血の気(き)が多い下級妃ですが、吸血鬼な冷徹皇帝に過保護に溺愛されています

 翌日の夜、明玉は頭痛とめまいで足取りがおぼつかない状態で、宮の外へと向かっていた。
(早く、血を出さないと……)
 体の中で血が多くなってきた証拠に、体が火照り発熱の症状も出ている。昨日は朝に瀉血したので夜はやめておいたのだが、少しは血を出しておけばよかったのかもしれないと反省する。
 基本的には毎日一定量瀉血するのが理想だが、体調によっては三日ほど平気なときもあったため、一日半程度ならそれほど辛くはならないだろうと思っていたのだ。
(ここまで酷くなるなんて……いったい何が悪かったのかしら?)
 朦朧とする意識を叱咤するように、明玉は思考を働かせる。こんなところで倒れるわけにも、瀉血するわけにもいかないのだから。
 自分の(へや)は他の下級妃と同房だし、房の外でも宮の中だと他の妃たちに嫌がられるため瀉血はできない。せめて宮から出てしまわなければと思い、今宮の外へと急いでいるのだ。
(食べたものが悪かったかしら? それとも、押し付けられた仕事をこなすために激しく動いたのが駄目だった?)
 思い返し分析しようにも、朦朧とした意識では答えになどたどり着けない。
 思考すらままならないと判断した明玉は、とにかく意識を失う前に外へ出なければとただひたすら足を進めた。
 そうして何とか門前に着いたところで、ぐにゃりと視界が歪み立っていられなくなってしまう。
(仕方ないわね、ここで瀉血しましょう)
 できるならば、万が一にでも他の者に見つからぬようこの先にある木陰まで行きたかったが仕方ない。明玉は諦めの吐息を零し、いつもの血壺を取り出し地面へ置こうとした。
 だが、突然ざりっと土を踏む音がして人が現れる。比較的開けた場所だというのに、その姿も気配も直前まで感じ取れなかったことに驚きながら、明玉は現れた人物を見た。
 長身の男性。黒を基調とした漢服を着ているので、夜の闇に紛れていて気づかなかったのだろうか。
 その顔立ちはよく分からない。
 月明りしかない夜闇の中だから見えないというわけではない。滑らかに曲線を描く頬や程よく突き出ている顎は見えるが、肝心の目鼻立ちが鬼の面で隠れているからだった。
「あなたは……」
 男の正体に気づき軽く息を呑む。
 このような姿の男性になど初めて会うが、その面は皇帝が付けているものだという話は有名だ。
 彼の後宮にいても、下級妃の自分は一生顔を合わせることはないのだろうと思っていた。それがまさかこんなところで、しかも今まさに瀉血しようとしているところで遭遇するとは。
 明玉は一瞬思考を止めるが、現れたのが皇帝であるならば目の前で瀉血するわけにもいかないだろうと判断し血壺を持ち上げる。
 屈んだ体勢だったので、そのまま頭を下げて皇帝・偉龍が通り過ぎるのを待つことにした。
 だが、偉龍は明玉のそばへ来て低い声を発する。
「何故こんな夜中に宮の外に出ているのか知らんが、妃嬪の一人だな?」
 降ってきた問いかけに是と答える前に、偉龍は明玉へ更に近づくように長身の身体を曲げ屈んだ。答えは求めていなかったのか、彼はそのまま明玉の肩を強く掴み低く冷たい声で一言告げる。
「今宵はお前にしよう」
「え?」
 掴まれた肩の痛みとその言葉に驚き顔を上げると、鬼の面をつけた偉龍の顔が一気に近づいてきた。
 その近さに驚き息を詰めると、彼の顔が明玉の首筋に埋まる。その次の瞬間――。
「いっ、つぅっ!」
 何か、硬く尖ったものが皮膚を突き刺す痛みを感じ思わず顔を歪ませた。
 痛みで身体が強張り、反動で持っていた血壺が手からころげ落ちてしまう。
 がしゃん、と割れたような音が聞こえ不安になるが、肩を掴まれ首に噛みつかれている状態では壺が無事かどうか確認することもできない。
 状況は分かっていても、何をされているのかが分からないため混乱する。
 だが、その傷口から血が溢れ出ていくことで明玉の朦朧としていた意識が明瞭になっていった。血が多くなりすぎて火照った身体も、すぅっと熱が引けていく。
(助かった……)
 耳元で、ごくりという自分の血が嚥下されている音が聞こえるが、そのようなことはどうでもいいと思えるほど明玉は救われた気分だった。
 めまいも、頭痛も、血が抜けていくと共に収まっていく。
 普通であれば、いきなり血が抜けてしまう方がめまいや頭痛の症状が表れるのだろうが、明玉の血は霊薬でもあるからか、血が多いという異常さえ改善できれば不思議と調子のいい状態に戻るようなのだ。
 しかも、溢れ出る血は地面に滴り落ちることなく偉龍の胃の腑に落ちている。霊薬である明玉の血を飲み込んだ偉龍がどうなるかは分からないが、むやみに零してしまう心配をせずに済むのは助かる。
 いつも壺から零れてしまわないようにと気を使っている分、楽だな、などと場違いなことを考えてしまっていた。
 身体から一定量の血が抜け体調が良くなったころ。偉龍も満足したのだろうか、血を啜る音が聞こえなくなり、傷口に残る血を舐めとられる。
 素肌を舐めて血を拭われるという初めての感覚にぞわぞわしたが、衣が汚れずに済むのならその方がいい。
 多少の気恥ずかしさも覚えたが、明玉は偉龍が離れるまで大人しくしていた。
 そうして、おそらくいつものように傷も癒えたのだろう。痛みがなくなると、偉龍が明玉から離れ掴んでいた肩を離す。
 強い力から解放されほっとし、緩められた襟元を正していると偉龍が驚きの声を上げた。
「なっ!? お前、なぜ気を失わない?」
「はい?」
 なぜ驚くのか、その言葉の意味もよく分からず顔を上げると、思ったよりも近い場所に偉龍の顔があった。その近さ故に、鬼の面の隙間に赤い光を垣間見る。血の赤のようなその光に魅入られていると、また肩を強く掴まれてしまった。
「いたっ」
「かなり血を吸ったはずだ。なのになぜお前はそんなにしっかり立っていられるんだ!? 普通は意識があったとしても、すぐに倒れこんでしまうものだぞ?」
 恐ろしいほど低い声に焦りを滲ませた偉龍は明玉を問い詰める。対する明玉は皇帝のあまりの剣幕に目を白黒させて驚くが、不思議と恐ろしさは感じなかった。
 去年までは叔父家族からもっと酷い扱いを受けていたからというのもあるのだろうが、血を吸われたことで明玉自身が彼に救われたと思っているからかもしれない。
 通常であれば今偉龍がしたことは恐れられる行為だろう。だが、明玉にとっては助けとなる行為だった。
 だから、明玉は微笑みを浮かべ答える。
「私、普通の人よりも血が多く作られてしまう病なのです。毎日瀉血しなければ死んでしまうほどの。なので今は寧ろすっきりしています。助かりました、陛下」
 心からの感謝を込めて礼を口にしたが、偉龍は無言で項垂れ明玉の肩を掴んでいない方の手を自身の額に当てた。
「なぜ礼を言うのか……お前にとって助けとなったのだとしても、普通は血を吸われれば恐れる所だろう?」
 言葉の後に深いため息をつかれ、なぜか呆れられてしまう。
 確かに偉龍の言う通りなのだが、明玉は彼に対して感謝の念しか抱いていない。なので恐れる所だと言われても、怖いとは思えないのだ。
(あ、でも陛下の夜のお相手をした妃嬪が翌朝体調不良になっていた理由は分かったわね)
 先ほど偉龍は『今宵はお前にしよう』と言って吸血した。おそらく毎夜彼の相手をしていた妃嬪たちは、先ほどの明玉のように血を吸われていたのだろう。
 明玉の場合は問題なかったが、あの量の血を吸われれば翌朝体調不良になるのも当然というものだ。
(覚えていないのはどうしてかは分からないけれど、きっと意識が混濁して記憶が曖昧になっていたのね)
 バンから聞いていた妃嬪たちの様子を思い出し、なんだか謎が解けた気分で明玉は満足げに頷く。
 そうして明玉が納得していると、脱力した様子だった偉龍がまた顔を上げ明玉をじっと見下ろしていた。
「まあ、恐れないならそれはそれで都合がいいか。娘、お前名は何と言う?」
「あ、才人の地位を賜っております林明玉と申します」
 肩を掴まれているため正式な礼は取れなかったが、せめてもと頭を下げて名を告げる。
 すると、偉龍は形の良い薄い唇の片端を上げ笑う。鬼の面と相まって、その笑みは悪だくみでもしていそうなものに見えた。
「では明玉、お前のことを詳しく知りたい。話がしたいので、このまま俺の宮までついてきてもらおうか」
 問答無用の命令に、明玉は是と答えるしかなかった。