない。それに先帝が偉龍にしたことを思えば、彼が先帝を憎むのも寧ろ当然だとすら思える。そのため、恐れを抱くほどではなかった。
「先帝もいなくなり、やっと安息の日々を迎えられると思っていた矢先、俺は人の生き血でしか生きるための力を得ることができなくなっていることに気づいたのだ」
人としての食事はできるが、食べた気がしない。いくら食べても、食欲はなくならず喉の渇きが治まらなかったそうだ。
「人の生き血でしか腹は膨れず、渇きも治まらない……俺は吸血する鬼――吸血鬼となってしまったらしい」
「吸血鬼……」
偉龍の状態を理解しようと、明玉は彼の言葉を繰り返す。すると偉龍は皮肉げに笑った。
「そうだ、吸血鬼だ。だから毎夜後宮の女たちの血を吸い、生きながらえてきたのだ」
偉龍の話は、ほぼ明玉が推測した通りのようだ。
やっぱりそうだったのね、と心の中で頷いていると、偉龍は自嘲気味に笑い明玉を探るように見つめて言葉を続ける。
「鬼としての力なのか、吸血後この赤い目で見つめると女たちの頭の中から吸血前後の記憶もなくなるようでな。おかげで俺が吸血鬼であることは知られていない」
「ああ、それで……」
頷き納得の言葉を返しつつ、頭の片隅では噂にはなっているけれど、と苦笑しながら付け加えてしまう。噂では生気を吸い取っているという話だった。実際に吸っているのは血であったが、あながち間違ってはいなかったということだろうか。
なんにしても、噂でしかないのならばわざわざ追求する者もいないのだろう。
それに、今後は毎夜明玉の血を吸うことになるのだ。他の妃嬪の血は吸わなくなるのだから、徐々に噂もなくなっていくだろう。
(陛下のお相手をした妃嬪たちが、体調を崩したり、何をされたのか分からない恐怖に苛まれることもなくなるということよね)
明玉が夜中にこっそり瀉血する必要がなくなり、偉龍も腹が満たされる。しかも妃嬪たちの恐怖がなくなるというならば、一石二鳥どころか三鳥ではないだろうか。
霊薬である明玉の血を飲むことで偉龍に変化が起こるのではないかという心配はあるが、それに関しては後でバンに相談してみよう。
そんな風に軽く考え込んでいると、ふと偉龍が明玉をじっと見ていることに気づいた。
やはりどこか探られているような眼差しに、明玉は無害であることを表すためにへらりと笑みを作る。
途端、偉龍の表情が変わった。
口端を大きく上げ、面白そうに赤い目を煌めかせているその顔は、どこか悪だくみをしているようにも見える。
「この話を聞いても恐れないか。騒ぐようであれば牢にでも閉じ込めておこうかと思ったが……気に入った。明玉、お前には賢妃の位を与える。俺の近くで、その血を捧げる役目を全うせよ」
「………………はい?」
皇帝相手に聞き返すなど不敬ではあったが、あまりにも信じられない言葉に聞き返さずにはいられなかった。
(牢に閉じ込めるって、そんなことを考えていたの? いえ、それよりも――)
「ケンピ、とは……まさか四夫人の賢妃ではないですよね?」
四夫人とは、皇帝の正妻である皇后が不在の今の後宮では、最高位でもある四人の上級妃のことだ。
賢妃の位は確かに現在空いているが、最下位とも言える下級妃がいきなりなるようなものではない。
(周囲から忌み嫌われている私が、いきなり四夫人の末席に加えられるなんて……きっと聞き間違いだわ)
うんうん、そうに決まっている。と偉龍の言葉を待ったが、聞こえてきた声は明玉の期待を裏切っていた。
「四夫人の賢妃に決まっているではないか」
何を言っているのだ? とでも言わんばかりの偉龍の様子に、本当に聞き間違いではなかったのだと知る。
ちーん、とお鈴を鳴らすような音の幻聴が聞こえ、魂が飛んで行ってしまうような心地になった。
「とにかく、明日には太監に話を通し準備を進めさせる。お前も宮を移る準備を進めておくがいい」
「……はい」
あり得ない状況にこれは夢だと逃避しそうになるが、皇帝の言葉は絶対である。
何より、彼の食糧として血を提供することはすでに了承しているのだ。四夫人という皇帝に近い地位になることで、頻繁に会っていてもおかしくない状況となるのだろう……多分。
承りつつも、少々不安という不満を抱えた明玉は軽く恨めしげに偉龍を見る。
だが、その美しい顔と柘榴石のような瞳に純粋な喜びを見て取り、明玉は思わず見惚れたのだった。
これがないと霊薬である明玉の血をバンへ渡すことができないので困るのだが、皇帝である偉龍について来いと言われたのに待たせるわけにもいかない。
仕方なく壺の破片は放置し、明日バンに事情を話し直してもらおうとそのままにすることにした。
先を進む長身の背中を追いながら、これは本当に現実なのだろうかと思ってしまう。
一生会わずにいるのだろうと思っていた皇帝と出会ったこともだが、まさかその皇帝に血を吸われるとは……。
通常人は血など吸わない。その非現実的な状況は、夢だと言われた方が納得できる。
(まあでも、血が霊薬となってしまった私よりは現実的かしら?)
振り返ってみると自分の状況の方がはるかに非現実的だったことに思い当たり、逆に血を吸う人間がいる方が理解できるのかもしれないと思いはじめる。
人ではないが、亡くなった者が僵尸となって人の血肉を求めるという怪談話もある。そちらの方がまだあり得そうだ。
とはいえ、今明玉の前を歩く皇帝・偉龍は怖いほどに存在感があり、僵尸などという幽鬼の類には見えない。
皇帝の住まいである太極宮へ移動するため、馬車に乗り込みながら考える。
なぜ偉龍は毎夜妃嬪の生き血を吸うのか。話を聞きたいと言って妃嬪たちが住まう掖庭宮から連れ出されたが、自分は彼にどう扱われるのか。
分からないことばかりだが、話がしたいと言っていたので、その疑問の答えも教えてくれるのではないだろうか?
バンが聞いたら冷血皇帝相手に楽観的過ぎると小言を食らいそうだが、明玉から見た偉龍は噂されるほど恐ろしい人物とは思えなかった。
楽観的であったとしても、話をするためにと連れ出されたのだからいきなり殺されることはないだろう。殺すのならば、先ほど血を吸った後に切り捨てればいいだけだ。なんの後ろ盾もない下級妃を切ったところで、皇帝である偉龍を咎める者はいないのだから。
そんな推測もあって、明玉は特に恐れることなく偉龍の宮へと入っていった。
「さて、まずはお前の話から聞こうか、明玉。血が多くなる病と言っていたが、どういうことだ?」
「はい。……えっと、私幼い頃洪水に巻き込まれ死にかけたことがあったのですが、それをたまたま通りがかった道士に助けていただいて……」
偉龍に案内されるまま、明らかに高価そうな調度品のある房に入った明玉は、薦められた円凳に座り求められるまま質問に答えた。
とは言っても、バンのことと明玉の血が霊薬であることは流石に話すわけにはいかず、助けてくれたのは道士だったことにして、術が半分失敗し血が多く作られるようになってしまったのだということのみを話した。
後宮に来る前は叔父たちや周囲の者たちにも同じように説明していたので、特に問題はないだろう。
「そうか、道士の術か……」
明玉の話を聞き納得したように呟いた偉龍だったが、その声音には嫌悪感のようなものが滲んでいた。道士に対して何か悪感情でもあるのだろうか。
軽く疑問に思ったが、明玉の方から質問するわけにもいかないため、ただ黙って偉龍の次の言葉を待った。
「だが、血が多く作られるというのならば都合がいい。俺の事情も話す故、明玉には俺の食糧となってもらう」
「……」
鬼の面越しに真っ直ぐ見つめられ、明玉は否とも是とも答えられなかった。
(いくら皇帝とはいえ、『食糧となってもらう』とは……簡単には頷けない命令をするのね)
毎日瀉血しなければ死んでしまう明玉にしてみれば、先ほどのように血を吸ってもらえるのは大変助かる。だが、人であると自認している身としては、食糧扱いされるのは少々矜持が傷つくというものだ。
だが、明玉の気持ちがどうであれ、偉龍の言葉はお願いではなく命令だ。明玉に拒否権はない。
言葉として是を返すことは出来なかったが、了承の意を込めて頷いた。
明玉が了承したと見て、偉龍は満足そうに頷くと口を開く。
「先ほど吸血したことである程度は気づいているだろうが、俺は人の生き血を吸わなければ生きていけないのだ。先代の皇帝・王俊文の不老不死の実験のせいでな」
憎々しげに偉龍の口から語られた皇族内部の話は、明玉が思ってもみなかったほどに凄惨なものだった。
先王が不老不死の研究に心酔し国が傾いたことは有名だが、その先帝は同じ血を分けた者の方が検証しやすいだろうと言い、実験体として自らの子たち――つまり、偉龍やその兄弟を使っていたのだそうだ。
「一番下の妹は、商人が不老不死の霊薬・肉霊芝だと偽って献上した毒茸を食べさせられ死んだ。すぐ下の弟は、錬丹術による辰砂を含んだ丹薬を服用させられ、最後には自力で起き上がることもできなくなり死んだ」
他にも様々な怪しい術や薬を試され、何とか生き延びたとしても本当に不死となったかの確認のために殺されたのだと、偉龍は淡々と語る。
黙して聞いていた明玉は、あまりのことに声を発するどころか息をするのも躊躇っていた。
ひとしきり話した偉龍は、深く重いため息を吐き最後に「そして、俺も」と呟く。
「俺も、西洋を旅し戻ってきたという道士が献上した、不死の鬼の血とやらを飲まされてしまったのだ」
言い終えると、偉龍は自身がつけている鬼の面に手を添え、頭の後ろにある結び目を解く。固定するものがなくなった面は、添えられた手と共に彼の顔から離れていった。
「あっ……」
男らしく濃い整った眉と、伏せた長い睫毛が頬へ影を落としているのが見える。通った鼻筋も偉龍の端正な顔立ちを引き立たせていた。
整った偉龍の素顔に思わず見惚れるが、伏せていた瞼が上がりその目が明玉を見た瞬間、驚きで息を呑む。
(赤い……血のように、真っ赤だわ)
人が持つ色彩としては、かなり珍しい色だ。明玉はじっと偉龍を見つめ返しながら、先ほど血を吸われたときに見えた赤はこの目だったのだなとどこか納得した。
赤い目をした美しい男は、冷たいほどに感情のこもらない声で話す。
「食事に混入され、三日三晩高熱に苦しんだのち、熱が引くと共にこの目になっていた」
鬼の面はこの赤い目を隠すためなのだと、偉龍は語る。
「身体能力も以前より上がり、俺の身体が変化したことは確実だったが……それでも不死になったとは思えなかった。だから、確認のためと殺される前に俺が先帝を殺したのだ」
実の親を殺したと語る偉龍の声は地を這うように低く、明玉はここで初めて偉龍を怖いと思った。
だが、その憎しみのような感情を向けられているのは自分ではない。それに先帝が偉龍にしたことを思えば、彼が先帝を憎むのも寧ろ当然だとすら思える。そのため、恐れを抱くほどではなかった。
「先帝もいなくなり、やっと安息の日々を迎えられると思っていた矢先、俺は人の生き血でしか生きるための力を得ることができなくなっていることに気づいたのだ」
人としての食事はできるが、食べた気がしない。いくら食べても、食欲はなくならず喉の渇きが治まらなかったそうだ。
「人の生き血でしか腹は膨れず、渇きも治まらない……俺は吸血する鬼――吸血鬼となってしまったらしい」
「吸血鬼……」
偉龍の状態を理解しようと、明玉は彼の言葉を繰り返す。すると偉龍は皮肉げに笑った。
「そうだ、吸血鬼だ。だから毎夜後宮の女たちの血を吸い、生きながらえてきたのだ」
偉龍の話は、ほぼ明玉が推測した通りのようだ。
やっぱりそうだったのね、と心の中で頷いていると、偉龍は自嘲気味に笑い明玉を探るように見つめて言葉を続ける。
「鬼としての力なのか、吸血後この赤い目で見つめると女たちの頭の中から吸血前後の記憶もなくなるようでな。おかげで俺が吸血鬼であることは知られていない」
「ああ、それで……」
頷き納得の言葉を返しつつ、頭の片隅では噂にはなっているけれど、と苦笑しながら付け加えてしまう。噂では生気を吸い取っているという話だった。実際に吸っているのは血であったが、あながち間違ってはいなかったということだろうか。
なんにしても、噂でしかないのならばわざわざ追求する者もいないのだろう。
それに、今後は毎夜明玉の血を吸うことになるのだ。他の妃嬪の血は吸わなくなるのだから、徐々に噂もなくなっていくだろう。
(陛下のお相手をした妃嬪たちが、体調を崩したり、何をされたのか分からない恐怖に苛まれることもなくなるということよね)
明玉が夜中にこっそり瀉血する必要がなくなり、偉龍も腹が満たされる。しかも妃嬪たちの恐怖がなくなるというならば、一石二鳥どころか三鳥ではないだろうか。
霊薬である明玉の血を飲むことで偉龍に変化が起こるのではないかという心配はあるが、それに関しては後でバンに相談してみよう。
そんな風に軽く考え込んでいると、ふと偉龍が明玉をじっと見ていることに気づいた。
やはりどこか探られているような眼差しに、明玉は無害であることを表すためにへらりと笑みを作る。
途端、偉龍の表情が変わった。
口端を大きく上げ、面白そうに赤い目を煌めかせているその顔は、どこか悪だくみをしているようにも見える。
「この話を聞いても恐れないか。騒ぐようであれば牢にでも閉じ込めておこうかと思ったが……気に入った。明玉、お前には賢妃の位を与える。俺の近くで、その血を捧げる役目を全うせよ」
「………………はい?」
皇帝相手に聞き返すなど不敬ではあったが、あまりにも信じられない言葉に聞き返さずにはいられなかった。
(牢に閉じ込めるって、そんなことを考えていたの? いえ、それよりも――)
「ケンピ、とは……まさか四夫人の賢妃ではないですよね?」
四夫人とは、皇帝の正妻である皇后が不在の今の後宮では、最高位でもある四人の上級妃のことだ。
賢妃の位は確かに現在空いているが、最下位とも言える下級妃がいきなりなるようなものではない。
(周囲から忌み嫌われている私が、いきなり四夫人の末席に加えられるなんて……きっと聞き間違いだわ)
うんうん、そうに決まっている。と偉龍の言葉を待ったが、聞こえてきた声は明玉の期待を裏切っていた。
「四夫人の賢妃に決まっているではないか」
何を言っているのだ? とでも言わんばかりの偉龍の様子に、本当に聞き間違いではなかったのだと知る。
ちーん、とお鈴を鳴らすような音の幻聴が聞こえ、魂が飛んで行ってしまうような心地になった。
「とにかく、明日には太監に話を通し準備を進めさせる。お前も宮を移る準備を進めておくがいい」
「……はい」
あり得ない状況にこれは夢だと逃避しそうになるが、皇帝の言葉は絶対である。
何より、彼の食糧として血を提供することはすでに了承しているのだ。四夫人という皇帝に近い地位になることで、頻繁に会っていてもおかしくない状況となるのだろう……多分。
承りつつも、少々不安という不満を抱えた明玉は軽く恨めしげに偉龍を見る。
だが、その美しい顔と柘榴石のような瞳に純粋な喜びを見て取り、明玉は思わず見惚れたのだった。



