開いてみると、一九四ページ目が私の眼前に差し出された。そこには一枚の付箋が貼られており、自然とこのページが開くようになっていたのだ。
 付箋の貼られていた箇所を一旦離れ、この書籍の大まかな内容を掴もうと読んでみることにした。恐ろしさを感じてはいたが、手に取ってみてもおかしな点がないとわかり安心感を得たのだ。祖母によって本の虫となった私は、どのような経緯であれ気になった書籍は必ず目を通すようにしている。
 本の内容は、簡単に説明するなら近現代の日本画家についてのものである。現代を生きる絵描きというものを真正面から批評し、それによって読者に刺激を入れる、そのような目論見の本だ。暗い中ではあるが、なんとなく速読してみると全く的外れでもないように思える文章になっていて、一部では確かに首を捻るようなことを平気で書いているが、別の一部ではうんうんと頷いてしまうような、とても絶妙な構成になっていた。大方、この本では著者が画家を中傷したいのだということが伝わってきた。特に目に留まった部分があって、それは次のようなものだ。
『現代人は芸術絵画を耳で鑑賞する、という言葉を昔の海軍だか、陸軍だかの偉い人物が言った。それは全く、私には本当のことであると思える。現代人は物事の本質というものをまるで見定めようとはしない。絵画を鑑賞して感動した、などと言ってそれで終わりである。どうしてこのような絵になったのか、このような絵にならざるを得なかったのか、描かれることとなった経緯や背景を知ろうとしない。そのような大衆の思惑は、次第に画家にも伝播したようである。現代の絵描もやはり、誰かの評判や感想を拾うための耳によく響くような、いわゆるウケる絵ばかりを描く。つまりは、噂になるための絵だ。誰かが大袈裟に噂し、その噂に惹きつけられた別の者がまた噂をする。小さな波を次第に大きくして、これを大衆に受け入れられる絵とする。噂を作る絵描きに徹する。この作業を私は、芸術だとは思いたくない』
 この本の作者は私とどこか価値観が似ていると思った。私ものこの意見には賛同できたからだ。
 その後も夢中になってページを繰っていき、やがて付箋が貼られていたあの一九四ページに戻っていた。この頃になると、私には時間の感覚がほとんどなくなっていた。
 件のページにはやはり一枚の付箋が貼られている。よく文具屋で見るような長方形の細長い付箋。これに何か文字が記されているのを私は発見した。判読しようとして、そこで初めて部屋が暗いままで自分自身、その部屋に棒立ちになっているのに気がついた。なんだか恥ずかしいような気持ちさえ芽生えながら電気をつけた。
 部屋がにわかに明るくなり、目が痛んだ。私は目を何度もしばたたかせながら、明るさに慣れた頃合いにもう一度本に目を落とした。
 付箋にはこうあった。