『正面から見ていたのでは、とても気付けないことがある』
 間違いなく祖母の文字である。祖母がこの細長い付箋に、鉛筆で短い文章を書いていた。とても丁寧で綺麗な文字だが、本を手に取り開いてみなくては発見できそうにない。どうしてこんなところに文字なんて書き記したのか見当もつかない。
 しかし、意味があるはずだ。祖母はこんな、ただ意味ありげなことをして人にイタズラするような人間ではない。寝室には祖父以外が立ち入ったこともないはずだから尚のことだ。
 もしかしてと直感し、私は本棚に視線を移した。何冊もの書籍が、作家の名前で分けられ収められている。本を愛していたのであろうことは、読書家になら一目瞭然のはずだ。
 親戚の人間たちは、本を読むようなのがいない。私は彼ら、彼女らの顔を順に思い浮かべてやはりそうだったと一人確かめもした。家宅捜査が行われた時、この本棚はきっと触られていないはずだ。もし触られていたとしたら、手の込んだ本の並べ方は崩されていたはずだ。
 本屋の棚の陳列を眺めているのと同様の気持ちにさせるような、とても丁寧な並べ方。本の配置はよく考え抜かれたものであるように見えた。
 この無数の本の中に、まだ見ぬ祖母のメッセージが潜んでいる気がした。
 私はよくよく注意して本棚を睨んだ。正面から見ているだけでは気付けないことがあると付箋には貼られていた。その言に従い、様々な角度からメッセージの有無を確かめてみることにした。すると一つ、違和感があるのに気づいた。
 太宰治の小説『ヴィヨンの妻』が、二冊ある。端から見ていくと、その二つは隣り合っているわけではなくかなり間隔を空けていたから中々目立ちにくい。けれど私は気付けた。唯一この題の小説だけが、二冊存在しているのだ。
 それら二つを実際に本棚か抜き出してみると、片方には付箋が挟み込まれていた。慌ててページを開き、空色の付箋を確認した。
『思い出を探してみて』と、あった。
 思い出、一体なんのことだろう。思い出を探して何が見つかるというのか。
 当惑に近いものを感じて、立ち尽くした。祖母の考えを理解できない。
 壁にかかった時計に視線を投げ、ああもう二二時近くになっている、およそ三時間ばかりをこの一室で過ごしたのかと驚嘆しながら夕食の用意をしようと決め、階段を降りた。
 階段を降りて廊下を進んでいると、壁にかかった絵画が視界に入り、これだと思った。
「この絵が思い出だよ」誰かが私の左耳に囁いた。
 久高奈緒子(くだかなおこ)という画家が、かつていた。彼女は戦後の沖縄で主に風景画を手掛けていた画家だ。
 一九五〇年代、地上戦の傷がまだ強く残っているアメリカ統治の環境下で当時二〇歳だった彼女は、生きる希望を絵に託した。画材も不足していたし、何より米軍の監視の中で自由に絵を描くという行為は規制対象であったから大変な苦労を強いられた。