久高奈緒子は周囲の人間の助力を得ながら、四三年という短い障害の中で一五の作品を残していった。
 私の目の前の壁に飾られていたのは、その一五点の作品の一つに数えられる。題名は『岬』といい、読谷村のとある岬を写実的に描いたものだ。
 晴れた空、眩しく光る海、崖に建てられその役目を期待されている灯台。絵は昼の海を中央に配置し、見る者の心に何かを訴えかけてきていた。描かれている景色は昼間だというのに、灯台は上端から光を放っていた。光は左右に帯状に伸びているものの、あたりの明るさもあって十分な仕事をできていない。鳥は飛ばず、人は立ち寄らず、そうしてできた晴れやかな無人の岬の風景がいきいきと描かれているのだった。
 祖母はかつて、私に話していた。沖縄への旅行についてだ。
 あの人はよく旅行に出掛けていた。沖縄へ行くことが多かった。祖母は沖縄という場所を気に入っていたらしく、廊下に飾られている『岬』の絵は、ある日旅行から帰ってきた祖母が現地で買い求めたものだという。現存する作品数が極端に少なく、希少価値がついているから安くはない買い物だったと他ならぬ本人から聞いている。祖母が付箋に書いた思い出を探せとは、写真を収めたアルバムである可能性を残しつつもこの絵を指しているのではないかという気がしてくる。
 私はそのことについて、時間をかけてゆっくり考えてみた。絵を前にして、祖母の思考の道筋みたいなものを探ろうと懸命に頭を働かせ、そうして「やっぱりこれだ、これ以外にはない」と確信めいたものがふっと湧き出ると次の行動に移った。
 私の取った行動とはつまり、この絵を手に取り調べて見るということだ。この家を訪れる祖母の周りの人物(この場合家族と言い換えた方が適切だろう)は、本を読まない者の集まりである。なぜ祖母だけが本を読むのか、という疑問は大いにあるが、これについては今答えを求めるべきではないだろう。重要なのは、本を読まない人たちというだけあって絵画にも興味を示さないのだ。
 彼ら、彼女らは不自然に、そして極端に少ない遺産を前にまだ隠し持っているものがないかと無遠慮にもこの家を調べ上げた。おそらくは、この絵についてはあまり手を伸ばしていないのではないか。
 どの程度の捜索だってにせよ、山と積まれた金銀財宝を思い描いて探し回る者の中には「絵のどこかにヒントがあるのではないか」という結論に達した存在がいないかもしれない。仮にいたとして、その人物は思考の中途で諦めてしまっているのではないか。